ローゼンヘン館 共和国協定千四百三十八年天気上昇地気下降

 最初の土木機械が鉄橋を渡り終えるというのは、船着場から上がった土木機械を迎えるというのとは違った感慨だった。

 確かに土木機械は港口を一気に整えて、大きな船を入れやすくしてくれた。

 だが、町の裏手の山肌に考えたこともない方向に道を伸ばすという不思議な発想をフラムの町の人々は本当に不思議に思っていたし、それがヴィンゼと繋がるといっても何故に聞いたこともないような遠くの開拓村にという程度の感覚だった。

 土方連中は機械の威力について様々に語っていたが、港の整備を見ても町衆にはせいぜいが景気の良い法螺話くらいに思われていた。

 ところが秋から冬にかけてザブバル川に巨大な鉄橋がかけられて、町方の雰囲気が変わった。

 妙に小綺麗な揃いの服を着た連中がフラムの町を出入りし始めたのが、わかりやすい変化だった。

 釣り銭をごまかすことで町でも有名な店の幾つかが、気取った亜人に会計の計算の間違いを丁寧に指摘され恥をかいたらしい。

 石炭色の外套と同じ色の開襟の三つ揃えにバラ色のタイを締めた連中は、口を開けば如何にも大工土方衆という雰囲気だったが、ともかくもそう侮るには身なりが整いすぎていて、どこか軍隊じみたところがあった。

 亜人ずれにしても奇妙に落ち着いて人間慣れしていて、そういうところも軍隊上がりの連中のようでもあった。

 言ってしまえばお屋敷のお仕着せと同じものであったが、つまりは百人だか千人だかで人を抱えるそういうお屋敷に仕えている連中で、そういう家の主人がどういうものかというと街場の連中が事を構えるのは荷が勝ちすぎる相手でもあった。

 作業員の被服の制服化はマジンにとっては自然な流れだった。亜人の体格についてはいろいろと面倒なところもあったが、ともかく着の身着のままで運んできた奴隷たちやボロを纏っていた腐れ沼の亜人たちには街に出るための被服の手当が必要で、鉄道の性質上街に出ることは必然であったから揃いの制服を文字通りお仕着せた。

 お仕着せを着せられた方は半年ほどは疑いやバカバカしさが先に立って窮屈に感じていた様子だが、ヴィンゼでローゼンヘン館の者だということがわかると、読み書きや言葉が怪しくてもそれなりに人並みに扱われることもあって、わかりやすく制服の効果が浸透していた。

 フラムの町にとっても暗い石炭色した連中が五人十人で群れなして歩いているさまは、相応に威圧感があり、どういう連中かと人目を引かないわけにはゆかなかった。

 そのことで揉め事がなかったわけではないが、制服を着た連中が金回りの良いお上りさんであることが町衆に知れれば、厄介事が命をかけた刃傷沙汰になる前に収まりが付いたし、距離が伸びたことで完成が遅れているデカートよりも、一足早く開業しそうなフラムの駅舎が線路より一足先に形になる頃には鉄道普請の人足への奇妙な期待と憧れはいやましていた。

 ローゼンヘン工業の鉄道計画の積極的な支援者の一人である元老ピエゾロンパル卿は鉄道の通用便を使ってローゼンヘン館を訪れていた。彼は既に旅客用の機関車を日常的に利用していたが、それとは桁の違う輸送規模を持つ鉄道の威力をほとんど瞬間的に直感していた。

 蒸気圧タービン発電機による分散動力分散制動方式の鉄道は、水面を飛ぶ水切りの石のような速さで氷を滑るようななめらかさでロンパル卿夫妻と秘書二人をローゼンヘン館に案内した。

 他に六十五人の鉱山関係者と更に秘書や婦人方の幾らか合わせて三百名ほどが同行していた。

 せいぜい駅馬車の大きい物くらいに考えていた彼らは、車内で出された食事の意外な上等さに驚きを隠さず、用便を済ますために荒野で尻を剥かないで良いことに安堵し、新品の寝台と寝具に包まれて眠ったその一晩のうちにフラムからヴィンゼの外れにあるローゼンヘン館についたことに戸惑いを感じていた。

 鉄道が未完成のうちに彼らが訪れたのは、当然に商機を制するためであった。

 この後もさらに伸びる鉄道についてどう考えるべきか、ということでもあったし、可能ならば鉱山で既に準備されているトロッコを輸送手段に拡張できないか、ということでもあった。

 ローゼンヘン館のあたりに建ち並ぶ巨大な建造物は、鉱山主にとってもロンパル夫妻にとっても強烈な印象の建物ばかりだった。

 いくつも建ち並ぶ巨大な工房はどれも差し渡し数百キュビットを下回るようなものはなく、しかしどれも十数名で或いは極端な場合、無人で回しているという説明は彼らの常識を疑うようなものだった。

