デカートフラム線

 デカートでの夫婦での散策の翌日、鉄道会社を訪れたマルコニー中佐は受け取った見積書とそれに同封された目論見書の概要について説明を受けた。

 本質的には先日説明を受けた輸送経路の問題が解決の目算が立たない以上、極めて輸送が困難で計画を破綻させかねず、予算化が困難であるという説明がなされ、概ね五百億タレルという予算が額面として記されていた。

 細目を検討してゆくと設備費と工事費は五十億タレルほどとなっていて、残る殆どが輸送経費で販売調達ではないと説明もあった交換機本体についての項目はなく、回線使用料や設備維持費等の年間経費項目が年に二千万タレルほどかかることになっている。他に発電機と変電送電設備として二十五億タレルほどの額面が記されていた。こちらの運転維持費の見積もりは年額二千万タレルということになっているが、詳細は軍都周辺の燃料状況の予測が難しいことから桁読み程度の概算と説明があった。

 発電機は大雑把に日に十グレノルほどの石炭を必要とする。

 もちろん軍都全体からすれば法外と云うほどではないが、扱うに容易い量というわけではもちろんありえない。五十から百両ほどの石炭積の行李とそれを支える人員や手管が必要になる。

 水路については概ね百億タレルというところで陸路に比べると随分と安くなっていたが、こちらは輸送に際して船腹や受け取り港口の設備拡張が必要で輸送に先立つ工事に別途計画が必要になるということだった。

 実のところ軍都の港口は下流をジューム藩王国に抑えられていることで、投資が熱心でなく規模も小さく設備整備も疎かになっていた。街道を束ねるようなエルベ川の機能もつまりはどこの岸でも好きに降ろせという程度に扱われていたし、軍都周辺はその程度に荒れ果て啓けた土地のほうが広い。

 軍都は都市と云うに十分な広がりを持っている決して小さな町ではないが、労働力生産力を余らせるほどに余力のある街でもない。

 エルベ川の河川運行に関しては当然にジューム藩王国の反応を伺う必要があり、単純に共和国軍の一存で決するわけにはいかなかったが、必要とあれば何らかの交渉の機会を設けることは現状の戦争局面と合せて重要な意味を持っていた。

 場合によっては戦争状態もあり得るために容易とはいえないが、準戦時体制を既に二年にも渡って備えていることはジューム藩王国にとっても辛いはずで、何らかの妥協を探って交渉する機会が設けられることは考えられないということもなかった。

 時期の判断と合わせて全くの絵空事というわけでもないが、中佐の職掌や知見を超えた慎重な判断を必要とする内容だった。

 水運陸運いずれにせよ、計画の実施には時期尚早という雰囲気が文面のあちこちから読み取れないわけでもないが、全く不可能事と捉えているわけでもないことも積み重ねられた目論見書の内容を見るに理解することはできた。

 とくに輸送運行経路の測量結果の項目は単純に軍の資料としても参考になる内容で、幾らかはマルコニー中佐にも心当たりのある内容や地名があって、見積りの再検討をこの場で求めることは難しかったし、一旦本部に戻って新たな材料を探し示す必要があった。

 共和国内は統一政体とは名ばかりの寄合で地方の往来維持に危うげな点があることは、マルコニー中佐も一般論として頷かざるを得ないものであった。

 三年後の鉄道計画の見積りとしては二つの計画経路が今のところ敷かれていた。

 ひとつはミョルナの山間を抜けてゆく経路、もう一つはエンドア樹海を横断する経路だった。

 ミョルナの山間を抜ける経路は当初計画かその修正案が描かれていたが、かなり複雑な線が描かれていた。

 一方でエンドア樹海を横断する経路は迷いなく殆ど一直線に引かれていた。

 場所は定かではなかったが、バーズ川の水源のひとつはエンドア樹海に起っていて、ワイルに至るまでに幾つかの沼や湖を作っているがともかくエンドア樹海を抜けた何処かまでは線路が伸びる予定であるらしい。バーズ川は途中で機嫌を損ねてうねるように南下してしまうが、途中までミョルナの衝立山脈の南東側のレシオナリス山脈の水源を集めるようにして東に抜ける。ワイル一帯のロッソ台地或いは鉄血平原は鉄を多く産するが、農地をなしているワイル自体は水源はあるものの鉄や石炭といった鉱物はあまり産しない。近年はワイル周辺の農地が減ったことで鉱山の運営を諦め閉山撤退しているところが多く、匪賊同然の者たちが駅馬車を狙うような土地に成り果てている。

