第六十三話 『出来損ないの救世主』


 風が吹く。

 頭上を星空が突き抜ける。


 思えば長い道のりであった。

 簒奪王との戦いの日々も中々に過酷なものであったが、今回の六日間もそれに勝るとも劣らない試練であったと言えよう。


 平和に始まるはずであった晴の学園生活に、突如暗い影を落とした謎の堕天使の存在。

 或いは学園中の人間をまるごと洗脳し、その在り方を無理矢理に歪めた忌まわしき鐘の音。

 或いは、親しい者全てが狂人へと変貌するなか、誰かにそのことを相談することも出来ず、一人自殺へと追い込まれていった適性持ちの少女達。

 そしてトドメには、人体実験などというあまりにもあからさまな外道の象徴。


 それら理不尽の犠牲となる人達の姿を見せつけられるたびに、樋田は何度も強く歯を食い縛り、或いは何度も固く拳を握り締めてきた。


 だが、そうして自らの非力を憎むだけの日々も今日で終わる。


 もうこれ以上、この学園の悪行によって不幸になる少女達を生み出してはならない。そして何より、もうこれ以上、松下希子と隼志紗織という二人の少女に涙を流させてはならない。

 樋田はそう誓いを胸に刻みつけ、何とかこれまでの試練を乗り越えて来たのだ。だから、絶対にここで終わりにしてやる。この樋田可成が、この学園で起きた悲劇の全てを丸く収めてやる。

 そうして未だに顔も見せない臆病な堕天使の思惑を、完全に完璧に完膚なきまでに打ち破ってやるのだ。


「ここが本丸か」


 長く長く、まるで天まで続いていそうな螺旋階段を登り切った先で、晴は感慨深そうにそう呟く。


 そうしてやって来た『叡智の塔』の屋上は、ありとあらゆるものが曇りなき純白で統一された神秘的な空間であった。

 床の形はほぼ真円で、その円周には人の背丈の倍ほどもある棒がまるで柵のようにぐるりと張り巡らされている。

 まるで無菌室かと思う程に殺風景な場所であるが、それだけに頭上の巨大構造物が一際に存在感を醸し出している。屋上の直径を横断する形で天高く聳え立つ巨大なアーチ、その下にかつて松下の写真で見た例の鐘は吊るされていた。


「んな特等席で慌てふためく無力な馬鹿共を見物たぁ、さぞかし良い気分なんだろうなあ……」


 間違いない。これこそがこの綾媛女子学園を外道理不尽の温床と化していた諸悪の根源だ。

 あれだけ心の底から破壊したく思っていたものが、ようやく手の届くところまで来たことに、樋田は思わずピンと背筋を伸ばさずにはいられない。


「うむ。やはりこちらの予想通り、常に学園中を満たしている『天骸アストラ』もあの鐘から発生している。あれだけ精密かつ複雑な術式は恐らくそう簡単に替えが効くようなものではない。アレを壊してしまいさえすれば、奴等のくだらん企みは最早打ち破られたも同然だ。少なくとももうこれ以上、本来光の当たる側にいるはずの子供等が、天使化の憂き目に遭うことはなくなるだろう」


 しかし、そう明るい展望を口にしながらも、晴の表情は未だに暗いままだ。彼女はその事実を口にするべきかしないべきか悩んだ挙句、結局ボソリと問題を提起する。



「……しかし、どうやって壊そうかコレ」



 それな完全なる誤算であった。

 頭上にぶら下がっている諸悪の根源が、それはもう思っていたよりもかなりデカい。希望を持とうと少し小さめに見積もってみても、最低横三メートル縦五メートルはくだらないサイズを誇っている。


「……少し考えなしだったな。正直オマエの『黄金の鳥籠セラーリオ』フル解放スマッシュでぶん殴ればなんくるないさ〜ぐらいのことしか考えてなかった。いや、ほんとスマン」


 異能バトルの世界の中にいるとつい忘れがちになるが、生身の人間が道具も使わずこのサイズの金属塊を破壊するのは、どう考えても不可能だ。しかも晴は既に天使体から生身に戻ってしまっているし、樋田も樋田で『黄金の鳥籠』を使い切った上に、その体は最早立っていることも辛いほどにボロボロである。されど――――、