 一際巨大な漆喰の固まりのような工房は一リーグほどの広がりを持つ本来単一の工房だが、材料の不足から全力の可動ができていない、という説明に鉱山主は背筋が凍るような衝撃を受けた。

 鉄鉱石と石炭をそれぞれ六百グレノルも日に飲み込むだろうその機関車工房は、本格稼働を始めれば輸送貨車を日に四五十両も作るはずだという。

 どちらも話だけを聞けば寝言としか思えなかったが、本格稼働していない工房の中を案内されて彼らは驚愕とともに納得した。

 石炭と鉱石を原料に機関車を作るという話は、一種の錬金術にしか思えなかったが、溶けた鉄の流れがやがて鋼材に形をなし薄板に形を変え運びだされるさまと、そこに汗を流し身を焦がし槌を振るう工員がおらず、ただ鉄が擦れ転がり打ち鳴らされる騒がしさと立会に鉄の鍛えられるあたりを睨んでいる者がいるだけ、という有様は彼らの知っている鐵工場の様相とは全く異なっていた。

 ゲリエ卿は鉱山主たちがその場で使えそうな幾つかの機械について、水中でも使用可能な発破や小型の動力機械、火を使わない燃焼を伴わない照明機械を中心に提案をしていた。

 口上だけを聞けば寝言か詐欺かと疑うような内容だったが、片手で抱えられるような大きさの圧縮熱機関が揚水機や発電機を駆動しているのを見れば、値段と性能を確認したくなるのも心情だった。

 来年まで待てば安くなると云われても、来年までに幾度事故が起こるかわからず、使える鉱夫頭や鉱脈読みを幾人失うかを考えれば、この場から持ち帰りたいほどだった。

 小型の発電機や動力機関があればトロッコへの動力の組み込みはそれほど難しくない。

 今のところ大豆油が高騰しているというのが面倒のタネだったが、宛になる咒札と考えればやはり手に入れておきたいシロモノだった。

 少なくない鉱山主はストーン商会製の揚水機や送風機を導入していて、それを転用したいという向きもあった。回転軸が取り出せるなら発電機を接続することは難しくないと告げると需要は小さくなかった。

 ストーン商会製の往復単気筒の蒸気圧機関は単体では大した力も出ない機械だったが、その分作業現場では扱いやすく面倒も少ない機械で壊れても分解して組み直せば治るような種類の機械だったし、力を出させたければ繋いで束ねてやれば力を出させるのは訳もない単純な作りになっていた。

 単純に力比べをするなら自転車用の原動機と大差ない機械だったが、現場で手入れと修理が容易にできる造りであることが受けていたし、何より石炭のみならず燃えるものならなんでもいいという点が大いに受けていた。

 あまり迂闊なものを燃やすと窯の温度が下がって力が出ないという事も知られていたが、四六時中力が必要というわけでもないことから、端材やゴミ焚きにも使われていて重宝されていた。

 骸炭を燃やすと釜の痛みが小さいということは当然に知られていたが、燃料にこだわれるほどに経営の安定した鉱山は多いわけではない。

 ふいごを回し、水を汲み上げ、鶴瓶を巻き上げつづける。

 穴に鉱夫たちが潜っている間、休みなくそれだけをしてくれる機械がどれほどの価値のものか説明を現場の外ですることは難しかったが、ともかく大したものだったし、火を使わない灯りというものが容易く手に入るならそれはまたそれですばらしいものだった。

 少なくとも列車の車内の夜を帳面をつけるのに不自由しないほどに明るく照らしていた明るさがあるなら、十分に実用に足りると鉱山主たちは考えていた。

 他にも鉄道工事で効果を発揮したエンジン式や空気圧式の自動鋲打ち機や削岩機・杭打ち機・ピットドリルなど様々な品目の提案をゲリエ卿はしていた。

 なかでも鉱山主を惹きつけたものはベルトコンベアだった。

 狭く暗い穴蔵の中で立ち歩ける大きさの穴が掘れれば上等というよりも贅沢であったが、側壁が支えられる高さ深さが問題だった。

 土を掻きだす人足の分も惜しみたいと 一言で言えるがその意味は様々にあった。

 ローゼンヘン館の中心にある自動骸炭釜については現物の稼働を見た鉱山主は例外なく仰天していた。

 基本的に巨大なフラスコである骸炭釜は、循環再生産をおこないながら様々な副生成物を作り出しつつ、自動的に骸炭を吐き出している。

 機械じかけの構造体は、一日に百グレノルの石炭と二百グレノルの水を飲み込み、硫黄や硝酸をわかりやすい生成物として、副産物として燃焼性の石炭ガスと、ときに金属や希土類などの元素を含んだコールタールピッチを大量にもたらしている。

