ローゼンヘン工業鉄道部 共和国協定千四百四十年冬

 メサケヴェビッチは目端の利く優秀な男だった。

 モイヤーとガーティルーが立場上あまり現場に立てなくなった穴を埋めるような現場向きの荒事が任せられる人材というのは、どうしても捕虜を労務に使う必要がある第四堰堤の工事初期に欠かせない人材だった。

 単にガタイが良くて厳しい外見というだけでとりあえず選んだ警備班長を補佐して、実際に第四路線整備課の警備班を運営しているのはケヴェビッチだった。

 彼は半年で配下の百人をそれなりにすると、二十名を残して班を入れ替え三ヶ月鍛え、また二十人残して班を入れ替え三ヶ月と、一年で三百人ほどを自分が使えないと思わないですむくらいに鍛えていた。

 一年も経てば直接ケヴェビッチがなにもしなくても、なにをするべきかしないべきかということは伝わるところも多くて、去年鉄道工事技師たちからは邪魔なカカシ扱いされていた警備班は頼りにされる、ということはなくとも足を引っ張るお荷物扱いされることもなくなっていたし、労務者や技師たちと挨拶を交わすくらいの関係になっていた。

 無意味な緊張は警備班から抜けたが立場としての緊張は当然に必要で、険しい地形に鉄道を敷くという作業は悪意がなくても瑣末な事故で危険を孕んでいて、警備班の仕事はそれなりに作業体制が整ったこれからの時期が本番だった。

 第四路線整備課の当初の任務は第四堰堤建設予定地周辺に物資集積用の基地と堰堤工事用の路線を築くことにある。堰堤の基礎となるおよそ長さ一リーグ半の鉄橋を建設しつつ資材集積をおこなう谷底に線路を導く、というのが高さおよそ千百キュビットの堰堤建設計画だった。石材の量を単純合算するとデカート市中にあるすべての建物を五倍した量が必要になる。最終的には堰堤の鉄筋基礎として構造の中核を支える骨格部分として鉄橋の殆どの部分は堰堤に埋まる。

 その計画ではおよそ一億グレノルの資材を必要としていた。

 単純に毎日六万グレノルの資材を五年にわたって運び続ける必要があるということで、ある意味で狂気の計画だった。

 もちろん延べ数億人日に渡る人員や機材が必要とするだろう様々はその数量には含まれていない。

 常識的な予算範囲で築かれた第三堰堤が全く意味のない規模に終わったのも当然の結果といえる。

 バカバカしいといいたくなる計画ではあったが、夢想か否かについてはローゼンヘン工業では公算を立てていた。とはいえ、前提条件がいくつかある。

 堰堤建設予定地の鉄道線の完成。

 動力船や鉱山機械による海漆喰や石炭または各種鉱石或いは食料品を始めとする生活物資などの多種多様な資源の調達の拡大と大量輸送であった。

 時間や健康という一般に資源に含まれることの少ない重要な資源を維持することこそが、大規模な開発計画には重要な基礎要素であった。

 もちろん個々のケースとしては想定困難な事件による事故が頻発することも考えられるが、前提条件として労務作業員が工区において安全に眠れ飢えず凍えず渇かず健康であることが、長期計画の中では重要であった。

 当然に往来が予想される人員の必要量は最低員数と見積もっても馬車での運行は困難な規模に達していて、工事の内容に必要な資材を考えれば単一基地では昼夜を問わず作業しても搬出処理しきれない物資量ということになる。

 計画では基本四系統の物資基地と搬入線で工事をおこなうことになっている。第四路線整備課が現在実施中の工事はその基礎に相当する一号線とその基地だった。最終的に堰堤構造の基礎になる鉄橋は現在のところ高さ約五十キュビットでその線路は堰堤内水没地域の樹木の伐採と搬出を主な目的としておこなわれていた。

 秋のうちに鉄道は谷底まで伸びた。

 第四路線整備課は途中まで第一路線整備課が整備した堰堤の北東部からの鉄道工事をおこなうことになった。飯場の家族ごと自分たちの仕事を見下ろせる位置にいて、もう一度同じような位置に行けというのは何の冗談だと思ったが、計画によればあと三回この地域に線路を敷く計画だった。

