第五十三話 『最低で最悪な最善策』


「畜生ッ、何がどうなってやがんだッ……!!」


 

 そんな晴の切羽詰まった一言に、樋田は混乱する頭の中を無理矢理に切り替える。確かに松下に裏切られたことへの衝撃はかなりものだが、今はそんなことに思考を割いていられるほどの余裕はない。


 樋田が考えうる限りの展開の中で、今の現状は正に最悪の部類に入るものだと言えるだろう。

 確かにこの『叡智の塔』を攻略するため、あの秦漢華はたのあやかと刃を交えるだけの覚悟は出来ていた。


 しかし、まさかあの松下が――――共にこの学園を救おうと誓い合ったはずの彼女が、自分達の前に敵として立ちはだかることになるなど想像出来るはずもない。


 ――――ハッ、勝てるわけがねぇか……至極ごもっともな御忠告助かるぜ。


 数で言えば二対二で互角だが、一人一人の力量で言えば明らかに向こうが上だ。

 それにもしこの戦いに勝てたとしても、最低でもまだ陶南萩乃すなみはぎのが残っているし、もしかしたら樋田達が知らないだけで、秦に匹敵するような強者がまだまだ後ろに控えているかもしれない。


 正直言って、現時点でこの『叡智の塔』を攻略することはほぼ不可能になったと言っていいだろう。


「オイ、カセイッ!!」

「分かってらァッ!! だからって今背中向けたところで、殺してくれって頼んでるようなもんじゃねぇかッ!!」


 だからこそ今はとにかく集中しろ。

 確かに晴の言う通りとっとケツまくって逃げるのが最善だが、奴等がそう易々とそんなことを許してくれるとは思わない。

 どうにかここでいくらか足掻き、こちらが逃げ出せるだけの隙を作る必要があるだろう。


「まあ、いいわ。どうせまた来ると思ってたし……だけど、もう見逃してはあげないわ。確かに私もこの学園のやり方は気に食わないけど――――今の私にとってアンタ達はそれ以上に目障りだから」


 そんな樋田達の焦燥など気にも留めず、燃え盛る灼熱の炎の中から姿を現した秦漢華は、ゆっくりと松下希子の隣に肩を並べる。

 しかし、どうやらその登場は松下も予想していなかったようで、天使化のせいでただでさえ白い彼女の顔は、まるで幽霊でも見たかのように力無く青ざめていた。


「はっ、秦先輩。なんで貴女がこんなところにいるんですか……?」

「はあ? なんではこっちのセリフなんだけど……って、確かにアンタの権能なら真っ先にコイツらの侵入に気付いてもおかしくはないか。まあ、私はただ自分の下についてる隻翼と連絡が取れなくなったから、心配になって駆けつけたってだけよ。本当にそれだけだから」

「……なるほど、そうでしたか。先輩がいてくれるなら松下も安心です」


 何故だろうか、やけに松下の言葉が嘘臭い。

 折角味方が駆けつけてきてくれたというのに、彼女の表情はどんどんと険しいものに変わっていく。その今にも舌打ちをしそうな仏頂面は、まるでこの状況が不都合であるとでも言わんばかりのものであった。


 ――――……なんだかコイツらきなくせえな。


 もしかして彼女達二人は表面上は同じ味方であっても、互いの目的は少しばかりすれ違っているのではないだろうか。

 確かに今になっては裏切ったとはいえ、松下はそもそもこの綾媛学園を打倒するために活動していたのだ。それすらも樋田達を欺くための演技であったとは考え辛い。


 そうと決まれば、話は簡単だ。

 細かい事情までは分からないが、本来学園側の人間である彼女が、樋田達のような反学園勢力に独断で力を貸した――――つまりこの綾媛学園に対し裏切り行為を働いたのは明確だ。


 そして、

 流石にその場で二人が殺し合ってくれるとまでは思わないが、少なくとも二人の間には多少の疑心暗鬼が生じるだろう。

 そうなれば樋田達がこの場から逃げ出すのに、十分なほどの隙を生み出せるかもしれない――――などと、そんな小細工を企んでいたのは、どうやら隣の晴も同じようであった。


「オイ、そこの爆発チャイナ娘」


「ああん? 何よこのクソガキ。なんか前いたガキと顔が違わないかしら?」


「そんな些細なことはどうでもいい。それよりもキサマにはもっと先に気にせねばならんことがあるのではないか?」


「……一体何が言いたいのかしら?」


 晴の意味深な問いかけに、秦は案外あっさりと食い付いてくる。そんな好調な滑り出しに、彼女は得意の口八丁を用いて一気に秦から疑念を引きずり出そうとする。


「いや、よく考えてもみろ。ワタシがこの綾媛女子学園に編入してきたのは今からたったの一週間前なのだぞ。まあ、実際ワタシ達はその一週間でここまでキサマらの秘密に肉薄することに成功したのだが――――キサマは本当にそんなことがの力だけで成し得るものだと思うのか?」