 かつては確かに骸炭こそが主生成物だったが、今では副生成物を目当てに骸炭が作られている。

 水のほぼ半分は乾留の際に石炭を窒息させる過程で全く別のものに転換され、一部はアンモニアを経て硝酸に、一部は様々な形の可燃性のガスに或いはコールタールピッチに含まれる物質に変化しているという説明は、まさに錬金術じみていたが、水が酸素と水素の焼き付いた生成物であるという説明や、硝酸が水と空気を原料に触媒反応に必要な高温だけで作られるからローゼンヘン工業は火薬に硝石を必要としない、という説明には、説明を受けた者達はなお首をひねらざるをえないもののひとまず飲み込んで巨大な機械仕掛けを眺めていた。

 幾人かは意味がわからないままに元素記号の列に思いを巡らせていた。

 骸炭は火持ちもよく温度も高いが、火の回りが遅く家庭では冬場以外ではあまり好まれない。

 一方で煙が少なく精錬中の鉄や鋼を傷めないことから、鐵工場ではほとんど必須の燃料だった。

 だが釜が痛み作るのが手間で、ローゼンヘン館が石炭と同じ値で売り出すまでは希少性の高い高価なシロモノだった。

 窒化炭素とアルミナの焼結体が完成するまではローゼンヘン館でも焼き窯の寿命は問題だったから、骸炭というものを作る面倒は鉱山主たちもよくわかっていた。

 しかし自動釜がバラバラと吐き出す水槽でまだ生ぬるく湯気を立てている骸炭を眺めると、鉱山主たちにはそれほど難しくないのではないかと思えてきていた。

 実のところ仕組み自体はそれほど難しくはないし、十数グレノルを毎日作るつもりなら自動釜を仕立てても採算は取れる。とゲリエ卿も説明をした。

 鉱山主にとってはローゼンヘン館は別天地だった。

 そういう中で今はもう使われなくなった、最初の蒸気圧機関付きの竈は鉱山主にとってちょっとした安堵を与えるものだった。

 耐熱レンガと漆喰で壊れたり直したりという姿のあるあまり大きくない炉釜は用途に合わせた幾つかのふいごが並んでいて、ようやく彼らにも何に使うつもりのものなのかどう作ったのかがすべてわかる機械があった。冶金のための炉釜に槌を動かすための蒸気圧機関が組み込まれたものだった。

 これは十年も前に作ったものではなかったが、工房の規模の拡大とともにすぐに力不足が明らかになっていった。ガス釜電気釜が使えるようになると工作用に石炭を燃やす必要はすっかりなくなってしまったからでもあった。

 そういえば、と鉱山主の一人が口にしたのは、セレール商会の運河浄水の件であった。今となっては魚が集う様も見られ、以前のドブの有様が想像できないような流れになっていて、あれもこちらの手際と伺ったがというものだった。

 精錬の過程で貯まる鉱滓とその毒の水のたまる一方のカシウス湖をどうにか出来ないか、という話を一人の鉱山主が口にすると、他の鉱山主もこぞってそれに同調した。

 巨大な瓶や盥を押し並べ或いは古く深い廃坑に鉱滓を溜め捨てているが、ローゼンヘン館ではどう始末しているのかという質問でもあった。

 ローゼンヘン館が鉱滓と呼ぶ種類のモノについてどうしているか、というと石炭の熱と機械力電磁力を駆使して、延々と再利用を繰り返し、徐々に増えた分を偶に市場に卸していた。

 ヒ素水銀鉛といった便利で用途も多く毒性のある物質の他にも、青酸や硫酸弗酸といったまた便利で扱いが面倒な物質や、普通は他の何かに紛れるような微量物質も回収できていた。思わぬ形で金銀銅というモノが紛れていることも多い。

 その分析や分溜に使う装置設備は用途採算を度外視した設備であったが、施設の大規模化と運用の連結と集中で問題になるほどの不採算にも至っていなかった。

 むしろ幾つかの面では副次利用を当て込める可能性さえも見せていた。

 普通は不純物として見逃されがちな様々のいくらかが顔料や染料の新色として扱われたり、これまでとは違う性質の材料の素材として扱われたり、と云う発見がローゼンヘン工業の技術開発の根底を支えていた。

 鉱石鉱物組成内訳概目にも表示があった元素周期表は鉱山主の多くも意味を承知していた。

 つまりは彼らの鉱山の出荷成分をローゼンヘン館で腑分けして可能な限り厳密に測定したものだということを理解していて、なにがどれだけ濃いかというところがキモだということは、相応に理解していた。

