第五十話 『招かれざる訪問者』


 もうとっくの昔に日は上ったというのに、少女の暮らす寮室の中は不自然なまでに薄暗い。カーテンや窓は残らず閉め切られており、それらの隙間から僅かに差し込む光源のみが、くすんだリビングの中をぼんやりと映し出している。


 そんな重苦しい空気に包まれた一室の隅、シーツもしわくちゃなベットの上で、隼志紗織はやしさおりは今日も頭から布団をかぶって塞ぎ込んでいた。


 体調不良が原因だと嘘をつき、学校を休み始めてから今日でちょうど四日目となる。

 あの日以来何か食事らしい食事をとったことはなく、ただ口の中を水で湿らせるだけの日々が続いている。

 空腹で体力が落ちたせいか、頭の中はまるで霧がかかったようであるし、体の方も石のようにドシリと重苦しい。


「……おなか、すいたな」


 そろそろ何かを食べなくてはならないことは分かっている。しかし、冷蔵庫の中は既に空っぽだし、だからと言って買い出しをしに外へ出かけることも今の隼志には許されないのである。


 例え何があったとしても、今の自分の姿を他の誰かに見られるわけにはいかない。

 彼女の体に起きた一つの大きな変異は、最早季節外れの厚着では誤魔化すことが出来ないまでに悪化し、そして進行してしまっているのだから。


「……なんで、こんなことになっちゃったんだろうね」


 絞り出すようにぼそりと零れ落ちたその声は、まるで末期の病人のように弱々しい。

 始めのうちはよく自らの不運を嘆いて泣いていたというのに、今では涙腺の方もすっかり枯れ果ててしまった。


 少女の心は最早完全に屈服し、カサついた諦念のみがまるで癌細胞のように日々増大していく。

 こうして何か具体的な打開策を見つけだすことも出来ないまま、ただ自分が自分でなくなるのを待ち続ける以外に、今の隼志に残された道はないのだろうか。


「……希子は、今どこで何をしているのかな?」


 そんな隼志の独り言に答えるように、今日も机の上の携帯がブルブルと虚しく震え始める。


 あの日以来一度も画面を確かめたことはないが、こうして毎日電話をかけてくれているのは恐らく希子なのだろう。別に自惚れているわけではないが、彼女がいきなり学校に来なくなった自分のことを心配しないわけがない。


 その証拠に電話が鳴り止んでしばらくすると、希子は必ず隼志の寮室の前までやってくる。そうしてコンコンと玄関をノックしながら、体の調子はどうだとか、何か困っていることはないかと、心配そうな声で尋ねてくるのだ。


「……希子は本当に優しいね」


 しかし、その扉を開いたことはない。それどころかその声に応えたことだって一度もなかった。


 例えこのまま自分がどうなってしまったとしても、これ以上希子に隼志紗織という重荷を背負わせるわけにはない。

 そう信じて今日まで彼女の救いの手を払い退け続けてきたのだ。


「大丈夫だよ希子、私は一人でも大丈夫だからッ……」


 ここ最近になって妙に独り言が増えた。

 大丈夫、大丈夫と、まるで自分に言い聞かせるかのように、気休めの言葉が自然とまろび出る。

 そうして今にも希子に助けを求めたくなるのを必死に押し殺していると、今日も玄関の方からコンコンとドアをノックする音が聞こえてきた。


「希子」


 途端に一度決めたはずの心が揺れかかる。

 しかし、それでも彼女は布団を更に深く被り直し、いつものように歯を食い縛って居留守を決め込もうとする。

 お願いだから早く帰ってと、そして私なんかに構わないでと、そう心の中で悲しく呟きながら。



「えっ」



 しかし、そこで何故か玄関のドアがガチャリと開く音がした。


 ありえない。鍵はきちんと閉めていたはずだし、一つしかない合鍵だって今も間違いなく部屋の中にある。

 一瞬寮の管理人さんかと思ったが、仮にも年頃の少女が一人で暮らす部屋に、何の声かけもなく入ってくることなどありえるのだろうか。


 ――――どう、しよう。


 不審者か、或いはタチの悪いイタズラか。それとも隼志の体に起きた変異に遂に誰かが気付いてしまったのか。


 そうして悪い方に悪い方にと想像は進み、少女の細い体はいつの間にか濡れた子犬のようにブルブルと震えだしてしまう。

 しかし、そうして何者かが部屋の中に入って来るのをただ黙って待つのも怖くて、隼志はベッドの上を這いながら、恐る恐る玄関の方を覗ぎこんでみる。すると――――、


「……嘘、でしょ」


 そこにいたのは隼志と同じ綾媛学園に所属する六人の少女達。そしてその全員が胸に生徒会のバッチを身につけた高等部の生徒であった。


 彼女達は有無を言わさず土足で部屋の中に上がりこんでくるが、対する隼志は恐怖に縛られその場から一歩も動き出すことが出来ない。

 しかし、それも当然といえば当然のこと。こちらを冷たく見下ろす六人の少女のうち、その先頭に立つ一人はこの学園の中で知らぬ者はいない有名人であったのだ。



「ナンバーB1458。中等部普通科一年の隼志紗織さんで間違いないですね」



 スラリとしたモデルレベルの高身長に、首の横から垂らされた焦げ茶色のルーズサイドテール。そして不自然なまでに真っ黒な両の瞳が、まるでロボットのような印象を抱かせる無機質な少女。