「ちょっと、それってまさかッ……!?」


「慌てるな早漏女。教えて欲しいなら教えてやる。最早そいつを庇い立てする理由も、つい先程消失したことであるしな」


 最早晴の言いたいことは大体わかったのか、秦の鋭い切れ長の瞳は驚愕に見開かれる。そしてその直後、青い瞳の天使は松下の方を指差すと、ニヤリとその口元に意地の悪い笑みを浮かべ、



裏切り者ダブルクロスはそいつだ」



 そう呆気なく言い放った。


 さて松下は一体どんな言い訳をするのだろう。そうして樋田は彼女の顔を伺おうとする――――が、松下の表情に自らの背信を暴かれたことに対する焦燥は欠片もない。むしろその口元はしてやったりと言わんばかりの挑発的な笑みが浮かんでいる。


 そしてその直後、二人は彼女の笑顔の理由をすぐに理解することになった。

 

「ハッ、何を言いだすかと思えば本当にくだらない。そんな小細工を労したところで、私の権能に抗えるとでも思っているの?」


「……オイ、キサマは何をほざいている。ワタシの言ったことが聞こえなかったのか?」


「出来るものならやってみなさい。二度とそんなナメた口をきけないように声帯を焼き切ってあげるから」


「オイ、カセイッ!! コイツ日本人の癖にワタシより日本語下手くそだぞッ!!」


 晴がそう頭にハテナを浮かべるのも無理はない。


 一体何が起きたのかは分からないが、どうやら秦に晴の話は全く通じていないようなのである。松下が裏切り者なのだとそうはっきり聞かされても、彼女の表情には何の動揺も不信感も広がりはしない。


「俺にも分からねえが、多分これもなんかの異能なんだろ。『天骸アストラ』はありとあらゆる可能性を内包する全能の力だ。それ故どのような現象が起きても不思議ではない――――俺にそう教えてくれたのはテメエじゃねぇか」

「まぁ、それもそうか。しかし、どちらにせよ離間計は通じそうにないな……まずい、いよいよ打つ手が無くなってきたぞ」


 そんな風に頭を悩ませる樋田と晴に対し、松下はさっさと戦いを始めようと言わんばかりに、両手の双剣をガチャリと構える。


「あの、先輩。もう御託はいいんで、さっさと始末しちまいましょうよ。右の天使はゲロ吐かせたいからとりあえず無力化、左の男は特に利用価値無さそうなんでブッ殺す方向でいいですかね?」


「殺すのはダメよ。もしアイツらのうちどちらかでも殺したりしたら、そのときは私がアンタをわ」


「はっ、はいわかりました……」


 最後のを殊更に強調して吐き捨てる秦に、松下は思わず怯えた小動物のように後ずさってしまう。

 しかし、彼女はそれでも再び気を取り直すと、ギロリとこちらに向き直る。最早会話はこれまで、あとは全て暴力で事を決しようとでも言わんばかりの眼光であった。

 樋田と晴の間にピンと張りつめた緊張が走る。


「さて、それじゃあ最初から本気で行くわよ。精々蜘蛛の子のように逃げ惑うがいいわ。私の『殲戮せんりく』に冒瀆の罪を問われたくないならね」


 然して、四人の中で始めに動き出したのは秦漢華であった。

 彼女がパチンと指を鳴らすと同時に、樋田達の周囲を紅黒の稲妻が一瞬で走り抜ける。そしてその直後、まるで雷撃の軌跡をなぞるかのように、連続で次々と大爆発が巻き起こった。


