ラジコル・マキス大佐
ラジコル大佐が直接ローゼンヘン館を尋ねるのは初めてだった。
彼が連れている従兵二人とともに、レオピン大佐とその従兵、他にファラリエラを連れていた。
従兵三人を別室に案内すると、ファラリエラも二人の大佐と同室して席についた。
裏の山で取れる小さな柑橘を丸ごと廃糖蜜につけたものを晒した水を冷やして酒代わり茶代わりにクリスタルガラスの器に注して出す。
職業軍人が気忙しい仕事とはいえ、はるばる辺境に足を向ける人々が市井の時の流れを気にしても仕方がない。
多少の雑談で部屋の空気に馴染んだ後にマジンが切り出した。
「本日のご用件はなんでしょう」
マジンの問いかけに口を湿したレオピン大佐がまずは口を開いた。
「様々にあるが、最近の私の聯隊の訓練への協力について、いささか公式にお礼を述べるべきではないかという見解に達して、おじゃました。ふむん。国民の協力義務とはいえ国家貢献への功績感謝いたします」
「杉飾付きメルキウス槌褒章を大本営より預かってきた。受け取っていただけると役目が果たせて助かる」
ラジコル大佐が綺麗な紙箱から勲章をマジンの胸につけた。
「ありがとうございます」
「式典などでつけてきてくれると様々に喜ばしい」
「そういたしましょう。ああ、それでファラリエラ、レンゾ中尉は何のために」
ラジコル大佐が問いを受けるように手のひらを向けた。
「それは私から説明しよう。まぁ、彼女の報告と研究が元になっているので、補足が必要なのだがともかくは私がデカートに来た理由でもある。内容としては軍令本部でも似た研究があって参謀本部とも図っていたことだが、将来性という意味でどこまで実際に繋がるのかがわからなかった。その確認におじゃました」
「長くなりそうですね。水差しに氷を準備させて持ってこさせましょう」
マジンが応接室の電話で飲み物を持ってこさせる間、多少の沈黙があった。
「――我が家に直接お越しということは、できないとなると問題になるようなことでしょうか」
「問題ということはない。ただ残念だというだけだが、実のところ規模の大小はともかく、既にレオピン大佐の聯隊との訓練で見せていただいているモノについて、アレを軍として新兵科として扱うという話について率直な意見を聞きたい」
「装甲自動車ですか」
「できればそれに対処する方法についても意見がほしい」
「動きや扱いとしては騎兵に似ていますが、兵站に掛かる負担や専門性は全く別です。対処としては既にレオピン大佐の部隊で対処されているように陣地地形を活かすか、視界が劣悪であることを活かします。あとは、高精度の銃砲火器で粉砕するということになるはずです」
レオピン大佐が頷いた。
「今ある装甲自動車が起伏や障害のある陣地地形に弱いことは確かですが、自動車の設計で対処が可能なのでは」
「もちろん可能です。今ある装甲自動車は長距離巡航を前提にした鉄道や貨物便の護衛を念頭に置いたものです。もちろん小銃や機関銃への装甲防御を施していますが、戦闘そのものよりは警戒線の構築を前提にした速度と巡航距離を優先した設計です。武装もまぁだいたいその程度のものです」
マジンの言葉の意味するところに、訓練で散々苦労したレオピン大佐が渋い顔で苦笑した。
「すると、純粋な戦闘専用の武装装甲車輌、まぁ仮にその、戦車が出てくると陣地地形が無効になるということですな」
ラジコル大佐が確認した。
「無効となるとまではいきませんが、幾らかは効果を減ずるように設計することになります。地形の問題は基本的に車輌の大きさの問題と直結しますので、全体に車体が大きくなりがちですが、そうなることで被る不利益もあるので、万能の車輌を造ることは理論上不可能です」
「しかしそう云った戦闘向けの自動車に対抗するためには火砲の性能をある程度向上させないと対処ができない」
ラジコル大佐が確認するように断言した。
「自動車への対処は地形による対処と火砲による対処の二種類が同時に進められるべきでしょう」
「現実に今我々にかけているものはどちらでしょう」
ラジコル大佐が質問するのにマジンは少しためらった。
