ローゼンヘン館大工房 共和国協定千四百三十八年秋分

 ローゼンヘン館で実験と試作が続いている蛍光管と光電管は、陰極線管の量産製造試験と共に実用に近づいていた。

 基本的に遠心分離機と荷電加速器の組み合わせで、希土類元素の分離選別ができるようになったことが蛍光剤の種類をふやし、質の読める材料が増えることで循環するように面倒なく使える汎用品としての蛍光管やその基礎になる陰極線管を作ることに貢献した。

 蛍光線の識別によって加速器から放たれている粒子の素性がわかるようになってくると、更にそこから新しい蛍光剤が発見され、また更に新しい物質と状態が分かるようになっていた。

 巨大な水車のような機械を使って、金よりも重たいことが当たり前の物質を探すことに血道を上げ始めた者たちがいたということでもある。

 その小さな流れ星を映し出す機械に幾人かの老人たちはかじりつくようにして、或いは徒弟たちを張り付かせるようにして、各地から持ち込まれた鉱石の残滓鉱滓の分析をおこなっていた。

 それは元来鉱毒鉱滓の分離を目的としていたが、次第に意味合いが変わり始めてもいた。

 猛烈な勢いで工業化した結果として、間に合わせに各地の鉱石を扱う副産物として、希土類の集積と放射性元素の抽出もおこなわれていた。

 つまりは凄まじい勢いで何やらを撃ち出す機械と、そういう機械を必要とせずになにやらを常時そこいらにばらまいている物質、というゲリエ卿の説明とその理解は気持ち悪く感じる者も徒弟には多かった。

 その直感は凡そ正しく、事故が起きれば一リーグやそこら離れていても不幸の富くじくらいの感覚で巻き込まれるのは必然という種類の物事でもあった。

 およそ九割方の完成を見ている実験機を十倍ほどに拡大した新型荷電粒子加速分流器は、万が一の事故を鑑みて、構造の大方を収め支えるために地下を掘り抜いて、なお虹を見上げるような大掛かりな機構になっている。

 ゲリエ卿の計画にありがちなことだが、装置の設計はともかく実際の運用に当たっての様々は遅れ気味後手後手に回っており、殊に電力は常に不足気味で、連続運用には現在建設中の新型の発電所とその周辺設備の完成が待たれている状況だった。

 そういう様々がチグハグな中では予定通りの不調で、まだマジンが期待したほどにはその成果は上がらず、一方で危険な状況に陥ることもなく運用検証試験が続き、次の実用品であるはずの核子転換反応炉を作れるほどには放射性物質の量は揃っていなかった。

 それでも既に管理状況を確認するために検電器を必要とするぐらいにはあって、ねじ巻きも振り子も要らない放射能時計が運用研究の副産物として、これまでになく正確に工房の時を刻むくらいには実用に至っていた。

 今は部屋の埃を集めて瓶に詰めたほどの量の成果物は、しかし検電器で空気を電離させていることが分かるほどには量があって、その検電器を振り子の代わりをする放射能時計は、現在の共和国では最も正確な時計であることは間違いなかった。



 共和国は正午を零時としてその前後を十二時間で刻む二十四時間制と、日の出を正時とし日没を六時とする変動十二時間制、或いは一日を十時間とする十時間制、更には千二十四で割る十段分割時制、また更に或いはそれらを組み合わせるなどの幾つかの時刻制度があった。

 十二時間制と二十四時間制は分秒を六十とし、十時間制は分秒を百としていて、二つの表現は似ていたがそれぞれ意味は全く異なっていた。

 ローゼンヘン館では二十四時間制を使っていたが、共和国では必ずしも単一の時制を定めてはいなかった。何より基準となる時間という概念は希薄だった。せいぜいが各々の町の大時計がその時間の象徴で何時という感覚やその四半時くらいまでの意識はあっても、それがどれくらい確かなものであるかを確認するすべはなかったし、人かせいぜい馬かという移動の速度では時を定めてどこかにゆくというのはせいぜい野点の宴か会食かという程度だった。軍は流石に二十四時間制と定めていたが、時計そのものは自弁で合わせるべき時刻も定まっていなかった。

