第八十八話 『血染めのガラス細工』


 ところは樋田と晴も住む白金台しろかねだいの高級住宅街。

 本邦の首都圏にしては道が広く、都会と言っても無骨な高層ビルが空を覆っているわけではない。地元という贔屓目を抜きにしても、開放感のある住み心地の良い街だと思う。

 景観を重視してのことなのか、そこらには青々しい街路樹が立ち並んでおり、その下には小洒落たベンチが置かれ、傍らのカフェでは如何にも金を持ってそうなマダム達がまったりとお茶を飲んでいる。


 されど、そんな背景に花でも舞いそうな上級階級の園の中に、似つかわしくないを通り過ぎて最早浮いている人影が一つ見える。むしろ汚い路地裏にでもいる方がよっぽどお似合いな、怖い顔をしたチンピラもどきがそこにはいた。


 樋田可成。

 今朝ようやく動けるようになった彼にとって、こうして外出するのは実に五日ぶりのことであった。周囲の爽やか極まる街並みには目もくれず、少年はGeegloマップ片手に機械の示す道を進んでいく。


「港区白金台一丁目うんたらかんたら……と、つーかほぼご近所さんじゃねえか。まさかあのクソでけえ家がアイツの家だったとはな。世間ってモンが意外と狭えてことを実感するぜ」


 呆れたようにブツクサと呟きながら、彼はとある一戸建ての前で立ち止まる。

 それはこの高級住宅街の中でも一際通行人の目を引く立派な建物であった。実際の建材は違うのだろうが、見た目だけならば煉瓦作りに見える三階建て。細部に目を凝らせば、バルコニーやガレージといった一般家庭ではまずお目にかかれない設備群が見受けられる。

 だが、そんなことはどうでもいい。

 今の樋田にとって最も重要なのは、この豪邸の表札に掲げられている苗字がであることの方なのだから。


 ――――人様のこそ散々歩き回させやがって、これで留守だったら承知しねえぞ。


 樋田がこの家にやってきたのは、無論秦漢華はたのあやかの生存確認のためである。

 晴曰く、あのバカはアジ・ダハーカとの戦いで生身に深手を負ったにも関わらず、先日早々に対ダエーワ戦線へと復帰したのだという。しかも、この五日間、樋田は彼女に幾度となく安否を問うメールを送ったのだが、これらも全て無視されてしまった。


 こうなれば最早家凸するしかない。

 そう思い立つや否や、一度学園で里浦先生から秦の住所を聞き出し、こうして彼女の家までやって来たわけなのだが――――、


 ――――ぶっちゃけ出来ることなら顔合わしたくはねえな。絶対気まずいだろ……。


 五日前のあの日、結局樋田と秦は半ば喧嘩別れのような形になってしまった。

 正直、あのときのことは自分が悪かったと思う。実際秦が身を呈して戦ってくれなければ、多くの都民がアジ・ダハーカの犠牲になっていただろうし、そもそも樋田が彼女の立場であれば、きっと自分も同じ判断をしたと思う。


 ――――んなこたあ、俺かて頭ん中じゃ理解してる。そもそもアイツを送り出したのは俺だ。今でもアレは合理的な判断だったと自信を持って言える。だっつーのに、まるでガキが駄々こねるみてえに、全く訳が分からねえッ。


 されど、あのときの樋田は確かに激昂していた。

 自分の命を捧げることすら厭わない秦の行動に、自分でも驚くほどに冷静さを失ってしまった。


 それが何故なのかは彼自身にも分からない。

 秦漢華とまともな形で接したのはあの日が初めてであるし、その一日で特に深い関係を築いた訳でもないのだ。

 それでも、樋田の深層心理のようなものは、いつのまにか秦のことをかけがえのない存在として認識していた。まるで自分の中に自分の知らないもう一人の自分がいるのかと、そんな馬鹿げたことを本気で考えてしまうほどに、樋田自身の認識とは大きくかけ離れた齟齬がそこにはある。

 

