デカート州ロンパル郷 共和国協定千四百三十九年小暑

 山間の山荘という言葉の意味合いから受ける印象に比べるとひどく豪奢なロンパル卿の山荘は山間の白亜の古城だった。

 といって大砲が当たり前に使われるような時代に広大な垣根付き庭付きの別荘という以上の意味があるほどのものでもない。

 一部は鉱山組合に開放されていて、彼らの業務以外にもいくらか専有されている。

 大理石と泥海の海漆喰で肌色を整えられた、マジンが直接注文を受け大量に卸した覚えのある板ガラスで設えられた天井の高い温室は外の四季を無視した草花をガラス越しに見ることができた。小さな水源を寄せ集めたような小さな湖とそれを見守るように立つ古い金属製の尖塔の遺構を支えるように曲輪が広がっている。フラム一帯が様々な争いに晒されたとして直接に砲火を交わす時代はすでに千年に近い数百年前に終わっている。

 真夏を迎えたばかりの山間は麓の灼けるような湿気とは異なる、爽やかな山を超えてきた風と立ち上る湿気とを奇妙に混ぜ込んだ清々しさで、朝晩は降る露で寒さをさえ感じる。

 隣の部屋では奥様方と連れてきたジローナと運転手で使っているボーリトンが談笑している。

 普段はこういう席では他家の執事たちと過ごしているはずのボーリトンが窓の向こうに見えた。どういうわけか運転手であるボーリトンがご婦人達の席に引っ張りあげられていて、奥様方の前で緊張しながらなにやら話をしていた。

 ロンパル卿の山荘ではソイルのポルカム卿とヴィンゼのスティンク卿とオキシマル卿が居合わせマジンの事業目論見の説明を聞いていた。

「つまり、これまでのゲリエ卿の意見をまとめるとこういうことかね。ザブバル川の流れを緩やかにして大きな舟を通すことはそれほど難しくないし、事業途中で投げ出されているチョロス川への運河も完成そのものも技術的に不可能ではないが、建設費の他に維持に人員と予算が必要になる。

――だがカノピック大橋のように孫の誕生日にかこつけた記念日を持ちだされて上下させたり、帆柱が当たるわけでもない舟の通過に合わせて開け閉めされても困るということかな」

 スティンク卿とオキシマル卿にはもちろん、まとめて口にしたポルカム卿にも直接間接で様々な覚えがあった。

 旧来のカノピック大橋に比べて水面からの高さに余裕が有るように作られた新カノピック大橋は、従来最も大きくヴァルタ止まりだった百人櫓の櫓舟を跳ね上げることなく通せる桁の高さを持っていたから、デカートで普段通る船でカノピック大橋の跳ね上げ操作が必要な舟はオゥロゥと、よほどに巨大な資材を運んでいるヒツジサルくらいだった。

 個人として誰それ某が悪いというよりも、面白い機能があれば使ってみたい本当に使えるのか、という子供じみた話題として様々な人々があまり用事もないのに玩具のように可動橋を動かすことを希望していた。デカート市河川組合がカノピック大橋の管理を一任されていたが、彼らは依頼があるとほとんどなにも云わずに操作をしていた。

 それはそれで全く正しい態度なのだが、おかげで橋の往来がしばしば寸断される結果となり、可動橋にした判断をも含めて様々に不評であった。

 渋い顔で言葉が途切れる中で快活に切り替えたスティンク卿が言葉を発した。

「しかし、今度はそういうことは起こらないですむんじゃないかね。ザブバル川のロタの付け替えは今の説明だと、舟溜まりに舟を入れた後に水を貯めて水面を上げて流れを穏やかにして舟を通すということだったようで、カノピック大橋の仕掛けと同じようなものなのだろう。

――チョロス川の方は、そのなんというか、直径で二百キュビットの水車というものが私には想像できないのだが、君ができるというなら勘定の上ではできるのだろう。造るわけでない私が云うのもなんだが、簡単そうだった。

――どちらもできるというなら文句はない。ロタの流れが面倒なく乗り越えられるというならヴァルタにとっては願ったりだ。パルージャまで荷を下ろすのは簡単だったが、パルージャからの荷が軽くても重くてもロタの流れを乗り切るのは難しかった。その辺の読みが確実になるなら、通行料を払う事自体は吝かではない。無闇な値段ではもちろん困るが、砂糖やら香辛料やら海漆喰やらと確実に手に入れば嬉しい品々が海の向こうには多い。ある程度の値段を載せることは問題にならないだろう。下りの農産物や石炭の出荷も面倒が少なく確実と言うことであれば、また商売のタネも少し増えるだろう」

 スティンクの言葉は真理の一面で、船腹を鑑みて相応により優られた商品は比較的値を乗せやすく、そうでなくとも必需品は一通り域内で揃うデカートにおいては、船便で届くものは贅沢品嗜好品の類が多かった。

 程度問題ではあるが、途切れずに手に入る事のほうが値段そのものよりも重要であることは多いし、ロタの流れはデカートに暮らすものであれば溜息の元のひとつであったから、値が乗る理由としては十分だった。

「問題は機関船かな。うちの舟くらいであれば、あの流れは屁でもない」

 グレカーレの同型船を手に入れ、自身も積極的に川を往復するようになったポルカム卿が気楽そうに口にした。

「水底の浅さと幅は櫓船にとってはかなりの問題だ。渦に巻かれず往来できる、というなら大型船の下りも楽になる」

 オキシマル卿が軽口めいた響きに不機嫌そうに言った。

 ヴァルタの多くで河口との往復で使っている百人櫓を超える巨船は積載の大きさはともかく、櫓を含めた幅ではオゥロゥよりも広い。

 平たく盃のような断面の船体は舵の効きを難しくしていて、よほどの舵取りの名人でもロタの流れに取られて舟を岸や瀬にぶつけたことのない者はいなかった。

 櫓方が死ぬほどの事故は少ないが櫓が折れることはよくあることで、舟が沈まないまでも荷をいくらか諦めるほどの事故になることもたまにある。

「機関船への移行を考えられては如何か」

 皮肉げにポルカム卿が言った。

「いずれはそうするとしても結局船荷を増やせば吃水の問題になる。ゲリエ殿のオゥロゥはヴァルタでも誰もがいずれはという船だ」

「あれは欲張り過ぎでは」

 オキシマル卿の言葉にすまし顔でポルカム卿が口にした。

「本気で言っておられるのか」

 オキシマル卿がそう尋ねて場の面々の顔を確かめるように視線を巡らせた。

「あ、いや。準備もなしに少々先走った大きさではないかと」

 ポルカム卿がマジンの顔を伺うようにして、声をしぼめるように言い訳がましく言った。

「たしかに、ザブバル川全域の水路調査もせずに必要に迫られて作った船ではあります。結果としてカノピック大橋の付け替えやら、あちこちの港口の浚渫やら整備やらが必要になりました。その節はあちこちでお世話頂き皆様には感謝しております」

 謙遜ばかりではなく、思いつきの計画で様々に障りもあり、オゥロゥの実績は必ずしも芳しくはない。

「いや、様々に踏ん切りが必要だった時期でもあるし、考えていたよりも手早く安く立派に仕上げてもらったことにここにいる皆が感謝している。ことにヴァルタとフラムの水運の便が良くなったことでデカート全域で取引の流れが太く変わり始めている」

 ロンパルが場を総括するように礼を述べた。

「海への玄関であったヴァルタにフラムの地金や石炭が途切れず入ることになったことは、そのままパルージャまでの荷物を増やしていることになる。フラムの港の整備の後では正直かなり稼がせてもらっている。それまでの港口が小さすぎたというのはヴァルタでは誰もが口にすることだが、手をつけるとなると皆目宛もなかったことだ」

