デカート市況 共和国協定千四百三十九年

 軍都からデカートまでの街道と称される往還路の殆ど、或いは共和国全土にある街道と称されるモノは轍の付いた荒野にすぎない。

 実際に軍の輜重隊の殆どの行李が破壊されるのは、銃火砲火という戦闘ではなく、街道の地形天候による振動であったり泥濘であったりという、道の不備或いは御者の不注意によるものであった。

 一方的に不注意と決めつけるのもおかしなものと兵站本部でも話題になってはいたが、軍の管理の上で誰かの名前で責任を作らなければならないならば、それは御者か隊長ということになる。責任に応じて職掌と給与が支払われるべし、という共和国協定において、実績ある御者の俸給は士官参謀よりもときに倍ほども多いときもある。そして実績ある御者は士官と同じように俸給を多少自弁融通して経路で起こるいくらかに余計に備える。自分の信用できる幾人かを助手として雇ったり輜重兵として推薦したりもする。だが、そういう備えをする慎重な御者であっても必ずしも行李車を失わないというわけではない。

 隊の規模や道程或いは輸送物資の内容によっても異なるが、百リーグ行李を動かせば概ね二割が何らかの理由で壊れる。直せば直せるがそれだけの余裕がないことも多く、経験的には一割から二割かそこらの行李が未必の必然として失われる。

 運ぶ手段の失われた荷もまた必然として道行で失われる。

 当然に行李の積荷は運ぶべき荷の他の様々の含まれているから、行李を失うことが荷を失うことではなかったが、結果として必然として時間と共に失われる荷も多くある。

 行李とはそういうものだった。

 鉄道が画期的だったのは、車が壊れない道を造る、という事業的な側面があったことで鉄道の堰堤を造るために沿線に添って走っている保線路は全く酷くなめらかに作られていた。

 それは街道とは全く異なる経路でときに突然なくなってしまうものではあったけれど、馬車で走る上でよく均された道というものがどういうものかを思い起こさせるものだった。

 アスファルトで砂利を固めた道というものが馬の蹄鉄にとって石畳とどっちが悪いかという音を立ててはいたが、車の転がりを考えるなら均された道のほうが良いのは断然明らかで、軍の輜重はわざわざ遠回りをして鉄道沿線の保線路をデカート市街や港までの道に選ぶことも多かった。ことに荷物が多い時には最初に多少の苦労をしても鉄道沿いまで出るようになったし、鉄道用の鉄橋を行李で越えようとする不心得者の事故が出たところで、軍でも輜重基地から直接補線路につながる自前の橋と道をつけるほどになっていた。

 二つの港を目指して朝晩二回づつ走る軍用列車は軍の輜重にとっては僅かな休息を保証するもので馬や行李の消耗を考えに入れずに秣やら石炭やら食料やらという日々必要な物資を届けてくれるものではあったけれど、軍都までの四百リーグを超える大雑把に五百リーグといったほうがいい道程の中では僅かな百リーグ足らずだった。

 ヴィンゼとデカートの間の道程は多少の物盗りもあり稀に飢えた獣の群れも出て、人里離れる旅支度が疎かなときには危険な地だったが、激しい雨が馬の腰まで沈める沼地を作ることも炎のように生い茂る植物が地形や景観を変えることもない、共和国全体の中ではひどく穏やかな街道であるとさえ言えた。

 デカートを抜け、川の対岸にあるデカート新港を目指すためにカノピック大橋の下流を跨ぐように新たにつけられたダスマタギ鉄橋は、デカートの外側環状線の更に外側をめぐる丘陵地ダスマタギの水門につけられていた。

 鉄橋は鉄道線の下を人や馬車が往来できるように作られていて、土地としては不便もあり道としても遠回りだったが、道は滑らかで固く確実であったことから軍は好んで往来に使った。

 デカートの天蓋から南西に二リーグ半あまり高さ八百キュビットのダスマタギの水門は、デカートを囲う丘陵盆地のザブバル川の出口で、対岸それぞれの頂上部に切り立った特徴的な地形が市街から見え、水門と称されているがそれぞれの峰の頂は三千キュビット程も離れていて、それぞれの頂の川側は急峻ではあるものの現地を訪れてみれば渓谷と云うには広く薄く物足りない地形である。

 土地は山の幸になる獣や草木も多く、狩人や狩猟を嗜む者達が山に分け入り折々には山菜果実やキノコを求めた人々も足を向けるが、道らしい道もなく水の便も悪く畑や人家は麓にあるばかりで市街から見えはするものの人里離れたという土地でもある。

 その水門の丘陵中腹を繋ぐように道が開かれ鉄道の鉄橋が繋がれた。

 多くの旅人にとってはデカートへの立ち寄りが難しくなる道だったが、逆に言えばデカートの町中を避けられるということでもあり、道そのものがなめらかで夜の間は保線区の明かりがポツポツと灯り迷う心配もなく、デカートを発つ商隊や軍基地からの輜重の多くはこの道を好むようになった。

 軍基地からはただ道沿いに黒い甲獣の皮のような道に沿って歩いてゆくと、デカートの人混みを避けたまま環状線の保線区を経由してデカートの天蓋外縁を北側から南側東側のそれぞれの街道に出られることが大きかった。

