第八十七話 『インドラの弓』


 その直前まで、人類王勢力の面々は自陣営の勝利を確信していた。

 確かに未だインドラ眷属との戦いは続いているし、気を抜くことは決して許されないと理解している。それでも、かのインドラが打ち倒されたという事実に、彼等はその身を震わさずにはいられなかった。


 勿論、こうして虚偽の魔王が滅びたのは、ほぼヴィレキア=サルテの独力によるものだと言っていい。

 それでも、彼等は自分達もまた彼と同じ戦場を戦い抜いたこと。そして何より、自分達が信じた英雄が見事巨悪を撃滅してくれたことに、思わず感極まってしまったのである。


 歓声が上がる。武人が吠える。

 兵の士気は最高潮となり、その場にいる誰もが勝利の栄光に酔い痴れる。彼等の狂喜乱舞するその姿は、さながらワールドカップで自国が優勝した際のサポーターの如くであった。



「ググオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!」



 されど、勝利の興奮は瞬時に消え失せた。

 代わりに絶望が蔓延し、そして伝染する。


「……嘘、だろ」


 名も無き一人が譫言のように呟く。

 然り、虚偽の魔王は未だ死んでなどいない。

 『終の焦焉アニ・ネフィラ 』による光のカーテンと、それによって噴き上げられた大量の水飛沫。虚偽の魔王はその下より再び、まるで何事もなかったのように姿を現した。

 表面の鱗が僅かに焦げたこと以外、ダメージらしいダメージもなしである。


 そして、ついに悪魔は海中から岸へと乗り上げてきた。それだけでコンクリートが砕け、ミシミシと大地が苦しみの声を上げる。

 これまで海に隠れていた部分が現れた分、この二十メートルの怪物が余計にデカくなったようにすら感じる。ただでさえ恐怖を覚えずにはいられない、心を上から押し潰されるような威圧感が更に増していた。


「何故だ、何故あれを浴びて未だッ……!?」


 絶句しつつ、ヴィレキアはすぐにその理屈を悟る。

 理由は未だ微かに残る『終の焦焉』の余波。空中をビリビリと漂うそれらは、インドラの体表に近付くやいなや、すぐ見えない壁にでも阻まれるように拡散していくのが見える。


「これは、迂闊であったな……なるほど、私に出来ることが、其の方に出来ぬはずもないというわけか」


 気付けば単純なことであった。

 卿天使と虚偽の魔王は双方雷を司る。つまり彼等は互いに相手の異能に干渉することが出来るのだ。


 実際、先程ヴィレキアはインドラの雷撃から制御権を奪い取り、難なく攻撃を背後へ受け流していた。

 惜しむらくは、この巨獣にもそんな繊細な芸当がなせると思い至らなかった点か。何はともあれ、この仮説が正しければ、先の神威をインドラが防ぎ切ったことにも説明がつく。


 ――――雷撃を介する攻撃は無意味。なるほど、確かに出し惜しみはしないと言ったが、多少は余力を残しておいて正解であった。


 『終の焦焉』や『間欠泉』といった大規模術式を連発した結果、現在ヴィレキア卿に残る『天骸アストラ』は最大値の精々四割程にまで減少している。

 そして当然、最早お得意の雷撃は有効な攻撃手段たり得ない。然らば、今持ち得る『天骸』と戦法の中で新たな迎撃スタイルを組み上げる必要があるのだが、


 ――――……『瘴気』にあてられるのは避けられないが、最早剣で斬り殺す以外に道はないだろう。


 ヴィレキア卿はそうして再びその巨大な両手剣を取り出した。

 確かに『瘴気』を浴びれば身体は腐り落ちるだろうが、この身に纏う天使体は所詮仮初めの体だ。いくら傷付き、損傷を受けたところで何の問題もない。


 だからこその接近戦への立ち返り、それがヴィレキアが新たに見出した打開策であった。

 残りの『天骸』は全て『白兵』と雷撃による推進力に回し、ヒットアンドアウェイの要領でインドラの巨体を切り刻む。例え雷撃を纏わずとも、悪魔の装甲を切り裂く自信が彼にはあった。