 そして細々と続く細目の下の方の普段使われていない、誰もが気にも留めないごく僅かな塵のような何かを扱えるだけの力がゲリエ卿にあることを訪れた鉱山主たちは直感した。

 細かいところを追ってゆけば錬金術と大差ない怪しげな話題になるだろうと、深入りする者は少なかったが、世間の錬金術師の雰囲気とは異なり、鉱石鉱物組成内訳概目は公明に開かれた雰囲気の報告書の様相を呈していた。

 鉱石鉱物組成内訳概目は鉱山主を一喜一憂させる元でもあったが、鉱脈の状態を客観的に眺める指針でもあった。

 周期表については埋まっていない部分もあったが、鉱山主にとってはもともとそれをどうするという種類のものでもない。

 多くの鉱山主にとっては、その中の大事な幾つかを報告書の中から見つけるための備忘録のようなものだ。

 その表を作ることを目的とした分析器は数ストンの試料をいちどきに分析するための効率を上げるための機械もローゼンヘン館にはもちろんある。

 化学的な手法ではいつまでたっても分類が難しい物を、時間と燃料だけを投入することで正確に分類することは既にできる。

 全く同じ方法を雑多な鉱滓に汚染された廃液に対して適用することは採算の上では怪しいが、理論上問題がない。

 そして鉱滓や汚水の分析がある程度進めば、それに合わせた設備を揃えることは可能だ。

 問題はそれにかかるだろう建造費管理費をどうやって誰が支払うのかという話題だった。

 この話題こそがロンパル卿の目論見であることは、不意を突かれたマジンにもすぐに知れた。

 鉄道建設はこのあとフラムの山岳部を山なりに幾つかの拠点を繋ぎながら抜けて、ソイルを遠巻きにしながら北街道に向かい、またデカート市街から伸びた線と合流する計画になっている。

 農業で豊かな基盤のあるソイルは鉄道で土地を割かれることを嫌う人々が多く、デカートを経由して対岸のデカート新港へ向かったあとの鉄道が抜ける先が定まらない状態だった。

 デカートの天蓋の内側も似たような状態で天蓋を遠巻きに北から西周りに南に抜け丘陵部で大きく鉄橋をかけザブバル川を跨ぎ新港へ至り、と描いたところでこのままでは何処かまで戻って、ソイルを南に遠巻きにし丘陵部を越えてデカートの国境を目指すことになる。

 資源線としての鉄道の実用と軍都への東進を考えた場合、デカートを過度に重視する必要は実は低い。鉱山主が多く帯同した理由も、それぞれの鉱山の採算を向上させつつ、面倒少なく東への出口を求めたいという二人の元老の興味と責任に基づいた利益判断に基づいている。

 ともかく資源を確保し東進できれば鉄道としては最低限の機能が果たせ、今は既に軍の居留地となっているデカート北の兵站基地に鉄道が伸びたことで、マジンとしては少し溜息混じりに事業の周知を待つ形になっている。

 山地の往来を確保することは或いは流れを制することもそれぞれに利益があるが、見せられた別天地である工房が運び出す石の量を三倍にしてもすべて飲み込む、という説明を聞けば、山の関を設けて往来で稼ぐよりは山を掘り抜く勢いで鉱夫に檄を飛ばすほうが稼ぎになる。

 フラムの山岳部を抜ける用地については、鉱山組合の測量協力を得たことでほぼ完全な形で手配が終わっていて、事実上ローゼンヘン工業の工事計画の詳細進展を待つのみになっている。

 ローゼンヘン館を訪れた鉱山主は鉄道のもたらすだろう未来について黄金色の幻想を展望した。

 鉄道の工事地区として、周辺山系まるごとを含めたカシウス湖一帯を通っているのはロンパル卿の差配でもあった。知恵を貸せという意味からも土地の価値という意味からも、ローゼンヘン工業を面倒に巻き込む差配であったが、元老が元老に協力を求めるという意味では全く道義に叶った、むしろ最低限利益関係で結ばれているだけマシな差配だった。

 そして、マジンの手元には既にある程度の目論見につながる実績はあった。

 それだけの投資の採算がフラムそしてザブバル川流域全域を巻き込むデカート州全土をまるまる引き換えにするような話であれば、カネがどうこうという話題でもない。しかもカシウス湖はフラムでも有数の随一と言っていい危険地帯だったが、唯一の危険地帯というわけではなかった。

 結局、千年の汚濁を小手先でどうこうすることは今はできない、というありきたりの答えしか今は準備はできなかったが、ロンパル卿の意を受けてゲリエ卿としてのマジンが実現可能な目論見を建てることは、もちろんデカート州の元老としての責任の範疇でもある。