 線路が敷けた後、館北の鑑別所を訪れ、広場に人員を集めた。

 麦の穂は色づいていたが、収穫にはまだ少し早そうだった。

 労務を命じたい。

 ただし敢えて拒否するということであれば、それは許す。

 二度と頼まない。

 そう言うと、その場にいた男たちに笑われた。

 そりゃいくらなんでも、命令とも思えないですな。と言ってひとしきり笑うと、マククール男爵は労務命令を受けない者にこの場から去ることを命じた。

 かつて労務を拒否してやがて同胞から排斥されたビエロン老人も含めて全員が残った。

 翌日鉄道で伐採作業地に鑑別所収容者は移送された。作業指導員が二百五十名と警備員が二百五十名同行したが、その作業は多くの労務者にとって未知の内容だった。

 巨大な爪を持った工具と言うにはあまりに大きなものを使って、別の車に飲み込ませるとたちまちそれは砕かれ木っ端になる。

 その木っ端を巨大な箱を積んだ台車に流し込み、それを線路に待つ列車に乗せる。

 思い描いていた伐採労務と全く異なっていた。だが、狭くもないこの森を一年で禿野にするつもりだと聞けば納得した。

 労務者の作業の中心は機械の足場を確保するために下草を払ったり果てしなく絡む蔦を払ったりという作業の他に細い木を切り倒したりということもおこなっていたが、人力だけで木の根を始末しようとするとなかなかに重労働だった。

 労務者の仕事は重機が木にとりつきやすくすることと、重機が木を引き抜いたあとの窪みを均すことが主な仕事だった。最初の十日ほどは仕事が少なかったが、段々広場が広くなり見通しが良くなってくると重機の活動が容易になって、しだいに労務者の手が追いつかなくなり始めた。

 そうなってようやく重機の操作技術者が休みを取れるようになった。

 木を刻んで木っ端にする機械もよほどの大きな木は丸呑みにできず、幹が見事なものはそのまま枝を払われるだけで列車に積まれたりもした。

 設備という意味では前の鑑別所よりも多少気が利いていた。鉄道貨車を改造した住宅は建物そのものは多少狭かったが窓の作りもよく隙間風もなく、何より外に出ないでも用が足せる便所がついていた。

 風呂も洗濯も好きに湯を使うだけの薪が使い放題だった。

 砕いたばかりの木っ端は煙が多かったが、一旦火が付けば面倒は少なかった。

 警備の兵隊も前線にいったことはなさそうなケツに殻がついた雰囲気ではあったが、動きは悪くなく捕虜収容所にいた素人連中よりはだいぶシャッキリした兵隊風だった。

 毎日一回五十人の兵隊が水と食料と木っ端を入れる大きな空箱を積んで降りてきて、代わりに五十人が木っ端を積んだ列車で一緒に引き上げる。

 そういう風にして兵隊は代わる代わる引き上げていったが、技師たちはもう少し真剣だった。労務者たちは食事の掛かりや風呂係のような雑役の分担があったが、技師たちは二人づつで百組の作業班を担当し、かなり忙しそうだった。

 鉄橋の辺りをジリジリと谷の奥へ向かって伐り進めているうちに冬になった。

 冬の風が吹き込まない風呂は労務者たちにとってありがたいものだった。



 年内にデイリまで線路が伸びているとはマジンは思わなかったが、マスはつまらなさげに鼻を鳴らした。セウジエムルの工区の進展が想定以上に順調で、幾らかの人員と機材が引き抜けた結果であった。

「セウジエムルの連中、なかなか大したものです」

 マスは誇るでもなく、そう云った。

 マスの郷土愛の位置がマジンには微妙によくわからないのだが、マスの基準はデカートの様々にあって、デカートが負けると悔しいらしいということは最近わかってきた。

 ともかくセウジエムルの旧城門現市場入口の広場向かい、という驚くべき一等地に鉄道駅セウジエムル中央駅は完成していた。貨物取り回し線は市街を避けた川沿いの河川港傍にできていたが、街道と生活道にそれぞれ張り付くように土地がとられ、既に街区の整理整備が行われ生活路の公道化も進められ、デカートよりもよほど熱心に鉄道駅の最大効率を引き出す努力をしていた。

 旧城門前などという一等地に作ってしまったために人通りが極めて多く、重機の運用には様々な支障があったはずなのだが、セウジエムルの元老院が一ヶ月半という期限を切って道路の占有を宣言し、その期間に高架鉄橋を整備し駅を開設することを求めた。

 複々線とその待避線の六本の線路を持った高架駅は全く見事な巨大さだったが、

 セウジエムルの建築職人はローゼンヘン工業の作業員の仕事を邪魔することなく周辺設備を整備して見せ、正直なところを云えばデカートの環状線の駅がいかにもやっつけ仕事に見える相当に大した出来栄えであった。