「むッ……!?」


 しかし、そこでヴィレキアは突然の異変に身構える。

 空から殴りつけるように降り注ぐ雨と風、その勢いがそれまでと比べて格段に強まったのだ。ただでさえ灰色の空は更に黒を深め、その一方、頭上一帯だけは雷という眩い光によって真っ白に塗り潰される。


 また、先程のような無差別雷撃が放たれるのか? 卿天使はそう考えた。しかし、現実は更に非情であった。


「ギギギギギッ、ガガガガガガガガガガガッ!!」


 耳が壊れるかと思うほどの爆音。

 そして、それに先んじて放たれた数十発の落雷が地上に降り注ぎ――――否、その全てがインドラの頭上へと導かれていく。


 いつのまにか魔王はその巨大な口を花のように開き、更にはその外周を無数の爪で囲っていた。

 それはさながらSFでよく見る宇宙戦艦の砲撃の如く。爪がなす円の内側、四つに分かれる口の中央、その一点に全落雷が誘導され、一つの凄まじい高エネルギー体を形成していく。


 ――――馬鹿な、『』だとッ……!!


 その異能は自らの絶技によく似ていると、そうヴィレキアは直感した。

 ヒンドゥー教の『マハーバーラタ』において、核兵器ともとれる描写をもって表現されし全土全焦の一撃。あんな神威にも等しい術式がまともに放たれては、たかが百人の人類王勢力など塵も残さずに消し飛ぶに違いない。


 ろくに対策を練る時間はなく、それでも一つの覚悟を決めることだけは出来た。

 直後、キュイイイイン……ドゴボボボボォオオオオオッ!! と、これまでの咆哮とは比べ物にならない超絶火力が、インドラという二十メートルの超巨大砲台より射出される。


「させる、ものかアアアアアッ……!!」


 ヴィレキア=サルテは反射的にその射線上に体を滑り込ませた。

 対処の余裕は時間的にも力量的にも皆無。これまでのように雷撃の支配権を上書きし、力を受け流すことなど出来る筈もない。

 巨大な両手剣を盾のように構え、正面からこの神威を受け止めにかかる。いくら元第二位の卿天使であっても、今彼が取れる選択肢はそれしかなかったのだ。


「ヌッ、ギィ、グァッ……!!」


 直撃と同時に、想像を絶する衝撃と熱とがヴィレキアの体を襲う。

 全天骸、全筋肉、全神経。その全てが常に全力でなければ、ただちに天使の体は塵と化す。重い、あまりにも重い。ただ咆哮を受け止めているだけで、両腕の筋肉が限界を超え、内側からブチブチと断裂していく。それを支える骨すらもミシミシと軋み、今にもへし折れてしまいそうであった。


「ッ……!?」


 ピシリと、遂にその両手剣に小さなヒビが入る。

 しかし、その小さなキッカケはすぐに刀身全体へと広がり――――そして、卿天使の得物はあまりにも呆気なく粉々に砕け散ってしまった。


「おのれ、これほどとはッ……!!」


 最早背後の人類王勢力どころか、自らをこの光線から守る盾さえない。

 しかし、それでもヴィレキア卿は最後まで希望を捨てはしなかった。


「ヌッ、がああああああああああああッ!!」


 咆哮を受け止められたのはたかが数秒。それでも、卿天使はその僅かな時間で、咆哮への制御権干渉を試みていたのだ。

 こちら目掛けて真っ直ぐ殺到する光線を、一瞬受け止め、まるで柔道のように軌道を僅かに逸らす。

 そのまま彼の後方へと撃ち放たれたエネルギーの塊は、辛うじて人類王勢力の面々を避けた。それでも光線は代わりに傍の巨大な倉庫を掠め、ただそれだけで建物の大部分がジュワリと溶解する。