 複数の舟を抱えるオキシマルが改めて口にした。

「欲張りといえば、ストーン商会のあの筏のような機関船。あれはなかなかバカにならない出来だ」

 少し話の流れが落ち着いたところでスティンクが言った。

「しかし百は積めないと聞いている」

 幾度かオゥロゥに乗り込み、譲渡に向けた交渉をおこなっていたオキシマルが言った。

 彼は舟としてあまり見栄えの良くない多胴船にその威力は認めながら、奇妙に飲み込めないものを感じていた。

「まぁせいぜい五十というところだろうが、それでもそれだけ詰めば百人櫓では上りがちと辛い。足の短さで海では問題になるかもしれないが、川の上り下りくらいは問題にならないらしい」

 オキシマルに比べるとスティンクは屈託なく出来も不出来も認めていた。

 ストーン商会の会頭であり先代ペルリ卿から元老を継承したハリス卿はオキシマル卿やポルカム卿とそれぞれ別の意味で折り合いが悪く、この場に呼ぶことはできなかったがいずれ話し合う必要があった。

 他にもアッシュ卿など、興味はあっても所要で足を向けられなかった元老が幾人かいる。

 無礼にならない程度に元老を整理する意味で、フラムのロンパルの山荘で会談はおこなわれていた。

 もちろん全員に昨日のうちには招待状は送ってある。



 カチンと手の中でオイルライターを火口にしてパイプに火を巡らせたロンパルに座の視線が集まった。

 少しばかり話がそれたことに意識がゆき、皆が居心地悪そうにし始めたところでロンパルが口を開いた。

「少し話を戻そう。単純のために工事そのものはローゼンヘン工業に一任するということでこの場では異論はないと思う。問題はその工費とその後の管理と運営費、ということでいいのだろうか」

 ロンパルの念押しにマジンは頷いた。

「資材の集積や人員という問題もありますが、押し並べて話を整理するなら造る時のカネとその後の維持管理費ということでいいと思います」

 マジンの言葉に一同は配られた資料の目論見書に目をやった。

 下読みとしての資材と人員工期が記され、金額が書かれたそれは、相場や公定価格に基づいた多少の修正が加わっていた。

 だが、桁として圧縮するほどの変化はなく、工事の規模や内容を考えるなら十分に納得せざるを得ない計画の目論見だった。

「私としては水運の二つの計画は十分に考えられたものだと思う。予算としては両方一片にという気にはなれないが、新たにチョロスへの道が開かれるというなら多くの者が喜ぶことになると思う。まぁその高さ二百キュビットの水車に乗るというのはゾッとしない話だが、それが十分に使えるというならそれもいいと思う。なので、私がこの場で皆に確認しておきたいのはどちらを先におこなうかと、完成後にどうやって管理をするかという点だ」

 そう言ってロンパルは話を切った。

「いや、私はその話より先に皆に聞いておきたいことがある」

 そう言ってポルカムが皮肉げな顔で辺りを見回した。

「何だろう」

 ロンパルは改めるように尋ねたが、声を上げなかったオキシマルがポルカムの態度に露骨に嫌な顔をした。

「諸君らはもう一つの目論見書を見て、これに賛同するつもりなのか」

 そう言ってポルカムは三冊目の目論見書を指で叩くようにして示した。

 カシウス湖の第四堰堤の目論見書だった。

「どういう意味だろう。ザブバル川の流れの恩恵を受けているソイルの住民としては他人事ではないと思うのだが」

 ロンパルが改めて不思議そうに尋ねた。

「運河の建設なんてのは正直私はどうでもいい。とくにチョロス川への運河なんて我々どころか元老の誰もが想像していなかったことだし、カネは出せないって話でかつて一旦落ち着いていたはずだ。だとすれば運営も我々の意見を尋ねる必要はない。商売に無理のない範囲でゲリエ殿のお好きな様に差配していただいて結構だし、ロタの流れの件についてもまぁ同じようなものだ。水門の開け閉じは必要な舟がカネを出しておこなうようにしてもらえばいいだろう。まぁ、こちらは関のようなものが建つわけで、無闇に毟るようなことがないように元老に諮る、というのはスジが通っているが、それにしたところで商売だ。好きにするのがいい。だが最後のこれは一大事だぞ。景気付けの加勢に寄せ集めを送り込んでおしまいという訳にはいかない」

 ポルカムは次第に顔を引き締めるようにしながら一同を見渡した。

「君の言う通りこれは一大事だと思っている。だからこそゲリエ卿に私が目論見見積りを直接お願いして、諸君らに意見を求めるべく集まってもらった。運河の件は言ってしまえば、目慣らしだな」

 ロンパルは努めて軽く切り返しながらパイプの中を掻き出し、一旦タバコの火を消した。

「すると、別の話題ということでいいんだな」

 ポルカムは確認するように言った。

「まぁ、そうなる。それでそこまで真剣に考えてくれた君の意見を聞きたい」

 ロンパルは向き直りポルカムに尋ねた。

「書いてあることはよくわかった。いやまぁ、もらって目を通しただけだから、十分ではないかもしれないが、ともかく今カシウス湖がどうなっているか、概要はわかった。だが、今この場の我々が動議を出すことについては反対だ」

 ミシリと怒気を孕んだオキシマルにわざわざ手を上げてロンパルが制した。

「差し支えなければ理由を説明いただきたい」

 ロンパルが改めた。

「一大事に過ぎる。それに動議の供託金もこの見積りをみれば只事では済まない。過去の事業、第三堰堤とやらが中途半端に終ったのも頷ける」

 ポルカムの言葉を聞いたオキシマルが腕を組んで椅子に背を預けるように沈み込んだ。

「確かに動議供託金の問題はバカにならない。この人数で動議を出せばひとり八億ということになりかねん。そして税を考えればそれだけではすまない」

 ポルカムの言葉を吟味するように唸るようにオキシマルが言った。

「この後二十年で破綻するかもしれないカシウス湖を立て為すために、これから五年かけて補修しようと思うんだけど、うちは八億出さないといけないんだ。と、あそこにいる女房連中に聞いてみるがいい。十年後でいいんじゃないの、と皆言うに違いない」

 ポルカムが真剣な顔のまま軽い声で言った。

「そういう態度がカシウス湖の危機を招いたのではないか」

 スティンクが糺すように言った。

「無論そのとおりだ。時ならず手段を示せるゲリエ卿がここにいて、なんと都合の良いことに労働力として帝国軍の捕虜がいる。十年後にこの二つが揃って残っているかは怪しい。この提案が示された背景はそういうことだろう。本来はついでのような運河の目論見も気分を軽くするためのハッカのようなものだ。抱き合わせ商法としては悪くない組み合わせだと思うが、全然ダメだ」

 ポルカムが芝居がかって大げさに首を振ってみせた。

「まぁ、抱き合わせには違いないが。ふん。ではどうすればいい。工事自体諦めたほうがいいということか。それとも、動議の連名ができないというだけか」

 スティンクが改めて尋ねた。

「連名はしたい。カシウス湖の危機を知って、フラムのみならぬデカート全体の一大事を知って、なおただの本心から、しないという者は自らの目を潰す盲も同然だろう。元老たる責に堪えん愚か者だ。だができるかどうかはまた別だ。カシウス湖の鉱滓の件について最低限、目論見書に対する元老全員の意見が必要だ。そして三分の二の、今だと三十九人の元老の動議連名が必要だろう。別件を承知でついでに言えば動議供託金についての制度の見直しを考える必要もある。元老と云っても財布に余裕が有るものばかりではない」