 山を抜けるのが良いのか森を抜けるのが良いのかどちらがどれほど容易いのか、専門もなく職務違いのマルコニー中佐には判断がつかないところだったが、交渉のまとまり具合に怪しいところがあるミョルナを通るよりは、今のところ無人にも等しいエンドア樹海を通ったほうが面倒が少なさそうだということであった。

 樹海一万リーグとも云われるエンドア大樹海をどう通るつもりかは知らないが、鉄道に揺られて風景が飛ぶように流れてゆくのを眺めて観ると、そう云う俗世を離れた全能感もわかる気分になる。

 いっそミョルナの地権者をフラムとデカートの招待して饗したら、あっさりと話がまとまるのではないかと他人事のようにマルコニー中佐は考えもしたが、ともかく今ローゼンヘン工業として資料の全てを検討した結果としての結論として見積書と目論見書を示されれば、それ以上の言葉を口にだすことはマルコニー中佐にもできなかった。

 ひとまずの用事が済んだことでマルコニー中佐は今後の旅程を尋ねられ、資料の概要の抜粋を別便で報告して大本営に帰営するが、その前に妻の希望で鉄道を使ってフラムに足を伸ばす、と些か正直に答えた。

 すると、ゲリエ氏はその場で電話を幾つか掛けフラムまでの鉄道旅券とフラムでの温泉宿の手配をしてくれた。

 今の時期、フラムは遅咲きの山桜が残るだけで桃色の霞のような時期は終わってしまったが、それでも宿の庭には時期をずらした花の咲く木を用意しているところがあって、庭の草花や早咲のツツジなども咲いているだろうという宿の説明だった。

 夜行列車で車内泊をすると朝からフラムの散策ができて、駅のそばには公衆浴場も朝から開いているところがあり、旅の始まりを朝の光の中で汗を流すと、一日がのんびりと長く過ごせると請け合ってくれた。

 フラムは共和国が今の形で成立する以前から存在する街で、千年余以前はデカートとは干戈を交えたこともある土地でもあった。銃火器の普及は共和国成立以前の事柄だったが、火薬の入手については各地で事情が様々で、フラムは鉄や石炭を産することはあっても硝石の入手はおこなえず、下流を抑えた穀倉人口地帯であるデカートとは常に厳しい戦いを強いられていた。発破は山仕事には必須だったし、膨大な火薬は隣国にとって見過ごすことの出来ない恐怖の根源だった。

 二つの邦は常に争っていたわけではないが、デカートは領内を通過する硝石の管理を緩めることはなく、そういう中で硝石を積んだ快速の漕船を仕立ててデカートの封鎖線を一気に駆けるという作戦が幾度かおこなわれ、それを囮に陸路で硝石を運び入れるということもおこなっていた。

 川祭りの端艇競争は両邦が合邦統一された際に一種の和議の宴目として催され、同じ時期フラムでは多くの花火が上がる。

 ローゼンヘン工業の鉄道旅客券は二等三等と便乗券という三つの等級があって、一等についてはフラム行きには準備がない超長距離列車用の等級である。計画では車内連泊用の入浴設備を考えているということで、どういうものになるのか夫妻には想像もつかなかったが、夫妻に旅券が渡された二等席も駅馬車を考えればどう比べても居心地がよく、よほどの宿と比べても広さ以外はどこにも文句のつけようがない作りだった。

 特段小柄というわけでもないエマリア夫人も寝台に横になって頭の上に手を伸ばせる広さ幅があって、寝床の中で転がって落ちない奥行きもあった。

 二等はひとつの車室に寝台を四つ用意のある壁に収めた寝台を倒して引き出すようになっていて通路側に天井袋のような荷物置きがあったが、二人であればそこまでは必要なかった。

 規則正しく車輪が乗り上げる音は聞こえてはいたが、小さな机においた水差しが泡立つほどに波打つことはなく、停車のその時でさえ滑り倒れるようなことはなかった。昨日試しに乗った環状線ではもう少し慌ただしい雰囲気もあったが、あちらは三等と便乗しかない日用線でほんの僅かしか乗らない急ぎの客ばかりであったから少し扱いが違うのだろうと二人は話しあった。

 便乗とはつまるところ家畜や荷物を主に扱って人は客扱いしない、という取り決めでそういう乗客は丸一日がかりのフラムまでの旅をどうするのだろうと、二人はクスクスと笑い合いながら想像した。

