共和国協定千四百三十七年大雪

 デカートの北の測量済みのマジンの私有地、通称風車砦は半年余りですっかり風景が変わっていた。

 軍の規定で私有地の徴発から三ヶ月を超えた時点で規定の借地料を軍は払いはじめたが、正直なところ金額としては雀の涙というか、よほどに土地の使いみちに宛がなければしかたがないかという金額で、少しばかりがっかりしたのは事実だったが、それもまぁ戦争の銃後の努めというものであるかとも諦めた。

 ともかく四分の一平方リーグの土地に出来上がった馬匹と行李の集積基地はデカートの戦火とは無縁の物流を背景に常時五千をやや越える馬を周辺各地からあつめ、デカートで手に入る糧秣とローゼンヘン館からの武器弾薬を中心に各地に送り出していた。

 ゴルデベルグ少佐が前線司令部で倒れ、軍都に後送された。という連絡をマジンが受けたのはデカートにと云うか、風車砦に半ば常駐のような有様になった兵站本部のデカート派遣部隊に年内の納品予定を確認するために赴いたときだった。

 様々な師団輜重を統括する形で兵站本部から送り込まれてきたクロツヘルム中佐が、デカートの軍連絡部の実務を拡大する形で丘の上に測量起点の目印のようにして建てていた風車を、ぐるりと囲うように倉庫と厩舎を揃え駐屯地の舎営を整えたのは霜が降り始めてからその月のうちで、中佐自身がローゼンヘン館に赴任の挨拶に足を伸ばしてすぐだった。

 クロツヘルム中佐がローゼンヘン館を訪れたのは単に赴任の挨拶というよりは、土地の徴発の執行とそれに伴う貸借契約の説明をおこなうためで、彼自身は爽やかなほどに実務向きの性格をしていて、土地の立地や利用状況を鑑みた客観的な価格評価とそれに若干のお世辞を加えるくらいの配慮ができる人間だった。

 だが、結局は組織の都合で他人の財産を扱うことになれた種類の人間だった。

 色々思うところは当然にあるが、クロツヘルム中佐自身は全く見事な組織人であるな、という印象だった。

 その見事な組織人は全く見事にひとつきほどで容赦なく地形上の通称だった風車砦に文字通りの砦の様相を整えてみせたことが、マジンの中佐に対する印象の第一歩だった。

 そういう柔らかな皮の内側直ぐが四角四面な人物であるという印象だったから、彼が軍の人事月報の中で見つけたリザの後方への配置転換と全く私信としてその事由について本部を経由して確認してくれたことは、意外なほどだった。

 傷病による配置転換ということで、それが可能であるほどにリザの容体もギゼンヌの戦況も安定しているということだった。

 ともかくクロツヘルム中佐のその報せにはマジンは感謝の言葉しかなく、急ぎ軍都に向かうことになった。



 いつぞやもらった名刺を頼りにリザの現在の配置を尋ねると、ストレイク大佐の秘書官に収まっていた。秋ごろにローゼンヘン館に乗り込んできた時には全く軍都に足を運ばないことが怠慢であると言わんばかりの態度だったが、直に乗り込んでみれば気まずそうに狼狽える有様だった。

「この度は彼女の有能に胡座をかき、あなたの新しい家族を失わせたことにまずはお詫びをしたい。彼女のおかげで前線が持ち直したのは事実だが、手配りが不足していた」

 ストレイク大佐の突然の謝罪の言葉はマジンには説明が不足していた。マジンがリザに目をやると彼女は照れ隠しのように笑ってみせた。

「ゴメンね。男の子だったみたい。流産しちゃった」

 よくある失敗のようにリザは軽く言ってみせた。

「いきなり少佐になっていたから、どういうことかと思ったら、それでか」

 マジンは言葉に困り、どうでも良い話題を無理やり見つけるように言った。

「それは、まぁアレよ。五千から部下を付けられちゃったからね。とりあえず格好をつけないと命令書も胡散臭くなっちゃうから、オマケみたいなものね。セラムも三千とか預かってたから昇進させるかどうするかって話だったけど、直前で後方に配置転換することになっちゃったから、なくなっちゃった。少し気の毒なことしたわ。ま、電灯と電話があれば誰でも今の倍は働けるわ。って話をストレイク大佐としてたの。小銃の話が少し落ち着いたら、電灯と電話を大本営に入れてもらうわ」