 ポルカムはそう言って席を立った。

「――この件、状況はわかった。フラムの安全を図っているのみならない責任を預かるロンパル卿の見識を疑う気もない。運河については反対はしない。だが、まぁ、もう話もとくにない。自慢の温室を見せてもらうよ」

 そう言って席を立って南方の花が咲く温室へ出てゆくポルカムを一同は見送った。

「奴の言うことも一理あるな。多少、事を急ぎすぎたかもしれない」

 パイプのタバコを改めて詰めながらロンパルが反省するように言った。

「偶然とはいえ時節が揃ったのだ。事を推めるのを躊躇う手はない」

 スティンクが意気を振るうように言った。

「だからなおさらだよ。ことは個人の死は疎かデカートの滅亡やザブバル川の命にも繋がる共和国にも広がり関わる不利益だ。密かに進めるのではなく、周知を推し進めるべきなのだ。利益は細く集め不利益は広く散らす、が商売の原則だ」

 ロンパルが固めたタバコに火を回しながら言った。

「だとすると州民にも広めるほうがいいか」

 オキシマルが気分を変えるように言った。

「わざわざ不安を煽るのはどうかと思うが、例えば債券を発行して資金を集めるのはいいかもしれない」

 ロンパルが軽く言った。

「どうせその利息支払いに当て込んだ収入源として運河の話があったのだろう」

 スティンクが口にした。

「まぁ、そのつもりだった。正直を言えば動議供託金の話は気が回っていなかったがね」

 ロンパルがパイプを吹かしながら明かした。

「ゲリエ殿は先程から黙っているわけだが、言いたいことはないのか」

 直接オキシマルが水を向けた。

「特には。技術的なことはそれぞれの目論見書の説明で言ってしまいましたし、正直元老院のことは方々の思惑まで見当もつかないというところで、皆様にお任せしたほうがいいかなと。動議供託金のことなぞ思いもつきませんでしたし。運河の方は二三十年掛けて回収できれば良いと思ってました」

 水差しから水を注ぎながらマジンが口にした。

「計画の第四堰堤はどれくらい保つものなんだ」

 オキシマルが短く鋭く尋ねた。

「最低百年。その先はなんともですが、その前には別の手が打てるようにするつもりです」

「それはさっき聞いた。具体的にはどうする。秘密なのか」

 オキシマルが興味を惹かれたように尋ねた。

「ああ、なんというか、鉱毒を固めると言うか、水かさを減らす努力をします。それだけで堰堤の寿命が伸ばせますし、鉱毒の本体は鉱滓カナグソとも云うように金属だったり精錬に使った様々な薬品だったりするので、物によっては材料として使えます。金属も推計としては、かなりの量が溶けています。手間はかかりますが、実験としてはうまくいっています。ごく些細な量ですが。……一日数グレノルという量では数百億グレノルというカシウス湖の水を扱うには百万年どころか一億年かかることになります。最低でも一日数千グレノルと言いたいところですが、少し研究と設備の検討の必要があります」

 体積単位としてのグレノルと重量単位としてのグレノルの混乱から千グレノルの水というものをオキシマルはうまく想像できなかった。

「千グレノルの水というとどのくらいだ」

「あそこの睡蓮の池がだいたいそれくらいのはずだ。百五十キュビット四方に深さ二キュビットある」

 オキシマルはたっぷり泳げる広さの池を見て、あれを毎日何杯も干からびさせても百万年かかる、というカシウス湖の状況に途方もなさを感じた。

「釣り合いという話で言えば数百万グレノルというところを期待しているが、一息には無理だろう」

「採算を考えるなら一日百万グレノルを超えてからようやくということになるでしょう。努力はしますが、今のところは将来の夢ですね」

 汚水の水嵩を減らす、という努力のためにはある程度の下読みが必要で、ロンパルとマジンは単純な掛け算や割り算として数字を述べていた。

 しかし船主として多くの舟を扱いグレノルという単位に馴染んでいるはずのオキシマルとしては、二人が途方も無いことを言っているという実感があった。

「金属というのは鉛とか水銀という意味かね」

 オキシマルは自らの気分を奮うようにして尋ねた。

「鉛水銀燐鉄錫亜鉛などが多いですが金銀銅等も含まれていて、山で取れる様々があるのは間違いないですね。手間に見合うかという意味で言えば、今のところ畑仕事に汗を流したほうが確実というところで、タチの悪い海の塩という位の量は様々に含まれています」

 ああ、海の塩かとオキシマルは思ったが、海水の塩分ほどに水銀や鉛が含まれているのであれば、言葉半分であっても相当な量であることを実感した。

「水没した辺りには、かつての鉱山や金属精錬所が複数かなりの数あることは間違いない。事の起こりは山間の崩落で精錬所が延焼爆発した折に流出した薬剤や廃液を封じ込めるためだったというのは伝わっている。初期においては水中にもかかわらず炎が見られたり、山肌や水面を揺るがす爆発がおこったりという事もあったらしい。もちろん鉱滓を預けていた溜池や廃坑もある」

 ロンパルが語った言葉にオキシマルが眉を顰めた。

「つまりなんだ、何か事故があってわざと水に沈めたということなのか」

「その辺の経緯はよくわからない。カシウスが町として機能を失って、まとめた形で経緯を伝えたものがなくなっている。口伝に基づく伝承とか各地に四散した資料にはかなりの矛盾があって、きちんとした形で伝わっているわけでもない。ただ当初から手に負えないほどの規模の事故があって、ある程度の見込みの上で一帯もろとも全てを封じるために第一堰堤を築いたのだろうというのは間違いがない。それに第一堰堤と我々は呼んでいるが、水没地域には幾つかまだ堰堤の遺構が沈んでいるはずだ」

 ロンパルの言葉は別の可能性を潜ませていた。

「なんだか、かなり大きな町がまとめて沈んでいるような口ぶりだな」

 オキシマルが思いついたことを口にするとロンパルが頷いた。

「カシウスは当時周辺では最も大規模な鉱山街だった。巨大で有望な鉱脈がいくつも絡みあうような土地で、とりあえず掘れば何かしらに当たるような土地だったらしい。七十か八十だかの独立した鉱脈があの地域に存在していて、その中心のペルススという山地をまるごと一つ削りとった結果が広いカシウスで、その有望な鉱山を平地に削りとって尚鉱脈は点在していた。というからかなり大きな街であることは間違いない。だから、崩落事故が原因と伝わってはいるが、おそらくは崩落事故をきっかけに複数の事故が連鎖的に起きたのだろうと私は考えている。大きな街ではあったが、山間のことで街道の便はそれほどでもなかったらしいことも資料から分かっているし、その御蔭でどうにかこれまで汚水を封じ込めることに成功していた」

 ロンパルの言葉にオキシマルはしばし開いた口がふさがらない様子だった。

「水を干せばそのカシウスの鉱脈は使えるのか。今はゲリエくんの預かりの土地ということになるのだろうが」

 チラリと思いつきを口にしたという素振りでスティンクが尋ねた。

「どうでしょう。正直毒まみれの土地を簡単にどうこうできる様子でもないと思います。浄水実験の目的はあくまでも汚水の嵩を減らして堰堤の負担を減らすことで将来の危険を減らすことに主眼があります。一応水位の上ではまだ何十年かの余地はありますが、些細な事故で堰堤の破綻が起こるだろうことも間違いありません。一日十万グレノルの水を浄化して放水できるようになったとして山系からの雨水や地下水の流入は水位が減るに従って増えることになるでしょうから、十万グレノルを千万グレノルにしたとしてよほどの計画を立てても完全な形で土地の水を干し町を再生することは難しいと思います。ましてボクがすべての面倒を見るというのは、おそらく無理ではないかと」