 ――――一度、アイツと腹割って話してみるか……。


 そもそも樋田の秦への感情がおかしいように、秦の樋田に対する態度にも奇妙な部分が多々ある。

 一つは互いに初対面であるにも関わらず、まるでこちらのことを前から知っているかのような反応。加えて彼女は樋田に対して不気味なまでに好意的だ。

 二人が最近出会ったばかりの仲、それもついこないだまで殺し合いを演じていたことを考えれば、なるほどこの関係は不自然であると言わざるを得ない。


「なあ秦、テメェは一体俺の何を知ってるってんだよ……?」


 それらのことを踏まえ、樋田はここ数日で一つ確信したことがある。

 恐らく、いや確実に、樋田可成と秦漢華の間には以前からの面識がある。問題は樋田がそのことを全く記憶していないことなのだが、少なくとも秦はそのことをはっきりと覚えているのだろう。


 だからこその冷静な話し合いである。

 これまでは口八丁で煙に巻かれてしまったが、それさえ分かれば樋田の秦に対する身に覚えのない執着の理由、ひいては彼女が破滅的な自己犠牲精神に陥っている理由も分かるかもしれない。

 確かにアイツは中々面倒臭い性格をしているが、恐らく他人からの真摯な頼みを無碍に出来るようなタイプではない。こちらが素直に話せば、きっと向こうも素直に答えてくれるはずだ。


 ――――そのためにもアイツには勝手に死んでもらっちゃあ困る。身に覚えもねえくだらねえ感傷を抜きにしてもだ。


 そう決心するとようやく覚悟も決まった。

 いざ、家凸である。樋田はテンプレ極まるロートアイアンの門を開くと、秦家の前まで歩み寄り、呼び出し用のインターフォンを押す。


 ピンポーンというお馴染みの音が鳴り響く。

 そのままそわそわしながら待っていると、不意に閉ざされていた玄関の扉が開いた。誰が来ると分かっていても、思わず唾液を飲み込まずにはいられない。


「ウチに何か用ですか?」

「んっ、うん……?」


 意外、それは父親。

 てっきり例のメンヘラチャイナ娘が出て来ると思っていたのに、ドアから顔を出したのは身長百九十センチ近くはありそうな大男であった。

 大男といっても身体つきはむしろ細く、歳は大体四〇前後と言ったところだろうか。

 魚の死んだような目と、頬のこけた疲れ切った顔付きが特徴的。そして何より髪と瞳がバラのように鮮やかな赤色であった。

 うん、やはりこの男はどっからどう見ても秦漢華の父親、百歩譲って叔父さんとかそこらへんの男性親族だろう。


 ――――ちっ、まずったな。このパターンは想定していなかった。第一印象最悪なのは当然な以上、出来るだけ愛想良くしとかねえと……。


 とにかく出てきたのが父親だと言うのが余計に気不味い。

 娘と似たような年の異性、しかもこんな如何にも悪人風の男が自宅を訪ねてきたのだ。目の前のおじさんがまともな父親であるならば、自分の娘はこんな半グレと繋がりがあるのかと色々と心配に思うに違いない。

 いや、それ以前に「二度と娘に近付くなッ!!」とガチでブン殴られる可能性の方が高いだろうか?


「君はッ……」

「………? はい、樋田可成と申します。自分は御宅の漢華さんと、えぇとその、親しくさせてもらっている者なのですが、彼女は今御在宅でしょうか?」


 外面スキルを万全に発揮する樋田に対し、秦父はこちらの顔を見るや否や驚いたように目を丸くする。

 いくら樋田の容姿が極悪人とはいえ、一応は礼儀正しく振る舞ったつもりだ。にも関わらず、このまるでオバケでも見たような反応は一体どういったものか。

 数秒間を置き、秦父は先程の驚愕からは一転、今度はどこか物悲しそうに眉をひそめる。だが、それもほんの一瞬であった。最後に彼は不自然な笑顔を作り上げると、それまで半開きだったドアをほぼ全開にする。

 つまりは意外にも樋田を歓迎したのだ。


「久し……いや、はじめまして可成くん。僕は漢華の父の秦晋臣はたのくにおみだ。君はあの子の友達なんだね。ああっ、分かった。すぐにここに呼んでこよう」

「ありがとうございます」


 頭を下げる樋田に軽く会釈を寄越し、秦晋臣を名乗る男はそのまま一度家の中へと戻っていった。


「んだよ、今の気持ち悪い間は……?」


 一人になり、樋田はすぐにぎこちない外面を取っ払う。そして眉間に皺を寄せ、今感じた違和感に考えを巡らす。

 無事秦漢華と引き合わせてもらえたのは有難い。それよりも彼が気になったのは――上手く言えないが――まるでこちらのことを以前から知っているような秦父の反応であった。


 えっ、なに? 秦さんったら親子揃って俺のこと一方的に知ってんの? やだ、なにそれ気持ち悪い……と、そんなことを一瞬思う樋田であるが、すぐに頭の中を本来の目的へと切り替える。