 隠し事がある犬猫のような態度でリザがまくし立てるのにストレイク大佐に目を向けると大佐は困ったような顔をした。

「彼女が勤勉有能なのは事実として、体調管理が困難なほどに現地人員が不足していたことに配慮ができなかったことは人員配置上の不手際でした。両君のご子息であれば、人材の有能は疑いもなかったところで全く遺憾に感じています。ゴルデベルグ少佐の健康に疑いがないことがせめてもの救いです。全く残念なことでした」

 ストレイク大佐は緩やかに責任を認めた。

「――年の瀬であるし、昇進した分は働いたわけだから、しばし休暇をとり給え。ゴルデベルグ少佐。ヴィンゼまで足を伸ばすことを許す。少佐に昇進した以上は今後は政治的なつきあい方も増える。あと軍人会提携よりも少しはマシな宿をたまには使いたまえ。

――ついで、以前からキミが進言していたデカートの連絡室の業務整備の任務を新年度からしばらく与える予定だ。電灯でも電話機でもキミが必要と思う事務用品をデカート連絡室の業務効率の向上にむけて予算化したまえ。詳細は追って命じるし、整備計画は本部の審査を求めることになるが、ともかくデカート州連絡室においてキミの所感の報告と共に必要とする装備設備資材の整備をおこなえ。これは今後の軍の連絡拠点のおおまかな雛形になる。二年ほどキミの主たる仕事場はデカートになる予定だ。無論、離れていても私の指揮の下で業務をおこなうことに変わりはない。細かな話で面倒が起きたら、いつでも軍都に帰ってきて私に報告進言をおこないたまえ。キミがこの間、部下に組み込んだ連中も必要なら連れてゆけばいい。どのみち何人かは手が必要だろうし、無理矢理休暇を切り上げさせた者もいたはずだ。任務によって福利規定を無視すること自体は許されているが、いくらかの例外事項があって妊娠中の女性士官については様々な規定が独立して存在する。キミの流産の件についてはいずれ私も問責を受けることになっているが、キミ自身も女性の部下についてはきちんと面談を重ねたほうがいい。逓信院も注目し心配していた」

 そんな風にストレイク大佐はリザに休暇を押し付けるようにした。

 その場でのストレイク大佐の言葉はマジンにはよくわかっていなかったが、要するにリザがマジンに押し付けるようにした女達の三人が妊娠していた。

 かつてリザが軽口半分に口にした通り、妊娠育児配置の対象になったということである。



 それとは別にリザが前線で組織した新部隊は新たな展望を共和国軍にもたらしていた。

 かつて一時戦線を共に支え、やがて戦場を離れた跳ねっ返りの小娘であったゴルデベルグ大尉が新装備とともに乗り込んだ瞬間に、ラトバイル大佐はこの戦争のみならず時代の転機を予感した。

 半月ほどの集中的な現状と将来方針の確認検討とののちに、ラトバイル大佐は拗ねるでもなく彼女の権限を大佐自身の権限とを可能な限り一体化することで、ゴルデベルグ大尉の兵站構想を支援した。

 前線への物資補給ともなれば、帝国軍の侵攻以前の前線後方での物資の引き渡しのようなのんびりした書類仕事では間に合わなくなるし、奪還した地域とはいえ前線とギゼンヌの間の地域にある幾つかの村落集落ではどちらの国の住民ともしれない人々が存在していた。

 そして、軍隊も住民も互いに気の立っている状態では巡りあいは概ね碌でもないゆきちがいをたどり、書類仕事だけではケリの付かないラトバイル大佐の判断を一々仰ぐような事態を生む。

 年齢でも体重でも自分の半分ほどの小娘である女士官が、肉体的な殴り合いでは当時も今も自分よりも間違いなく強く、肉体的な強さとは別に戦術作戦というものに必要な精神的なバネというものを彼女が持っていることを認めるくらいにラトバイル大佐は現実的であった。

 ラトバイル大佐は全くの実務家で思考の跳躍に難のある人物だったが、現実の限界に打ちのめされるでもなく、歯噛みして耐える時間稼ぎの得意な種類の人物でもあった。

 彼の嫌いなものは答えのない種類の問題の責任を取ることだったが、あいにく軍人で長とつく職掌を拝命した人物は階級に乗する形で様々な規模の実務上政治上の諸問題が振りかかる。