 また最近カノピック大橋が見世物のように恣意的に上げ下げされていることもあり、評判が悪いこともあって、特徴もない長いダラダラとした坂を登らせたり下ろしたりのほうがまだ時間が読めるとこちらを使う者たちも増えていた。

 他にも鉄橋からの絶景を眺めるために人々が訪れ、橋の左右は路上には道行く人を当て込んだような商売が見られた。鉄道の周辺二千キュビットは鉄道の私有地で建物を立てることは禁止されて見つけ次第撤去をされてはいたが、車を引いての屋台などは保線区の往来舗装面にはみ出さないかぎり目に余らないかぎりは大目に見られてもいた。元来機関車向けに作られた上り下りでそれぞれおよそ一リーグ半ほどの坂道は途中で幾度か茶屋が欲しくなるくらいには急峻でもあったし、実態そういうものがなければ危険なくらいに人々の往来が集まっていた。

 デカート州の外は相変わらず機械化とは縁の薄い様子ではあったが、デカート新港からヴァルタへの鉄道線の建設が始まったり、ソイルの港の外れを経由して田園を迂回するようにフラムに向かったりとデカートの鉄道建設そのものは次の段階を迎えて加速していた。

 ソイルでもフラムでも、鉄道建設以前は鉄道の土地の買収を無闇に警戒する様子があって、計画の説明に訪れた職員が暴力沙汰寸前で逃げ帰るような始末もあったが、今となっては頭を土間に擦り付けて経路を考えなおして欲しいという地主も現れる始末だった。

 フラムの経路は鉱毒が問題になっている山地を通過することもあり、道の付け替えも考えないではなかったが、工事の天候を選ぶことと工員の装具装備を徹底することで対応できるとして、今のところローゼンヘン工業では当初の計画通りおこなうことになっている。

 既に密かにとは言えなくなっていたが、マシオンまでの鉄道建設も既に始まっていた。


 デカート州は戦争からこちら強力に兵站を支えてくれている、という認識は大本営に務める軍人たちの心象としてはあったが、反面で兵站本部に務める軍人であるマルコニー中佐にとってさえ、デカートは機関小銃と機関車の町という程度のぼんやりとした認識でしかなかった。

 町中を案内された妻がソイルまで半日で行けると聞きつけ、夜中を徹して走る夜行列車という物があって、旅籠のような車内泊ができるらしいと興奮して手に入れてきた綺麗な印刷物を見せてきた。

 そもそもこういった印刷物を自由に読める宿の灯りというものを特段の意識なく提供されていることこそが、デカートの今の豊かさだとマルコニー中佐も思い至らないわけではなかったが、何をどう見て歩いたのか町中には妻が喜ぶようなものがもっとたくさんあったらしい。

 マルコニー中佐はとくに用事があったわけではなかったが、鉄道を使ってみることにした。

 物見遊山の興味の旅と言われるのは心外だったが、そういった内心を否定するほどにマルコニー中佐は未熟というわけでもなかった。

 鉄道がどれほどのものか確かめてやろうと云う思いがなかったわけではないが、三年だか五年だかで軍都を目指して伸ばしているというモノが本当はどんなものであるのかと確認する必要を感じていた。

 とりあえず、明後日改めて人に会った後で計画を建てよう、と夫人エマリアと約束をして翌日夫人とともにデカート市内を散策した。

 名目上はあくまで市況調査ということであったから、昨日夫人の案内をしてくれた従兵のミマエ兵長が主計と警護を兼ねてつけられた。

 デカートは確かに特徴の無い豊かさを誇る街だった。

 強いて欠けているものを探せば、軍隊であろうと思えたが、警務隊のようなものはやはりこの町にもあり、黒塗りの厳しい馬車とともに幾人かの制服を着た男たちが町中を巡回していた。

 腰に拳銃を挿し、刺又とでも云うべきか刃のない長鉾であるトータリをもった彼らは厳しくもあったが、一方でとくに武張った乱暴を働くでもなく街の風景に溶け込んでいた。七キュビット程もあるトータリは戦場では明らかに短すぎるが、ほとんどの拳銃騒ぎが十キュビット前後で起こることを考えればそれを鎮圧するための獲物であるに違いなかった。

 とは言え、男性の衛士が引きずらずに持てば七キュビットも超えることになり、騎乗したまま通れるところ以外の屋内や通用で使うにはほとんど全てで何らかの技術が必要になり、戦争の技術としての槍はもはや騎兵ですら疑いの目で見られている有様でいかにも時代遅れに感じられもした。

 戦況を逆転させたほどの数の機関小銃を産している土地にしては、武装が木槍というのもどうかと思ったが、町中の物盗りを問答無用で射殺して、町並みに流れ弾を浴びせるのでは衛士の意味もないかとマルコニー中佐は一人思い直した。

 もはやデカートの風景の一部になっている電線電柱の高さは、トータリの長さを参考にすれば十五キュビットほどでてっぺんの少し下の横木の上に時たま昨日見た鉄の樽のような機械――大きさと形が少し違うようにも見えた――が、ポツポツと見えた。