 ――――まあ、そこらへんは今回の件が済んだ後にでもゆっくりと聞き出してやりゃあいい。とにかく今は、アイツのツラを拝まねえことには何も始まらねえからな。


 先程は随分と余分な思考をダラダラ垂れ流したが、今日樋田がここを訪ねた理由はあくまで秦の生存確認である。

 まあ、父親の特に切羽詰まってない顔を見るに、漢華の怪我もそう酷い状態ではないと思うのだが――――と、そんなことを考えていると秦家の方から声が聞こえてきた。


「漢華、お客さんだ」


「……はあ? 誰よこんな時間に。悪いけど、私これから用事あるから、態々そんなのに構ってあげてる暇はないの。父さんの方で適当なこと言って追っ払っておいてくれない?」


「それがね、来たのは樋田君っていう男の子だったんだけど」


哎呀ギャーーーーッ!!」


 なんか面白い叫び声が上がったきり、二人の会話は聞こえてこなくなってしまった。

 代わりに何か準備でもしているのか、二階のあたりがドタバタとやかましい。それから更に待つことしばし、閉められていた玄関の扉が不意にそろりと開かれる。


「…………」


 それでも開かれたのは精々頭一つ入る程度の幅だけだ。

 そこから一人の少女が顔の半分だけをひょっこりと出す。今度こそ秦漢華であった。

 しかし、なんだかひどく顔色が悪い。両目のクマは普段よりも更に濃く、ボサボサな髪も相まって、その有り様はまるで病人のようである。


 やはり彼女も自分と同じく未だ病み上がりの状態にあるのか。

 そんな心配が頭に浮かぶも、言葉には出さず少女を見る。対する彼女もしばらく無言でこちらをジト目でジーーーと見ていたが、


「キモ、永遠にさよなら」

「オイ、ちょっと待てやコラ」


 もう用は済んだとばかりに扉を閉めようとするチャイナ娘、当然樋田は逃すまいと持ち手を掴んで抵抗する。

 そのまま割と本気で扉を介した綱引きを続けることしばし。流石の秦も筋肉バカである樋田には勝てず、次第にドアは開かれていく。

 すると秦はすぐに諦め、パッと持ち手から手を離した。扉は完全に開かれ、これまで顔しか見えていなかった少女の全身が露わになる。


「あっ……」

「おっ、おう……」


 余談だが今日の秦は私服であった。

 上は黒の羽織にローズレッドのインナー、そして下はやや長めのショートパンツという組み合わせである。

 その新鮮かつ少し大人っぽい出で立ちに樋田は思わずドギマギしてしまう。いや、そもそもそれ以前に自分から会話を切り出すことすら出来なかった。


 先程語ったように今の樋田と秦は少々気まずい関係性にある。正直こうして顔を付き合わせてるだけで、たちまちに両手が嫌な汗で湿っていく。

 うわあ死にてえと思いながら物言わぬ案山子と化していると、幸いなことに秦の方が先に口を開いてくれた。


「もう何しに来たのよ……てか、そもそもなんでアンタ私の家の場所知ってるわけ?」


「学園の方で教えてもらったんだよ。ああん、なんか文句あんのか?」


「ハァ? 気色悪すぎて吐き気がするのだけど。女の子に家凸するってだけでもキモいの極みだというのに、わざわざ人に住所聞き出してまで私に会いに来るとか……ちゃんと理解してる? アンタのやってることって完全にストーカーのそれよ」