 ローゼンヘン館を訪れた鉱山主たちは様々な形で衝撃を受け、自分の山になにが必要なのか、なにを頼みたいかを考えながら列車で夕食を食べつつ帰路についた。

 彼らはオイルライターと蛍光管を土産に携えていた。

 大きな燐鉱脈が手近に見つかっていない今、手軽な火口は火打ち石と雷汞で回転ヤスリと練り出しの火打ち石の組み合わせは貴重なはずだったが、卸しているところがヴィンゼの雑貨屋では訴求力が小さすぎるらしく、いつまでも捌けていないオイルライターをあわせて千ばかり配ると、鉱山主は子供のようにカチカチジャリジャリとしばらく手の中の火遊びをしていた。

 蛍光管に水銀を封じ込めた輪は冬越しの祭りで屋台に並べようと思っていたものだった。

 大人の男が腕輪にするには窮屈であまり大きなものではなかったが、中の水銀が転がることでホタルほどのほのかな灯りを放った。

 帯電による自己発光性のあるそれは明かりを求めている人々には物足りなくはあっても手軽な光源だった。

 もともと子供向けの祭りのオモチャとして作られた蛍光管は小さな呼子とともに鉱夫たちのお守りとして後に各地で大きく普及することになる。

 ロンパル卿にとっては、鉄道事業と連結させたフラムの産業活性化は一大事だったから、ローゼンヘン館の見学に応じてくれた鉱山主たちの多くが、将来の展望に様々な好印象を受けたようであることはひとまず安心材料だった。

 幾らかは他人が自分の山裾に入ることをも嫌うような人物であったが、そう云う人々であっても錬金術師と云うにはあまりに世俗的なゲリエ卿と浮世離れしたローゼンヘン館の有様に毒気を抜かれていた。

 訪れたのはフラムの主だった鉱山主の四割ほどでまだ倍ほどもいるが、そこはまた別の機会を作ればいいことだった。

 ロンパル卿がわざわざローゼンヘン館を訪れたのにはもう一つ目的があった。

 おそらく前線が求めてくる捕虜収容の扱いについてどうするかという話題だった。

 移送の経路は現状、陸路か軍都からエルベ川を経由して海路かの二つが考えられる。

 鉄道が完成していれば一も二もなく、それを使うわけだが現状においてはそれは有り得ない。ロンパル卿の提案はいずれ各州に押し付けられるだろう捕虜ならば、機先を制してより価値の有りそうな人物を今のうちに抑えてしまうのが良いのではないか、という計画の是非を求めていた。

 計画は貨物機関車による人員輸送を前提としていて、それがない場合、軍都の東側への秣の手当が極めて厳しい状況であるという。

 値が上がっているというよりも軍が優先的に掻き集めていて、行商人も往来に苦労している有様らしい。イズール山地は緑豊かな土地なので行商の馬が行き倒れるということはないだろうが、青草ばかりでは馬も力が出ない。

 捕虜の人別はやっているのか、というマジンの質問にロンパル議員はニヤリと笑って、警察軍を預かっているのはキミもよく知っている人物だ、と答えた。

 現地の治安は物流の悪化とともに困難が増している、という報告が気になって私信をマイルズ軍監卿に送ったところ、マイルズ卿からの提案があったという。

 捕虜からの聞き取りでは、帝国は謂わば不穏地域の口減らしを兼ねた形で新天地の入植をおこなったという。

 それは地域を殆ど空にするほどに徹底したもので、下々としては嫌も応もない有様だったらしい。

 他に一攫千金を目指すはぐれものと半々で開拓村をなし、名ばかりのどこだかの貴族様の何男坊だかという御仁が幾人かのご家来衆とともにやってきて、新しい村でございと始めたところで共和国の反攻が始まったという。

 今のうちならば、名のある貴族と称する人物をより抜くことや、悪くても銃殺にした方がいいような連中をまとめて引き取るような面倒は避けられる、とロンパルは語った。

 マシな連中なら数百人か千人かというところで農場をさせること自体は面倒が少なく、土地を何かで囲うとか見張りを立てるにしてもそういうものを二三十も作ること二万程度を引き取ること自体は難しくなかろうとマイルズ卿は述べていた。

 帝国の文物が優れていることは共和国でも多くの商人が認めるところだったから、帝国の貴族なる者達へのそこはかとない憧れも含まれている。

「つまり使えそうな人材を引き上げてしまおうという話ですか」

 帰路の列車のサロンは狭くもなかったが、かなりの賑わいを見せていた。

「そこまで露骨に選別をする気はないが、他州の機先を制した早いうちならそういう判断もしやすい、ということは云える」

 ロンパルはオイルライターの火の強さに苦労し、火にパイプをかざしながら言った。

 仮に働かせるとして山の中よりは農場の方が管理が容易いはずだった。よほどのクズばかりであれば、山に押し込めておくというのも手ではあるが、一旦山に押し込むと外に出すのが難しくなるというのが鉱山組合をまとめている者としてのロンパル卿の意見である。それにどうやって管理しても鉱山では人別が難しくなる。穴が深くなればなるほどそういう傾向が強くなる。安い労働力として使われている場合はとくにそうだった。