 マジンの言葉にオキシマルが改めて睡蓮の池に目をやった。

「水中に溶けている金や銀についてはどれくらい見通しがあるのかね。目論見書に説明があることはわかったが、具体的な想像ができないのだが」

 改めて目論見書をめくりながら目的の数表を見つけたスティンクが言った。

「水系の測量も終わっていない中、何十億グレノルの汚染された水があるのか推計調査も充分でない中で、確かなことは今のところは言えませんが、仮に数十億グレノルの水系のうち一億グレノルの汚水が実験で試したものと同じで全てが今の方法で浄化できれば概ね一億ダカートの金貨を鋳造できる事になります。銀についてはもう少し多く、およそ三十億タレルほどです。一グレノルの水を浄化するのに燃料として概ね一ダカート使っているので、浄化設備を現地に据え置けたとして、銀と銅鉛亜鉛水銀などその他の夾雑物の地金で設備費を回収できる可能性があるか、という質問であれば不可能ではない、といえます。設備費は実験装置ですので相当に高価という以上に詳しく言えないのですが、今のところ我が家の設備を十万百万並べるというのはあまり想像したくないことです。また設備の規模を増やして人の往来が増えれば事故の備えも必要です。しかし必要であることは間違いないので、第四堰堤と同じく手を打つ予定で検討しています」

 元老たちの言外に危惧するところは明白だった。

 ただでさえデカートの中で手に負えなくなり始めているローゼンヘン工業にどこまで財産を与えるつもりなのか、という意見は湧いた鍋のあぶくのように増え始めていた。

 鉄道や機関車機関船について制限を設けるべきではないか、という退嬰的な意見もそれなりの論として存在していた。

 ここにいる者達は普段は直接にゲリエ家やローゼンヘン工業を誹謗する立場になく、業績を称えることの多い者たちであった

 しかしそうであっても無責任な礼賛をできるような立場ではない。

 単なる奇矯な物珍しい工房という段階は、鉄道駅が州内に五十もでき電気や電話が家々に敷かれた段階で終わっていた。

 その衝撃は製氷事業や機関車という富裕層のお楽しみ、という領分を遥かに飛び越えてしまっていた。

 ある意味で従来存在する商売に深い興味を示さないローゼンヘン工業の事業展開によってデカートの経済は微妙な釣り合いを維持できていたが、だからといって影響がないわけもなかった。

 公称三十万を少々超えるばかりのデカート州の人口のうち数千という雇用を作り、無視できない税収を市や州に与えているローゼンヘン工業の動向は、その立場や動向が穏当であるか否かを問わず問題になる。

 既に二千人を数える亜人の用人が相応の税金を収める、そのために登庁しているという、本来穏当かつ感心すべき事態であっても税庁に動揺が走っていた。

 デカートの季節労働者の多くは税金とは縁のない生活をしていたし、そういう生活であればこその無産階級である。

 しかしさて税金を納める亜人種を無産階級と同様に扱うべきなのか、それとも税金を受け取ることを拒否すべきなのか、という首をひねるような議論が行政庁内で起っていた。

 そもそも戸籍も市民としての扱いもない者から税をとる必要や責任があるのか、という事務上の問題もあった。

 学志館でも様々に起こっている変化についての講釈を求めローゼンヘン工業を通じてマジンに講義の希望が送ると、多忙を理由に断られそれならば代理をと求めると、責任者の肩書で亜人が出向いてくるという事態に戸惑っていた。

 一昨年、ロンパルとスティンクがいた義勇軍出征に関わる席での話題を、マジンが実施してみせたにすぎないわけで、二人にとってはある程度予想できた事態ではあった。

 だが、こうも強烈な形で州全域に衝撃を与えるとなると、個人的な感情以前に元老としての責任を前提にした配慮が必要になる。

 はっきりとした社会の変化とその渦を殆ど自力で起こしているローゼンヘン工業は、道理をわきまえた行動を起こすだけで、嵐の恐怖を思い起こさせるモノになりおおせていた。

 第四堰堤の建設は、デカートの賢者であれば必要を認める事業であったが、その見積目論見の意味するところは数百億タレルをローゼンヘン工業に預け、推定埋蔵数百億タレルはほぼ確実、兆の桁に乗る公算さえある巨大な金鉱銀鉱の管理をローゼンヘン工業に託すということに他ならない。

 それがデカートに百年の安寧をもたらすとしても、数名の元老を破産させかねない動議供託金を含め、巨万の富を来歴定かならざる人物に預けるということになることに疑念を抱かない者は、むしろ元老たる責任に欠けていた。



 オキシマルは決して暗愚というわけでないポルカムの惰弱を自身が嫌っている事を改めて実感しつつ口を開いた。

「私は、ローゼンヘン工業を直接の対象とした新しい税務の設定が必要だろうと思うのだが、それを受け入れる覚悟はあるかね」

 オキシマルの言葉にロンパルは驚いたように口から煙を吐き出した。

「具体的にはどういったものでしょう」

 ロンパルの驚きとは対照的にマジンは全く興味深げにオキシマルに問いかけた。

「ある程度の資産規模の会社を単独所有することを禁止する制度にしたい。例えば、ゲリエ殿は鉄道、電灯、電話、造船、機関車を含む幾つかの工業機械、食品や窯業、それから武器をつくっていて、更に鉱山を運営することになる。全てがキミのものだ」

 オキシマルの言葉は冷静だったが不穏なものが含まれていた。

「規模は小さいものの農業や林業もおこなっています」

 マジンの口答えじみた言葉にオキシマルは怒りも笑いもせず頷いた。

「大きな板ガラスの製造販売もおこなっているな。私も屋敷で使っている。なかなか良いものだ」

 ロンパルはサラリと補足を口にした。

「経営を分断しろというのか。如何にも余所の家の繁栄が妬ましいからといってそんな恥知らずなことを」

 とくに怒りもしない一同に変わってスティンクが聞くに堪えないと糾弾するように言った。

「経営、と言うか資産や売上だな」

 自分の口から出た言葉に眉を顰め確認するようにオキシマルが指摘した。

「違いがあるのか」

「ある。経営は結局力の釣り合いで決まる判断だ。資産や売上は力そのものだ」

 オキシマルは言葉の意味するところを意識しつつ断固として言った。

「つまり、力そのものが恐ろしいとそういうことか。ポルカム卿が来て、ハリス卿が来なかったのはその辺が理由かな」

 事情を想像するようにロンパルが尋ねた。

「まぁ二人が並んで食事をするという図は想像しにくい。が、ご想像にお任せする。この席に来なかったものも含めて私の知っている者達の多くは、下衆の勘ぐりに呆れ返ってもいるのだが、この会合ですら勘ぐりの種にする者はいる。港の整備や鉄道経路に際しては実態として利益がなかったわけでもないしな」

 オキシマルの言葉にスティンクが呆れた顔をした。

「しかし、誰が損をしたというわけではないだろう。むしろ公益を考えれば話を迅速に取りまとめたことは褒められこそすれ、貶められるようなことではあるまい。たとえそのきっかけが共和国軍を支え救う手立てとしての義勇軍出征という別件だったとしてもだ」

 スティンクが溜息をつくように言葉を切った。

「その別件を個人の利益につなげたのみであるような言い方をされているポルカムのようなものもいる。個人的にヤツのところの経営が苦しいという噂も知っている。一千万で傾くような身代ではないが、十億を出せるほどに余裕が有るわけではない。ソイルという土地はアレでなかなか難物でね。地道に稼ぐこと自体は難しくないが、余裕があるという程でもないんだ。奴め見栄っ張りだから肩で風切るのは好物だが、稼ぎはいつも怪しくて奥方の手腕で面目を保てているような家だ。さっきの動議供託金の話だがうちもあのままの金額では俺も動議を出せない」