 言ってしまえば、時計の正確さこそが時を示す唯一の確かさで、その確かさは見る時計によってバラバラだった。

 そもそも広大な共和国の領土では、ある街で正午南中で時計を合わせても、長い行軍のうちに時計で昼夜を確かめることが怪しくなっていった。

 マジンが二十四時間制を選択したのはなんとなく、としか言いようがなかったが、強いてあげれば正午と深夜を零時或いは十二時としたかったから、という理由だった。分秒を六十づつとしたのもさした意味があったわけではなく単にそういう気分だっただけだが、一周を三百六十度で分割するというのに似た、なんとなくの理由以上の意味はなかった。

 実態、円の分割も半円を基準にしたり半径直径を基準にしたりと様々流儀が多い。

 実のところ、精密な時計というものの必要については、予てから切望していたのだが、十分な何かを準備することができないでいた。

 放射能時計が綺麗に一定の時を刻むことを確認できて、ようやく時についての様々に着手する準備が整ったとマジンは感じていた。

 北極星を軸基準にした恒星日と太陽の南中を基準にした太陽日では千分の三ほど異なっていた。

 一日の長さは太陽の南中する太陽日を二十四時間とすると、北極星の周りの天体が一周する恒星日は二十三時間五十六分四秒。

 僅かな違いだったが太陽にやや近い様子だった。

 当然に自転の速さも以前とは変わっているはずだった。

 大雑把に百万分の一ほど一日が短くなり、だいたい同じだけ一年が短くなった。

 そのはずだったが、それを広く示す根拠も指針もなかった。

 分秒制を好んで使う人々も六十分の一にせよ百分の一にせよ、機械機構の精度の限界から秒のあやふやさたるやひどいもので一日が二三分ずれても気が付かないことが当たり前だったから、一日の長さが百分の九秒失われたとしても、気に留める人々を探すことの方が難しかった。

 一年で三十三秒弱が失われた、と言うと多少の驚きに変わるかもしれないが、それにしたところで一万五千七百年に六日うるう年を減らす、というそれだけのことでしかなかった。

 だが地球の自転が公転に比べてやや早くなっている、という観測結果は過去に重大な異変があったことを示唆していた。

 帝国の暦算が十万年を超えている段階で、天文学的変動が観測できるほどに起きていることは、予測されて当然でもあるし、本来今更マジンが気に病むような種類のことでもない。

 だがなにかひどく奇妙な違和感をマジンは感じていた。

 太陽の重力の影響を緩やかに受けている地球は、全体に次第にゆっくりと太陽に向かって落ち込み自転を早くしているはずである。

 その狂いは月や様々な天体の影響で振動をしているが、大きな視点では不可逆の流れのはずだ。

 そしてその変化は、たとえば軌道の高度や光や電波の波としては、無視しきれない歪として観測されるはずだ。

 理解は違和感を肯定していて、別段おかしなところはない。

 月の自転公転は変化がない様子だったが、奇妙に見知った顔とは異なる様子だった。

 月の地球側の中心点は、地球側の公転中心に正対していない観測者の位置によってふらふらと動くものだが、そういう見え方の違いとは別に薄っすらと細かな輪のようなものが取り巻いている。

 地球と月の間に目に見えるほどの星屑が溜まっている帯のような空間があり、或いは月の反対側の地球月の公転中心を巡るように星屑があるようだった。

 今更のように落ち着いて夜空を見上げてみれば、星明りは奇妙に明るくも薄く烟っている。

 地球と月の均衡点には月から地球に向けて落下している滞留物が常にかすかに存在していて、しばしばそれは流星の形で地球に降り注いでいるが、そういうかすかな霧のようなものではなく、目に見えるほどの光の帯のように存在していた。