 大佐は自身の有能を疑ったことはないが万能であるとは思っていなかったし、彼が答えを見つけられない実際問題も多い。

 八万から十万ほどの人員をさばくことを目的としたリザール戦線後方の兵站司令部を支えるラトバイル大佐は官僚としての自分の価値に疑いを持ったことはなかった。

 だが、リザール湿地帯の陣地線崩壊後はギゼンヌに退避駐留したまま高級将校の不足した二万に足りない戦闘部隊の面倒を直接見る必要もあり、自ら小銃を握るような距離での敵の砲火の下で部下を指揮して万全の任に堪えると思うほどに自分の闘志や勇気というものに自信を持ったこともなかった。

 ラトバイル大佐は自身の不得意な分野の責任に、より有望な人物を配置した。

 適切な配置をおこない戦争をより効果的に進めるのは高級軍人としての責務であったから、ラトバイル大佐はゴルデベルグ大尉に現場を任せることに疑問やためらいをもつ必要もなかった。

 ゴルデベルグ少佐がラトバイル大佐の指導の下、編制した戦闘輜重大隊は、帝国軍に比して数の不利をものともしない速度と密度で後方と流動的な状態の前線を繋いだ。

 ギゼンヌ聯隊の運用構想の中核は軍令本部の研究方針を軸にしていたが、実務的にはラトバイル大佐の数値構想を新装備にそぐう形に沿わせたものだった。

 旧リザール湿地帯を含むリザール川流域を収めた戦域においてギゼンヌを拠点とした半径約百五十リーグおよそ最前線から後方の戦火の及ばない安全地帯の拠点までの連絡を視野においた部隊運用と兵站連絡の自由な設定をおこなうための様々である。

 軍行李で片道約ひとつき、機関車においては往復で概ね四日の連絡線の徹底的な管理をおこなうための組織編成で、ゴルデベルグ大尉が持ち込んだものはその実務の強力な一助になるものだった。

 兵站連絡の自由な設定だけでは戦争には勝ち切れない、という一面においてラトバイル大佐は戦争が終わっていないことを深く理解していたけれど、同時に圧倒的な優速と密度を保つ兵站がギゼンヌを拠点として成立したことで共和国の敗北の危機を脱したと意識してもいた。

 必要とあれば十日とかからずキンカイザまで数十グレノルの物資を受け取りに足を伸ばせる輜重部隊という途方も無いものはラトバイル大佐の想像のうちにはこれまでなかったものだったし、それがあるとなれば兵站幕僚としてのラトバイル大佐の構想は翼が生えたも同然だった。

 むろん全てが万全だったわけではない。

 万全であればゴルデベルグ大尉が倒れるなどということはあり得なかった。

 ゴルデベルグ大尉が持ち込んだ特務中隊とそこに投じられた軍費予算は新設の師団を作るほどのものだったが、それでも人員は全く不足していた。兵隊は塹壕と小銃と戦友が鍛えてくれるが、士官はそういうわけにゆかない。

 ラトバイル大佐は自分の参謀団をゴルデベルグ大尉の特務中隊と一体化させ、ゴルデベルグ大尉に管理させるために少佐への昇進を要求し本部に承認された。

 だが、大佐が個人的に配置を抑えられる人材ではリザールの陣地後方を管理するには足りても、ギゼンヌ周辺一帯から軍都を睨んだ後方までの全域を戦域として管理するには質も数も足りていなかった。

 ラトバイル大佐の権限と麾下の部隊をゴルデベルグ少佐の特務中隊を完全に一体にすることで、ギゼンヌ広域兵站聯隊は組織編制された。

 結果として妊娠中期だったゴルデベルグ少佐は倒れ、ラトバイル大佐は慌てて幾度かの組織改編をおこなうことになった。その際にはゴルデベルグ少佐の戦傷をも最大限に利用しもした。

 ゴルデベルグ少佐はリザール川流域をめぐる戦いに倒れたのである。

 それを代償にするかのように戦況は大いに改善された。

 もともと、共和国軍には帝国軍に比して下級部隊の連絡が優勢であるという利点があったが、そこに師団規模での兵站の緊密化という要素が加わった。

 全体として正面装備の充実の劣勢から共和国軍は序盤からの不利を覆せずにいて、今は兵員の数の不利にどこを押し切るべきか――どこを押しても結果として包囲される――という問題に悩まされていた

 しかしゴルデベルグ少佐が持ち込んだ輜重機械は野砲と野戦築城による防塞線以外の全てを無力化するもので、広大な戦域においては拠点防塞以外の全てを連絡線として自由に設定することで、ギゼンヌから半径百リーグに兵站を自在に確保し続け半径五十リーグを完全に支配した。