 キモい、ストーカー。そのたった二言で樋田は精神的に死去する。

 まあ、確かに傍から見ればそういう風に見えるかもしれない。だが、こちらはこちらで既に理論武装は済ませてある。


「なーにがストーカーだ。テメェみてえな可愛げのねえ女相手に誰がそんなことすんだよ。つーか俺かて出来りゃあテメェなんざにはもう二度と会いたくなかったわ」


「はぁ? だったら今すぐ回れ右して帰ればァ?」


「るっせえな鳥頭。ちったぁあの日のこと思い出してみやがれ。学園のクソどもにああしてツーマンセル命じられた以上は、嫌でもテメェと組まなきゃならねえんだよ」


 もちろん方便である。

 秦と一緒に行動するよう言われたのは六日前のあの日限定のことで、それ以降人類王サイドから特にそういった指令は受けていない。

 それでも、漢華の容態が心配で見に来た――という樋田の本音を隠蔽するにはちょうどいい建前であった。


「……あぁ、なるほど。確かにそんなこと言われてたわね。なら、仕方ないか」


 思っていたよりあっさりと引き下がってくれ、樋田は思わずホッと一息つく。しかし、ならばとすかさず本題に入るのも忘れない。


「で、経過はどうなんだ? 正直今も具合良いようには見えねえんだが」

「ん? あぁ、もう全然大丈夫よあれぐらい。お変わりないから、お構いなく」


 有無を言わさぬ即答であった。

 樋田は思わず眉間に皺を寄せる。胸の中を怒りというか恐ろしさというか、何か黒いものがドロリと渦巻く。


「んなわけねーだろ。適当なことほざいてんじゃねえぞコラ。つーかテメェ、その身体でもう任務に復帰したっつー話はマジなのか……?」


「ええ、そうだけれど……それが何か?」


「ッ……!!」


 前言撤回。

 冷静になど、なれるはずがなかった。


「何か、じゃあねえだろうがッ……!!」


 それでも樋田は彼らしく怒鳴るのではなく、まるで押し殺すような声で言う。

 気持ちが昂ぶっているせいか、気付けば秦の肩を掴んでいた。そのまま軽く上体を揺さぶってみると、少女は案の定苦しそうに片目を瞑る。


「痛ッ……!!」

「ハハッ。ほらな、思った通りだ。懲りもせずに適当ぶっこきやがって。痩せ我慢なんて見りゃあそれだけで分かんだよッ……!!」

「やめて、離してッ。だから痛いってッ……!!」


 しかし、そこで樋田は我に返る。

 気まずそうに舌を打ちながらも、冷静にと心中で繰り返し、逃げるように秦の肩から手を離す。


「…………」


 それでも何も言わずに口篭る彼女に、樋田は冷静を意識し、努めて柔らかく問い掛ける。


「なあ、秦。テメェがそこまで無茶して戦わなきゃならねえ道理がどこにある……? 確かにお前は戦力としちゃあ貴重だ。だが、別にこの街を守ろうと戦ってるヤツはテメェだけじゃねえんだぞ? なら少しぐらいはテメェを労われ。人の命を救うためとはいえ、それでテメェが死んだら世話ねえだろうが」


「……はぁ、本当、アンタは何が悲しくて私なんかにこんな構ってくるのかしら」


 彼女ははじめ樋田のことをウザっそうに睨み、しかし、最後には降参とでも言わんばかりに乱暴に頭を掻き毟って言う。

 少女の長い睫毛の下で、燃えるように赤い炎の瞳が不安げに揺れていた。


「……まあ、確かにそうよ。アンタの言う通り、私の傷はまだ完治してないわ」


「やっぱ図星じゃねえかッ。だったら家で大人しくッ……!!」


「だけど」


 そう言って秦漢華はまっすぐに樋田を見つめ返す。もう誤魔化しはしない、だから私の話を聞いて欲しい。そう少女の赤い瞳は語っていた。



「仮にアンタと私が逆の立場だとしたら、アンタはその理屈で納得出来るのかしら?」


「そっ、それはッ……」



 思わず口篭る。

 図星なのはこちらの方であった。確かに樋田の語る言葉には説得力がない。自分の自己犠牲は棚に上げておきながら、他人には体を労われと偉そうな口を聞く。その矛盾には自分でも心当たりがあっただけに、樋田は何も言い返す事が出来なくなってしまった。


「確かに私が脱落してもそう簡単に戦線が崩れるなんてことはないと思うわ。私もそこまで自惚れてはいない。だけど私が無理をしてでも戦場に出て、それで一人でも無事に家へ帰れる人が増えてくれるなら、私はたとえ地を這ってでも戦いに行くわ。今この瞬間もどこかで誰かが命を懸けて戦ってるっていうのに、安全地帯で呑気に休養だなんて、そんなこと私に出来るはずないし、許されるはずもないのよ……」