「捕まれカセえええええええええええええッ!!」


 それに対する晴の対応は迅速なものであった。

 確かに迫り来る大爆発は脅威だが、幸いこれで向こうもこちらに近付くことは出来ない。

 つまり形は不本意なれど、この戦場から逃げ出すチャンスが生まれたのだ。


 彼女は呆然とする樋田の体を抱きかかえると、その隻翼を大きく羽ばたかせ、一気に秦達から距離を取る。

 しかし、背後では迫り来る爆撃によって、床が溶け、ガラスが砕け、凡ゆる形あるものが風塵と化していく。晴の飛行スピードも中々のものだが、このままでは二人の体が爆発に飲み込まれるのも時間の問題だ。


「畜生、すっこんでろオオオオオオオオオオッ!!」


 そこで樋田は『燭陰ヂュインの瞳』の時間遡行能力を発動した。

 今まさに樋田達を捉えようとしていた爆炎の一部は、即座にただの『天骸』に戻り、虚しく宙へと霧散していく。

 これで一先ず時間稼ぎは十分だろう。

 そうして再び爆発が樋田達に追いつきかけたその瞬間、晴は素早く左の通路に飛び込み、なんとか直線的な爆撃の嵐から逃れることに成功する。


「ナイスだカセイ、間一髪だった」

「それはいいが、まだ油断するなよ。まさか向こうがこんなにあっさり俺らを見逃してくれるとは思えねえ」


 そんな樋田の忠告に晴は無言で頷くと、既に時速百五十キロ近い飛行速度を更に大きく加速させる。一秒でも早くこの『叡智の塔』から脱出しようと、樋田達は瞬く間に秦と松下から距離を引き離していった。







 そうして樋田達が戦場から全力で逃げ出した後、すっかり置いてけぼりにされた二人の天使のうち、純白の髪を持つ裏切り者は残念そうに溜息をついていた。


「……あ〜あ、こりゃ普通に逃げられちゃいましたね。聞いてみた限りだと、あの量産天使かなり洗練された飛行技術を持っています。確かに『天骸』はショボいですが、結構戦い慣れしたタイプっぽいですよ」


「ハッ、アンタ本当性格悪いわね。私達にとっては寧ろ逃げてもらった方が好都合でしょ。さて、じゃあさっさといつもので仕留めるわよ」


「はいはい、了解です」


 既に秦達と侵入者との距離はかなり開いてしまったというのに、彼女達は二人を追いかけようとする素振りを欠けらも見せない。

 そうして秦と松下は真正面から向き合うと、互いに両の掌を合わせ、やがてゆっくりと目を瞑る。


 すると秦の体からは燃え盛る焔が如き『天骸』が溢れ出し、松下の体からは奏で歌う旋律が如き『天骸』が溢れ出した。それらは少しずつ混ざり合い、互いに互いを受け入れながら、徐々に一つの形へとゆるやかな調和を成し遂げていく。


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 二人が同時に言葉を紡いだその直後、まず体に変化が起きたのは松下の方であった。

 その両耳は突如大きく横への拡大を始め、まるで蝙蝠のそれを彷彿とさせる特殊な形状へと変化する。


 この儀式はかつて出会ったばかりの樋田と晴も行っていた『天骸』の共有を目的とするものだ。即ち秦と松下は己の『天骸』を共有し合うことで、互いの権能の連携を最高水準にまで高めようとしているのである。


綾媛百羽りょうえんひゃっぱが第五位、松下希子。我、我等が主に仇なす悪の滅殺を誓う者也」

「綾媛百羽が第四位、秦漢華。我、我等が主に仇なす悪の根絶を願う者也」


 この綾媛学園の主である堕天使の手によって、人工的に生み出された無数の隻翼達。通称『綾媛百羽』と呼称される彼女達のほとんどは、天使化中には自我を保つことが出来ず、ただ上から与えられた命令を忠実に実行するだけの肉性機械に過ぎない。

 しかし、そのうち特に『天骸』への優れた適性を持つ上位の五柱は、天使化中も自我を保つことが可能で、またそれぞれがアブラハムの宗教に由来する六大天使のうち『神の如ミカエル』『神の薬ラファエル』『神の裁メタトロン』『神の炎ウリエル』『神の歌サンダルフォン』の因子とその力を擬似的に模した権能を有している。



「――――『神の歌サンダルフォンアーツ』」



 然して、その一人である第五位松下希子が授けられし因子は、天国の歌を司り、罪を犯した天使達を閉じ込める幽閉場の主人であり、『兄弟』の名を冠するユダヤ教の大天使サンダルフォン。その身に宿りし権能は『主は我が神なりエリヤ』。