「魔王インドラ、か。なるほど、流石は絶対悪アンラ=アンユに次ぐ地位に数えられるだけはある……!!」


 倉庫の残骸が頭上からパラパラと崩れ落ちるなか、ヴィレキアは奥の歯を噛み締めながら呟く。

 最早その両手にかの巨大な剣はない。加えて力の余波に耐え切ることが出来なかったのか、両腕の指先から肘までもが醜く灼け爛れていた。


 得物を失い、そもそもこの手ではまともに物を握ることさえも難しい。

 天使体を犠牲にしての接近戦。そんな捨て身の打開策すら、最早彼には打つことが出来なくなってしまった。



「――――――グハァッ……!!」



 刹那、右の肩に肉を焼かれるような痛みが走った。

 いくらヴィレキア=サルテが歴戦の猛者といえども、あれほどの火力をやり過ごした直後は動きが鈍る。そんな彼の一瞬の隙をつき、天からの落雷が天使を背後から襲ったのだ。


 まさに直撃である。

 受け流すことは勿論、まともに防ぐことすら出来なかった。肉体的な損傷は許容範囲、それよりも体が雷撃で痺れたことの方が致命的であった。


「体……がッ……!!」


 インドラは更にその隙をつき、一気にヴィレキアの元へと接近しようとする。

 その様はとても二十メートルの巨体とは思えないほどに俊敏であった。魔王が闇雲に猛進する。ただそれだけで足元のコンクリートは意味を失い、周囲にある万物が哀れ瓦礫と化していく。


 続けざま、インドラの持つ巨大な爪の一つが勢いよく振り上げられた。その矛先は当然、未だまともに動くことすら出来ないヴィレキア=サルテに向けられている。


 ――――一か八か雷撃で迎撃するしかッ……!?


 そんな一瞬の逡巡を行う隙さえ与えない。

 まるで処刑人の首を刎ねる断頭台の如く、鋭利な一撃がヴィレキアの首目掛けて勢い良く振り下ろされる。



「一斉射アアアアッ!!」



 しかし、それで卿天使の首と胴とが分断されることはなかった。


 理由は後方からの銃声であった。

 狙撃を得意とする川勝兵。二十人を超える彼等の一斉射撃が、ほぼ全弾同時にインドラの爪を襲ったのである。

 例えそれで爪の一撃を弾くことは出来ずとも、多少軌道を逸らす程度のことは出来る。実際ヴィレキアの首元目掛けて放たれた爪の一撃は、彼のすぐ隣の地面を喰らうに留まった。


「――――再演術式展開。擬似聖創『破滅の枝レーヴァテイン』」


 更にはインドラの直上、いつのまにかそこに一柱の隻翼が回り込んでいた。少女は何か黒い棒切れのようなものを持ち出し、インドラの脳天にその標準を合わせる。

 轟ッ!! と棒切れから放たれる龍の咆哮。小さな建物程度なら刹那で全焼させられる炎の嵐が、二十メートルの巨体目掛けて果敢に襲い掛かる。


「ギギィィイイイイイイイイイッ!!」


 当然、その程度の火力でインドラに有効打を与えることは叶わない。それでも炎という受け流すことの出来ない攻撃は、かのダエーワの魔王を一瞬怯ませることに成功する、


 インドラの注目がヴィレキアより逸れる。

 そして、その絶好の救出チャンスを銀髪の天使が見逃すはずがなかった。

 

「ぶべぇ、これが『瘴気』ってヤツすか。こんなんまともに吸い込んだらマジで体が内側から腐りますよ……」

「松下卿――――」


 驚く暇すらなかった。

 突如傍に出現した少女に肩を触られるやいなや、急にガラリと周囲の風景が切り替わる。いや、違う。正しくは彼女の持つ瞬間移動術式によって、二人はインドラとの距離を取り直したのだ。


「危ねえところでしたね。まさか、あんだけ念入りに焼き払ってほぼ無傷とか……まあ、耳で聞いた感じ多分卿の攻撃アレに届いてないっすよね。何というか、体表の直前で霧散させられているというか」


「流石は凄まじい聴力です。ご察しの通り、インドラは私の雷撃を受け付けません。恐らくは同じ系統の力であるために向こうから干渉を受けているのかと」


「げっ、マジすか。こりゃあマジで我等が人類王に土下座援軍要請しなきゃいけない感じですかね……」


 顔を青くする松下をひとまずよそに、とにかく助かったと安堵の息をつくヴィレキア=サルテ=ヤーデスクライ=ルルースクである。


「ん?」


 そこで彼がおもむろに顔を上げると、その周囲には川勝兵、島津兵、綾媛百羽といった人類王勢力の面々が勢揃いしていた。

 しかし、卿天使はそんな彼等の姿に顔を曇らさずにはいられない。


 ――――何故このような場所に、彼等はインドラの眷属を相手取っていたはずでは……!?