「……。結局はなにと戦うかという問題になります。また、そのための準備という話になると思いますが、そういう意味において、仮に自動車と戦いたいということであれば、高い命中率期待率を持った火器ということになります。塹壕で足を止めるのも目を潰すのも確実に相手に命中を与えるためです」
「現有の共和国の大砲で可能ですか」
レオピン大佐が尋ねたがマジンはあっさり首を振った。
「可能不可能でいえば可能ですが、とても難しいでしょう。威力そのものは十分ですがまず当たらないと思います。似たようなことを既にワイルの自動車盗賊がおこなっていて、どこからか手に入れた貨物車に二門の小さな大砲を積んでいましたが、景気付けのようなものです。ただ、当たれば間違いなく吹き飛ぶようなものですので油断はできません。車体は致命傷を受けないでしょうが、横転すれば動けなくなります」
ラジコル大佐が渋い顔をした。
「我々もアレには手を焼いているところだ。短期的な話としては、まさに連中に対処するための話になる。今後機械化が進むことは避けられそうもない、という雰囲気はたしかにあり、軍としてはそれに対する対策と優位性を確保したい。その震源策源地としてのデカートの調査が私の配置の理由でもある」
「我が隊や捕虜収容所の警備隊や鉄道警備隊との訓練や、或いはローゼンヘン工業からの装備品の貸与等の問題で軍令本部に確認をしたところ、実地調査報告をおこなうことを求められまして、私はなかなか部隊を離れられませんので、その応援にきてくださったのがラジコル大佐です」
レオピン大佐がするりと補足した。
ラジコル大佐が頷いて引き継いだ。
「訓練成果の報告については様々に驚く内容であったのだが、実は関連する報告が相当以前からレンゾ中尉から上がっていた。戦闘用自動車の可能性と対策研究についてだ。知っての通り、すでにギゼンヌでは組織だった形で自動車を使い機関銃で武装させ、敵前斥候をおこない或いは兵員を展開回収するという作戦をおこなっている。彼らの活躍は全く頼もしい限りだが、敵としてみた場合、直接的な対処方法としては、自動車戦または戦車戦に向いた車両と砲を必要とするだろうという研究だった。云わば戦車科或いは対戦車科を創設するべきだという研究だ、と理解しているがいいかな」
ラジコル大佐がファラリエラに確認した。
「概ねそのとおりです。ただ、現状そうあるための兵站能力にかけているという点が問題です。私が注目したのは大砲の口径を絞って軽快な操作をおこえる軽量野砲を作れないか使えないかという点です。つまり戦車そのものより先にその軽量砲の可能性です。そしておそらく、兵站の問題が障害になり、それでもなお必要であろうという研究です」
「ファラ、レンゾ中尉がどこに問題を感じているのか教えていただければ、たすかります」
「基本的には採用初期の装備の配備、それと銃弾の供給、ということになります。結局配備する銃と銃弾の備蓄を使えないことが、過去に後装小銃の問題の発端でありましたし、今またローゼンヘン工業が鉄道敷設計画を実施している理由でもあります。小銃と同様の問題が大砲にも起こるとすれば、より深刻な問題になることは間違いありません」
ファラリエラの指摘に二人の佐官は少し驚いた様子だったが、二人共に頷いた。
「なるほど。兵站能力が向上するまで自動車戦術に対処することは困難であるという内容か。多少読み違えていたな。戦車を諦めるにせよ、たしかに現状の野砲では自動車の突破に対して砲の旋回も発砲も追従しきれない。そもそも大砲自体が直撃を目的として作られていない。そこを転換すべきだということだな。そして現状それに堪える体制でないと」
「その通りです」
ラジコル大佐の確認にファラリエラが笑みを浮かべる。
マジンが製造を想像しながら何故おこなえないかということを説明してみる。
「平射砲がこれまであまり作られなかった理由はいくつか想像できますが、一つには照準のための旋回軸と搬送の際の車軸の問題、もう一つは装填の面倒にあるはずです。
高速で砲弾を打ち出す平射砲は反動の問題もあって移動の際には台座の重量や大きさが問題になると思います。結果輸送を含む操作そのものを簡便にすることはできませんでした。ですが、車輪車軸の精度と強度が十分で砲旋回が容易であれば自動車の速度そのものに追従することはできなくとも、停車中を狙うことは容易になるはずです。