 奇妙なことはそれだけではなかった。

 マジンはなぜそれが奇妙に感じるのか、ということに殆ど疑問を持っていない自らの確信に気がついていた。結果にこだわる自分自身に奇妙な違和感をマジン自身感じていた。

 一方でこだわりとか知識というものは、そういう直感や先入観を元にした確認と追求から始まると思えば、違和感は却って探求の衝動の根拠として納得もできた。

 力学時と暦表時が失われた以上、原子時を使うのが一つの筋だが計測時と力学時で大きく異るのは面倒のもとでもあった。

 既に水晶発振器を基準にした電波時計の構想はあったが、それにはまだ半導体検電器による高速なフリップフロップが完成していないので微弱な電位を遺漏なく勘定できる自信もなかった。

 しかしまずはともかく、原子時計のひとまずの実用は実用的な恒星日を時計の基準にして、正確無比な時計の誕生を意味していた。

 一秒の時間が定まると、様々なものが全く別の局面に至ったことがはっきりし始めた。

 第一にはっきりしたのは、作業の目安が計器の目盛りや操作盤ではなく、時計を軸にする作業が増えてきたことだった。

 それまでもマジンの作っていた時計は、南中時で何日も正確に時を刻んでいたが、二十リーグも離れれば感じるほどに日の長さが変わる。

 その変化は時計の精度を疑わせていたし、土地の時間との齟齬を起こしていた。

 それは単に経度によって南中時刻が変わるという単純な出来事だったわけだが、まともな地図が完成していない状態の共和国では、時刻の基準となるべき標準子午線があるわけでもなかった。

 ヴィンゼとデカートでさえ同じ時計同じ時間を共有できない有様だったのだ。

 そういうこれまでのあやふやな時刻管理を、太陽と標準時計を基準にした天文測位と統一して結びつけることによって、ローゼンヘン工業の鉄道建設は正確な地理測量と土木工事を結びつけることに成功した。

 その意味を正しく理解したものは、鉄道工事現場には本当に僅かだったし、話題としては未だ内々のことであったから大きく開かれていなかったが、全く画期的な話題だった。

 正確な計時と正確な測量は、共和国軍の魔導連絡にも似た機能を工事現場の作業本部に与えていた。

 無線電話の普及も既にあったから、多くのところで深く理解している者は少なかったが、離れたところから始めた作業が無駄にならず大きくズレることなく、事によっては犬釘ほどのズレもなくつながる、というちょっとした魔法のような成果を上げていた。



 共和国軍の行動も魔導連絡によって細かな時間の指定ができるようになっていたが、その基準時計は師団本部が野戦司令部に持ち出す大時計であり、そこで時計合わせされた聯隊長の懐中時計であり各部隊長の私物の時計であった。

 そこから師団をまたぐと、しばしば時計の時間帯に時差を生じることが起こっていた。

 魔導連絡によって下級部隊間での連携が可能になったのに、師団間での時計の違いから魔導連絡による緻密な砲支援が却って仇になるという誤射事故が起こっていた。

 複数の師団が入り組むようになってしまったリザール川をめぐるギゼンヌ戦域は、最低三つの場合によっては十を超える時間が存在していたし、現場レベルで時計の事故をなくすために部隊間の調整の結果として臨時の作戦時計は無数の作戦の数だけ存在していた。そしてそのことによって時間は却って曖昧になり、共和国軍の作戦に新たな厄介の種を作り出していた。

 部隊間の協調こそが共和国の優位の一つだったが、ギゼンヌの無線電話が一つのチャンネルを専有して十分毎の時報を放送するようになるまで時計に纏わる混乱は続いた。

 ギゼンヌの時計は常に遅れがちだったが、時報の時刻そのものの正確さよりも、同じ時報を共有しているといるという意味のほうがはるかに重大で、共通の時報を運べるようにした無線電話と輸送車の組み合わせは重大な意味があった。

 軍では半ば公然と化していたが、手に入れた機関車の解体整備の研究に着手していて、輸送車の構造も分解して様々に調査をおこなっていた。

 あわよくば生産者の乗り換えができないかということで様々に試させていたが、今のところ捗捗しい成果を上げてはいなかった。

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