 互いの役割は先程取り決めたばかりである。

 虚偽の魔王たるインドラはヴィレキア=サルテが相手取り、代わりにその眷属は人類王勢力の面々の方で抑えるのだと。

 にも関わらず、人類王勢力はヴィレキアを援護しようと対インドラ戦線にも戦力を回した。愚策である。合理性よりも感情を優先した無能の極みである。

 人類王勢力による抑えが弱まれば、それだけダエーワ共は好き勝手に動き回る。それで、都市部の方に逃げられでもしたらと、彼等はそんな簡単なリスクを予見することすら出来なかったのだろうか?


「なっ、なりませんッ!! 確かに窮地を救っていただいたことには感謝致しましょう……されど卿等には他になすべきことがあるはずッ――――?」


 普段は冷静な男が思わず声を荒げ、しかし彼はすぐに口をつぐむ。

 こちらを囲むように展開される人類王勢力の面々、その周囲に姿。ある個体は額に穴を開けられ、またある個体は胴を袈裟懸けに斬り飛ばされ、あれだけいた悪魔の全てが既に絶命していたのだ。


「これは、一体……」


「既になすべきことはなしました。然らば、あのような化け物の相手を貴殿一人に任せるわけにはいかないでしよう」


 群衆の中より一人の男が出てきた。

 思わず呆然とするヴィレキア卿の傍に、川勝藤助の代理を務める一人の川勝兵が並ぶ。


「フンッ、あれほど大口を叩いておきながら、なんとも情けないザマだな卿天使よッ!! 貴様は既に立派な足手まといゆえ、そこなる小娘を連れて、さっさと後方へと下がるがいいッ!!」


「うーわ、この期に及んでまーだそんなことほざいてんすか、このおっさん……松下がいなかったらとっくのとうに焼け死んで、あとはもう誰にも思い出してもらえない哀れな存在になってたってのに」


 続いて島津家中を率いる菱刈某と、綾媛百羽を率いる松下希子とが集団の中より顔を出す。

 そのままそれぞれの兵力を統べる三人の長は、呆気にとられるヴィレキアの前に背を向けて並び立つ。そして、彼等は背後を振り返ることなくこう言い放ったのであった。


「我々も武人だ。雑兵の相手のみでは、この銃の腕も鈍ってしまいますゆえ」


「左様ッ!! 全くあのような手柄の塊を独り占めとは……ヴィレキア=サルテよ、貴様は功に卑しいにもほどがあるッ!!」


「よく考えてみて下せえヴィレキア卿。どうやら貴方とあのクソッタレの悪魔は同格みてえですが……なら、この戦いの勝敗はその周りでちょこまかしてる味方の質の差で着くとは思わねえですかね?」


 しかし、松下希子はそこで「でも」と言葉を切ると、


「まあ結局のところ、キメるべきところは全部卿にぶん投げる気満々なんですけどね。何か他に策はねえですか? そのために必要ってんなら松下達は何でもやりますよ。ここまで来たからには最後まで付き合います。まあ、出来りゃあ最期までは付き合いたくねえんですが」