いずれにせよ陣地による待ちぶせという用途になるわけですが。
装填の方は、銃身が長くなることと装薬が増えることによって操作の面倒が増えるということです。発射速度の問題につながりますから。しかしこれは砲の材料を見直し構造を変え重量を軽減することである程度対処可能です。重量を軽減することで起こる問題もありますが、話題としては瑣末でしょう」
「装薬そのものの問題は」
ファラリエラが確認するように言った。
「黒色火薬でも発射そのものは問題ない。単に煤掃除が面倒だというだけだ。後装化することで煙突掃除と同じ要領になって皆が煤だらけになる可能性はあるが、積もった燃えカスで次第に装薬量が少なくなるようなことはない」
「いけそうだな」
ラジコル大佐が手応えを感じたように言った。
マジンは話が通じているか、少し心配になってきた。
「むしろ、問題は、今は新造配備をどの程度急ぐかという問題です。そちらは当面あまり余裕がありません。結局、鉄の生産量の問題です。
ご存知かと思いますが、今フラムやミョルナの鉄鉱石採掘や粗鉄生産やまた水運による輸送の増加分をほぼすべてを第四堰堤計画に回しています。鉄道用資材を確保するために自動車生産は再び低調に戻っています。
話題としては再び兵站の問題に逆戻りです。五年とか先を目指すつもりで投資がすすめばミョルナの鉱山が良い仕事をしてくれるでしょうし、なにもせずストーン商会が今のまま各地に機械を売り続けても、十五年後にはある程度の展開が見られるでしょうが、例えば再来年からの配備ということであれば、量にもよりますが間に合わないでしょう」
「早くする方法は」
理解に水をさされ苛立ったようにラジコル大佐が尋ねた。
マジンは改めて説明する。
「軍都に鉄道が伸びること。軍が兵站連絡の改革に全力を挙げること。各州が鉄道計画を積極的に推進してくれること。逆説的ですが、自動車の大量導入は一旦諦めたほうが兵站線の成長には有効です」
「どういうことだ」
意味がわからないというようにラジコル大佐が説明を求めた。
「中途半端な輸送力拡大で満足されると、逆に妨害派が出てきます。舟と馬車とどちらが速いか安いかという話題にも似ているのですが、手軽な分自動車のほうが様々に有利ですが、経費あたりの輸送量という問題で言えば鉄道に軍配が上がります。整備初期においては見積り量がある程度以上確保できないと運用も生産も採算が取れません」
「そういえば何故キミは鉄道などという面倒なものを思いついたのだ。自動車千両あれば軍都までの自動車輸送なぞ容易かろうに」
マジンは少し困ってファラリエラに目を向けた。
「大佐殿。鉄道が敷かれるまで月に様々合わせて二十グレノルほどしか運べてなかったそうです。それが、今や鉄だけで日に千グレノルを扱うようになった。という事実を思っていただければ、ゲリエさんがなにを言っているか、想像いただけるかと思います」
ラジコル大佐は首をひねるようにしてマジンに目を向けた。
「どういうことだろう。すまないが、ご教示いただけるだろうか」
「物証を提示することは難しいのですが、鉄道の輸送経費というものは概ね停車駅の数と機関車の数によって定まります。結果として、極論を言えば貨車の編成は百両でも百五十両でも三百両でも大差ありません。むろん積載が増えると加速度が落ちて時間が増えるので高くなりますが、それでも長距離の場合、結局大した変化ではないのです。ローゼンヘン館はどこからも等しく辺境であるので、鉄道は極めて効率的な輸送手段になります。更に言えば、運転手が荷物の量によらず一組でよろしいというのも大きな利点です。有能で信用できる技術者を育てることは難しいですから」
「運ぶ量にかかわらず?なぜそんなことが起きるのだね」
ラジコル大佐は不思議そうに尋ねた。
「鉄道はその、ビリヤード台のようななめらかな線路を転がるので上り下りが少なければ果てしなくゴロゴロと転がるのです。或いは氷の上を滑らせているということでも構いませんが、中間経路では殆ど力を使わないですみます。その……、馬車や自動車と違って鉄道には泥濘という敵がおりません。御者と馬の数が少なければ糧秣は少なくてすみます」
そこまで大雑把な話としてマジンが言うとラジコル大佐も思い当たるような顔をした。