 その姿は間違いなくこの綾媛学園を統べる統合学僚長――――陶南萩乃すなみはぎのその人であったのだ。


 彼女は隼志の姿を一目見るなり、その整った顔を僅かに顰めてみせる。


「やはり『先生』の言うとおり、かなり侵蝕が進んでいるようですね。ろくに調整も受けないまま放置とは可哀想に。情に流されるのは理解出来ますが、彼女も少々判断を誤りましたね」


 なんでそんな大人物が態々自分のところへ、などとは思わない。

 彼女達にどのような目的があるかは分からないが、自分の体がこうなってしまった以上、目をつけられる理由としては充分すぎる。


「やだ、やだアッ……!!」


 そうして隼志は慌てて逃げ出そうとするが、またしてもこの不自由な体が枷となった。


 彼女はベットの上から転げ落ちると、そのままベランダの方へ芋虫のように這っていこうとする。しかし、陶南の後ろから進み出た生徒の一人に、その背中をすぐに踏みつけられてしまう。


「話も聞かずに逃亡とは感心しませんね。別に私たちは貴方に危害を加えるつもりはないのですが」

「やだッ……ヤダヤダヤダァ!! 放して、お願いだから放してよッ!!」


 しかし、そうして逃げ道を断たれてもなお、隼志は狂ったようにもがくのをやめようとはしない。


 彼女達は自分のことを捕まえて一体何をするつもりなのだろう。


 最早その手から逃げられないことは分かっている。それでも吐き気を催すほどの恐怖に駆り立てられるがまま、少女は無意味に四肢をバタつかせ続ける。


 怖い、怖い。助けて欲しい。


 もう彼女に重荷は背負わしたくはないと心に誓ったはずなのに、自分の中の弱い部分がどうしても彼女の優しさに縋ってしまう。

 そうして隼志は自分でも無意識のうちに、いつも自分を助けてくれるたった一人の親友の名を呼んでいた。



「助けて、希子――――」



 しかし、その今にも泣き出しそうな少女の声は直後、胸の奥より這い上がる恐怖によって塗り潰されることとなった。



「ひっ」



 そうして静まり返った部屋の中に、隼志の短い引きつった悲鳴のみが虚しく響き渡る。


 いつどこからそんなものを取り出したのか。なんと隼志の首のすぐ隣の床に、陶南が日本刀の鋭い切っ先を突き立てたのだ。

 刃は彼女の首の皮一枚のみを切り裂き、その首元を一筋の鮮やかな赤がつうと伝っていく。


「私は暴力が嫌いです。悪が善を、強者が弱者を虐げる事を許容する獣の理を否定します。ですから、無駄な抵抗は控えていただけると助かるのですが」


「……私を、一体どうするつもりなんですか?」


 しかし、そう恐る恐る問いかけてみても、陶南萩乃の無表情に変化は生じない。

 彼女はあくまで無感情に、しかしそれでも決して嘘はつかず、ただ事務的に一つの事実を口にした。


「無論、『叡智の塔』へ。貴方も遂に我等が主のお召しを受ける資格を得ました。迷う必要はありません。怯える必要はありません。貴方が心の底から我等が主の威光の前にひれ伏し、共に水瓶座時代アクエリアン・エイジを目指す新たな同志となることを――――私は、願います」