 松下の不謹慎な発言に一同はドッと笑い声をあげる。

 しかし、ヴィレキア=サルテは彼等の言葉に具体的な返答を返すことが出来なかった。

 別にこの絶望的な状況が目に見えて変わったわけではない。魔王の眷属が死に絶えたところで、未だ戦力的にはインドラの方が圧倒的に優勢だ。

 だというのに、だというのである――――、


「……なるほど、確かに貴方達が共に戦ってくれるのとくれないのとでは大きな違いがある」


 彼等の存在は半ば折れかけていた卿天使の心をギリギリのところで繋ぎ止めてくれた。

 根拠はない、証拠もない。されど、彼等戦友と互いに背中を預けあえば、なんとかこの戦場を乗り越えることが出来るのではないかと、そんな前向きな気分にさせられるのだ。



「……?」



 そのときであった。

 何か引っかかるところがあったのか、卿天使は再びそう口にする。


 その一句を口にした途端、何故かヴィレキアの脳に電撃じみた衝撃が走る。それが何であるかは分からないが、何か今手がかりとなりそうなものを掴みかけたような気がする。


「奴と私との、大きな違い……」

「ん、如何しましたヴィレキア卿?」


 卿天使は松下の呼びかけを無視し更に思考を深める。それは一度掠めた打開策を再びその手に捉えるためにである。


 卿天使ヴィレキア=サルテと、虚偽の魔王インドラ。互いが互いの別側面である両者の力量はほぼ等しい。加えて、雷を司るという同種の異能は、互いに干渉し合えるため勝敗の決定打とはならない。

 にも関わらず、ヴィレキアの雷撃は通らず、インドラの雷撃が通る理由は何故か? 単純、インドラはその二十メートルの巨体をもって攻撃を受け流せるが、人類サイズであるヴィレキアにはそれが成し得ないからだ。


 ヴィレキアとインドラは根源を共にするが、その全てが全く同じなわけではない。事実、虚偽の魔王は巨体という自らのアドバンテージを活かし、こうして同格の卿天使を追い詰めつつある。


 つまりはヴィレキア=サルテにはあって、一方インドラの手にはないもの。それこそがこの戦いを制する最大のポイントとなるはずなのだ。



「……僅かで良い。卿等には時間を稼いで欲しい」



 全身の隅々に震えが走る。

 これまで闇に包まれていた打開策を探し当てた途端、卿天使はまるで譫言のようにそう呟いていた。


「時間さえ稼いでいただければ、この私が今度こそインドラを殺してみせましょう」


 ゆっくりと三人の方へと顔を上げる。

 彼等それぞれの表情にはお安い御用と、そう今にも言い出しそうな頼もしさが滲んでいた。


「……なるほど。へへ、そりゃあ松下達に出来そうなことって言ったら精々時間稼ぎくれえですからね。勿論、そのための準備なら既に済ませてあります」


 そのうちの一人、松下希子はこれ見よがしなドヤ顔を浮かべながら言う。しかし、対する卿天使はそれだけでは安心しきれずに質問を重ねる。


「それで、具体的には何秒程?」


「うーん、例のはかいこうけんを止めるとしたら……はい、頑張って二秒ぐらいですかねえッ!!」


「…………」


 素直すぎるというかなんというか。そのなんとも微妙な数字に、ヴィレキア卿は思わず絶句してしまう。


「そっ、そんな悲しい顔しないで下さいッ!! 言うて二秒ってかなりデカイですよ。異能を用いた殺し合いにおいては、一瞬の油断、隙なんかがすーぐ死に直結するんですから。ソースはチャンバラなどせず、一瞬でサクッと暗殺するのが楽で大好きな松下ですッ!!」


「フンッ、甘えたことを抜かすなよ小娘。限界は二秒、なるほどそこは理解してやる。ならば、その限界を屈強なる精神力によって乗り越えればいい。さすれば五秒……いや、十秒はいける筈だッ!!」


「出た昭和理論ッ!! 練習中に水飲んだら経験値消滅謎理論ッ!! アンタらは死ぬまでうさぎ跳びでもして存在すらしない筋肉永遠に鍛え続けてりゃあいいんですよッ――――って、早速そのときがみてえですよ」