 サンダルフォンの司る歌とは、それ即ち音の集合体。よってサンダルフォンの因子を宿す松下は、この世に存在するありとあらゆる音と振動を思うがままに操ることが出来る。


 例えば、権能によって異常に発達したその聴覚を以ってすれば、丁半博打の壺の中でぶつかり合うサイコロの音から、完璧に出目を予測することなど朝飯前。

 また人の声も元を辿ればただの振動の集合体である以上、自分にとって都合の悪いことをほざく女の声を、他の誰かの耳に届く前に別の言葉に書き換えることすらも可能である。



「――――『神の炎ウリエルアーツ』」



 然して、その一人である第四位秦漢華に授けられし因子は、南と五大元素のうちの地を司り、エデンの園の門を守る者であり、『神の炎』の名を冠する懺悔の天使ウリエル。その身に宿りし権能の名は『殲戮』。

 

 神の冒瀆者を地獄の業火で罰し、全ての魂に裁きを受けさせるウリエルの因子を宿す秦は、その手で触れた万物を爆発物に変え、ただ念ずるだけでありとあらゆる座標を爆破することが出来る。


 それは東京にいながら自由の女神を爆破解体することも可能な恐ろしい力であるが、対象から距離が離れるなどして、正確に座標を把握出来ない場合は極端に命中率が損なわれる。


 しかし、そんな玉に瑕な『殲戮』の弱点を、別の権能で補うことが出来たらどうなるであろうか。

 つまり数キロ先にいる人間の呼吸音から、その人間が自分から見てどの方角のどれほどの距離にいるのかを、ミリ単位で聞き分けることも出来る松下の異常聴覚と、座標さえ特定出来れば距離を無視して一方的に攻撃出来る秦の権能を組み合わせれば――――即ち敵に自分達の姿を晒すこともなく、凡ゆる座標を百発百中で爆撃出来る無敵の砲台が出来上がる。


「見つけました。どうやら向こうは徒歩に切り替えたようですね」


 そして、松下の蝙蝠のように大きな両耳は、既に何百メートルも先を逃げている二人の音を正確に捉えていた。


「筋肉の収縮と骨の軋みの音から、対象の軌道を予測――――補足完了。私が合図を出してからきっかり五秒後、X15962・Y25863・Z04152に天使の左足が重なります」


 それから約数秒ののち、松下は頃合いを見計らいパチンと指を鳴らす。


「哀れね。だけど、アイツがこの絶望をどう対処してみせるのか……少し楽しみでもあるわ」


 直後、秦漢華はそのおぞましい権能を発動し、遥か彼方の座標へと爆破の術式を設置した。

 件の座標と樋田達が接触するまで残り五秒。これから巻き起こる戦闘は戦いにあらず。正確無比かつ一方的な狐狩りが、遂にその幕を開こうとしていた。





「とりあえずはここまでくれば大丈夫だろう。一度降りるぞ」

「……ああ、そうしてくれると助かる」


 無我夢中に塔の中を逃げ続けて暫く。晴はそこで一度飛ぶのをやめ、ふわりと通路の上に着地する。そうして地に足をつけた途端、樋田はまるで崩れ落ちるようにその場に倒れこんでしまう。

 いくら非常時であったとはいえ、時速百五十キロで飛び回る幼女にしがみ続けるのは至難の技であった。あまりの速度に三半規管はイカれ、今も視界がグルグルと回り続けている気がする。


「妙だな」

「……ああん? どうした、まさかもうすぐそこまでヤツらが迫ってるとか言うんじゃねえよな」


 そんな完全にグロッキー状態の樋田の傍で、晴はいつものように虚空に浮かぶ電子モニターを覗き込んでいた。

 しかし、彼女はすぐに首を横に振ると、その画面を樋田にも見せつけてくる。


「いや、寧ろその逆だ。奴等もすぐにこちらを追いかけて来ると思っていたのだが、どうやらあの二人はまだあの場から一歩も動いてはいないようでな」


「ああん? なら別にいいじゃねえか。何か問題あんのかよ」


「大有りだ。どう考えても不自然だろ。単純に追いかけてくれるなら対応のしようもあるが、向こうの意図が分からない以上は下手に動けん。空を飛んでいては咄嗟の対応が困難であるし、ここからは走って逃げるぞ」