 スティンクの言葉に反論するようにオキシマルが言った。

 言外にポルカムが利益につられて動議に連名したようにも言っているが、誰もそこを咎めるつもりはない。数理に強く因果に明るいポルカムは開拓民の公明な指導者である。

 しばし場が静かになった。

「例えばボクが皆さんの分の供託金を出資するというのはどうでしょう」

 ああ、と顔をしかめるようなスティンクを見ると似たような動きはあったらしい。

「過去に幾度となくそういう動きも実際にあったが、概ねろくでもない結果に終わっている。独裁の混乱というのは、独裁そのものによって起こるのではない。その後に起こるのだよ。それに、自らの判断でモノや利益に釣られることはともかく立場の求める儀式を果たせないということは、責任を放棄するというにも等しいことだ。そういうことであれば元老の席を売り買いしてしまうほうがよほど潔い」

 スティンクはそう言った。

「動議供託金ってのは基本元老が無謀な思いつきを振り回さないための用心金みたいなものだ。が、一方で元老が他の元老に対して公の場で財をひけらかすことを許された場でもある。そういうところで他人のカネで良いカオを出来るような連中は後で痛い目を見ることが通り相場なのさ。概ねそういうのを我利我利亡者というのだよ。元老としては死んだも同然だ」

 若いものを諭すようにロンパルがパイプを吹かしながら言った。

「問題は、たとえそうであっても程度問題だということだ」

 オキシマルが話を引き戻すように言った。

「しかし、堰堤の規模を考えれば、金額そのものを安くすることは限度があるだろう。人足に給料を払う必要はなくとも食料と寝床は必要だし、季節に応じた被服も必要になる。健康管理ができなければ、補充もいるし、死んでその場に埋めるというのでは工事の性質上却って危険だ」

 スティンクが論旨が見えないというようにオキシマルに言った。

「安くすることが無理なら、税を多く集める必要がある」

「まぁ、そうだが、ただ組織を分割することで収税は増えるのか」

 オキシマルの言葉に少し不思議そうにスティンクが言った。

「すべての事業を私の私有地でおこなっていますから、会社の土地ということにしたり、或いは部門ごとに人員を別企業として経営体制を分割する必要が生じれば、新たに法人を起こすことで人員増や税務が増えることは避けられないでしょう」

 肩をすくめるようにマジンは言った。

「それでいいのかね。その、運営は大丈夫なのかね」

 心配そうにスティンクが尋ねた。

「まぁ、ある程度は。無駄な人員が増えることは管理上正直不愉快ですが、鉄道が軍都に通じるまでの我慢と思えば多少のことは目をつぶりますよ。分社化して役職を分割すれば数千人程度の人員が必要になりますから、また多少税務も増えるでしょう。ただ、鉄道や電話の性質上相互性を維持する観点からそれぞれでの部門分割はお断りせざるを得ません。最低限共和国全域に繋がるまで譲歩する気はありません。結局は物事一本に繋がっていないと道は役に立たないものですから、大きさが恐ろしいという妄言にはある意味つきあっていられませんね。正直デカートを拠点にしていたのはローゼンヘン館があの位置にあったからですが、鉄道がある程度形になってきた今となってはボクとしてはデカートに拘る必要もありません。電話が恐ろしい電灯が恐ろしいというのがデカートの総意であれば、そのようにお達しくだされば引き上げます」

「そういうことを言っているわけではないのだ」

 淡々としたマジンの言葉の意味することにオキシマルは慌てて言った。

「いや、結局はそういうことなのだよ。オキシマル。別にキミがそう望んでいるわけでないことも私は知っているが、ポルカムが席を立ったのもストーン氏がこの場に来なかったのも同じことだ。セレールのご老体などは彼の商会がローゼンヘン工業と昵懇にすることで大きな利益を受けていながら元老院で席を同じくするのも避けている。息子の方はまた違うがね。ともかく、我々は良きにつけ悪しきにつけゲリエくんのもたらす様々に困惑している。大方のものはすぐに慣れるようなタチのものだが、全てが慣れの一言でケリが着くわけでもない。便利だからといって当惑しないわけではない。愚かしい因習めいた思い込みが大方の原因だが、だからといってこれまでの習慣習俗に悪いところがあるわけではない。

――単にモノの見方使い方が違うというそれだけでしかない。だがそれだけ違えば全く別物になるというだけのことだ。大仰に言えば一種の文化文明の問題でもある。が、要するに家風が違うというだけだ。若くして流れ者であったというゲリエくんの人となりと知見を知るに、私は腹を据えることにした。少なくともヴィンゼで幾度か揉めたらしいマイルズが未だ殺されていないことで人食いのバケモノでないらしいと信じている。

――だが、いい潮時ではある。ゲリエくん自身も今述べた通り、彼の事業は今の段階であれば容易にデカートから引き上げられる。そしてその後、受け継ぐべき者もいないだろう。無論社内には別の意見、会社を維持したいという意見もあるだろうが、たかだか起って二年の会社だ。よほどの腹を据えた卓越した人物がいたとして支えられるほどに何かがあるわけではない。五年十年と経てば或いは様々に人材が頭角を現すだろうが、今はそういう人物もせいぜいが使い走りに毛の生えた様なものだ。こればかりは才能の問題ではない。単純に時間の問題だ」

 ロンパルが言葉を切ってパイプを口に咥えた。

「つまりどういうことだ。なにが言いたい」

 オキシマルが不機嫌そうに改めた。

 ロンパルは言葉を探すようにマジンをちらりと眺め、パイプを蒸かした。

「ゲリエくんを元老に誘ってみたのは私とスティンクだが、ゲリエくんの事業が怖くて引き下ろしたいというなら、それはそれで仕方がない、やるなら今だと言っているんだ。鉄道事業がある程度の規模になってしまえば、事業拠点をデカートに拘る必要もなくなってしまうだろう。そうなってしまえば、彼は設備の移転を含む方法で蝶のように別の州に拠点を移す。恐怖はやがて別の州からやってくる事になる。だから、本当にローゼンヘン工業を、というか彼の事業を潰したいというなら今しかないんだ。軍は無論嫌がるだろうが、そんなのは他人事だし、気にする必要はない」

 ロンパルはそう言ってパイプを加え直した。

「俺はそんな乱暴をいいたいわけではない。うまい塩梅を見つけられないかと言っているんだ」

 オキシマルが歯噛みをするように言ったのを、ロンパルは悲しそうな目で眺めた。

「一旦誰かが文句を口にすれば、誰しもに納得がゆくうまい塩梅なんてのは、ない。

――どういう味付けをしようが、食べない者達はいるんだよ。食べない口にしない者達に理由を聞けば、他に食べるものがあるだの気持ち悪いだの、それらしいことを言い出すようになるが、理由ができてしまうことで尚更互いに意固地になる。最後は無意味な信念同士の戦いさ。事の起こりはどうでもいい。我慢する気があるかないかだけだ」

 ロンパルはひときわ突き放すように言った。

「ゲリエ殿はどう考えているんだ。その、自分の事業について」

 困ったようにオキシマルがマジンに矛先を向けた。

「正直とくには。デカートの皆様が困惑するだろうことは製氷事業の段でわかっていましたし、今回の鉄道や電話電灯も、私の事業の必要と必然で起こしたものではありますが、軍の方ではデカートは遠すぎるという話もあるようで事業移転の引き合い自体は頻繁に来ています。正直、山と森に囲まれた人里離れた田舎であることで世間の目を気にせず好きに工作を楽しめる環境だったわけですが、余所の口利きとあればそう気楽に構えることはできないでしょう。ですが機関小銃の事業ばかりはある程度完成させたいと思っています。色々言えばいいわけになりますが、半端に物を示したことがこれまでの問題であったのかと、今回はまとめてお出ししたことが却って元老の方々には問題だったのかなと反省はしています。ヴァルタはまだ発電所と電話局も未完成ですし。今であれば、まだ辞めろと言われれば、まるごと辞めること自体はそうそう難しいことでもないと思います」