 小さく傘をさしたような街灯はエマリアにはおしゃれな贅沢のように思えたらしく二階屋を跨ぐような高さの電線は普通に歩いている分には邪魔とも思えなかったが、植木とか運ぶときには邪魔でしょうね、と要らぬ心配を彼女はしてみせた。とは言え十キュビット超えるような高さの木はもはや苗とはいえず、そこまで育ったものを動かしてみせるのはなにをどうやっても難事業であるから、というマルコニー中佐の言葉に妻はいちいち感心した。

 町中には自転車と称する骨組みばかりが目立つ薄っぺらい軽快そうな乗り物が、馬の速さを追い抜いて幾両も走っていた。エミリアは昨日のうちに自転車を扱っている商店を何件か見つけていて、旅の終わりに買って帰ってもいいかしらなどと口にしていた。

 面白がりではあるが財布の紐の手堅さに関しては自慢するのも面映ゆい妻だったので、額面はそこまで張るものではないらしい。

 彼女は軍の連絡室に幾両かの備品があることも聞きあてていて、そちらは少し高級品であるという。

 話を聞けば車輪車軸の出来が違うのだという。細かいところで色々違いがあるということだったが結局彼女が理解できたのは、車輪がなにやら機関車と同じもので出来ていて酷く軽く作られているというところだった。

 町並みの流れの中に偶に目に入る自転車とやらを注目してみると、なるほど骨ばったもののの中に車輪までも透けるほどに細いものとそうでないものとがいることがわかる。

 どれほど異なるのか、という問いの答えは町並みをゆく自転車の動きを見ていればそれとわかるほどに異なっていた。

 一方でデカートの市街でも機関車が無闇に走っているという印象はなかった。

 無闇にという意味では、軍都のほうが如何にも危なげな常軌を逸した軽機関車が走っていて、各級の問題として対策が始まっていたが、デカートでは電話網が整備され機関車を必要とするような伝令が自転車と電話で事が足りているらしい。主に高そうな自転車で走っているのが、商会預かりの伝令使で物が小さいだけに場合によっては馬より早い、ということだった。

 自転車がどれほどいるのかという話は、流石にミマエ兵長も把握はしていなかったが、町中の印象では馬車より多く、おそらくは二万前後ではないかということだった。

 その印象が正しければ、デカートの市民の二割ほどは自転車を所有しているということになる。

 そういう曖昧な印象とは別に、デカートの連絡室の人員も若手と自称する兵士官の殆どは私物の自転車を購入していた。中にはいずれ家を買うつもりで貯めていた金を切り崩して「本物の」と称される安全自転車を買ったり、あるいはローゼンヘン工業が流通させている自転車用の部品を安物に組み込んだりということをおこなっている者もいる。

 デカート市街をまたぐ数リーグという平地の町中の移動であれば自転車はたとえ安物であっても無類の力を発揮して、馬やときに機関車よりも危険少なく早く目的地に達することができた。

 体力に余裕があれば、連絡室から五リーグ少々離れた駐屯地までの往復くらいはわけなくこなすことができたし、そのくらいの距離であれば前後の世話や厩舎への往復を考えれば、むしろ馬よりも早く駆け着けることができるということである。

 自転車はデカート市内の幾つかの工房で既に生産販売がされていて、それぞれに工夫に鎬を削っていたが、圧倒的な完成度で基準にして始祖と見做されているローゼンヘン工業製の自転車を乗り越えたと胸を張れるほどのものは登場していないのが事実であるという。

 とは言え、ローゼンヘン工業製の自転車は毎年三千両ほどが社員を優先に販売されるばかりで市場に流れるものは十分に多いというほどのことはなく、その一部が市外に流れているということで希少価値が付くほどに高価でもあったから、多少粗悪であっても、規格を合わせて部品で置き換えを効かせ、ローゼンヘン工業から一部補修用部品で取り寄せたり、という方法でデカートの自転車製造はひとつの盛りと試しの時を迎えていた。

 当然にローゼンヘン工業でも帳簿を追っているはずで、一部の部品ばかりが多く出荷されていることは把握しているはずだが、とくにそのことで何かを訴えることはしていなかった。

 自転車の性能の秘密のひとつでもある柔軟性の高いゴムタイヤはローゼンヘン工業でも市場に浴びせるほどには出荷ができないらしく、そこが割高の原因でもあったが、基本的な軸受けやチェーン・スプロケットの規格は構造上完成の域にあってこちらは潤沢であったから、多くの工房はローゼンヘン工業の動軸に自前の車台を組み、使う人の身長や用途に合わせた自転車に仕立てた特注製品を作り始めていた。

 そういう細かな作業が行えるようになったのも、ここ最近の工具の革命が大きく影響していた。

 どうやらミマエ兵長は自転車に相当に入れ込んでいて、エマリアはその年が離れた弟のような青年の熱意に絆されていたということであるらしい。

「細工なんて使えて動けばいいって思っていたんですが、自転車にのるようになって部品ひとつでぜんぜん違うって思い知りました。今更ですが靴の手入れが楽しく思えています」

 そうにこやかに話すミマエ兵長は、デカート市内の自転車工房の幾つかともう少し専門的な工作機械を扱う工房について、おそらく共和国内で目覚ましい成長を遂げている工房のひとつだろうと説明した。