「安心しろ。もう業者に電話は済ませてる」


 そう言って樋田は晴に右手を――――正確にはそこに刻まれた赤黒い幾何学模様を見せつける。それは樋田が先程秦漢華から奪い取った「」力の術式である。

 その直後、晴はそれまで生憎の曇り空であった顔をパァと明るくする。


「おぉ正に渡りにジェットスキーッ!! なんだオマエやれば出来る子ではないかッ!! よくやったね可成くん。それではご褒美に晴ママが愛のハグをしてやろうッ!!」


「ほとんど使い捨ての一撃のあとに残ったカスみてえなもんだけどな。まぁ、あと一回ぐらいならどうにかなるだろ――って、ウゼェからひっつくんじゃねぇッ!!」


 しかし、毎度お馴染みのツンデレ芸をしてる時間も惜しいので、樋田は早速側のアーチに軽く触れてみる。

 すると、ただそれだけで例の赤黒い幾何学模様が、鐘を含めたアーチの全体を一瞬で埋め尽くした。


「……いくぞ」

「あぁ、やってしまえ。金字塔を打ち建てろ。オマエがこの綾媛学園を救ったことは、他の誰が知らずともワタシだけは見届けてやる」


 然して樋田は一度ゴクリと生唾を飲むと、秦の見様見真似をもってキザに指を弾いてみせる。


 その直後、人をモノとして扱う邪悪なシステムは、それこそ一片の欠片も残さずに消し飛んだ。


 それは打ち上げ花火を彷彿とさせるド派手な大爆発。そこから溢れる濁流のような爆炎と衝撃波とが、学園の陰謀の全てを綺麗に飲み込んでいく。


「……これで、良かったのだな」

「あぁ。とても百点満点とは言えねぇが、俺達の手で掬い取れる分は間違いなく救い取れたはずだ」


 そのとき、二人の胸中は爽やかであった。

 それはまるでずっと上から頭を押さえつけていた重圧がようやく解放されたような感覚。今ここに彼の忌まわしき理不尽の象徴は消え去り、頭上では満点の星空がまるで偉業を成した二人を祝福するかのように瞬いている。


 そうしてしばらく夜風に吹かれるに任せる樋田であったが、やがて晴の「さて」という言葉で現実に引き戻された。


「……もう満足したか? 出来れば首謀者も倒してしまいたかったが、最早ワタシ達の体はとても戦えるような状態ではない。悔しいが今回はここまでだ。例の実験室で天に召された連中を回収次第、さっさとこの塔から脱出するぞ」


「まぁ、しゃあねぇか。テメェの言葉否定しといて言えた義理じゃねぇが、帰ればまた来られるからな。そんじゃあ、道案内の方頼むぜ」


 そうして晴に急かされるがまま、元来た螺旋階段を引き返そうとする樋田であるが、やはりその胸に心残りがないと言えば嘘になる。


 結局最後まで、この件の首謀者であろう堕天使とやらは姿を現さなかった。

 その点で言えばこの事件はまだ何も解決してはいないのだろう。今回樋田達はあくまで秦や松下といった都合の良いマリオネットを倒しただけ。真の悪たる黒幕は今もどこかでほくそ笑んでいるのかと思うと何とも腹立たしい気分になる。



「オイ、カセイ『天骸』の気配だッ!!」



 そう晴が唐突に大声を張り上げたのは正にそんな時であった。

 既に半ば気を抜いていた樋田の全身にバチリと緊張が走る。敵はどこだ。何人だ。強いのか、それとも弱いのか。そして何より其奴は手負いの樋田達でも戦えるような相手なのか。僅かな一瞬のうちに頭をフル回転させ、樋田はそのまま中腰の戦闘態勢へと移行しようとする。

 確かに彼の対応は適当かつ迅速なもとであった。だがしかし、異能を有する者を相手取るには、それでもまだ不足。二人が足元にヒヤリとした冷気を感じた次の瞬間、彼等の足は下の床ごと凍らされ、その場に縫い付けられていたのだ。