 マジンの言葉にオキシマルが唸った。

「⋯⋯それで、ヴァルタの電話と電灯はいつ普及が始めるのかね」

「月内には回線の応募を始め来月中には開局をします」

 オキシマルの問いかけにマジンが答えるともう一度オキシマルは唸った。

「妻が大変に期待している。こちらの奥方やポルカムの奥方とは妻は学志館からの縁で親友と言ってもよい仲なのだが、それぞれの家も遠く簡単に往来するというようなわけにもいかない。川をまたいだポルカムの家にまで電話が敷かれ、これまでの町中の家と大差なく、場合によっては却って話しの通りも早くなっていると聞かされ、毎週のようにこちらの奥方と取り留めもない井戸端話に花を開かせていると聞いて、羨ましそうに私に愚痴を溢している」

 オキシマルは圧し折れたように言った。

 ヴァルタの工事の遅れはデカートの東側に向けた土地の取得と整備を優先したことで、デカートとヴァルタまでの接続に際しての土地の測量が遅れたことにある。

 オキシマルは灯台に電灯を使うという案に早いうちから興味を示していて、石炭ガスを使った発電所の弐号機の建設地をヴァルタの沼沢地に準備してくれていた。これまでのデカートの土木技術では面倒の多い土地を押し付けたということでもあるのだが、入江に面した土地で相応の面積と言うとそれほど良い土地が残っているわけではなく、結局扱いに困っていた深みの読めない入江脇の湿地を用地とした。

 湿地の整地は確かに手間には違いないのだが、工事そのものは湿地に打った鉄の桁の上に設備を載せた艀を座礁させるという方法でおこなわれるため、建屋そのものの工期はそれほど長くない。艀が浅く幅広であるということが厄介ではあったが、物事としては大船を船台に載せるというヴァルタでは時たまある大仕事の亜種であったから、なにが必要でどうなるかという概要と、これまでの経験事例との違いはヴァルタの港の工夫たちはおよその見当をつけていた。ヴァルタ川の湿地にはそういう舟を陸に上げたような、或いは上げないまま据えた作りの家がいくつか存在していた。

 面倒だったのは電話線の接続で、鉄道経路と全く別のただ高い木が生い茂っていない岩がち且つ急峻な荒れ地を経路に選んでいた。

 それは概ね最短距離でデカートに至る向きを目指して、途中でダスマタギ鉄橋からの鉄道線と合流する形で電線をつないでいた。その工事のほうがよほどに難工事だった。

「しかし、各々家の伝統と退嬰的な趣味の押し付けとをゴッチャにするような風潮は気に入らんな」

 それまで難しい顔で腕組みをして黙っていたスティンクが言った。

「俺は別に」

 オキシマルが困ったように声を出したのをスティンクは制した。

「誰がどうということをこの場で言うつもりはない。ただ気に入らないものを受け入れない、というのは単なる個々の人々の判断で、そこもまぁ言い訳がなんであれ、興味もないし構わないと思うのだ。しかし、その価値判断で事業をとやかく言うというのは了見が狭すぎる。気に入らんとあれば付き合わなければよろしいし、事業が気に入らんとあれば縁を切ればいいだけだが、それぞれに責任というものをわきまえるべきだ」

「俺は別にそういうつもりで分割の話を持ちだしたわけではない」

 慌てたようにオキシマルが言った。

「分かっている。私もお前に言っているつもりはない。むしろゲリエくんにこそ向けて言っている。

――鉄道事業がいずれ十万二十万の人員を抱えることはこれは必然だ。電話や電灯についても大して変わらん桁になるのだろう。そういう大事業を目論む人間が、発足間もない時期の不調で投げ出してみせることを、イチャモンじみた脅迫まがいの相手の言い分の交渉に使ってみせることが私は気に入らない。

――そういうのは、もっと知恵の足りない連中が瑣末な逃げ口上に使うべき内容で、将来百万からの人員を支える事業を既に起こした人間のおこなうことではない。

――キミがやるべきことはもっとこう、ほかにあるだろう」

 スティンクが言ったことにロンパルが煙を吹き出しむせた。

「スティンク、その辺で辞めておけ。ゲリエ君がほんとうにその気になったら困る」

「いや。この際だから言っておく。ゲリエ君は事業の見込みがあって黙って言い分を鵜呑みにするようだが、そんなことをしてくれてもデカートには全く利益がない。それどころか後の必然としてデカートの利益を損ねる。

――聞け。オキシマル。

――あと何年だかで軍都まで線路が伸び、ローゼンヘン工業の事業がひとまずの形になれば、デカートの我々は否応もなく大きな変化に直面する。利益も多いが、商業上大きな苦難も待ち構えているのは間違いない。デカートは実のところ大きな街ではないし、自慢できるほどに豊かというわけではない。小さくない貧しくないというだけの州だ。そういうところでゲリエ君が主に軍からの大口の注文を立て続けに取ってきて、カネを積んで見せ人を使って見せたことが、彼をひときわの大物にしてみせたというだけだ。そして彼の事業の本筋はほぼ真っすぐにデカートの外を目指している。

――単純に東をみれば、まずセウジエムルに当たる。ここは地勢をみればデカートに比べて殆どなにもないと言って良い土地だ。だが、北にマシオン南にジョートを控え南北の大街道をつなぐ交易拠点で、その交易量は我々のものよりも大きい。

――鉄道が次に目指すミョルナは州全体が巨大な山地で各種の鉱山は規模でも生産量でも埋蔵量でもフラムよりもはるかに大きい。石炭は多少フラムが優っているようだが、石炭層の性質を考えるとどこにあるかというよりも掘りやすいかという問題であることは、誰もが知っているはずのことだ。鉄道がどう走るかは知らんが単純に位置を考えれば、マニグスというソイルとは比べ物にならない規模の穀倉もやや北に存在する。

――つまりだ。我々はこの後、どうあっても共和国国内での競争にさらされる。

――ゲリエ君をこの場で殺せば、何年かは先延ばしができるだろうが、ストーン商会が蒸気圧機関の量産に着手したことで、既に彼ひとりの問題ではなくなっている」

「ストーン商会の蒸気圧機関の設計はゲリエ殿のもので、ゲリエ殿の技術の再現は難しいと聞いているぞ」

 オキシマルが指摘するように言った。

 かぶせるようにスティンクが口を開いた。

「再現は難しい。だろうが、しかし別に理屈は難しいものではない。ゲリエ君は彼が学志館の理事についてから毎年論文を発表している。分厚く膨大な紙面の論文は学会の日程だけでは到底追いつくことのできないものだが、読み物として読み下してゆけば理屈を追えないものではない。ストーン商会に限らず、大手の工房では競うように学会の席を取るべく学志館の籍を求めているし、ローゼンヘン工業にも徒弟を送り込んでもいる。論文に批判的だったり肯定的だったりする学者たちが、自分の研究室で論文の粗を探して様々に勉強会をおこなっている。ハルバー・ボッシュが大型の圧縮熱機関を自作して自慢気にあちこちに見せていたのは知っていると思うが、つまるところゲリエ君のやっていることはキッカケと思いつきがあればできないことではないのだよ。ボッシュ博士は燃料の問題についてもある程度の改善を見たと言っている。つまりだな。今更ゲリエ君をどこかに追い立てるような真似はデカートの利益にならない。ということだ」