 ローゼンヘン工業について尋ねると、アレはデカート市というよりはヴィンゼの更に外れの工房で全く例外的な怪物のようなもので、デカートの工房がその怪物に飲み込まれないように戦わないようにいずれ伍する力を蓄えるべく苦労しているところや、ローゼンヘン工業自身がデカートの産業を踏み潰さないように配慮していることがわかって、なおのことその具象である安全自転車という装置機構はわかりやすく面白いという説明だった。

 両者の配慮というか関係は、マルコニー中佐としてはひどく迂遠な考え方であるように感じられ、どういう敬意でそのような意見を結論したのかという点をミマエ兵長に質した。ミマエ兵長は、もともとその結論への展開は自分自身で考えたことではなく、兵長自身の私物の自転車の改造を介して仲良くなった工房主の考えであると告げた。

 それは一言で言えば、ローゼンヘン工業の成立と社主の出自がそうさせているのだろう、という内容だった。

 眼を見張るような速さでデカート市街の風景を変えたローゼンヘン工業であるが、賞金稼ぎとしてヴィンゼに流れ着いた錬金術を嗜む子供の手遊びとして始められた、という言葉にすればおかしさすら感じられるような来歴を以て説明される。その本拠の地所は広大だが発足時の工房の人頭は十名ほどであとは季節雇いだったらしい。各地にいくつもある天才に率いられた極小さな工房と言ってもよい。そのローゼンヘン工業は神や悪魔という異界の魔法と大差ない文物で人々を魅了しているが、世に出した物を人々が正しく物事を理解できるほどの時間馴染んでいない。そこでデカートの市井における最初の理解者として工芸品工業製品の知識と機構を通じて、デカート市街の地場の工房主たちを選んだのだろう。という説明であった。

 既に数千人という規模の社員を得た組織を小さいというのはどうかと思うが、その人数に至ったのは東部での戦争が劣勢明らかになってからという短期間でもあった。

 ミマエ兵長の知るところ、小銃製造と弾薬製造に関する限りデカートには目立った工房はないという言葉はマルコニー中佐にとっては首をひねるものだった。

 マルコニー中佐の知るところでは、ローゼンヘン工業は自らの輸送能力の限界どころか共和国軍の輸送能力でさえ油断すると破綻させるほどの生産力をほとんど瞬間的に発揮して、一年余りで前線の後備兵の殆どにまで新型機関小銃とその銃弾を満たせるほどの量を用意してみせた。

 そういう工房がデカートにそれらしい拠点を持っていないという事実はマルコニー中佐には今ひとつ理解できないことだった。

 ミマエ兵長が知るところでは、銃弾薬の生産はヴィンゼというデカートの北の町でおこなっているということで、兵長も興味を惹かれ鉄道開通の後にヴィンゼを訪れたことがあるが、うらぶれたパッとしない町でなぜこんなところに鉄道が走っているのだろうかというほど、鉄道駅ばかりが如何にも真新しく豪華に見えるような町であるという。

 ヴィンゼはとくになにがあるわけでもない開拓村で、鉄道基地のあるローゼンヘン工業のデカート支社や新港にある支社の方がよほど立派な街に見えるということだった。

 兵隊であるミマエ兵長がローゼンヘン工業がどこかと町で尋ねれば、ヴィンゼから道程で二十リーグ余りある北の山の麓の森の中だと答えられ流石にその時は諦めた。

 ただヴィンゼでも既に電灯と電話が当たり前に敷かれていて、田舎にしては夜中まで賑わっていたという。

 他にヴィンゼで目立った何かをミマエ兵長に尋ねてみると、眼鏡屋があったことを彼は思い出した。

 田舎だというのにひどく腕の良い眼鏡屋があるということで、鉄道に乗ってあちこちから足を向ける客がいるらしい。

 鉄道と電話で道程の距離が客足の抵抗にならないなら、田舎で商売をするというのは却って静かに集中できるのかもしれないとエマリアは想像を口にした。



 ローゼンヘン工業の手足はまだ軍都までは伸びていないが、全くあっさりとデカートまではその手足に収めてしまった。

 どうやら三年で軍都までその手足が伸びることはないようだが、昨日の話では五年内或いは遅くても七年内には軍都までは鉄道が延び、兵站殊に輜重と連絡に関する話題が激変するらしいということはミマエ兵長の案内で自転車の工房に来てみて感じた。

 様々なニスや焼付で色付けされた自転車は奇妙に精悍な作りで、職人の作にあるような用途と関係ないところにあるザラリとした砂地の肌触りが殆ど見当たらなかった。

 たとえばそれはよく切れるハサミの歯の内側と外側の鋼の色艶の違いや銃のシリンダーの銃弾側と火口側の違いのようなものを一つの視線の置き場にしていたマルコニー中佐にとって、品質を探る上でどこを見たらいいのかわからない製品だった。

 エマリアはどうやらマルコニー中佐が圧倒された光景には耐性があるらしく、色艶や軽そうな自転車に目を向けていて、時たま中佐が自分を見ているかを確かめていたが、マルコニー中佐の内心はデカートの今について自らの想像以上のことが起き始めているのではないかと考え始めていた。