 だが中佐はすぐに急ぎの輜重ではしばしばあるように、行李の荷物の上で寝て目的地に着くや慌てて荷物を掻き下ろすような、そういう有様なのだろうと想像に至った。それは例えば軍都までの旅であれば堪えるであろうし、毎日そればかりということでもつらかろうが、覚悟の一刻のことであれば十分だろうと思った。

 四両の二等車を挟むように二両の食堂車が連なっていて簡素ではあるが味の良い食事が提供されていた。

 その後ろに売店車輌がつながりビスケットや飲み物が売られ、三等車が十両と貨物車が五両繋がっていた。

 機関車の見学はできなかったが、車輌の説明を書いた冊子は車室に備えられ、売店にもう少し詳しい本が売られていた。

 石炭を燃やし羽根車を回すことで電気を起こし、列車のあちこちに配置された電動機で調子を合わせて加速しているという説明は文字にするとなんだかよくわからないが、子供向けと思しき絵で機関車から飛び出した小人たちが列車の下の車輪をわらわらと回している様を見れば、なんとなくわかった気になった。

 電気って色々できるのね、というエマリアの関心したような言葉は、でもなんで羽根車で直接車輪をまわさないのかしら、という言葉につながった。

 多分一旦電気にするとたくさんの車輪を調整しながら回しやすいんだ、とマルコニー中佐は変調と復号の話を思い出して語った。

 なぜたくさんの車輪を回しているかは説明があった。

 長く大きな列車を一箇所で引っ張ると、長く大きな伸びが列車でおこってそれに耐える丈夫な車体が必要になる。少しづつ小分けにするとその分車体が簡素に作れ軽くなるということだった。

 そしたら後ろから押せば同じじゃないの、という妻の言葉はある意味尤もだったが、話の肝は、前から後ろから、という問題ではなく、同時にいっぺんにというところが問題だったのでそこを説明するのは難しかったが、目玉焼きをひっくり返すときに気をつけることはフライ返しをできるだけ深く突っ込んでいっぺんにパタンと返すことで両端をつまんでも上手くはゆくまいというと エマリアはそんな馬鹿なことはしないけどね。と笑って納得した。

 牽引と推出とどちらが良いのかという話題は様々にあるが、進行方向の監視が必要である以上、操作は前方で行われ結果として機関車は前につくが、推進力としては車体の状態の釣合の監視と操作がおこないやすい重心に近いほうが良いということになる。実際には一軸では面を支えられないから前後に配置されることになり、再び前後どちらが良いかということになるが、可能なら前後両方駆動操作できるほうが互いの位置を釣り合いの腕の長さとして最大限にいかせ都合が良い。

 そういった操作が必要になる事態はかなりの危険が隣り合っているとも言えるので、事前に避けるべき運転状況ではあるが、ともかく傾向の話題としては同調操作が可能ならば分散した力は構造全体の負担を減らす傾向にある。

 とは言え多頭引きの馬車がそうであるように力が小さくてすむからといって労力が小さくなるとは限らないという例は多かった。

 電気の特性について十分に理解しているとは言いがたかったが、妻の言うように羽根車を直接動力とせず発電している理由はおそらくその辺りにあるのだろうと、マルコニー中佐は想像していた。

 実のところ燃料を抱えるようにしながら発電している機関車は後に続く客車や貨車に比べて軸辺り数段に重く、動力分散の効果はかなり怪しくもあったが、一方でさらなる重量物である電動機を分散させることで多少の重量軽減にもなっていた。

 デカート市内の電力需要が安定して運行の見込みがある程度付けば数年中に環状線は電化をしたいという計画も既に出ていたし、保線の見込みが安定するならばデカート州内全域でも電化についての計画を建てるべきだろうと云う議論は鉄道部では起っていた。

 とはいえ、全てが手探り状態の中では独立完結した動力というものは必要でもあった。

 将来的に五年かそこらで軍都まで伸びるらしい、という話をマルコニー中佐がするとエマリアは無邪気に喜んだ。

 十日の旅が一日になるなら四日かそれくらいで軍都からデカートまで旅行することができるということだったし、そういう便利なものであることがわかればそれこそ共和国中に鉄道が敷かれることになるだろうとエマリアは想像を語った。

 町をつなぐ駅馬車はそこそこ多いが、幾つもの町を股にかけるような長距離の駅馬車は少なく、目的地への町にゆくための駅馬車のつなぎが良いというわけではなかったし、すべての街集落に駅馬車が走っているわけでもない。駅馬車から目的の家までは何リーグか歩くことになるのも当たり前だった。

