第百十二話『不和と争い』其の三
「さて」
陶南は気分を切り替えるように、一度刀の鯉口を切り、そして再び強く刃を納め直す。
最早ここにいるのは陶南と画面上の筆坂だけである。北の岸ではマザンが学園内に侵入しようと蠢いている最中であった。画面上の天使はそちらをチラリと伺い、やがて呆れたような声を漏らす。
『まぁ正直第一印象通りではあるが、キサマも中々損な性格をしているのだな。ほら北のクソを見てみろ、結局アレの相手はキサマ達だけでせねばならなくなった』
「いえ、これが最善だと思ったまでのことです。どちらにせよ全殺王の撃破は必須なのですから」
「陶南学僚長」
そのときであった。
先程から近くに控えていた五柱の隻翼、そのリーダーらしき少女が陶南に声をかける。彼女が得物のハルバードを握る手には明らかに力がこもっていた。リーダーの後ろにいる四人、それぞれジャベリンの少女、ロングソードの双子、杖を持ったチビ助も皆揃って勇み立っている御様子。
彼女等の言いたいことは言わずとも大体分かる。
「我々もお伴します」
「必要ありません。むしろ早くこの場所から居なくなって下さい」
陶南の言い方はあまりにもあんまりすぎた。
隻翼達に自我はないはずなのに、心なしか表情がシュンとした気がする。
『オイ、陶南。キサマもう少し言い方ってものがあるだろ』
「いえ、事実ですので。それよりも皆さん早く――――」
異変が起きたのは正にその瞬間であった。
陶南の前に立つ五柱の隻翼。そのうちロングソードを持つ双子の片割れが、隣に立つ自らの姉妹に斬りかかったのだ。
「ッ――――――!!!!!!!!!!!!!!」
突然のことに残りの四人は全く反応することが出来なかった。
一方の陶南は初めからこうなることが分かっていたかのようであった。彼女は事前に作っておいた掌サイズの氷を、錯乱者の手元に素早く投げ入れる。見事氷は命中し、隻翼は今まさに振り下ろしつつあった剣を取り落す。
「拘束して下さい、早くッ!!」
陶南の喝を受け、それでようやく四人は我に返った。
少女は四方から錯乱者に飛びかかる。多少の抵抗は受けたものの、幸いすぐに無力化出来たようであった。
「……なんで、なんで同じ双子なのにアンタばっかりッ!!!!」
錯乱者は無力化されたあとも狂ったように叫び続けており、辛うじて聞き取れたのはその言葉だけであった。
筆坂は陶南を見る。すると彼女にしては珍しく、陶南はその顔に不快感を露わにしていた。
『オイ陶南、どういうことか説明しろ』
「……先程言いました通り、マザンはただ存在するだけで世界に不和を振る巻く悪魔なのです。つまり、マザンの近くに二人以上の人間が近付けば、必ずその中で争いが生じてしまうのです」
「ハッ、なるほど。だからそいつらに早く消えろと言ったのか……」
筆坂は納得する。しかし、同時にとても恐ろしいことに気付いてしまった。
「いや、待て。二人以上でマザンの前に立てば同士討ちを演じさせられる……なら、ヤツを倒すには――――」
「流石、察しがいいですね。その通り、大海獣マザンは確かにそれ自体が強力な悪魔ですが、何より恐ろしいのは
目眩がする思いであった。
大海獣マザンの体長は二百五十メートルを超える。ならば当然マザンを倒すには大人数で協力することが不可欠となる。それでも今綾媛学園にいる総力を結集したぐらいでは、あの怪獣を倒すことはかなり難しいだろう。にも関わらず、そもそもこちらには協力することすら許されないのだ。
そんな理不尽があっていいのか?
そもそも本当にコイツを一人で倒せる者などいるのか?
聡明な筆坂でも完全にお手上げであった。クソゲーにもほどがある。ただでさえ少ない勝ち筋を極限まで絞られて、いやそもそも現状の戦力ではマザンに対する勝ち筋など存在しないのかもしれない――――、
「ですので、私が一人で戦います」
まるでそんな筆坂の諦念を否定するかのような言葉であった。
画面の向こうで筆坂は頭を抱える。それから彼女は一度深呼吸をし、最後にはフッと笑った。
『先程キサマに損な性格と言ったが前言撤回させてくれ。陶南、キサマはただのバカだ』
「お好みですか?」
『あぁ、もちろん。バカは嫌いだが、オマエのような笑えるバカは大好きだ』
「そうですか。なら、良かったです」
普段から無感情な陶南であるが、今はいつにも増して素っ気ない。
何故なら、彼女は今怒っているからだ。
滅多に慌てず、決して怒らず、自分を殺そうとする者とすら対話を望む病的なまでの博愛主義者。そんな陶南萩乃が今この瞬間だけは激怒している。それほどまでに、この大海獣マザンは彼女の地雷を見事なまでに踏み抜いているのだ。
「貴方の力は存在しない不和を新たに生じさせるものではない。それなら私も……まだ許容出来ました。ですが貴方の力は、人が誰しも持っている、他者への不満を増幅し、高い椅子の上から無責任に扇動し、そうして無理矢理人を争いへと向かわせる、そういう力……」
感情が昂ぶるあまり、自らの日本語が崩れかけていることにすら陶南は気付いていない。そうして、今までどんなときも無表情を貫いてきた彼女が、はじめて明確な敵意をもって敵を睨み付ける。
「本当、クソッタレですね」
身震いするほどに冷たい声であった。
「みんな、みんな、何かを我慢して、そうして生きています……争いを起こさないために、お互い解り合って、そのために。だというのに、貴方はまるで冒涜しています、人間をです。それは決して許されません。ですので――――」
そこで陶南は一気に腰の刀を鞘から抜き、
「ブッ殺します」
視線の先の怪獣に切っ先を突き付けた。
負けじとマザンも地が震えるほどの雄叫びを上げる。
争いを何よりも好み愛する醜い怪物と、争いを何よりも嫌い憎む優しい少女。
互いに互いの存在を認められないもの同士の、熾烈な殺し合いが始まろうとしていた。
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