「機関車工房というのもデカートにはあるのかね」

 たまらなくなったマルコニー中佐は自転車工房の工員に尋ねてみた。

「ああ、修理をやっているところならありますね。結構丈夫なものみたいですけど、それでもやっぱり人が作って人が使うものですからね。どうしても無茶すると壊れるみたいです」

「近くにあるかね」

 自慢気に語る工員を無視してマルコニー中佐は重ねて尋ねた。

「すぐ裏手ってわけじゃないですが、そう遠くないところに一軒ありますよ」

 まだしばらく自転車を眺めているというエマリアをミマエ兵長に任せて、マルコニー中佐は機関車工房に足を向けることにした。

 セリカ機関車という看板は割とすぐに見つかった。表には大小様々な機関車が並び、馬車の車台に軽機関車用の機関を組み込んだものも正札がついて展示されていた。

 或いはもう少し小さな片手でぶら下げられそうな大きさの機関を組み込んだ自転車や、これも自転車かと思うような肉感に溢れた大きな甲虫の鎧をまとった岩山羊か玄関先の守護獣の像のような大きさと精悍な印象の乗り物も展示されていた。

 ローゼンヘン工業の新作である自動二輪車というものであるらしい。

 ちょっと工房の中を覗いてみると数両の機関車が様々に整備を待っている様子だった。

 青い火花のようなものが工房内を照らしていた。

 軍服姿のマルコニー中佐がカネを落とす客でないことはすぐに分かったようだったが、休憩がてらの雑談をするくらいはわけもなかった様子で、工房の主というマルコニー中佐と同輩か少し年下の工房主は腰を伸ばしながらマルコニー中佐が差し出した細巻きに手を伸ばした。

 先ほどの青い光の下について話を聞いてみると放電溶接機というものらしい。

 大雑把に言えば小さなところに雷のような現象を起こして材料を高温にする機械ということだった。ろう付けと違って、材料の一部を溶かし互いの接合面を混ぜあわせるので、理屈の上では材料と同じ強度でくっつく。もちろん実技の実態としては話ほどそう簡単というわけではないが、電灯が普及したことで使われるようになった新しい工具である。

 なにを作っているのか、と尋ねてみると傷んで使わなくなった鍋釜を修理して工具に慣れているところだという。

 導入してからまだ三ヶ月ばかりの新しい機械で手習いの真っ最中であるという。

 修理待ちの機関車について尋ねてみると、部品を取り寄せ待ちということで、とくに遊んでいるわけではない。と鼻で笑うように返された。

 修理工房と言っても部品そのものを作ったり直したりということは殆ど無く、修理そのものは交換部品を組み付けて終わりであることが多い。

 車体の機能に直接関わりない小改造、荷物を掛けられるような鈎を増やしたり、車体の外装を交換したりというようなことを主におこなっている。

 ことデカートに限れば、部品を一から作ったり半端に治そうといじくりまわすよりはローゼンヘン工業に連絡をして、交換部品を買った方が安いし早いし確実だということだった。

 どのくらい待つのかと中佐が尋ねると、部品番号がわかれば営業時間中に電話で連絡を入れて、よくある部品なら二日で新港の支店に荷物が届いて、受け取りをどうするか確認の連絡が来るという。風防とか機関まるごととか或いは車台となると多少時間がかかるけれど、それでも十日かそこらで着くようになったと職人は説明した。

 未だに車輪の在庫は怪しくて新品のタイヤはひどく待たされることも多いけれど、以前に比べれば随分マシになっていた。

 放電溶接機が普及し始めるにつれて、ローゼンヘン工業の機械の材料が単なる鋼鉄ではなく中に芯材のようなものが仕込まれているらしく少々厄介なものが多い、ということがデカートの工房では知られるようになってきていた。

 単なる鉄のつもりで切り込んでいくと刃先が欠けたり、鋳融かしてみるといつまでたっても融けないということが幾度かあって、見掛けがどうでも油断ができないということは知られていたが、工具の機械化が進むにつれて、勘違いではなく意図的におこなわれていることが知られた。

 それとは別に、最近になってローゼンヘン工業が小型の圧縮熱機関を単品で販売し始めたので、それを自転車や荷車に組み込むことが流行り始めた。

 これは昨日今日始めたというよりは、機関車がデカートで珍しくなくなった時期からあちこちで試みられていたことで、工具や農具に組み込む動きと、乗り物として船や自転車と組み合わせる動きがでていた。

 冒険的な者達は自分たちで作った枠のような車台や船台に圧縮熱機関を組み込んで乗り物を作っていた。

 機関車の速度とその危険については、登場した時から眉をひそめるような事件も起きていて、良識ある人々はデカート市内での乗り入れを禁止すべしと訴えていたが、今のところ利便と物珍しさが勝って確たる何かが定まったわけではない。

 ローゼンヘン工業は以前から鋼線や鋼材の規格品を卸していて、新港支店が開かれるとそちらでも注文を受けていて、デカートの鉄鋼の利用はかなり自由になっていたが、放電溶接機が街場に登場したことで鉄を使った工作が大仰な鍛冶仕事からちょっと手の込んだ小間物細工にまで降りてきた。