 はじめは幾らか張りがあった秦の声であるが、暗い感情にあてられ。段々と響きが弱々しくなっていく。

 そして、彼女は右手――そのあらゆる物質を爆発物へと変換する魔手を突き出し、まるですがるような声色で続ける。


「だからお願い、私にも戦わせて。アンタなら分かるでしょ? 私にあるのは、この忌々しい炎だけ。私にはこんな力しかないから、壊すことでしか人の役に立てないの」


 そして最後に、やや自嘲気味に、こう付け加えるのであった。



「……だから、私から生きていてもいい理由を奪わないで」



 今度は樋田が降参する番であった。

 歯を食いしばり、両手も固く握り締める。

 秦の自己犠牲気質が一体何に由来するものなのか。これまでは全く検討もつかなかったが、今になってようやくそれが理解出来た。


「秦、お前……」


 同じであった。

 そう、それは樋田可成と同様の思考回路であった。


 要するに樋田も秦も、自分の存在価値を人を救うという行為の中にしか見出せないのだ。確かに樋田自身、自分がコンプレックス丸出しの哀れなメサコン野郎だという自覚はある。

 だが、秦は違うではないか。コイツは恵まれた人間だ。学力も運動神経も、あとは一応人柄も、人に認められるであろう才覚は一通り揃っている。確かにあまり顔の広いタイプには見えないが、まさか樋田のようにほぼ天涯孤独というわけでもあるまい。

 ならば何故、彼女は樋田と同じ虚しい人間になってしまったのだろうか? 根拠も確証もない無意味な憶測の数々が、次々頭に浮かんではすぐに消えていく。


「それでも、俺ァ……」


 頭の中で考えもまとまっていないのに、樋田は半ば本能的に口を開く。

 彼女の心の上澄みの部分だけは理解出来た。自分と似ているからこそ、秦の気持ちは痛いほど分かる。いくら傍から見れば破滅的でも、その唯一の逃げ道を取り上げてしまうのは、あまりにも残酷であるということも含めてだ。


「好きに、しろっ。だがそれでも、俺ァお前のやり方が正しいとは認めねえ」


「……それは、なんでかしら?」


「お前が報われねえからだ」


「ッ……!?」


 だけど、それだけは伝えたかった。

 それで他の誰かの笑顔を守れるならば、無価値な自分の命などどうなっても構いはしない。


 確かにそれは立派な行いだ。人によってはまるでそれが美徳であるかのように褒め称える者さえいるだろう。

 だが、そんな悲しい考えを認めてはいけない。決して褒めてはいけない。お前のやり方は間違っているのだと、誰か一人でもいいからそう言ってやらなくてはならない。


「……一応、心に留めておくわ」


 秦は一瞬目を潤ませ、やんわりと唇を噛みしめる。

 彼女は賢い。だから樋田の言いたかったことは先の言葉以上に伝わったはずだ。そう信じて、樋田は敢えて多くを語らなかった。

 

「…………」

「…………」

「じゃっ、じゃあ今日からまたツーマンセル再開ってことでいいわよね……? アンタもどうせ今日はそのつもりで来たんでしょ?」

「……ああ、まあな。結局あの日は中央区方面まで出れずに、クソみてえな東京タワー観光で終わっちまったしな」


 正直そこまでは考えていなかったが、確かに現状樋田達が出来ることといえばそれが最善であろう。ぶっちゃけあの会話の後に、二人で探索とか悪質なキマハラでしかないのだが。

 何はともあれ、ひとまずは駅の方まで移動しようということで話がまとまった。その途端、赤髪娘は真下を向きながら、まるで樋田から逃げるような挙動で目的地に向かい出す。そんな彼女の後ろをトボトボと付いていく樋田であるが、彼はそこで「あっ」と何か思い出したような声を上げると、


