殻の人魚たち
きゅんとヴェーロは鳴いて、鼻を
「あぁ、なんて美しい
背筋が寒くなる
自分をげんなりさせる存在が、背中には乗っている。
「あぁ、なんて可愛い鳴き声なんだ……。本当に君はこの世で1番愛くるしい女性だよ……」
ヴィーヴォが弾んだ声をはっする。彼の発言にヴェーロは眼を
ヴィーヴォは自分のことを四六時中、
気を取り直して、ヴェーロは前方を見つめる。
自分たちのいる
「はーい、次は
ひょいっとヴィーヴォが背中から跳びおりて、前方へとやってくる。彼は手に持った
「これから狩りにいくからねぇ。僕もナイフのお手入れしないと……」
ヴィーヴォは腰に吊るしたナイフをそっとなでてみせる。それと同時に、美しい歌声が海原から鳴り
人魚の歌声だ。
おいで、おいで……。
そう、人魚たちの歌声は
彼の眼の中で漂っていた光が、外へと飛びだす。それは、ヴィーヴォの眼に
そんな星たちに、ヴィーヴォは歌をうたってみせる。
彼の美しいアルトの声色が、人魚の
それは
星が、ヴィーヴォのもとへと戻ってくる。星はヴィーヴォの眼に吸い込まれ、またその中で輝きだした。
ヴィーヴォの眼が光にゆらぐ。ふっと彼が唇から息を吐くと、それは花となって空に散らばっていった。
「人魚に捕まっちゃうからね。ここから早く離れて欲しいな……」
周囲を舞う花をなで、ヴィーヴォは微笑む。ヴィーヴォの言葉に応え、花たちは星空へと昇っていった。
ヴェーロは空を仰ぐ。
蒼い星空の向こう側では竜たちの
空の向こうには
そんな竜の影を瑠璃色の地球が照らしている。その地球を目指し、ヴィーヴォの吐いた花が飛んで行く。
この虚ろ世界は、3層に別れる。
上方にある、生命の故郷たる地球と、虚ろ竜たちが飛び回る中ツ空。そしてヴィーヴォたちが住まう、虚ろの底にある水底だ。
水底は、虚ろ竜たちが取りこぼした命が生きる場所だ。ここで死んだ生命の魂は、死後も星となって彷徨う。
そんな魂を浄化し、灯花と呼ばれる花の結晶に変えるものたちがいる。灯花に変えられた命は、新たな生命として生まれ変わることができるのだ。
人々は、そんな存在を
「さぁ、愛しい僕の恋人。人魚狩りの時間だよ」
「きゅんっ!」
「まったく、ポーテンコ兄さんも人使いが荒いんだから……。死にかけの弟に人魚殺しなんてやらせないよねぇ」
ため息をついて、ヴィーヴォは身に着けた首飾りに手を充てる。首飾りには
――
ヴィーヴォの兄であるポーテンコの言葉を思い出し、ヴェーロは胸を痛めていた。
少し前まで、聖都を追放された自分たちは洞窟の巣で気ままな生活をしていた。
でも、その生活はもう終わりだとヴィーヴォは言った。自分は花吐きだから、人のために役に立たなくてはいけないと。花吐きがいなくなっている今、
それが罪を犯した自分の
「ヴェーロ、どうかした?」
ヴィーヴォが優しく声をかけてくれる。彼を困らせたくなくて、ヴェーロはわざと明るい声で鳴いてみせる。ヴィーヴォは優しく微笑んで、自分の首を抱きしめてきた。
「兄さんのことは気にしなくていい。僕は、君と一緒にいたからいるの。君がいなかったら、今でも僕は聖都の暗い
彼が寂しそうに眼を伏せる。そんな彼を見ていると、ポーテンコが自分に向けてきた眼差しを思いだしてしまう。
とても辛そうな、彼の眼差しを。
卵だった自分がヴィーヴォのもとに落ちてこなかったら、ヴィーヴォは罪人として裁かれることはなかったのではないのか。
彼が自分を罪人だと責めることもなかったんじゃないだろうか。