 州の実情としては未耕作未開拓の土地そのものは河川流域沿いに広く、人里離れた土地という選択をしても或いは将来更に倍して受け入れを求められても受け入れそのものは可能だった。もちろん住民と混交した場合には面倒が起こりかねないから、警備そのものは必要だが、神経質になる必要はないだろう、とロンパルは比較的気楽に言った。

 面倒なのは用地の割当よりも、人別と移送の手当で言葉の壁などもあり、そのまま働かせるわけにもいかないという点だった。

 言葉の壁というか、方言の壁のようなものが共和国と帝国の間にはあって、同じ名詞が全く異なるものを指したりしていた。

 帝国には文法形態の異なる上位語と呼ぶべき言葉が一般標準語とは別に存在していて、四方諸族を征服統一する過程で生まれた標準語とは全く別に存在していた。

 共和国は様々な来歴で帝国からの離脱者の影響を受けていたから、言語的文化的な近縁はあったが、特に往来が盛んというわけではなかったから、独自の文化が花開いていた。

「そのためにウチの貨物車が必要だと。その件は前に一旦お断りしたはずです。お見せしたように貨物車の生産は一時停止しています。車輪の消耗が激しく軍から少々法外な要求も来ています。来年中には手当をしますが、見積もりが落ち着くまで貨物車の販売は控えるつもりです」

 マジンの言葉にロンパルは目だけ向けた。

 ギゼンヌの広域兵站聯隊は車体の防弾性能と機関銃火力をいいことに、かなり強引に友軍への物資補給をおこなっているらしく、車輪の大規模な集積を求めていた。

 旧式の銃弾であればともかく、機関小銃の小口径銃弾でも当たりどころでは致命的だし、奪われているかわからないが被筒付き銃弾であれば十分に危険がある。ましてや大砲で狙われていれば、動けなくなっても全く不思議はない。

 追加の納入を入れてもたかだか六十両の輸送車に二千本の車輪というのは予備まで全部入れ替えて余らせてやろうかという本数でなにがあったのかと疑わせる数だった。

 おかげで年内の貨物輸送車の生産を手控えて、予備部品の確保をおこなうことになった。

「別に何万という数をいっぺんに運ぶ必要はない。他所から横槍の入らないうちに、話の分かりそうな帝国貴族や使えそうな連中をまとめて引き上げられればそれでいい。十両か二十両かというところで十分だし、永遠に使わせてくれという話でもない。残りはキミが前に言ったように奴隷商にでも運ばせればいい」

 ロンパルは紙切れを紙縒り、ライターから火を移すとパイプに投げ入れるようにして火を移しふかした。

「そんなことをして問題になりませんか」

「無論、元老院では諮る必要があるし、大議会でも諮る必要がある。尤も元老院が通るなら大議会の方は問題にならないはずだ。知っての通り夏には既に報告が上がっていて、軍の方でも音を上げている。デカートでも公定価格では馬匹の調達が滞り始めた。軍に仔馬の引取はないかと確認をするところもあるらしいよ」

 ロンパルはあくまで気楽そうに言った。

「具体的にどこに居着かせるとかは考えてらっしゃいますか」

 少し不安な思いを胸にマジンは尋ねた。

 ロンパルは窓の外の闇に映るマジンの顔をパイプの吸口で指した。

「簡単に思いつくのは、君の作ったこの鉄道沿線だ。如何にも逃げ出しにくい人里離れた土地だ。鉄道というものの意味を私が間違えていないなら、管理側の負担はかなり小さくできる。線路から二十リーグも離れてしまえば、馬が居ても逃げ出すことは難しかろう。駅周辺の警備は多少考える必要があるが、まぁその程度だろう。あとは、軍の兵站基地になっている駐屯地のあたりだな。そういう厳しい場所とは別にもう少し人里近いところで宣撫目的の収容所を設ければいいだろう。帝国貴族ともなれば、あちらの流行りの話を聞いてみたいという元老も多い。二千かそこらは元老が引き取ることになる」

 やはり、と思わざるを得ない答だった。

「警備はどう考えていますか」

「軍に後備を回してもらう。聯隊規模での駐留を軍はかねがね望んでいるわけだから、それに応じた人員を回してもらう。どういうわけか、軍の連絡室には中佐が宛てられているが、まぁそれはいい。何千だか兵隊がいるなら、四五百も警備に回してもらってもバチは当たるまい」