 電話や電灯線についても、多くの家と直接交渉をする労をセウジエムルの元老院が旧来の地主である街区長に直接指導頼むことで、空中線や配電設備を住宅敷地に設置することを認めさせ、道幅を狭めないまま街区単位で配線計画が立てられるようになった。電話工事も街区長の意向で進められることが多く、つまりは巨大な賃貸物件の整備をおこなっているということに思い至るわけだが、整備上の管理がおこないやすいという大きな利点があることは間違いなく、連絡問い合わせ先も話の流れ方も顧客本人を呼び出すまでもなく、街区長に委任されていることが多かった。

 住民としてどうなのかということをあまり考えなければ、迅速に物事が進むような体制が整っていた。

 セウジエムルでも多少の無理を市井に強いた後には当然に一旦の休憩が必要で、線路はマニグスへの道をたどり始めた。しかしそれはセウジエムルの内部ではすでにある程度予定が組まれ始めてもいて、ローゼンヘン工業にとってある程度以上に無視できない内容でもあった。

 マニグスから先の工区についても、大きな期待が寄せられていた。

 軍都への道を北街道に沿わせる形で伸ばすことは距離の上からも既存の拠点の上からも重要で、ミョルナの人々の反応が悪くない様子だというのが大きいのだが、樹海の伐採をおこなう重機の手持ちを堰堤工事の基礎に回してしまったことが大きい。

 重要度で云えば鉄道よりも堰堤完成の遅れのほうが致命的で、測量も満足といえるほどに進んでいない樹海に道を割りさくことはいずれ考えるとしても後に回すことになった。

 マニグスに線路が伸びること自体は好ましいことだった。

 豊かな農業都市であるマニグスは二十万近い都市人口と周辺に砦を備えた集落をもつ典型的な独立都市で大議会に席も持ち、州領域全域では五十万近い人口を備えている。山から集まるヴァーデン川の源流が湖を作り、その湖水の豊かさを糧に農地が支えられていた。

 高い山が雲を引っ掛けるおかげでマニグスは日照が多く、水にも困らない土地だった。

 丘がちで水の便を選ぶデカートと違い、面倒の少ないマニグスは肥と種だけ撒いていれば、どんな作物でも育つと周辺では彩り豊かな農作物の産地だった。

 ところで、とマスは言った。

 トンネルカッターの二号の様子はどうかということだった。二号は車台四つを四隅に備えた自走式の架台に積みこみ積み下ろし装置を組み込むことで組み立て工期を圧縮することができる構造になっていた。鉄橋や都市部では移動が困難だが、広い作業施設もあるマシオンで組み立てて複線区間の完成した地点まで運び込み下ろし作業をすることで、組立て工期を圧縮することができる。

 坑道完成後は積み込み下ろし用の油圧装置と自走機構で次のトンネルに向けた方向に向きを変えることができるために作業の連続性が担保できる。

 結局、整備の問題があるために工具や人員は減らず、自走機構の分だけ様々が増えてしまうが、ともかく開店と閉店準備にそれぞれ十日もはかからないはずだった。

 一号が車輌搬送を考えて分解組み立てが容易な構造をしていたが、二号は面倒な構成になっていて、一号のような組木細工を積んで留める式の構造にはなっていない。

 設計上は一号の先に設計がおこなわれた機械だったが、輸送計画の問題から製造は先送りになって一号二号が逆転した。

 浮動式の懸架を行っている都合で脱線はまずないが、線路上の乗り心地は相当に悪いはずだった。

 重機に乗り心地を求めるバカはいませんよ。

 マスはそう言って笑ったが、精度が怪しい複線を跨いで車台を支えるために重金属塩水溶液で支えた懸架方式は上下はともかく前後左右にも舟のように揺れる。

 設計上全周五キュビット水平方向に動くことになっていると言うのは体感上落馬や投技で放り投げられるのと全く変わらない。電磁減衰器の性能次第というところであった。

 機械の様子はともかく、マスがそれを求める程度にはミョルナへの道とその後の出口については手当がついていた。といえる。

 業務の刷新にあたって様々なものがマジンの手からは奪われていて、ミョルナへの路線整備工事においても、これまでのように全てが決裁の対象にはならなくなっていた。

 おかげで秋の終わりごろから予定外の業務が入ると書類が積み上がってしまうということがなくなっていた。

 セントーラはどうやってこれだけの仕事をこなしていたのだろう、と不思議に思ったが、専門外の監査役である彼女は決裁内容が読み取れない書類や規定上違反している書類を全て現場に投げ返すことで、読みやすい分かりやすい書類をだけ処理していた。

 業務予定期日と案件と部門を照らし合わせ余裕が無いものをマジンに投げ、残りの釈明の聞き取りに秘書三名をつかい秘書からの説明が要領を得ないものについて、再提出を電話を使って求めていた。