そんなことを、ヴェーロはポーテンコの眼差しを思い出すたび考えてしまうのだ。
「ねぇ、ヴェーロ。僕のことじゃなくて、兄さんのこと考えてるでしょ?」
ヴィーヴォに話しかけられ、我に返る。彼が不機嫌そうに自分を見ている。
「君の番は僕だよね? なんで他の男のことなんて考えるのさ。僕は、君がいればそれでいいのに……」
ヴィーヴォはふんっと自分から顔を
「ヴェーロ、竜の姿をした君にだから言うけれど、僕はいつも君のことばっかり考えてるよ……。でもさ、君が人の姿になると何も言えなくなって、君が竜の姿になるとクサい台詞が止まらなくなるんだ……。姿形なんて関係ない……。君がどんな姿をしていたとしても、毎日君のために愛のポエムを
「きゅん……」
それは気持ち悪いからしなくていい。ヴェーロは自分の気持ち鳴き声に
「ごめんなさい……。お願いだから、嫌わないで……。僕、君がいないと生きていけないんだ……」
「きゅん……」
別にそんなことで嫌いになったりしないのに。困った自分が鳴くと、ヴィーヴォは
「だって、僕の側にいてくれるのは君だけだもん。僕を花吐きじゃなくて、ヴィーヴォとして
かぁっと頬を赤らめ、ヴィーヴォは自分から顔を
「この前のお返し……」
「きゅん……?」
彼はいたずらっぽく笑って、頭を放してくれる。そんなの毎日やってるじゃないかと、鳴き声でツッコミを入れてみせた。
「いいの! 男をお姫様抱っこしたうえに、唇を
顔を真っ赤にしてヴィーヴォは叫ぶ。
「本当は、ちゃんと僕だって君にキスをしたいさ……。でも、恥ずかしくなっちゃって……」
眼を逸らし、ヴィーヴォはぼやく。
そんなヴィーヴォを
「たっく、海の乙女たちは僕らの愛する時間すら奪っていくねぇ、ヴェーロ」
口元に歪んだ笑みを浮かべ、ヴィーヴォは海原を
「さぁ、ヴェーロ。今日も素敵な人魚たちと歌をうたおうか。彼女たちの悲鳴が、僕の歌のメロディになるんだけど」
光の瞬く眼を自分に向け、ヴィーヴォは
そんなヴィーヴォにヴェーロは弾んだ鳴き声を返していた。
ヴィーヴォは腰に差したナイフをなぞり、自分の鼻筋にキスをする。彼は
はらはらと銀の
空を仰ぐと、
蒼く輝く
落ちてくる銀の鱗の一片を掴んでみる。
掴んだ鱗の角度を変えてみる。それは貝のような
綺麗だとメルマイドは思う。
そして、思いだす。
そっとメルマイドは胸に抱えた瓶を顔の前に持ってくる。星を閉じ込めた瓶は、蒼く光り輝いている。
その瓶の中に、
それは地球の光を受けて、銀色の
彼の眼は本当に素敵だ。
その眼に微笑みかけてもらえることが嬉しかった。
彼は、メルマイドが
それでも、彼の眼の美しさは変わらなかった。彼は
彼の吐く灯花は、メルマイドの
不意に、アルトの歌声が海中を満たす。
また、あいつがやって来た。
私たち人魚から、魂である星を奪う少年が。
海上へと眼をやると、銀色の竜が空を飛んでいる。波にゆられ歪む竜の背には、
銀の竜に乗った花吐きが、メルマイドたち人魚を狩りに来たのだ。
歌声に応えるように、
少年の歌声に
おいでと、少年の歌声が語りかける。
僕の花におなりと、彼は星たちを誘う。
メルマイドは胸元に眼の入った瓶を抱き寄せ、海上を
海面がゆれ、竜の翼が海に漣をつくりだす。
美しい歌を奏でる
仲間であった花吐きが、
そう、ヴィーヴォが語ってくれたのは数か月前だ。
星々を映す海は、黄金色の輝きを宿している。その美しいきらめきを見つめながら、ヴェーロはヴィーヴォの言葉を思い出していた。