 ロンパルは細かいところは詰められないことを承知しているように言った。

「そうするとボクの仕事は施設の下割りと設備提案というところですか」

 マジンが確認するように言うとロンパルは頷いた。

「そうなる。電灯照明と工事用の機材くらいは欲しいだろう。脱走を懸念するなら深い堀が欲しいところだ。地下壕での脱出くらいは備えて見せなくてはなるまい」

 ロンパルはそう言うと月内に動議と議決を得て、来月には大議会での動議を発し、年内に実績を作りたい意向を示した。

 この分では来年にも軍の要請がおこり、軍主導での捕虜送致の割当が行われ、そうなると選別もなにもおこないようがなくなってしまうということだった。

「ところで、ローゼンヘン館に百人ほども賊徒が住み着いていた事件は覚えてらっしゃいますか。町の者達の言葉ではどこかからの流れ者の一群だということですが」

「ん。ああ。君が居を得ることになった事件の一端だね。覚えているといえば覚えているが、終わった話だと思っていた。それがどういうことになると思っているのかね」

「あの続きが突然始まることになるのではないかと危惧しています」

 ロンパルは少し居住まいを糺すようにして、パイプを口から離して椅子に座り直した。

「どういうことかね」

「あのときの頭目の一人は、共和国軍からの組織だった離脱者のひとりだと聞いています。当然に他にも仲間がいるものとボクは考えています」

「ん。ああ。言われてみれば、そういう話もあったかな。君のところが兵廠になったのはこの一年余りのうちのことだが、それらしい動きがなにかあったのかね。不審な武器の大量注文であるとか、脅迫状や何かの申し出のようなものがあったりとか」

 ロンパルは少し考えを巡らせて、若者の話に耳を傾けることにしてみた。

「正直なところ、この春から名前も知らない土地や商会からの引き合いが殺到しています。多すぎるのと面倒を嫌って、全てお断りしていますが、ウチを訪れる隊商でもやはり引き合いが多いようで、コソ泥まがいの連中が我が家を訪れて来ることも少なくありません」

「実際に盗まれているかね」

「今のところはまだ。ただ、数年のうちには軍でも或いはウチからも盗まれることは避けられないでしょう。日常的に扱われるものですから、ちょっとした緩みで扱いに隙ができれば」

「すると今のところは、君の危惧を裏付ける兆候はないということかね」

 少し拍子抜けしたようにロンパルは言った。

「今のところは」

 ロンパルはマジンの言葉に安堵したが、マジンの表情が変わらないことに自身も改めた。

「つまりは、武器の保管庫と収容所が鉄道で一直線に結ばれることに危惧を抱いているということかね」

「そう単純な話ではありません。この荒野の北側は正直ボク自身も測量をしたことがない土地です。線路の南側でさえ川沿いから少し入った土地に亜人の集落があったことも、つい去年までは考えもしませんでした。うちの裏山の北側はちょっと巡ったことがありますが、自分の地所でさえなにがあるのか、というのも怪しい状況で、渡りの亜人の一党がいたかもしれないという有様です。千人ほどの賊徒が湧いたとして不思議はありませんし、それが十万百万でも同じことです」

 ロンパルは若者の危惧を鼻で笑う代わりに、黙考するようにパイプを咥えた。

「それで、キミはどうする必要があると考えているのかね」

「北側の国境がない以上、最低限収容所の北側半径十リーグを監視できる体制が必要だと思います」

「どの程度の」

「監視所を百か二百置いて軍勢に不意に襲われることがないようにしないと、収容者をまとめて連れ去られても言い訳ができないと思います」

 ロンパルは少し驚いたような顔をした。

「千か二千を常時。交代の兵を考えれば、聯隊を置いておけということか」

「百人で一党の一派であると考えるなら、目的があるなら数百から千はふらりと現れてもおかしくない数かと」

「そんなに来るかね」

「共和国に敵したいと考えるなら、人手と武器は必要でしょう。うちのそばの収容所となれば、ボクもそれなりにモノは出すことになりますし、そうなれば相応の物が奪われることになります」

「だが、機関小銃で武装して守るとなれば、そうそう負けはすまい。少なくとも前線の報告ではそう読める」

「身動きがとれない軍勢はどれほどの武装があっても、すり潰され抜かれてしまいます。収容者を端から全て殺すつもりであればまた別の判断もありましょうが、そうでなければ数の上で圧倒的に不利です」