 その氷の一部は既に二人の肌にまで達しており、無理に足を引き抜こうとすれば、自由と引き換えに膝下全ての皮膚を失うことになるだろう。


「……これは随分と派手にやってくれましたね」

「――――ッ!!」


 突如声がしたのは螺旋階段の入り口の方。

 そこからヌラリと姿を現した謎の少女は、スケート場のようになった床の上を踏み鳴らしながら、軍隊の行進じみた挙動で二人の元へと近付いてくる。


 焦げ茶色のルーズサイドテールに、如何にも生真面目そうな整った顔立ち。服装はこの綾媛学園の高等部のものだというのに、その左腰には江戸時代の武士よろしく大小が差し込まれている。しかしその二本の刀のうちの一方は何故か異常に短く、武器というよりかは何かの儀式刀の一種のようであった。


 軍人でも警察でもヤクザでもないくせに、日本刀なんて持ってる時点で只者でないことは明らかだが、樋田はこの少女が一体どのような人物であるかは知らない。しかし、隣の晴は彼女の顔を見るや否や懐に手を突っ込むと、


陶南萩乃すなみはぎのォオオオオオオッ!!」


 そこから素早く黒星を引き抜き、陶南の顔面目掛けて五発の弾丸を立て続けに撃ち込む。


 だがしかし、それで彼女の額に風穴が開くことはなかった。


 正確に言うとその五発の弾は間違いなく陶南の額に着弾している。しかし、それらは彼女の皮膚に触れたその瞬間、すぐさま一切の推進力を失ってボロボロと氷の上に落ちていくのである。


「ふざけおってッ、何故ここの天使はどいつもこいつも鉛玉で殺せん連中ばかりなのだッ!!」


 晴はそう恨めしそうに叫びながら、残った三発を此度は左胸に向けて撃ち放つ。しかし、結果は先程と何も変わらない。やはり黒星の銃弾は陶南萩乃に到達した途端、ボロボロと足元に落ちていく。


「銃を下ろしてください。私は別に貴方達に危害を加えたいのではありません。私は貴方達と話すためにここに来たのです。貴方達と対話し、友愛し、我等が主の目指す水瓶座的思考のもと、互いの価値観を尊重し合いたいだけなのです」


 そんな殊勝な物言いに晴は露骨に不快感を露わにする。


「ほざくなよ下郎。何が話し合いだ。散々好き勝手殴りかかってきたあとに、やっぱり暴力はやめようだなんて言われて誰が信用する」


「我等が同志が貴方達に危害を加えたことについては謝罪しましょう。そして、それを我々綾媛学園の人間が黙認していたことについても。ですが、本当に我々は貴方達と話し合いたいだけなのです。敬虔たる主の友人たる我等が虚偽など申すはずがありません」


「ハッ、聞いたかカセイ。コイツは傑作だ。この女話し合いだのなんだの抜かしておきながら、全く人の意を汲む気がないではないか。結論有りきの自己問答なら一人でしてろ。これだから宗教狂いは始末に負えん」


 晴の見解には樋田も大いに同意するところである。

 確かに話には聞いていたが、この陶南萩乃という少女もまたかなり異質な人間なのだろう。初めは真面目な印象を受けたその様も、今となっては無感動なロボットがあらかじめ決められた合成音声を垂れ流しているようにしか見えない。


 話して分かってもらえるような相手でないことは明らか。しかし、こちらは逃げることも出来ず、立ち向かうことも出来ず、かといって無条件降伏を受け入れるわけにもいかない。

 そうしてなんとかこの場を切り抜ける策は無いかと頭を捻る二人に、陶南萩乃はコクリと小首を傾げてみせる。


「……どうしても、話し合いには応じていただけませんか?」

「ったりめぇだ。テメェはテメェの親を殺した野郎に不当な暴力反対、裁判で理性的に解決しましょうとか言われて納得出来んのかよ」

「なるほど、確かにそれでは難しそうですね……では致し方ありません。私もあまりこのような手段を取るのは好きではないのですが」

「ああん?」


 陶南はそうしてどこか納得したような顔を見せると、腰元に差された刀の長い法をスラリと引き抜く。そのありとあらゆるものを一刀のもとに切り裂きそうな刃の煌めきに、樋田はゴクリと生唾を飲み込まずにはいられない。


