○ ヌシ

 滝壺で一際爽快な水飛沫が上がった。

 その時蓮太郎の視線はじっと滝に注がれていたが、何かが落ちたようには見えなかった。しかしあれだけ大きな音がしたからには何か落ちたのだろう。

 しばらく待ってみる。が、落ちたはずの何かは流れてこない。

 目を凝らすと、滝壺のすぐ近くの水中で、黒い影が動いているのが見えた。魚影だ。

 蓮太郎の目は釘付けになった。単に体が大きいというだけではない。往年の名優のように、ただそこに存在するだけで、引力が発生している。

 魚に魅了されるなど初めての経験だった。それも全貌を見たわけではないのだ。朧な魚影であるにも関わらず、有象無象との違いは明らかである。

 あれは「ヌシ」だ、と蓮太郎は確信した。訪れて数秒で、滝壺周辺の水域、いや、水上の空間をも支配した。稀に見る統治者の貫禄。覇者の威光。

 ヌシは、新しく手に入れた城を歩き回る王のように、ゆったりと泳いでいる。

 蓮太郎はその優雅な動きに見とれながら、ふと、次に落ちてきたものがヌシにぶつからないかと心配になった。が、すぐに杞憂だと気付いた。ヌシはヌシである故に、そんな事故とは無縁なのである。

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