 ロンパルはマジンの言葉を一旦飲み込むように吸口を咥えた。

「キミはこの辺りに収容所を置くことは反対だということかね」

「十分な規模の警備の兵を置いていただけるなら反対はしません。予備の兵がいるなら五倍の軍勢でも押しとどめることはできるはずですから」

「しかし、住民よりも大きな規模の軍の駐留は拒否する建前になっている」

「鉄道を私の家と考えていただけるなら、三千近い住民がいることになっています」

 ロンパルはその言葉を聞いて、鼻で笑うように煙を吹き出した。

「それは面白い考え方だが、元老院でそれを持ち出すのはやめたほうがいい。だが、確かに辺りの様子が分からないところに、共和国から預かった捕虜を置いておく無責任は辞めたほうが良さそうだな。鉄道の南側はどうかね」

 マジンはロンパルの言葉に眉をひそめた。

「鉄道を柵のように捉えるのは辞めていただきたいところですが」

「だが、いずれ駅馬車強盗のような者共は出てくると予想はしているだろう」

 ロンパルは薄く意地悪く笑うように言った。

「それは。止むを得ないところでしょう。端から予想された鉄道の弱点です」

「予想されたことならいくつか対処も予定しているわけだね」

 ロンパルは確認するように言った。

「それはまぁ、もちろんですが。十分な対処は難しいところです」

「どんな備えでも限界はある。だが備えを組み合わせることである程度効果を高めることはできるはずだ」

「私兵を持つことを公に許していただけるなら、ある程度は」

 マジンはロンパルを伺うように言った。

「なるほど」

 ロンパルは軽く相槌を打ってマジンを促した。

「元々線路の経路に広く土地を抑えているのは経路の接続と工事を容易にするためですが、周辺との諍いを回避するためです」

 ロンパルはマジンの説明に頷いた。

「キミの言っている諍いというのは、主に鉄道強盗との銃火を交えた戦闘だね」

「まぁそうです。まだ公にしていませんが、武装した列車や兵を迅速に乗り降りするような貨車についても設計は準備していますし、長距離便には線路の応急機材についても積みこむ予定です」

「線路を堤にしているのもそういう理由かね」

「まぁそうです。見た目なにもなく人の往来を妨げると却って面倒が多いので、堤にしてところどころ隧道を設けてくぐってもらっています。ヴィンゼでは堤というよりはちょっとした壁のような建物になっていますが」

 ロンパルは何かに納得したように頷いた。

「兵はどれくらい載せるつもりかね」

「百人は要らないだろうと思っていますが、五十かそこらは。もし列車を襲うとすれば乗客の中にも手引するものがいるはずですから」

「それを走らせている数の分ということかね」

「他に主要駅にも予備が必要でしょう」

 ロンパルはパイプを苦そうに見つめた。

「どれくらいの兵になると考えているのかね。とりあえずデカート州内で」

「当初は二三千。工員や案内係も兼ねることになりますが、武装は相応に。州の外に出ることになり、共和国全土ということでは数万規模に」

 ロンパルはカナリアガラスの灰皿をかかえるようにして、パイプの中身を突き崩し始めた。

「必要は想像がつくが、しばらくは余り具体的な内容を口外しない方がいい。車輌の武装も目立たない形にしておきたまえ」

「ですが、いずれ必要になるものです」

「私有地内の銃器の使用は権利者の判断に委ねられている。だが、死傷事件が予想されるともなれば予め司法の手が、直接の司法権を持つ判事か、それに準じた逮捕権を持つ保安官の配置が必要になる。一般に保安官の割当人数は住民五百人にひとりだ。無論、元老たる我々には治安司法の責任があるから保安官として振る舞うことももちろんできる。だがその場への立会いが求められる」

 マイルズ老人が保安官として振る舞う根拠でもあった。

「乗客は住民と見做せませんか」

「その辺は司法局と相談したほうがいいな。先に必要があって警護の人員を配置するにしても、司法と図った実績があったほうがいい。私兵なぞ好む司法行政がいるわけもないが、駅馬車が乗客に武装を促すような土地時世であれば、武装そのものを咎められることはないだろう。あまり口外することではないが、私もそういう役分で幾人か抱えていないわけではない。だが、事件の顛末と責任を求めることは当然にありえる」

 現実としてデカートで駅馬車が襲われることは殆どないが、護衛のない行商人の馬車が狙われることは皆無ではない。また命や財産をとられることはなくとも、街道に関を設けて私税をせしめようという無頼は多かった。カノピック大橋の上げ下げもそういった者達に使われることになった。

「たとえば、私有地内の財産が破壊されたとなれば、話が変わるはずでは」

「無法な立ち入りであることは理解されやすくなるな」

「ならば、線路の外側に柵を設けましょう」

 土地が広い割に奇妙にせせこましい共和国の鉄道線路のレイアウトは概ねデカートの司法対策として始まった。

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