 スティンクが言葉を切るとオキシマルは少し黙って口を開いた。

「しかし、それで納得できるわけもあるまい。ここ暫くのデカートの町の有様の変化には多くの者達が困惑している」

「実害があるのか。少なくとも私の知る限り、亜人種を含む無産階級に定職が与えられたことで治安や衛生状態に不安のあった市場周辺の地域が整理建て替えができるほどになっていると聞くし、警邏の立件報告も少なくなっている。軍との取引件数が増えたことで、市場の価格がやや登り気味、馬匹や糧秣のたぐいは全体に高止まりになっていて、当然に不満がないというわけではないが、救済院の食事配給の列は短くなっている。港湾が二つになったことで荷揚げ人足の人員を集めることが難しくなったようだが、無産階級自体が縮小傾向にある中では港口に浮浪者が減っているということで当然でもあるだろう。まぁ、ヴァルタでもこの後似たような動きがあると櫓方を集めてくるのが面倒くさいことになるわけだが、鉄道が来てからということだろう」

「ヴァルタでも港口の亜人が減っているのは確かだ」

 オキシマルがスティンクの言葉に応えるように言った。

「ゲリエ君。今、君のところローゼンヘン工業で働いている人員は合計でどれくらいいるのかね」

 ロンパルが軽い調子で尋ねた。

「多少増えたり減ったりしていますが、五千八百というところでしょうか」

「うち学志館の卒業生は」

「千二三百というところですかね」

 席の向こうでの聴かせるためのやりとりにオキシマルは開きかけた口をつぐんだ。オキシマルは四千人余りの無産階級という物の意味を理解できない種類の人間ではなかった。

 ローゼンヘン工業はこれまで小作人未満の農家の手伝いとして畑で並べて麦を刈らせ芋を掘らせるか、歩兵として銃列に並べるくらいしか使いみちのなかった人々に、全く新しい事業の礎としての意味をもたせていた。

「今、ローゼンヘン工業の懐に腕を突っ込むのは、最悪四千人余りの無産階級を再びデカートに投げ散らかすことになる。無産階級の増加がいずれ起こる必然だとしてだ、今それが突然に再び起こることは全く単純に害悪だろう。私の疑念に奇妙な点があるか」

 スティンクが身を乗り出すように言った。

「たしかにここ暫くの変化が悪いことばかりではないというのはわかるが、それで元老院を黙らせることができると思うのか」

 唸るようにオキシマルが反論した。

「黙る必要はないが、懐に手を突っ込むような事をする必要もないと言っているのだ。だいたい、いっときの不満なぞ、この先少しすれば別の不満に置き換わる。そういう気晴らしを求めることこそがお前のいう塩梅を探すことだろう。直接的に跡の残ることをすれば、それはもう塩梅では済まない傷になる。私がゲリエ君に言いたいことがあるとすれば、下らない言いがかりにいちいち耳やら頭やらを振り回す必要はないということだ。君の事業の重大性を思えば、デカートの元老院なぞ無視してもいいくらいだ。今は事業がせいぜい苗のようなものだから、おとなしくそうしているのは知っているが、この後で豹変されるようではそれも大いに困る」

 スティンクの言葉が切れると暫く場の言葉が途切れた。

「話を戻しましょう。ああ。第四堰堤の件にまで」

 マジンの言葉に場の目が集まった。

「――色々お話を伺っていた中で、私が気になっていたこととして、カシウス湖の危険や第一堰堤の危機を含む、第四堰堤の目論見そのものに大きな疑念はないということでよろしいですか」

 マジンの言葉に元老たちの目が集まり一同が頷いた。

「それは、およそ過去に言われていたことも知っているし、単に幾何の問題として示された範囲としては理解できなくもない。細かな話としてはもちろん別途説明が必要だが、この目論見書が単に元老院での動議提出を目的としたもので、実際の建設着工に際しての詳細を扱うものでないことは承知している」

 オキシマルが言葉にして了承した。

「ポルカム殿もでしょうかね」

「知らないわけもないだろう。対岸の奥に瘴気湿地があることを知って、なお開拓しようってくらいには彼も目が効く。そうとは口には出していないが、カシウス湖の危機について最も敏感なソイルの住民だろう」

 ロンパルが煙を天井に吹きながら言ったのにオキシマルが嫌な顔をした。

「すると、皆様のこれまでの議論の争点というか直接に話題にならなかったものの最大の問題点は、予算の捻出ということでよろしいですか」

「本質的にはその一点に集約されるが、正しくはそうではない。むしろ名目の問題だ」

 ロンパルが過ちを指摘するように言った。

「――高い安いの問題はもちろん重要でもあるのだが、それよりもゲリエ君が見落としているのは元老と呼ばれる者達の矜持面子の問題だ。バカバカしいと考えることは無論自由だし、私自身もしばしばバカバカしいと思うのだがね。考えても見て欲しい。先ほどスティンクが指摘したようにデカートというのは、全く豊かな田舎にすぎないのだよ。我々は小作人よりも多くの財を抱えてはいるが、我々くらいの財産なぞ余所にいけばちょっと大きめの豪商なら持っているようなものだ。

――そういう中で元老がなぜ元老足りえるかといえば、周辺との戦を必要とせず、過大な武張った軍備も必要とせず、しかし相応に人々に食い扶持を分配し、三十万余の州民の生活を守る仕組みを作っている。まぁ要するに調整役だ。調整役に必要なのはある瞬間での腕っ節ではなく、連綿とした信用に他ならない。人々の信頼信用に応じた慎重さだよ。

――信用を支えているのは慎重さというものであるわけだが、これはある筋を通した臆病さだ。筋を通さない慎重さは単に臆病というだけだ。

――その慎重は伝統や誇り、矜持や面子という材料で支えられて飾られている。

――実際、大した建屋でもないのに無闇に柱を増やして、悪趣味に飾り立てている御仁も多いが、ともかく、他人の慎重さを笑うものではないし、柱に突っかかって歩くものでもない。良い塩梅があるわけはないといったが、わざわざに細かなところに入り込む必要がなければ、塩梅も要らないだろうと思う。

――そういうところで釣り合いが取れていた田舎町であるデカートにゲリエ君という新参がだれもがうらやむ美しく絢爛な城を建てるといった。城が邪魔だ不愉快だという意見も当然にある。そういう時に近隣近所のお家にどのように挨拶をすべきかという問題だ。

――つまりだな。今ある制度や必要なものの金額に触れない形でなんとかすべきだ、と私は考えている」

 場の誰もがロンパルの言うことを理解できていない様子だった。

「もう少しわかりやすく言ってくれないかね」

 スティンクが言ったのに、少し考えるようにロンパルがパイプを蒸かした。

「ああ。たとえばだなぁ。そう、水中鉱山事業。とかしてしまうのだよ。工事事業の主体はローゼンヘン工業なり新会社として元老や州民から投資を募る。その利益を鉱山会社は投資の責務として還元する」

 ロンパル自身も今ひとつまとまらない様子でぶつ切りに説明をした。

「どうやって利益を上げるつもりだ。目論見書やさっきの話では水中の金属を全て回収したとしてようやく堰堤の建築費に届くほどのようだったが」

 スティンクが身を丸めるように机に肘をついて前のめりになりながら尋ねた。

「利益は必ずしも直接上がらなくてもいいんだ。例えば毎年赤字が出たとして、親会社と州が補填すれば、それで事が足りる。余り長期的に経営が改善されない場合、公社化が進み州が経営を受け継ぐことになるが、実のところ公益企業というものはそういうものだ。療養院や救済院がどれだけ赤字を出しているか知っているだろう。