 エマリアの生地であるダリエルは内陸で大きな水運に足る太い川もなくきつい山岳があるわけでもなく、交通の便が極端に悪いというわけでもないが、さりとてひたすら歩く以外に道がない土地で、古い町並みと広い農地はあるもののあまりパッとしない土地だった。なりゆきで軍の療兵になって軍都で結婚してからは郷里に足を向けてもいないが、気にならないわけでもなかったから、鉄道が敷かれれば帰ってみたいと口にした。デカートよりは軍都にだいぶ近いはずだった。

 仮に西からデイリを抜けてワイルを目指すことを諦めてエンドア樹海を南に避けることになればダリエルの北西に出ることになるな、とマルコニー中佐は思い至った。それはデカートから軍都を目指すのであれば酷い遠回りで今のところそういう計画はない様子だったが、何年か先のことであれば誰かがそういうことを言い出すかもしれないとマルコニー中佐は想像した。

 夫妻が楽しく鉄道について語り合い、タタンタタンと低く単調な音を聞きながら眠ると日が昇ってしばらくして車掌が朝の挨拶に回っていた。終着駅では二十分ほども余裕があり、二等乗客には朝食の準備もでるという。

 食前に蒸しタオルが出てきて奇妙な風習だとマルコニー中佐は思ったが受け取り、手を拭き口の周りを拭き、そのままついうっかり顔を拭っていた。

 エマリアはその仕草にあっけにとられていたが、中佐が目尻に目やにがついていることを指摘すると夫人は慌てて蒸しタオルで目元を拭った。

 卵牛乳パンチーズに肉とバターがついていて至れり尽くせりという雰囲気だったが、朝寝坊の乗客が多いらしく夕食に比べると朝食の席はだいぶ空いていた。

 朝もやの荒野を窓の外の流れる風景と見るのは奇妙な体験だったが、すぐに山間を登り始め川をわたっている事がわかり、風景が荒野から山間部に変化していった。

 実にわかりやすい形でフラムに入ったことに二人は食事を忘れて風景に見入り、顔を見合わせて笑った。

 朝食は正直に言えば無難で印象に残らない味だったが、あまりに印象的にフラムに入った窓の外の風景のせいで、風景と味とが奇妙に印象でマルコニー中佐の中に結びついて、中佐は後に鉄道の朝食を口にするたびにフラムの鉄橋を超えた後の山並が思い起こされた。

 朝靄明けぬフラムは日の温さと湿気の冷たさに混じってなにやら硫黄の香りが漂っていた。

 駅の脇の東屋には湯を流している洗面台のようなものがあり、鉄道から降りてきたものが顔を洗っていた。

 町中ではあまり行儀の良い風景とも思えなかったが、水の豊かさを誇る町ではしばしば池や水場がこういうふうに開放されていて、行水で旅の汗を拭う旅人や水を飲む馬などもいたから、夫妻は顔を見合わせて笑うと湯で奇妙な旅の寝起きの顔を洗った。

 軍務であれば従兵に街の様子を確認させるのだが、不案内な街でどうしたものかと辺りを見回していると、物おじしないエマリアが駅頭の広場に立っている駅員を捕まえて朝から開いている湯屋とやらの場所を尋ねてきた。

 説明では駅の目の鼻の先で朝食や宿の準備もある旅人を当て込んだ店であるらしい。

 荒んだ雰囲気を中佐は心配したが、エマリアが聞いたところによると中は男女別であるらしいということでためしてみることにした。

 贅沢に温かい湯を使った風呂は久しぶりで、中佐はよく寝たはずだったが風呂の中で危うく茹だるほどに居眠りをして汗を流して出てきた。

 エマリアも似たような感じだったらしく、髪の毛を湯気で膨らませていた。

 宿に案内を求め電話をかけてみると迎えが駅前にいるはずだということだった。

 おやと思い駅の広場を巡ってみると宿の名の入った馬車の脇で馬丁がキョロキョロと誰かを探していて夫妻と目が合うや少し歩み寄ってマルコニー中佐の名前を確認した。

 出掛けに少々手間取り列車の到着に遅れて申し訳ない、と馬丁は詫びたが夫妻は風呂に浸かっていた頃の話で鷹揚に受け流した。

 ちなみに遅れた理由を寝坊かと尋ねると、市から戻ってくる上りの荷車が普段より多くて切り返しで待たされていたという。

 電灯が市で流行り始めてから朝市が日の出前に始まることが多くなって、朝ぼらけの切り返しはその日の落ちないうちに山を抜けたい連中でひどく賑わう、ということだった。

 山を抜けてどこへといえば、フラムの辺りでは結局山、鉱山であるわけだが、片道を日のあるうちに抜けられるか抜けられないかは山では命と財布の勘定でもあるので、抜けられるものなら抜けてしまいたい。そういうフラムの町中を日の出とともに抜けてしまい道を急ぐ連中は多い。