 松下の声色が真面目なものに変わったその直後であった。


 再び天が漆黒に染まる。

 耳を打つ風雨の勢いが増していく。

 黒雲の中がカッと白く光り、無数の雷がインドラの砲台めがけて落ちていく。


「ギギャアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」


 終末の予兆であった。

 落雷が集積し、圧縮され、先ほどの神話的一撃を撃ち放つための準備が瞬く間に整えられていく。

 しかし、此度の彼等は驚くほどに冷静であった。慌てても状況が好転するわけではない。ならば、自分達の用意した最善に全力を注ぐのみ。まるでそう世界に宣言するかのように。


「……さぁて、クソくだらねえおしゃべりの時間は終りです。サラッと作戦共有することしか出来ませんでしたが、こうなった以上はぶっつけ本番でやるしかねえですから」


 どこか感慨深そうに縮毛の少女は呟く。

 そして、彼女の目配せこそが作戦開始の合図となった。菱刈某と川勝の代理指揮官とが一斉に無線機を取り出し、電波の向こうにいる配下の者に檄を飛ばす。


「機を見誤るな。必ず咆哮と同時に起爆しろ」

「機を見誤るな。必ず咆哮と同時に爆破しろッ!!」


 そして、ついにその瞬間が訪れた。

 魔王の口元で圧縮されし雷の禍が、世界の全てを焼き払うインドラの炎が、正に今発射されようと――――、



「今だッ!! 一斉爆破アアアアアアアアアッ!!」



 同時に菱刈の大喝、変化が生じたのは彼等の後方に位置する巨大倉庫群であった。

 一つ一つが学校の体育館ほどもある建造物の、実に二十近くが一斉に大爆発を引き起こす。人類王勢力の面々はダエーワの殲滅後、工作用に持って来ていた爆薬を倉庫のあちこちに設置していたのだ。加えて、同地に残された爆発物が引火したこともあり、半径二十メートルの一帯は爆音ともに影も残さずに消し飛んだ。


「はははははッ!! うるせえクソうるせえッ!! 頭が割れる、耳から血が噴き出る。だが最高ですッ!! こんだけの音があるってんなら、神威の一つや二つ余裕で止められるってもんですよオオオオッ!!」


 勿論、これも作戦のうち。まるでそのことを証明するかのように、実行者たる松下希子は狂ったように笑っている。


 その刹那、世界は轟音に満たされていた。

 天より絶え間なく降り注ぐ雷雨、人類王勢力が引き起こした大爆発、そして何よりインドラの神威から生じる凄まじき衝撃波。


 サンダルフォンの因子を宿す少女は、それら全ての音を掻き集め掌握する。音を自在に操る『神の歌サンダルフォンアーツ』によって、ただでさえ激しい轟音を更に何倍にも増幅させていくッ!!


「……全音響、全振動、全衝撃。我が下に集いて聖歌と化せッ!! 

今此処に『絶ち毀すワルツァーヘルツ=ラ掃劇波ズルシェーニエ』!!!!!!!!!!!」


 サンダルフォンの手中より放たれた極大のソニックブーム――――最早音の神威と言うべきその一撃は、インドラの砲台より放たれた雷の神威と真っ向から激突する。

 あまりにも膨大なエネルギーのぶつかり合い、舞台となった港湾施設は一部が蒸発し、突風とも言うべき衝撃の余波が施設全体を席巻する。


「クッソ、重いッ……!!」


 しかし、途端に松下の全身が悲鳴を上げ、比喩でなく本当に耳から血が滴り落ちる。

 互いが街の一つや二つ容易に吹き飛ばせる程の神話的一撃。されど、そこで術者の力量差が露骨に表面化した。両神威はほんの数秒均衡を保ち、されどすぐにインドラの雷がサンダルフォンの奥の手を圧倒しようとする。


「ギャアアアアアアアヴィレキア卿ヴィレキア卿ヴィレキア卿もう五秒経ちました絶対経ちました経ったと言ったら経ちました無理無理死んじゃうあああああ自分『虚空』で離脱していいですかいいですよねてかマジで勘弁して下さいアアアアアア早く早く早く早く遅い遅いちゃんと作戦あるんすよねなら早くやって下さいよやれよオイヴィレキアオイ早くしろよヴィレキアアアアアアッ!!」