「マジかよ、さっさと飛んで逃げた方が良かねぇか?」


 しかし、そんな進言は完全に無視されたので、樋田は晴の後ろに続き、渋々全力で通路の中を走り始める。

 端的に言えばその判断は正解であった。

 秦達とこれだけの距離を離しても決して気を抜かず、あるかも分からない敵の策を警戒出来るのは、正にアロイゼ=シークレンズが百戦錬磨の天使であることの証左にあたるだろう。


 しかし、それだけではまだ不十分であった。


 元々『天骸』は万物万象ありとあらゆる可能性を内包する神の力。そこに常識は存在せず、当然そこには定石も存在しない。

 この世界の戦いは例えいくら周囲を警戒したところで、全く想像もしない手法で攻撃されることも決して珍しくはないのだ。

 だからこそ、万全の対策をとっている今の晴でも、その一撃を防ぎ切ることは出来なかったのである。



「――――『……!!」



 晴はそこで咄嗟に警戒のレベルを数段階引き上げるが最早手遅れであった。そして次の瞬間、実際に秦漢華の権能は、なんの前触れもなく晴の体を強襲する。


 少女の足元にバチリと赤黒い電撃が生じた直後、突如その箇所に巨大な魔法陣のようなものが浮かび上がり――――、


「がああああああああああああああああああッ!!」


 結果、それがまるで薔薇のように爆ぜたのである。

 その一撃はこれまでに見たような大爆発と比べればボヤのようなものだが、少女の細い足を吹き飛ばすには十分すぎる火力を備えていた。


 爆風を伴う衝撃波が体を叩き、次いで晴の左足――――その吹き飛ばされた腿から下の部分が、まるで冗談のようにどこかへと飛んでいく。


「オイ大丈夫か晴ッ!! なんだ今のはッ!?」


 樋田はそのままバランスを崩す晴に肩を貸し、『燭陰の瞳』で即座に千切れた足を元通りに繋ぎ合わせる。

 しかし、そうして一瞬安心したのも束の間。今度は晴の首元に一際大きな電撃が走る。『燭陰の瞳』はクールタイムでまだ十秒は使えない。決断のときであった。


「クソッタレがああああああああああああッ!!」


 然して樋田は晴の体を肩に担ぐと、渾身の力で横に飛んだ。途端に雷撃のあった場所から大爆発が巻き起こり、二人の体は衝撃波に当てられるがまま無様に床の上を転がされる――――否、晴は樋田に包み込まれるように抱えられていたため、一人で割りを食った少年の体のみが痣だらけとなった。


「……オイ、怪我はねえかよ」

「それはこちらの台詞だ阿呆ッ!! 弱いくせに無茶をしおってッ……!! いいから黙ってワタシの後ろについてこいッ!!」


 樋田が晴に手伝ってもらいなんとか立ち上がると、二人は再び少しでも秦達から距離を取ろうと通路の中を駆け出していく。

 全身は傷だらけになってしまったが、これでもう大体の法則はつかめた。恐らく秦漢華の爆撃に距離は関係ない。そして爆発が生じる直前には、その予兆としてあの赤黒い雷撃が現れるのである。


「決して予兆を見逃すなッ!! 一度でもヘマをすればそれで即座に地獄行きだぞッ!!」


 どうやら晴も彼女の方で爆撃のカラクリが見極めたようであった。

 それからも幾度となく晴の周囲に雷撃は生じたが、その予兆を確認してから全力で方向転換をすれば、ギリギリのところで爆発の直撃は回避出来る。 

 しかし、たった一度のミスが即死に繋がる極限状態は、確実に二人の精神をゴリゴリとすり減らしていく。それにこのまま体力を削られ続ければ、いずれ爆撃を避けきれなくなることも明らかであった。


「畜生どうなってやがんだッ……!! いくら向こうのが強えからって、これじゃほとんど犬に駆り立てられる兎みてえなモンじゃねえかッ!!」


 一瞬、にわかに連続爆撃が収まった頃合いを見て、樋田は思わずと言った具合に傍らの外壁へともたれかかる。

 しかし、既に疲れ切っている彼とは対照的に、晴はその額から一滴の汗も垂らさず、ただ虚空を見つめて何かを考え込んでいた。

 そして、やがておもむろにその小さな口が開かれる。


「もしかしたらあそこで逃げ出しだしたのは失敗だったかもしれないな」


「ああん? どういうことだよ?」


「一つ仮説を立ててみよう。奴等が未だあそこから一歩も動いていない理由は単純、別に距離を詰めずともこちらを一方的に攻撃出来るからだ。それは分かる。しかし、二人とも動かない理由は何故だ?」