 それが破綻しないように秘書室には巨大なカレンダーが貼り付けられ、各部門ごとの帯状のスケジュールが示され、複数の部門をまたぐ計画はダイヤグラムが描かれと、まるで鉄道運行計画表のような有様だった。

 棄却破棄或いは裁定却下という事態はすくないが、ともかくひたすらに再提出を求めることで案件を整理していた。事務経費のかかる方法だったが、雇用人員に余裕があり事務経費そのものは右肩上がりの業績の間は気にする必要のない話題でもあった。

 ただ不慣れな管理職の負担は大きかったようで、マスもセントーラ女史には書類の書き方について相当鍛えられました。と苦い顔で笑った。

 社内に千人ばかりいる文盲の管理職は部下に任せたり、部内予算で秘書を雇ったりとして対応していた。多くは業務刷新を契機にゲリエ村の学校で子供達に混じって読み書き算盤を鍛え直している。

 ともかくも来年にはマニグスを抜けミョルナへの足がかりを作ります。

 マスは自信ありげに言った。



 クワイランの進めていたデカートのヒマワリと後に呼ばれる回転昇降機の技術実証機――巨大観覧車は冬の間も寸暇を惜しみ組み上げられた。

 マジンがそういう日程を切ったわけではない。

 河川開発のチョロス川ミズレー水郷の開発と運河利用を担当することになった第二水運開発課が年越しの祭りに間に合わせると宣言して自らを試し、辛くも照明の点灯による建設完了を誇示できたということだった。

 実際としては単に動力機構を含む骨組みの完成が間に合ったというだけで運転の調整は疎か百に及ぶゴンドラの配置も終わっていない、観覧車としては未完成の機械であるが、ともかくも直径二百キュビットの巨大な車輪構造物とそれを支える基軸構造はダスマタギの丘の上に完成した。

 見る位置によってはダスマタギの水門の上にはみ出すように立っていた。

 実際としては必ずしも正しくないが工事用の応急線をダスマタギの丘に掛け、工事用の重機と観覧車部材を引きずりあげるようにした工事は陸運よりも遥かに制限をゆるくして設計がおこなえ、現場での工期を圧縮した。

 滝に面したミズレー水郷でも引き上げ引き下ろしと云う違いはあるものの同じ手法で資材の搬入を行う予定であったので、搬入準備工事の実証試験でもあった。滝上部の水路に水門を設置し流れを止め鉄橋斜面を工事し、資材を詰めた車輪付き艀を牽引しつつ水郷水面に下ろす。梱包が十分で速度が適当であれば滑り台の要領で相当の荷物がおろせ、滑車の制御に問題があっても水面の浮力と抵抗で危険は少ないはずだった。

 むしろ工事として急いでいた理由はこの工事用資材線の設定が第一路線整備課以外だと怪しいのではないかという、難工事というよりも重機に頼りにくい小回りを利かせた現場の判断でしかも、迅速に組み立て解体ができることを求めていた。

 ダスマタギの丘陵の臨時線は観光線路として解体せず残留することが既に決定していて、第三路線整備課が常用に向けた整備をおこなっていたが、本番のミズレー水郷の搬入線はまず資材線資材搬入のための作業が難航されることが予想されていた。

 二百キュビットを下ろすというのは、落とさないように橋をかけるというのとは全く違う難しさがあって、作業員自体が常に下を見ることから工事の技術以前の適性が必要だった。数々の鉄橋や新しい工法の工事を既に手がけていて、重機を匙のように扱える者たちも多かったが、上りはともかく下りの工事は地面があってさえ予想できないことが多かった。

 とはいえ、初めてのことはいつやるかよりは、やるかやらないかの判断が重要で、今なら世界初と自慢できることは間違いなかった。

 既に構想の段でマジンが構造計算書を出していて、工事着工の構造計算に際しては本設計に合わせた数値要素の見直しと、そこから資材人員の日程予算の配分をおこなうことだけだった。

 時間工数の細かい統計はまだ怪しいところだったが、第一路線整備課はそういう意味では熟練で天候以外の理由で二割狂わすことはなかったし、工事の出来も張り切りすぎてから回るようなこともなかった。

 第二路線整備課がそこそこに使えるようになったことからマニグスまでの工事を担当している間、第一路線整備課は新人の研修や工期工区の詰まった面倒くさいところをいくつかまとめて面倒を見ていた。

 第一三路線整備課が第一路線整備課から人員を割く形で編制されたのは、ミズレー運河計画が本格的に起動した証拠でもあった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る