 ♢




 ――――畜生、やっぱ内臓にもらった痛みは流石に引かねえか……。


 ジッとしているのにはあまりにも長く、しかし体を休めるにはあまりにも短い二日間であった。


 『叡智の塔』での死闘から一日を挟んだ決行日当日。現在樋田達は晴の見つけたという『叡智の塔』への侵入ポイントを目指し、夜の学園内を足早に進んでいるところである。


 態々言うまでもないが、今日の戦いに松下は連れて来ていない。

 確かに彼女ははじめこそ一人置いていかれることに文句を言っていたが、それでも最後には納得して樋田と晴に全てを託してくれた。

 彼女の思いを無駄にしないためにも必ずや今日で全ての決着をつけてやろう。そう改めて心に誓いながら、樋田は両の拳を再び強く握りこむ。


 ――――それにしても本当に静かだな。


 開校記念日の本日は『止まり木』の方も完全に休業状態であり、日没間際という時間帯も相まって、いつもは騒がしいここら一帯にもほとんど人はいない。

 ここまで人が少なければ、態々映像を纏わずとも、霊体化だけしておけば身をくらますには充分であろう。


「おい、カセイ。一応確認しておくが怪我の調子はどうなんだ?」


「ああん? 良いわけがねぇだろ。あんな傷がちょっと寝たぐらいですぐに治るか。まぁ、一応動ける程度には回復したけどよ」


 樋田はそう言いながら体の調子を確かめるように上体を捻る。すると、右手の甲に刻まれた人狼の紋章が不意に視界に入った。


 簒奪王より奪ったこの術式も、最初と比べれば僅か六分の一程度にまで小さくなってしまっている。これでは身体能力の強化も精々あと一回が限界であろう。


 『統天指標メルクマール』で制御権を奪った術式は基本的に一回限りの使い切りだ。この紋章が完全に消えてしまえば、樋田はもう『黄金の鳥籠セラーリオ』の力を振るうことは出来なくなる。

 そうなればこれまでほぼ無尽蔵だった『天骸アストラ』にも限界が見えてくるし、これまでのように考えなしに『燭陰ヂュインの瞳』を連発するのも難しくなるに違いないだろう。


 ――――なんとかコイツを使い切る前に片付けられたらいいんだが……なんて贅沢言ってると足元すくわれそうだな。


 正直樋田と晴との二人がかりでも、あの秦漢華はたのあやかを倒すことは難しいだろう。だからこそこの力をいつどうやって使うかが鍵になる。そこの見極めどころは慎重にならねばならない。


「着いたぞ」


 そんなことを考えながら歩いていると、不意に先を進む晴が立ち止まる。

 ようやく例の侵入ポイントまでやってこれたのか、そこには今時珍しい巨大な焼却炉がそびえ立っていた。それはもう長いこと使われていないのか、鍵やら鎖やらで厳重に封鎖されており、そのうえ赤字で「近付くな危険」とまで念押しでされている。


 普通の学校ならともかく、金を湯水のように使うことに定評のあるここ綾媛学園が、こんな使いもしない施設を解体せずに放置しているのは不自然だ。

 なるほど、確かにこれは胡散臭いことこの上ない。


「マジでこっから塔の中に入れんのか?」


「ああ、そうだ。『叡智の塔』のように複雑で大規模な異界は大抵、馬鹿正直に建物の外側から中に入れるような構造にはなっていない。だがその代わりに、こうした裏口が必ず幾つかは存在する。確かに『天骸』の霊的痕迹は巧妙に隠されているが……フッ、それでもこのワタシの目を誤魔化せるほどではないな」


 晴はそう説明し終えると、ぼさっと突っ立ってている樋田の肩をそっと押す。


「よし、それではまずお前から先に行ってもらおうか」

「ああん? ふざけんじゃねえよペンギン野郎。こういうのはまずプロが先陣切るものだろう」


 しかし、そんな樋田の至極真っ当な意見に、晴は呆れたように首を横に振った。


「いや、別にオマエを生贄にしようとしているのではない。部外者であるワタシ達がこの裏口を使えば、必ず学園側に何かしらのシグナルが伝わってしまうからな。だからまずはオマエの『統天指標』でこの入り口の制御権を奪い取って欲しいだけだ」

「ああ、なるほどな。オーケー、そんじゃあさっさと済ませちまうか」


 最初はこんな訳の分からない力が発現したことに困惑しまくっていたが、今となってはもう慣れたものである。

 樋田は焼却炉の外壁にそっと触れると、そこへ適当に自らの『天骸』を流し込んでいく。幸いその過程で特に問題は生じなかった。

 最後に晴が完全に術式を乗っ取れたことを確認すると、二人はゆっくりと扉を開き、巨大な焼却炉の中へと身を滑り込ませる。


 そうして晴は今入ってきた扉を一度閉め切ると、その取手に手をかけたまま再びこちらを振り返る。

 そこにはもう彼女が普段見せる飄々とした表情は欠片も見当たらない。そのいつになく真剣な晴の様子に、樋田も自然と背筋が引き締まる思いであった。


「いいか、ワタシの予想が正しければ、この扉を開いた先は『叡智の塔』内のどこかにつながっている。即ちこれからワタシ達は敵の手中に丸腰で乗り込む形となるのだが……まさか怖気付いてはいないだろうな?」


「ハッ、そんなもん超怖気付いてるに決まってんだろ。だが、覚悟は出来ている。テメェでやると決めた以上、男に二言はねえよ」


「ハハッ、相変わらずオマエらしい気の抜ける答えだが、一ヶ月前と比べれば随分とほざくようになったな。よし、それではいくぞ。高いところが好きな馬鹿共に土塊の味を教えてやろうではないか」


 そんな樋田の頼もしい言葉に、晴は珍しくフッと微笑む。そうして彼女が扉を一気に開くと、二人は迷いなく『叡智の塔』の中へと足を踏み入れた。



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