「そうだ、これでも貰っておけ」

「ちょっ、いきなりもの投げないでよ」


 文句を言う割に、秦は樋田が適当に放ったそれをベストタイミングで掴み取る。やはり此奴、運動神経オバケであった。

 戯言はさておき、秦が手のひらを開いてみると、それは実にシンプルなデザインをした焦げ茶のヘアピンであった。


「……なに、これ?」

「女がよく髪につけてるアレだよ。見りゃあ分かるだろ」


 少年は秦の長い前髪――目に刺さるを遥かに通り越し、最早口に入りそうなそれを指差しながら続ける。


「オシャレだかなんだか知らねえが長すぎだろそれ。今まで戦うとき邪魔に思ったりしなかったのかよ?」

「……つまり、つけろってこと?」


 秦は小首を傾げつつ、ヘアピンを自分の前髪の前に当てながら言う。仕草がちょっと可愛い。


「ったりめーだろ、話の流れ的に……まあいいわ、取り敢えずちょいと俺に貸してみろ」

「えっ、ちょ、ちょ、なになになんなのッ!?」


 なんか急にあたふたしだした秦からヘアピンを取り上げ、樋田は彼女の簾じみた前髪を適当にまとめてみる。

 それだけでも多少は顔が見えやすくなり、我ながらこれまでの彼女より格段に良くなったと自画自賛したくなる。


「ほらよ。手間賃一億万円、ローンも可だ」

「へっ、へえ。まあ、アンタにしてはセンスいいんじゃないの? このヘアピンも、まぁそこそこ可愛いとは思うし……もっ、もしかして私に似合うの態々選んで買っ――――」


 インカメにしたスマホを覗き込む秦は実に嬉しげである。確かに髪が赤く派手なコイツには、こういう落ち着いた色のアイテムの方が似合うだろう。

 ようやく彼女の顔から暗い色がとれて樋田は安心する。されど、彼が続いて余計なことを口にしてしまったのはそのせいかもしれない。


「まあ、それ晴が買ってきたやつだからな。アイツそれもう飽きたから要らんって俺に押し付けてきやがってよ。男の俺じゃあ使い所ねえって処分に困ってたところ――――って、痛ってえッ!!」


 話の流れでなんとなく事の顛末を話していると、突然右の頬に火で炙られたような痛みが走った。一コンマ遅れて、彼は秦にガチビンタされたと気付く。


「えっ、なんで? なんで殴られたの? 可成分かんない」

「ごめんなさい、私もなんで殴ったのか分からないわ。まあ、敢えて言うなら……なんとなくムカついたから?」


 何か物凄く理不尽なことを言われている気がするが、秦の不機嫌極まる顔を見ると、何故かいつものように言い返す気も起きなくなる。

 とにかく目が冷たい。たとえ自覚はなくとも、何か彼女の気に触るようなことを言ってしまったのか。そんな遅すぎる反省が頭の中を過ぎる。


「まあ、折角だし一応もらってはあげる。次何かくれるならちゃんと自分で選ぶことをオススメするけどね」


 そんな舐めたことをほざきつつ、秦はヘアピンを外してポケットにしまってしまおうとする。当然樋田はすぐに難色を示した。


「オイ、ちゃんとつけとけよそれ。テメェが前髪邪魔すぎるせいでダエーワに負けて、ひいては俺まで殺される事態になったりしたらどうすんだよ」


「嫌よ。だって外に付けてたら戦ってるときに壊したり落としたりしちゃうかもしれないじゃない? 嫌よ、そんなの嫌ッ」


「…………いや、確か百均だぞ。それ」


「で、だから? もうこれの所有権は私のものよ。だからこれをこれからどうしようと全て私の勝手なの。まあ今回の件が終わったらちゃんと日常的に付けてあげるから心配しなくてもいいわよ」


「フラグだな。お前、多分近いうちに死ぬぞ」


「……私が死ぬような事態なら絶対アンタも死ぬだろうから、まずは自分の心配をしなさいな」


 赤髪の少女はそうクスクス笑いながら言う。

 随分と遠回りをしてしまったが、樋田も秦もようやく元来の調子が戻ってきた。少女の暗く退廃的な表情が多少は緩和されたことに、樋田は思わず良かったと頬を緩めずにはいられない。


 されど、これで安心というわけではない。

 秦の心は未だ不安定だ。彼女は未だあの悲しい自己犠牲精神に取り憑かれているし、そもそも何故彼女がそのようになったのかが分からないのだから、そう簡単に解決策など見つかるはずもない。かと言って秦にそれを直接尋ねるのも逆効果であろう。彼女がその心に抱えているであろうなにかを、見事解き明かすにはまだまだ時間がかかりそうであった。


 ――――ダエーワの発生源特定に精を出すのは当然として、漢華の問題も放っておくわけにはいかねえ。ダエーワの方は国中の異能者がどうにかしようと躍起になってくれてるみてえだが、コイツのことどうにかしようと思ってる物好きなんざ多分俺しかいねえだろうからな……。




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