 放電溶接機の扱いについてはいくつかの工房が既に失敗をして、人死や火事を出していて、町の良識ある人々と称する者達は雷の力を弄ぶな、と訴えていたが、鍛冶屋の主神は目は火の粉で焼かれ髪は炎で焦げて禿げ上がり膝は萎えという姿で、その父炎の神に至っては生まれた瞬間に母親を焼き殺すという有様だったから、町の良識とやらへの答えは、炎は最愛の敵、最悪の友という組合の銘で十分だった。

 組合も別段無策だったわけではなく、ローゼンヘン工業に使い方の講習会を希望して座学を含めた実習指導の機会を作ったりもしていた。

 多くの工房主にとって今更雁首揃えて学舎通いは気が進まないのも確かだったが、知らないわからないことは結局誰かに教わったほうが早い、と言うのも体験として確かで、一家をもった孫がいようかという工房主もそういう孫のような歳の頃の講師に小突かれないだけマシというような扱いを受けて学んでいた。

 放電溶接機の扱いは、実のところ鍛冶屋の細工に比べればとっかかり自体は遥かに容易で、ある程度に習熟が推めば、これまでの鍛冶屋の槌仕事とは全く別の素養が必要であることがわかった。それは一種、絵画や墨書にも似た素養を職人に求めることでもあって、四十五十六十の手習いとなったデカートの工房主にとっては文字通りの苦行でもあったが、一方で全く新しい境地に奮い立つ者も多かった。

 つまりそれはある程度の鉄材を、その場その場でつなぎ合わせ貼り合わせることが可能になる技術だったから、槌仕事を終えた製品を更につなぎ合わせ、ひとつの全く別の製品を作ることができるということでもあったし、その実例としてローゼンヘン工業は巨大な鉄橋をあれよあれよという間に組み上げてみせた。

 従来の手法で現場に鍛冶の炉を持ち込むだけでは到底追いつかない種類の仕事で、組み立てているまさにその場に炉が必要な種類の作業だった。

 もちろん巨大なカシメや噛合、相応に大きな鋲やそれを緩める炉という物も現場には出てきていて、それぞれに現場の見物や完成した後に橋を見に行った職人たちの心を鷲掴みにときめかせる物もあったが、なにをやっているのかなにを使っているのかわからない、これまでとは全く違う技術として放電溶接機が使われていた。

 腕が良い職人たちとはいえ、たかだか一年あまりで新しい技術が十分に身につくはずもなく、鉄橋工事での電気溶接の利用は補助的な用途に限られていた。

 路面の基礎をつくる金網の固定であったり、織り込んで鋲を止めた吊り綱のカシメの端を止めたりという割と地味で数が多く用意を増やすと面倒くさいが何もしない訳にはいかない種類の作業をおこなわせていた。

 大きく谷風にさらされる橋だったので鋲に掛かる力の向きが読みにくいところも多く、二つの鉄橋ではそういうところの追加的な加工処置が電気溶接でおこなわれていた。

 つまる所ローゼンヘン工業は僅かに一年遅れで新しい技術を晒してみせたということで、そのことは職人たちにとって重大な意味を含んでいた。

 ローゼンヘン工業の職人を出し抜ける可能性がある。

 デカートの地場の職人たちは新しい技術に取り組んだ。

 ローゼンヘン工業はデカートの工房のどれと比べても明らかに怪物じみたというよりも、もはや天災のようなもので比べたり抗ったりということもバカバカしいものではあったけれど、殊更に同業他社を締め出すようなこともしていなかった。

 それどころか機関車の修理工房として身を立てたいという者たちに、修理手引や卸売可能な部品発注目録などを送って寄越していた。それは無料というわけではもちろんなかったが、学者向けと徒弟向けの専門書籍の間のような内容で大小の機関車の工作を考えれば、明らかに安い値段だったので物は試しという程度の者たちも新しい工具を磨き整え直すつもりで手に入れた。

 セリカ機関車が機関車の販売と修理をおこないたい、と希望を送ってから鋭意準備中でございますというような生ぬるい返事が来たあと、三年ほど音沙汰がなかったのだが、去年ようやく機関車卸売販売修理を希望の皆様にという案内が届き、機関車生産規模拡大に向けての努力を行っていることと、その前準備として既に販売した機関車についての講習をおこなう予定があると示された。

 講習がおこなわれたのはその案内があってまた少しして春先の鉄道開通の後のことだった。鉄道に度肝を抜かれ、こんなものを作っていれば機関車どころではあるまいと奇妙な納得もしていた。

 そういう時期に新港の社屋で待望の修理整備に関わる講習がおこなわれた。

 件の一抱えもある量の教本についてもそのときに販売がおこなわれた。

 全日で五日間に渡る講習は猛烈に濃厚な内容で電灯照明をたよって夕刻遅くまでおこなわれるほどであったが、すべてを網羅するには時間が足りず参加者の理解も不足していた一種の知的な拷問であった。