 当初は応急的に物資を届け、中隊規模の部隊を展開するだけだった広域兵站聯隊は帝国の敗残捕虜の送致や防塞の撤去、道路の整備、近郊の農地の復帰など後備兵を中心に奪還された地域の整備をおこなっていた。

 リザが倒れるまでに整備し、倒れた後に二度の大本営からの増援と再整備を必要としたギゼンヌの広域兵站司令部はかつてギゼンヌが求められ、様々な理由で諦めていた本来の願望の形に立ち戻り始めた。

 すなわち、常時百名以上の魔導連絡を常駐させ、域内の備蓄を常時把握し現地実戦部隊に可能な限り密接な兵站を維持するという軍団後方司令部の形であった。

 秋の終わりごろから断続的に次第に安定的に大規模に送られてくるようになった馬匹と行李によって、基本的な兵站業務がおこなえるように回復し始めていた。

 それによって手が空いた貨物車を使って、応援の大隊をまるごとひとつ展開或いは同規模の傷病兵を師団司令部からギゼンヌに後送することができるようになったことは、前線の機動を大きく楽にした。

 前線の師団司令部にとっては傷病兵の扱いは厄介という以上の意味を持っていたから、その扱いを後方兵站が面倒見てくれるというなら諸手を挙げての歓迎をするばかりだったし、歩けないことがそのまま死につながるわけでないという微かに気楽な希望があるだけで兵隊たちの士気は大きく好転した。

 実のところ動ける兵士を手放したくない師団の都合で、後送される兵隊よりは遺体のほうが遥かに多かったが、ただ名前と遺体遺品が届けられるというそれだけであってさえ半年前は考えられないことで、大きく士気を高めることになった。

 ヴィンゼあたりでは死体は肥料として畑に鋤き込まれることになるわけだが、それなりに豊かに肥えた土地で兵隊の往来の多いギゼンヌでは兵員墓地も整備されていて、花の肥やしになることはあっても、毎年騒がしく鋤鍬で掘り起こされることはなかった。

 強力に師団本部の配置転換を支援するほどの兵站組織が共和国軍に誕生した結果として帝国軍は突出した共和国軍に付き合うようにして戦線を押し戻され、点在するように連絡を失っている味方を放棄して後退していた。

 そういう百人から千人程度の帝国の大砲や重装騎兵などで武装した入植者たちの数百の群れは共和国軍にとっては捕虜と云うには無価値で、女子供に家畜まで連れているために扱いが面倒で、無視するには危険で、前線の連絡を圧迫する要素で共和国軍が戦争を勝ち始めたこの時期に勝ち切れない理由になっていた。

 推定でもギゼンヌ・ペイテル・アタンズの三市の合計人口を上回るだろう入植者を放置することも無選別に現地で処断することも危険だった。

 なにより、師団定数を維持できる銃弾の補給が始まったところとはいえ、意味のある戦力にならない敵に無駄弾をバラ撒くだけの余裕は共和国軍にはまだなかった。

 デカートの義勇兵の最初の任務は共和国軍の捕虜となった帝国入植者たちの収容監視ということになった。

 リザが倒れたのは、帝国入植者を巡る裁判の準備をおこなっている時だった。

 事件としてはありがちなことで帝国の占領地に入植していた入植者が共和国軍と交戦したという事件で、偶々帝国側の被害者が未成年だった、そして帝国の占領以前からの住民だったというだけにすぎない。

 元共和国国民が共和国軍によって撃たれたというだけのことで事件としては単純なものであったが、その親族がギゼンヌにいたということで心象としてはそれなりに面倒な事件だった。

 尤もリザはその事件の心労で倒れたというわけではなかった。

 単に軍務にかかわらず行政一般に長じた人々が戦争で次々倒れたところに、リザが持ち込んだ電灯や電話、タイプライターというヒトを寝かさない勢いで働かせる機械のおかげでひとりで十人前も仕事ができるようになったせいでリザ自身が過労の上に更に四日ばかり徹夜することになったからだった。

 それが武勇伝として笑い話で決着するのは、そのあと半月ばかり寝台から起き上がれもしないほどに体を弱らせたリザが今こうして無事でいるからで、倒れて二度ほどそれぞれ丸二日にわたって広域兵站の業務が一時停止するほどの状況だった。

 それは明らかな戦傷であると共和国軍は認めた。

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