――もし仮に建設途中で投げ出されるようなことがあれば、フラムとソイルは来世紀には人の住めない地になるわけで、デカートもこれまでということになるわけだが、それは、この第四堰堤の計画目論見よりマシなものが出てこない以上は、我らデカートの州国命運尽き果てた、ということにほかならない。これまでのご愛顧ありがとうございました。というだけだ」

 ロンパルが言葉を切ってパイプを口に咥えた。

「――先のことは先のこととして、実際の話題として重要なのは、投資の責任として運営上会計上の経緯の報告をおこなう機会を設けるということだ。事業として非公開のままであるとか命令と結果報告だけということは許されない。極めて線形の責任を事業に負うということになる。まぁ今のローゼンヘン工業の体制を考えれば、別会社としたほうが面倒は少なかろうな」

 ロンパルの話の内容はこれまでの流れとは大きく異なっていた。

 事実上の投資公社をカシウス湖第四堰堤の資金管理に当てて広く債券を販売するということであった。

「だが、債券を売るとして利息がつかないものでは誰も引き受けまい」

 スティンクが常識的な話に引き戻した。

「それは、すまん。ゲリエ君に頼みたい。幸いにして彼の事業が延々と続き第四堰堤の建設が終わったあと浄水事業が軌道に乗ったあとも鉄道事業やその他の様々が続いているなら、相応に資金は必要であるはずだ。どれだけ必要かはわからないが、それに見合うだけの利益は上げるだろう」

 ロンパルが少し肩をだらしなく椅子に預けるようにした。

「つまりどういうことだ。この問題を元老院で諮るべき必要がなくなるということか」

 オキシマルが首をひねるように尋ねた。

「いや違う。仮にいま話しているこの事業は赤字が前提の事業だ。無制限の裁量と無限の時間を掛けて回収する予定ではあるが、初期数年の単年度としては基本的に赤字になるような事業だ。だから、計画の裏打ちが必要で且つ赤字が計画を上回るようなら、責任を追求すべき事業だ。そして、その事業の主たる実務従事者はローゼンヘン工業となる。最終的な責任は元老院にあるが、実務上の責任はローゼンヘン工業となる」

 ロンパルが肩の筋を伸ばすようにしながら言った。

「計画線を超えた失敗や赤字は、鉱山投資会社がローゼンヘン工業の責任を追求するということですね」

 ロンパルの意図をマジンは確認するとロンパルはパイプを振り回すように肯定した。

「まぁそういうことにするのが良いと思う。堰堤建設と浄水計画に関する資金を広く債券で募る投資公社を立ち上げ、その資金を注入してローゼンヘン工業に貸借を発生させ、その利息を公社の利益として分配する。ローゼンヘン工業は運営上十分な浮動資金を確保でき、それを持ってさらなる事業展開に勤しむ。公社は単年度における堰堤工事の事業赤字を債券の形で広く募り売上で補填する」

「資金があって悪い話ではありませんが、それを使う先と手立てが十分でなければ死金ですね」

 マジンの困り顔にロンパルは叱るようにパイプを突きつけた。

「それは君の手腕次第だ。だいたい、君の会社がまともに投資を募らず、利益を分配しないことが元老院に限らず、金持ち連中のヤッカミを買っていることをきちんと意識したまえ。キミはもう少し自分と会社の格に応じた振るまいというものを考えるべきだ」

 ロンパルの言ったことは概要として間違っていなかった。安定しているデカートでの投資先として期待されていたローゼンヘン工業は全く独自の資金運用で運転されていて、銀行どころか両替商も信用取引の裏書窓口くらいにしか使われておらず、ほそぼそとした扱いしかおこなわれていなかった。

「何か、儲け話にでも話が移りましたかな」

 そう言いながらポルカムが戻ってきたのにオキシマルが露骨に嫌な顔をした。

「いや何ね。六百億タレルの債券を発行する公社立ち上げの話になっている。五年か十年かの長期債だが年率一割の複利というところだ。どう思うね」

 軽い様子でロンパルがボルカムに話題を振った。

「五年なら六割、十年なら二倍半ってとこかね。ちゃんと支払われるなら悪くない話ですな。土地を倍にしても作付け利益で倍になることはなかなか少ない」

 ポルカムが流れはともかく事情は察したように考えを巡らせながら言った。

「払いはローゼンヘン工業だ。くだらんヤッカミに社主が呆れて会社を投げ出さなければ概ね手堅いと思うがどうだろう」

「ローゼンヘン工業なら一割五分つけてくれて十年で四倍って言ってくれたほうが納得はゆくけど、まぁ投資会社ってことならムリしないほうがいいのかね。世話人はどこになるのかな。六百億ともなるとローゼンヘン工業本体以外では単独での引き受け手もあるまい」

 ポルカムは数字の大きさに怯えもしないで興味深げに言った。

「今のところ詰めていないが、投資会社の後ろには元老院が立つことになる」

「なるほど。投資公社か。悪くないように思う。この案は誰が、ゲリエ君、というわけではなさそうだな」

 ポルカムは軽く座を見回して改めた。

「まぁ、ちょっとした思いつきだが、我ながら悪くないとおもっている。とくにローゼンヘン工業に責任を集中させることができ、且つ投資という名目で利益を分配しやすくできる。長期債券の形で転売をおこなう以上、銀行や両替商を通じて追跡も容易だし、そうでない無記名の個人保管の債券については期日に換金到来しない債券も予想される。利率を超えた事業展開はローゼンヘン工業の利益だ」

「満期後の換金期限は五年かな」

「まぁ普通はそうなるな。十五年というのが法律上の上限だが、一般には五年を経つと換金が難しくなる。銀行保管でなければ個人の追跡も所有の証明も難しくなるからね。原則無期限の株式とは違うよ」

「それを毎年一回何回かに分けて売るという感じなのかな。話の感じだと十年は掛けない様子だったが」

 ポルカムは興味深げに確認した。

「まぁ、五年で売り切らないと性質上問題はあるだろうな。毎年半分は元老院が優先的に引き受けて、残りは銀行や両替商を通じて販売する。最悪全く売れず、国庫で引受保管ということでも十年後には百九十億余りの利息がしばらく国庫に収まる。細かな債券の値動きは市場任せだが、税と関係ないカネが動くことで周辺からの資金も期待できる。鉄道や運河電話がつながれば尚更だ」

 ロンパルは話の流れを軽く展開してみせた。

「国庫に利益を納め続けさせるためには最低でも十五年間はローゼンヘン工業が順調に発展しないとならないわけだな。どう思うね。ゲリエ君」

 ポルカムがマジンに水を向けてみせた。

「皆様の期待になかなかに身の引き締まる思いです」

「そう思ったら少し数字に色を付けるんだよ」

 生真面目な顔を作ってみせたマジンにポルカムはそう言って渋い顔をしてから笑ってみせたのに、オキシマルが一層嫌な顔をした。



 ともあれ、公社による債券発行を通じた資金調達計画を目論見書に追加した形でカシウス湖第四堰堤の建設計画が動議発起人を募るために元老院で回覧にまわされた。

 様々な意味で画期的な要素を含んだ提案で、明示的な利益分配についても示されており、年率一割二分の十年複利という十年で二倍超の利息がつくことで日頃ローゼンヘン工業に批判的であった元老の間でも、危機的状況にあるカシウス湖の手当という大義もあり、表立った反対も鳴りを潜めていた。同時に提出されたザブバル川とチョロス川の工事についても殆ど詳細への審議がなく通過してしまった。

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