 新作である自動二輪車の即売があわせておこなわれ、持ち込まれた八十両がその場で売れた。

 馬とソリを合わせたような乗り味の自動二輪車は、それまでの四輪の機関車とは明らかに異なっていて、自転車とも違っていてひどく独特の爽快感と危険があった。

 少なくとも鳥かごのような軽機関車と違い身を守るための装備は殆ど無く、二輪であるので支えがなければ自立も出来ない不完全な部分があったが、そこを乗り手が上手く導いてやるという楽しさがある乗り物だった。

 売れるかどうかは怪しいところもあるクセの強い機械だが、買えない値段ではなかったので店主が買ってきた、という。

 それではと独自の機関車の製造は尋ねてみると、単なる走る乗り物というだけならすでに幾両もあちこちで作られているが、どれも機関部や変速装置などは自前で作るに至っていない。という答だった。

 理由は幾つもあるが、決定的なのは燃料と材料である。

 という結論で、ローゼンヘン工業の講義のひとつの中心だった燃料についての注意とその理由が大きな問題だった。

 大豆油を燃料として推奨している理由や実際に多く起きている燃料との相性からの不点火やそれの頻発での機関の不調故障について説明があった。元々燃えやすい油として大豆油を推奨しているが産地や品質によって燃料としての質にばらつきが多く、添加剤を使うことでなんとか水準を維持しているが、それでも間に合わないことがある。

 圧縮熱機関は構造上空気を圧縮した際に起こる温度の上昇によって燃料を点火し、その燃焼による温度上昇で体積を膨張させ、圧縮の際の力を上回る力を動力として得ることで動力とする、という構造を持っているが、空気を圧縮するという構造と筒内の温度の急上昇の熱源にしている燃料が一斉に点火する爆発現象のために丈夫な構造が求められている。

 爆発現象そのものは、鉄砲や大砲がそうであるように大きな開口部とゆるい動作部があればそこから圧力は逃げてゆくので機械が十分に素直に軽く回ればそれほどに問題にならない。

 だが、点火のために空気温度を上げるときにはほぼ等しく圧力を必要とするので、機械の丈夫さは温度の上昇のために絶対必要なもので、それは燃料の品質と全体としての機械の出来との釣り合いによって求められる最低限がある。ということだった。

 つまり大豆油を燃料としている限り、機械の強度はある程度より落とすことは出来ないし、機関が想定設計された温度よりも高い発火点の燃料は使えない、そして気温や油の品質によって使えないこともあり、それを無理して使うと燃え残ったり或いは最初から燃えなかった油が機関の内外で故障の原因となる、ということだった。

 ローゼンヘン工業では燃料の問題についてはあるひとつの対策を打った。

 それは一種の回転ふいごで燃焼室内に空気を押しこむことで圧縮熱を確実に得るというものだった。小さな軽機関車ではまだ対策が取られていないが、より遅れて登場してきた乗用車や貨物車では加圧吸気を適時おこなうことで異常燃焼や燃焼不良に対応していた。

 だが、それ自体は燃焼気筒の強度の問題とは全く逆の方向の問題解決で、製造に際しての材料や構造強度の問題には寄与しない。

 十分丈夫な材料を見つけて来いという示唆ではあっても解決ではなかった。

 材料の発見と研究は既に工房の職人の力では到底及ばず、むしろ錬金術師というべき人々の活躍の分野であった。

 ローゼンヘン工業、というかゲリエマキシマジンの名をデカートで高めたのは冷凍庫建設だったわけだが、それ以前にストーン商会が出していた鉱山鉱石の格付けである鉱石鉱物組成内訳概目は鍛冶仕事をおこなう職人たちには材料手引のひとつだったし、ローゼンヘン工業が卸している地金や寸法売りしている材料は店頭では安くなかったが品質が間違いないことで人気の商品だった。

 事実上の錬金術師の工房としてローゼンヘン工業は見られていて、そうであるなら硝石の値段の乱高下を無視した様子で軍に大量の弾薬を納入していても不思議に当たらない、とデカートでは見られていた。

 その彼だか彼らだかが今は無理だと言っているものを、覆すことはなかなか難しいだろうという意見だった。

 そして、別の対策をローゼンヘン工業は打ってきた。

 より小型の汎用として単体販売されている圧縮熱機関はそれまでの機関に比べると印象で一回り重たく頑丈に作られていて出力も小さなものだったが、扱いそのものは多少楽で燃料添加剤がなくとも動くことが多かったし、これまでは燃料には不適とされていた油でも動くこともあった。

 それ単体ではただ軸が回転する騒がしいだけの機械であったが、つまりはほとんどの工房が求めていたものでもあって、まずはこれを飽きるまでいじる時間が必要だというわけだった。

 なにやら黄金のリンゴで追跡者を撒く話に似ている、とマルコニー中佐は思ったが、デカートで何が起こっているのかという話題としては面白く興味深いと思った。

 他に設備が据え付けで用途は限られるがもっと安くストーン商会が蒸気圧機関を販売していて、火と水の世話だけできるならそちらでも実はあらかたのことはおこなえるし、発電機を回すことにも成功していて鉄道計画も電灯電話の計画もないような土地に自前の電灯を提供する計画があるという。

 電話機を軍には売れないと言っていた者が電灯や発電機は売っていいのかとマルコニー中佐は内心不思議に思っていたが、マルコニー中佐もゲリエ氏も電灯については特段なにも口にしていなかった。