殻は、地球から落ちてきた卵が割れたときに生まれた存在だ。命を宿した卵が割れ、その殻が水底に落ちていった。
その卵の殻から、意思を持つ生き物が生まれたという。
魂を持たない彼らは、長大な寿命と、魂に
彼らには星になった魂を
「
自分の背でヴィーヴォがぼやく。
聖都には教会を統べる色の一族がいる。始祖の竜の直系たる彼らからは、代々強力な力を持つ花吐きが生まれた。
色に関する二つ名を与えられる色の一族の花吐きたちは、教会に捧げられ始祖の竜の使いとして信仰の対象となる。
ヴィーヴォは黒の一族を代表する二つ名の花吐きだ。
ヴィーヴォの二つ名は夜色。そのほかにも、金糸雀、緋色、若草、そして今回殺された珊瑚色の二つ名があるという。
「珊瑚色は二つ名の中でも力が弱い方でね……。だから、吐ける花も少なかった……。長生きできたのに何で、花吐く以外の原因で死んじゃうかな……。僕が来る前に、殺されるかなぁ……」
寂しげなヴィーヴォの言葉に、ヴェーロの胸はぎゅっと詰まる。
ヴィーヴォは人間が苦手だ。でも、その人間に彼は優しい。
特に、彼は
「まぁ、
「きゅんっ!」
ヴィーヴォが声をかけてくる。ヴェーロは
「Vero《ヴェーロ》!」
自分の鼻先が冷たい海面を突き破った
ヴェーロの体は眩い輝きに包まれる。翼は
そんな自分の
そんな自分たちに近づく影があった。
人魚だ。
尾鰭を悠然と動かし、人魚たちが自分たちを追って海の中へと沈んでいく。
ヴィーヴォは首に巻いていた首飾りを外し、人魚めがけて投げつけた。ヴェーロの鱗でできた首飾りは水中でばらばらになり、人魚たちに襲いかかる。
人魚たちは悲鳴をはっし、海底へと沈んでいく。
水かきのついた人魚の腕がヴィーヴォに伸びる。ヴィーヴォは腰に佩いたナイフを抜き放ち、人魚の
人魚は、
海底が近くなる。
珊瑚礁の中で輝く星たちを認め、ヴェーロは動きをとめる。
ヴェーロは大きく口を開け、巨大な気泡を背中にいるヴィーヴォ目がけて放った。気泡はヴィーヴォを包みこみ、珊瑚礁へと降下していく。
ヴィーヴォが唇を開く。
美しいアルトの旋律が、気泡に包まれた彼を中心に放たれた。
瓶の割れる音が海中に轟く。瓶の中に閉じ込められていた星たちが、海中を漂い始めた。
ヴィーヴォの眼が煌めく。彼の紺青の髪が淡い輝きを放ちだした。
ふっとヴィーヴォが息を吐く。
彼の唇から、
ヴィーヴォを包む気泡が割れる。ヴェーロは急いでヴィーヴォへの側へと泳いでいった。彼は自分の
ヴィーヴォの合図を受けて、ヴェーロは海面へと上昇する。怒り狂う人魚たちの声が耳朶に轟く。人魚たちが自分たちを追いかけてくる。
そんな人魚たちにヴィーヴォが微笑みかけた。
海底から銀色に光る粒子が舞いあがり、人魚たちに襲いかかる。
ヴィーヴォが沈めておいたヴェーロの鱗だ。銀の鱗は
悲鳴が海底に木霊する。人魚たちが透明な粒子となって崩れていく。
ふと、かすかな歌声が聞こえてヴェーロは眼を見開いていた。
歌声が気になって、海底へと眼を向ける。
珊瑚の森の中で、悲しげに歌う独り人魚がいた。
桜色の髪を翻し、彼女は薄紅色の眼を自分に向けてくる。そんな彼女の周囲を、人魚たちの粒子が舞っている。
歌は、ヴェーロに宛てられたものだった。
どうしてあなたは、人といるの。
あなたは、こちら側の存在なのに――
人魚の歌声に、ヴェーロは眼を見開いていた。
歌声は告げる。
私の大切な人は、人間に殺されたと。
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