鼓動の演説

「私はあの時……十一月二五日、置き去りヽヽヽヽにされた一人です」


 櫻冑會おうちゅうかいの例会にて、壇上で安曇野は静かに語り始めた。総勢二〇〇を越える櫻冑會おうちゅうかいの面々は老人に真摯な視線を向け、水を打った静寂を保っている。


「間接侵略に対する護る存在、此の国の伝統と文化を文字通り死守するべく組織されたに、私は――取るに足らない一員として参加していました」


 訥々と昔語りを始める老人の声は、平静と変わらぬ調子ながらも不思議とよく響いていた。老人の背なには、葡萄えび色の旗がかかっている。櫻冑會おうちゅうかいの紋章である、桜にかぶとの紋が白く染め抜かれた旗は、老人の海松みる色の和装と相俟って、落ち着き払った雰囲気を醸し出していた。


「あの日、全てが燃え尽きた日の、あの蹶起の檄の意味を、私は自身に問いかけてきました。時期尚早であった、もう時代の速度は彼らを遠くに追いやってしまった、或いは、次に繋げるために自らの死を礎石とした……。もはや、逝った者に問いかけたとて答えは冷たい沈黙のみ、余人ではおもんばかって自らに都合の良い解釈しかできません」


 死人に口なしとはよく言ったもの、死者は何も語ってはくれない。たゞ、流れる時の中で生涯を固着させてしまった、既にさかのぼれぬ川上に残る存在だ。人にとって厳正な不可逆性を持つ時は、止まった存在を置き去りにして流れるのみ。或いは、生きる者が置き去りにされたのか。


「もはや戻れぬ過去に残された私は、己に問いかけました。生きている意味を、そして現在いまを。様々な問題を孕みつゝ発展の幻想に取り憑かれた此の国は、むしろかつての姿よりも悪化しています。其れを手をこまねいて見つめるしかできない罪……。此の国をかえるのは、今、此の時を逃しては二度と無いと確信しました」


 そう、もはや猶予は残されておらぬ。少なくとも、安曇野はそう考え、行動を開始した。

 憂国の意志を束ねるために、宗教団体という隠れ蓑を使い、櫻冑會おうちゅうかいを組織したのも其の一環だ。此の国は、過去の教訓から学んでいないのか、宗教団体に対する無関心さには目を瞠るものがある。宗教をという外套を纏った反社会勢力が此の国にどれほどあるか――。


「戦後より続く隣国からの間接侵略、領土侵犯、国際裁判に出廷せずの実効支配、核の脅威、そしてそんな悪意ある国に媚びへつらう事で偽りの安寧に身を委ねる他ない我が国。もう、機は逸しているのかもしれません。しかし、此の国に連綿と継続する歴史と伝統、其処から生まれる民衆の誇りが、際の際で国の屋台骨を支えています。ならばこそ、諸外国の侵略に末端を腐らせつゝある枝葉を剪定する必要があるのです」


 憲法という足枷を引きずる自衛隊。事なかれの前例主義を貫き、採算重視の時代背景を考慮せぬ装備しか与えぬ官僚。国防――国民の安全と財産を護るという、国家が最低限保障せねばならぬ命題を、事実上放棄しているといっても過言ではない。


 一部民間委託となった自衛隊――日本防衛保障JDSが其の証左だ。コスト削減と憲法に縛られぬようというお題目の元で法改正された日本防衛保障JDSは、しかし旧態依然とした体制を未だに継いでいる。


 だからこそ、安曇野は自ら安曇野警備保障を――いや、明確化すると民間軍事会社を立ち上げたのだ。憲法に縛られぬ実質的な民兵組織としての、安曇野警備保障を。


「それは、領土をくれてやるという意味でしょうか?」


 不意に浴びせられた声は、最前列に陣取っていた青年に依るものだった。熱田大義……熱く孤独な瞳を持つ青年。


 控えていた秘書の東堂が、端正な顔を気色ばませるのを、安曇野は物言わず手で制した。安曇野の秘書を勤めるこの青年は、顔の作りの通りに神経質なきらいがあり、自分はともかくとして安曇野に対する無礼を決して許さず激昂するといった一面があった。


「勿論、違います。枝葉はいわゆる間接侵略側に踊らされた思想であり、また其れを煽動する間者です。そして、重要な点はもうひとつ、武力の存在です。侵略者の成すがまゝに任せろといった、誇りも主権も放棄した暴論を平気な顔をして電波で拡散されていますが、以ての外と言うしかありません。確かな武力は、戦争を牽制するのです。でなければ、軍事的挑発を繰り返し核開発を続ける国が、どうして今存続できているのでしょうか。戦争を起こさせない――戦争に依る採算を合わせさせない、被害の想定を強く意識させる事が、戦争回避につながるのです」


 戦争とは最終的な外交手段でもあり、経済活動という側面も併せ持つ。得られるものと失うものゝ帳尻を合わせる事が、戦略と呼ばれるものであるならば、其のバランスを変えてしまえばよいのだ。無論、欠損覚悟の大博打に望む場合もあるだろうが、現代では命取りとなり得る。


 安曇野は腰に差した刀を引き抜くと、飛魚が跳ねるように雫が散った。掲げ持つ刀は照明を浴びて、空ではないというのに青褪めた三日月を浮かべる。


「見てください。流麗な描線も麗しい日本刀、波打つ刃紋の飛沫さえ感ぜられる、此の美々しい武の形こそが日本であり、日本が持つべき武力の形其のものなのです」


 思想性の高い、不効率な武器を、しかし安曇野はこよなく愛していた。


 此の武器こそが此の国の武力であり、其処から生まれる精神性こそが日本の精神である。かつて、効率と策略に生きていたとは思えぬ、己の変遷に老人は内心で笑う。

 むしろ、変わったからこそ現在がある。そして、来るべき……手繰り寄せる未来の形も、だ。


「いずれにせよ、此れからです。イソラを手にして数年……我らは目的のためにたゞ奔走するのみです」


 そう、此の刀を血に染めて……。豪刀の頃を偲ばせるがかつての身幅を物語る刀が、しかしなお重く感じられたのは、其処に湛えられた時と信念の重みだったのだろう。

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