 そんな晴の鋭い指摘に、樋田は思わず「あっ」と声に出す。


「……松下か」


「ああ、そうだ。この爆撃が秦漢華の権能である以上、奴がこちらに接近する必要はない。だがしかし、何故松下は動かぬのだ。秦を固定砲台として運用するならば、もう一人を遊撃隊として送り出した方が、そちらに気をとられる分、爆撃の成功率も上がるというのに――――」


 そこで、晴は口元に手をやって考え込む。考え込むと言ってもそれは僅か三秒程度の短い時間に過ぎない。しかし、それでもその黙考のうちに彼女は一つの結論を導き出した。


「恐らく、この一方的なアウトレンジ攻撃は、秦と松下の二人が力を合わせねば成立しないのだろう」


 晴の頭の中では一体どれだけの思考実験が繰り広げられたのだろう。そのやけに澄んだ群青の瞳に樋田は一瞬目を奪われそうになるが、すんでのところで首を横に振りまくって正気を取り戻すと、黙って彼女の次の言葉を待つ。


「今のペースで爆撃が続けば、必ず『叡智の塔』の外へ出る前に体力の限界が来る。然るに、このまま何もせず逃げるのは悪手。少なくとも一秒でも早く連中の連携は絶たねばならん――――そうだな。再び奴等の元へと舞い戻り、どちらかというと弱そうな松下の方を速攻で撃破し次第、早々に逃げ出すのが最善だろうが……まあ、正直正気の沙汰とは思えんな」


 晴も実際に改めて口に出し、その打開策が如何に困難なものであるかを痛感してしまったのだろう。普段は気丈な彼女の声も今ばかりはどこか張りがない。

 それもそうだろう。頭の回転が早く、状況分析のプロである晴であるからこそ、そんな無理難題しか思いつけなかったことで、今の状況がどれだけ絶望的なのかを身に染みて理解してしまう。


 確かに今晴の言った作戦を実行しようとも、それが無事成功する確率などほとんど無きに等しいだろう。それだけ樋田達と秦漢華の間に立ちはだかる実力の差は圧倒的なのである――――しかし、もし仮に、彼女の最善策が本当に最善でなかった場合はどうであろう?


 晴は確かに樋田のような偏差値五十代野郎よりもよっぽど頭が良い。単純に考えて樋田の最善が彼女の最善を上回る可能性など万に一つもない。

 しかし、そんな彼女にもひとつだけ樋田に劣る要素がある――――それは生まれ持った性格の悪さだ。


 ――――ああ、こんな策しか思いつかねえテメエが本当に嫌になるぜ。


 冷血な合理主義者を気取りながら、結局のところはその善性に従わざるを得ない晴とは対照的に、樋田には己の目的を果たすためには手段を選ばない非情な一面がある。

 倫理観に縛られず、他者の犠牲を厭わず、俺以外の人間皆死ねを地でいく彼ならば、晴以上に最低で最悪な最善策を思いつくことが出来る。

 そうして、自分のクズさ加減にそっと嘆息してから、彼はようやくその考えを口にした。


「なあ、晴。今紗織がどこにいんのか『顕理鏡セケル』で探し出すことは出来るか……?」


 何故ここで紗織の名前が出るのか。晴はそう言わんばかりに小首を傾げるが、やがて電子モニターを用いて彼女の反応を検索にかけ――――直ぐに忌々しそうに舌打ちをする。


「チッ、サオリの反応は見つかったが、少しずつ例の実験室の方へ近付いていっているな。恐らくはワタシ達が秦の方に気を取られている隙に、雑魚の隻翼あたりに回収されたんだろう。マズイな、こちらの身を守るだけでも手一杯であるというのに、このままでは本格的にサオリが天使化の術式にかけられてしまう」


「へぇ、そうか。じゃあ、陽動は頼むぜ」


「……オイ、オマエ。一体何をする気だ?」


「あぁ、俺か? そんなモン一つに決まってんだろ」


 そうして樋田はその凶相をドロリと更に黒く歪める。しかし、そこには自分がこんな卑怯な手段しか取れないことに対する諦念と、例え嘘偽りであろうとも一度は自分を頼ってくれた少女への罪悪感が滲み出していた。




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