 鉄道駅ができて様々にフラムも整備の機運が起っていたが、まだ山間までは手がとどかないところも多く、街灯がついている道を頼って往来が集まるようになったことで幾つかの道の要衝が手狭になっている。

 鉱山組合でも様々に話は出ているが、鉄道開通から電灯電話といっぺんに何もかもが動き始めていて、手がまわらないことが多すぎた。

 日が出てしまえば道の選び方にも幅が出てくるが朝な夕なの黄昏時はどうしても往来が絞られる。

 そういうわけで比較的道が広く、何より街灯が道を照らしている街道は朝晩混みあうということだった。

 荒んでいるようで時間にうるさい山師共にとって、街場の連中のノンビリとしただらしなさは気に入らないことが多いが、それでも幾つもの変化がフラムで起っていた。

 天気や暦にかかわりなく仕事ができる明るさを電灯が町に光を差しかけたことで、仕事の仕方に変化が出てきていた。

 電灯を受けて市場が早く動き出し、それに合わせて前向きな対処も始まっていて市場での電話注文と冷蔵取り置きという制度が始まってからは、丸一日街場で翌朝の市場を待つというような爪を噛むような時間つぶしはなくなっていたし、行商人が電話でまとめて注文を受けて山を回るということも始まっていた。

 フラムの鉱山は複雑な広がりを持っているが、道程で言えば二十リーグを超えることは決してなく、夏場なら日の出前に出れば辛うじて日没直後には着くというところまでに限られていたし、そういう危うく遠いところは手前に町から無闇に離れていない山に師匠格親方格がいた。

 だから街場で手に入れる消耗品については親方格の山が余計に粗方確保していて、それを融通するということが習慣化している。

 今日みたいな突然の例は大方行商人だろうと言っていた。朝早く出るということは段取りのない荷物であるということだった。

 日が山間を温め霧が晴れるとあちこちに桃色の霞のような山桜が咲いていた。確かに一面というわけではなかったが、緑の山裾に紅を零したような春の色は不思議に贅沢な風景だった。

 雪になる前は葉が黄色や赤に紅葉してそれも美しいと馬丁は少し自慢気に説明した。

 駅から日が登り切る前に着いた通草亭という名の宿は元は銀だかの鉱山として開かれた山だったが、銀そのものはすぐに枯れてしまい、諦めて畑を開くつもりで井戸を掘り進めていると温泉が湧いたという山襞深い宿だった。

 畑を開くつもりの井戸という割には宿の土地の下を小川が流れていたり、どれほどものぐさで行き当たりばったりかと思わないでもないが、宿から川を覗いてみればちょっとした絶景という距離は近いが切り立った地形でここを瓶なり桶なりを抱えて上るのはできれば勘弁いただきたいと思う地形でそれくらいなら掛樋をつくるか井戸を掘るかという方がまだ楽そうだと同意した。

 畑を作ろうかという小さな平地は作物を売るには足りないだろうが、小綺麗な庭を作るには見切れている滝やら川向の急峻な山肌やらと立派な借景が多くあって、小さいながら草木が折々とりどりの花を咲かせる美しい土地だった。

 畑にして耕すよりもずっと美しい風景だとエマリアは玄関先で感想を述べていた。夫妻に充てられた部屋の大きな窓の外を見ると二人はしばし絶句した。

 大きな山桜が天から差し込む陽光に酔ったような色合いで照らされていた。

 日が高く軒が深いせいで部屋の中は表に比べて暗く、外の風景が宗教壁画のような広がりと明るさを持って目に飛び込んでいた。

 そこには啓示を模した何かはなかったが、もっとはっきりと色合いと光の持つ力や衝動を示していた。

 素敵な宿だ。と夫妻はともに納得した。

 部屋の作り自体は割と普通で、日の移ろいとともに魔法が溶けたようになったが、夫妻はいたく気に入ってしまった。

 マルコニー中佐が報告書を書き上げる二日の間、夫妻は山あいの宿でのんびりを過ごしデカートに戻り、逓信便に報告書を託し自転車を二両買って軍用便で軍都への帰路についた。

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