「私は暴力は嫌いです。また、暴力によって人の意思を無理矢理に捻じ曲げるような魚座的手法は、我等にとって最も憎むべき所業です。けれど、このまま貴方達と私の間で友愛の可能性が潰え、無駄な血を流す羽目になるよりかは幾らかマシでしょう。ですから、私は不本意ながら貴方達に暴力を振るわせていただきます」


 陶南萩乃はそう一気に言い終え次第、カチャリと腰元の儀式刀の鯉口を切る。

 すると、まず初めの異変は頭上遥か高くで起きた。瞬く星々以外全てが漆黒に覆われていた春の夜空、そこにバリバリバリバリバリという凄まじい雷撃音を伴って、


「なんだ……これは」


 ふざけている。規格外だ。こんな馬鹿げた力、とても人が振るっていいようなものではない。

 気付けば流石の晴もまるで放心したような声を漏らしていた。樋田に至っては声を上げることも出来ず、ただ呆然と口を開けるのみである。


「『神の薬ラファエルアーツ』」


 そう陶南が囁くと共に、これまで銀の煌めきを湛えていた日本刀の刃が白く輝き始める。

 その様を何かに例えるならば千五百度以上の炎に熱された鉄が近いと言えよう。刃紋どころか剣の形そのものがぼやけるほどの圧倒的な白光。

 きっと彼女がそれを本気で振るえば、樋田達の体など一片の細胞も残さずに蒸発するに違いない。


「……自己紹介が遅れましたが、素直に名を名乗るよりも、貴方達にはこの私が綾媛百羽の第二位であることをお伝えした方が良さそうですね」


 そのまま陶南はカチャリと、樋田達に向けて刺突の構えを取る。

 それだけで心臓が止まるかと思った。本能が直感で死を悟ったのである。


「もう多少の被弾はいいッ、さっさと足元を撃って氷を吹き飛ばせッ!!」


 晴はそこで慌てて黒星を装填しようとするが、最早全てが手遅れであった。

 頭上遥か高くに浮かぶ規格外の光を背景に、陶南は刺突の構えを維持したまま深く腰を落としていき――――そして、彼女は樋田達へ向けて白く輝く日本刀の一撃を繰り出した。


 直後、オカルトとは無縁な平成の世に、遥か太古まで遡る神話の世界が再現される。


 陶南の振るう日本刀より放たれたそれは、街の一つや二つぐらいなら容易に燃やし尽くせそうな極太の熱光線であった。

 破壊、焼却、或いは蹂躙。

 音は消え、色は消え、視界の全てが真っ白な光によって埋め尽くされる――――――――、



「なッ……?」



 だがしかし、その核兵器にも匹敵する暴力の極みが、樋田と晴の体を焼き尽くすことはない。

 陶南がその熱光線を放ったのは、樋田達の頭上を僅かに掠める角度であったのだ。だが、それでも光線が放出する莫大な熱は足元の氷を完全に溶かし切り、その暴風じみた衝撃波によって二人は柵のすぐ近くまで吹き飛ばされる。


「ッザケンじゃねぇよ……」


 悲鳴や弱音を吐く余裕もない蹂躙の果て、そこで樋田はそこでようやく絞り出すように悪態をつくそのとき、少年は己の中で何かがポキリと折れるのを確かに感じていた。

 骨が折れたのではない。心が折れたのである。

 これまで樋田はありとあらゆる理不尽に立ち向かい、決して覆せぬと誰もが思った試練を尽く乗り越えてきた。


 されど、これだけは無理だ。

 だって、こんなのもうどうにもならないではないか。

 確かに彼は今も陶南を鋭い目付きで睨め付け、その右の拳を固く握り締めてはいるが――――既にそこに戦意らしき戦意が未だ残っている自信はない。


 そうして樋田の心が屈したのを知ってか知らでか、陶南が一度カチリと左手の儀式刀を鞘に収めると、それに伴って日本刀が纏っていた莫大な光も消える。

 向こうが武器を納めたのは決して樋田達を見逃そうと思ったからではない。恐らくは今の一撃でこれ以上の脅しは必要無いと確信したのだろう。


「正直このような交渉の仕方は好かないのですが……、私は今の一撃で貴方達を殺そうと思えば殺せていました。しかし、貴方達は今もそうして生きている。その意味が分かって頂けるでしょうか?」