 昼夜なく明るいということは、昼夜なく仕事ができるということで、電話機が共和国全域を覆うような事になれば、兵站本部でも軍令本部でも四六時中作戦の現場との命令報告の連絡が飛ぶようになるわけで、伝令は要らなくなるかもしれないが、本部参謀の人員そのものは必要数が増すことになるだろうとマルコニー中佐は少しゾッとした。

 とは言え雑談としては十分に有意義な話を聞けたことに気を良くして、自転車工房に戻りかけた中佐の目に走るような速さでよろめきながら自転車にまたがっているエマリアの姿が見えた。

 自転車の試乗をおこなっているというエマリアは小娘のようにはしゃいでみせた。

 外出用の膨らみのないスカートの裾は自転車のあまり高くない金枠で巻き込まれない程度に支えられていたが、高く脛まで見せている姿は旅の恥としても少しはしゃぎ過ぎではないかと心配になるところだった。しかしデカートの市井の目はあまり咎め立てる様子ではなかった。せいぜいがお侠な奥様の仲睦まじい軍人夫妻の惚気を眺める程度の苦笑という雰囲気だった。

 エマリアは相当に自転車が気に入ったらしく、夫婦で二両買って帰ろうと提案してマルコニー中佐を苦笑させた。

 ふわふわしてよろけるものの、慣れればもっと機敏に走れるはず、というエマリアは確かに走っているくらいの速さではあったが、あまり漕いでいる様子ではなかった。

 早くなると怖いし、止まるときに気をつけてくださいと云われたのですぐ止まれるような速さで走っていたという。

 よろけるように走っていたエマリアは、徒歩のマルコニー中佐と同道するように走るとなおよろけるようになって、それくらいなら一気に走りきって返してきなさい、という中佐の言葉に逆らって妻は自転車を押して戻りの道を歩いた。

 なんだか活気があっていい街だ、とエマリアはデカートを気に入ったように言った。

 デカートの活気はそう荒々しい種類のものではなかったが、奇妙に雰囲気として感じられた。新しい商売や仕掛け文物が世に出ている町は一般にこういった活気に満ちているところがあって、奇妙に豪華な多色刷りのチラシだったり、町を走る自転車だったりと言ったものが、マルコニー中佐の来訪前のデカートのイメージである、機関銃と機関車の製造で沸く戦争特需の町、という雰囲気とは大いに異なっていることは認めざるを得なかった。

 特需、という言葉もどこか虚しい雰囲気で町には殆ど戦争の雰囲気はなく、むしろそれを覆い隠すような生活を一変させるような雪解けの春の嵐のような出来事が起きているように感じた。

 エマリアにそういう感想を尋ねると、彼女は軽く首をひねってから、これも明らかに戦争特需だと答えた。

 軍都でも程度が違えど割りと似たようなことがあって、戦争のために物資が大量に流れてくることがあると、軍都ではひどく高価な生鮮食品などが一気に値崩れすることが多いという。

 軍需品を動かすために大勢の人馬が動き膨大な糞便が排泄され、町が糞便に押しつぶされないように運び出される、それが周辺の農家の土を肥やし農家の開墾や野菜の出来を押し上げ、物流に乗って軍都にやってくる。

 軍都周辺は農地としては今ひとつ枯れた土地が多く、農家としては不遇だが彼らは膨大な人糞畜糞を定期的に船で買い付けて船ごと腐らせ肥やしの出来の目安にしているという。

 だいたい三年か五年はかかるらしいが、ともかくそうやって軍都が排泄物で埋まらないように貢献しつつ自分の農地を増やしている。

 ここしばらくで新鮮な野菜、蕪や人参という根菜ばかりでなく、ほうれん草やキャベツなどといった葉物の野菜まで随分値が下がってきて、理由を聞くと軍馬の飼葉が戦争のために随分と良くなって野菜くずや油かすが減って、割り豆やちょっと贅沢だと豆モヤシを与えている厩舎が増えているという。

 ともかくも人畜の汚穢が軍都を埋めないように軍が協力を手配している幾つかの集落では、自分たちが食べるためだけでない野菜をいくらか作れるようになって、新鮮な見栄えの良い野菜を軍都に売りに来ているということだった。

 長閑な戦争特需もあったものだ、とマルコニー中佐は笑ったが、ある意味でエマリアのいうことは正しかった。

 戦争が否応なしに引き起こす大きな物流の結果として、多かれ少なかれ人々の生活に影響が出る。

 それは戦禍の有無とは全く関係なく引き起こされ、ときに重大な或いは些細な混乱を引き起こす。

 たとえ直接でなくとも突然に巨大な軍需を引き受けることになったデカートがその渦から逃れられるはずもなかった。

 その気になって眺めてみれば、デカートの町中を走る馬車馬は少しばかり歳がいっているものが多い。老馬が多いというよりも若い馬が少なかった。

 考えてみれば、マルコニー中佐自身がここにいるのもそういう特需の影響だった。

「ふむ。それでは戦争特需の恩恵を受けに駅に旅行の相談にゆこう」

 そう言ってマルコニー中佐は妻の肩を抱いた。

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