「――――お待たせ致しました、松下卿」


 色々と限界で半ば発狂しかけている松下に、卿天使から救いの言葉がかけられる。

 途端、少女の全身にかかっている全ての負荷が消え失せた。それはまるで重い荷物を持っていたとき、隣の誰かがそれを代わりに持ってくれたときのようであった。


「解析完了。皆様、よくぞここまで持ち堪えて下さいました」


 音の神威による弾幕を、正に今突破しようとしていた雷の神威。魔王インドラの放ったその一撃は、ヴィレキア=サルテの完全なコントロール下に落ちていた。

 両者は互いに雷を司る存在、松下が咆哮を押し留めている隙に、彼はこれを丸ごと乗っ取ってみせたのだ。


「ギギギギギギグギギギギギィイイイイイッ!!」


 必殺の一撃を止められ、更には奪われたインドラが怒りの雄叫びをあげる。魔王は再び雷雨を巻き起こし、神威を放つための落雷を生じさせようとする。

 されど――――、


「……皆様方もいい加減黒雲には飽き飽きしてきた頃合であろう」


 ヴィレキア=サルテはインドラの咆哮を乗っ取った。しかし、これが雷に由来する異能である以上、これを魔王に向けて放っても先程のように無効化されてしまうに違いないだろう。


「故に天を青に染めるッ!!」


 だから、彼は神威を必殺ではなく、必殺のための布石に用いた。

 卿天使の手中に収められし雷の咆哮、町の一つや二つ容易に吹き飛ばせるその一撃を、ヴィレキアは頭上――即ち天に向けて放ったのだ。


 超火力の噴射が、空を丸ごと覆う嵐の海に突き刺さる。

 黒雲は吹き飛び、豪雨は消し飛び、インドラの異能の根源となっていた雷の空が晴れていく。


 雨の上がるときであった。

 大気は肌が湿るほどの湿気を内包していた。

 然して、空気中の水分が太陽光線を屈折し、空に一筋の大きな大きな虹がかかる。


 虹、がである。

 インドのサンスクリット語において、と名付けられし自然現象が、今ここに顕現したのであるッ!!


「其の方にあり、私にないものがあるならば、無論その逆も存在する。元を辿れば同じインドラなれど、虹と結びつくのはこの雷霆神ならばこそ。ダエーワの魔王たる其の方との共通項ではない」


 それがヴィレキアの見出した己と敵との大きな違いであった。

 インドラの咆哮を乗っ取ったのも、全ては嵐を一掃し、空にこの巨大な虹を出現させるためだ。インド独自の解釈を色濃く含む、虹を介した攻撃であるならば、ゾロアスター教に由来する虚偽の魔王に防ぐことは出来ない。

 そうして、ヴィレキアは数キロに渡ってかかる巨大な虹を、文字通りその手で言う。


「何故インドラたるこの私が、白兵戦に伝承通りの槍ではなく剣を用いるか分かるだろうか? 至極単純なことよ。私は槍をこのように使う」


 直後、卿天使の手中に一つ一つが十メートルはくだらない雷の槍が三本生じる。彼は弓に見立てた数キロの虹を構え、その弓に雷槍という巨大極まる矢を番えていくと、


「もう一度だけ言わせてもらおう。悪神は善神に打ち倒される。それが神話というものだ」


 そして、真なるインドラはギリリと虹の弓を極限まで引き絞り、この戦いを終える最後の一撃を豪快に撃ち放とうとする。



「よって、眠れ。ダエーワの魔王よッ……!!

雷槍を番えし虹弓インドラッドハヌシュ』ッ!!!!!!」



 そして、矢が放たれた。

 天地を震わす轟音。世界を切り裂く雷の疾走。

 ヴィレキア=サルテの雷槍は真っ直ぐにインドラの頭を射抜く。魔王も魔王で制御権の上書きを試みるが、全くの無駄であった。

 矢は悪魔の装甲を貫き、更にその奥へと押し進まんと欲す。そして遂には、その凄まじい推進力と破壊力をもって、悪魔の巨大極まる上半身を力任せに引き千切ったのであった。

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