 樋田は答えず、チラリと晴の方に視線をやる。すふと彼女は悔しそうに歯を噛み締めながら、黙って何かを思い悩んでいる様子であった。

 しかしやがてハァと小さな溜息をつくと、


「……分かった。話ぐらいは聞いてやる。だが、まずはそちらが目的を話せ。断るならば殺される前にそこの男の左目を潰してやる」


 恐らく晴は学園が樋田の『燭陰ヂュインの瞳』を狙っているのではないかと考えたのであろう。されど当の陶南はそんなハッタリなど気にも留めず、スラスラと話を進めていった。


「了解しました。御英断感謝致します。目的と言われても私は主のお考えを完全に把握しているわけではないで、今この場ではお応え出来ません。ですが、我等が主は必ずや貴方達に全てを話してくれるでしょう」


 そうして陶南はその生真面目そうな顔を真っ直ぐに晴へと向けると、


「貴方も、知りたくはないのですか? 私達の崇め奉る『主』が一体どのような存在であるのか。そして、この綾媛学園が本来どのような目的に沿って設置された機関であるのかを――――」


 二人の間を重い沈黙が包み込む。

 互いに相手の思考を予想し、如何なる選択が最善であるかを探るための時間。だがそれでも長い沈黙の後、晴は何かに納得したかのように長い溜息をついた。


「……分かった。で、その主とやらは一体どこにいる?」


「話が早くて助かります。それではお連れしますので、私の後ろをついて来てください」


 そう言って螺旋階段の方へと向かう陶南に、樋田と晴も渋々ついて行こうとする――――が、そこで生徒会長はこちらを振り返った。そうして彼女は樋田の方に冷たい視線をやると、


「そちらの方は先に塔の外に出ても構いませんよ。私達がお話を伺いたいのは、そちらの筆坂さんの方のみですから」


「ああん? ざけんなよクソアマ。テメェの相棒を一人で敵の懐ん中なんざ行かせられるわけがねえだろうが――――」


 暗にお前はついて来るなと言われ、樋田は即座に噛み付き返す。されど、その暴言は直ぐに晴の言葉によって掻き消されることとなった。


「いい、カセイ。どうせこちらに選択肢はない」


「テメェまで何言ってやがる、これァそういう問題じゃねぇだろッ」


「いや、そういう問題だ。ワタシ達は既にこの女と戦うことを諦めた。然らばその言葉に従う他に道はない。例え敗北者が勝者に何を言われようと、何をされようとも、それを咎められる者などどこにもいないのだからな」


 しかし、そこで晴はニッコリと笑い、普段のような快活な表情を見せると、


「そう心配そうな顔をするな。なぁに、そこの四角四面が言う通り、本当に殺すつもりなら先ほどの一撃でワタシ達は殺されているさ。まっ、それにこの学園の内情も気になるところであるしなッ!! 昔から虎穴に入らずんば虎子を得ずと言うだろう」


 彼女はそう言って樋田の胸板にそっと手を当てる。

 その目はどこか伏せ目がちで、まるでどうか自分の言うことを聞いてくれと諭す母親のようであった。


「チッ……」


 樋田は晴が見せる顔の中でこの表情が一番嫌いであった。

 そうしてこちらを心配させないため、無理に明るく振る舞う彼女の姿を見ると、少年は酷く情けない気分になる。


「……必ず戻ってこい。死んだら殺す」


「ハッ、やれるものならやってみろ。オマエはまず現在進行形で出血大サービス中な自分の心配をしておけ」

 

 それだけ軽い調子で言い残すと、晴は陶南に連れられて螺旋階段の下へと消えて行く。


 一人となった静かな星空の下、樋田は誰に話しかけるでもなく「あぁ、またか」と呟いていた。あれだけこの学園の少女達を救うと息巻いていたくせに、結局自分は自分の一番大切な人間すらロクに守れていないではないか。


「……なぁに思い上がってんだ、このバカは」


 確かに当初の目的はこれで大方果たせた。

 しかし、それでこれがハッピーエンドなのかと言われればその見解には大いに疑問符がつく。


 簒奪王のときはただのマグレだったのか、所詮自分はこの程度の人間なのだろうか。

 樋田はそう己の無力感を噛み締めつつ、晴の無事を信じて、ただその小さな背中を黙って見送ることしか出来なかった。


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