共和国の軍人なら誰しも行李が雪や泥濘や轍に車輪を取られ軸を折られ、泣く泣く荷物を捨てた覚えがある。徒歩で進むことをならいにしている歩兵でさえ、歩けなくなった戦友や糧食他の貴重な様々を行李を捨てるたびに諦めていた。
「鉄道、とはつまり、道を固めるということか」
「道、といって道だけではないのですが、あらゆるところで事故を減らす努力をしていますし、すべてを自社の裁量でおこなっているので、自社の責任において事故を減らせます。事故或いは無事故が社主である私の信頼になります。自動車貨物はあいにくそういうわけには参りません。またその気楽さが売りでもあります。どちらが良い悪いという話ではありません。どちらも必要なので、鉄道も作っているところです。……さてそれで、対自動車戦術の新兵科についてですが、技術的には可能ですが、共和国の生産力を見た場合、その、戦車部隊ですか、或いは対戦車部隊を編成することは兵站上困難を引き起こします。必要は理解したうえで大規模な編制は出来ないということになると思います、少なくとも当面は。見込みとしてもミョルナの鉱山が生産力拡大を本格化できるのは鉄道が敷かれてから三年かというところと思います。結局、石を掘ったあと運び出すまでと市場に集まったあとがひどく詰まってしまうので、おそらく五年か十年かは実現は難しいと思います」
「例えば、キミが聯隊と訓練をさせたような規模の部隊であればどうかね。二十両くらいはいたそうだが」
「試作や試験研究という意味であれば、それほど難しくありません。あまり安上がりとも言えませんが、不可能というほどではありません。私自身あれはやむにやまれぬ事情というもので作った組織ですので、一種の必要経費と諦めておりますが」
ラジコル大佐は嬉しそうな顔になった。
「ところで、その、見られるものかね」
「モックアップと被弾試験用ダミー。試験機二両。量産試験機が二両。がお見せできます」
嬉しそうにラジコル大佐は目を輝かせた。その顔つきはこれまでの話の退屈さを我慢していた子供のようだった。
博物館や水族館の珍しい展示を見るような顔でラジコル大佐は倉庫に並ぶ装甲車の試験機を撫で眺めていた。
量産試験機は運転席の巡航用の窓を上げて銃座の旋回に支障がないことを確認したり、座席の状態を確認したりと、長時間の運用に堪える使い勝手を確認するための機械だった。
様々に使いやすいようにそれぞれ応急的な改変で様々に量産車とは異なっているが、基本的な機能は変わらない。
一両はファラリエラに運転してもらってレオピン大佐とその従兵、もう一両にラジコル大佐とその従兵をご案内してレオピン大佐の聯隊駐屯地まで足を伸ばした。
車重として二グレノル半の巨大なリクガメという印象の車体は、銃座の上から首を伸ばしても騎乗の高さより少し低いはずで、車輪はそれなりに大きく足回りの自由度も広げたが、速度が三倍から五倍くらいでているので上手く腕と腰でバランスをとらないと舌を噛む。しばらくラジコル大佐はなにやら様々に車内電話を使っていることを忘れて叫んでいたが突然静かになった。
次作るときは一回り大きく作りたいところだが、大きくすると整備が面倒なので、資材の管理が面倒になる。もちろん材料も多く使う。カネは今のところ湯水のように使え、材料も宛がないわけではないが、無限というわけでもない。
単純に戦闘用ということであれば車格として倍、車重としては四五倍欲しいが、適当に手を抜きつつ息を切らさずおこなえる規模、としてこの車体規模になった。
銃座についても車格に応じて小さく抑えられていた。
ラジコル大佐が気に入った長銃身機関銃仕様の四十シリカ機関銃は船舶用機関銃をほぼそのまま積み込んだものだが、銃座内がぎゅう詰めでハッチを閉じた車長席では地図が広げられない有様だった上に、ベンチレータの容量が小さく連射すると換気が間に合わない状態で危険だった。
外見や武装仕様を気に入って乗ってみたラジコル大佐だったが、流石にこのままでは使いにくいということは理解したようであった。だがなお、戦闘しないということであればかっこ良いほうがいいよな。と零した。
運転席も余裕という意味では殆ど無く、スキットルは使えるが、二パウンの水筒を使うのにコツが居る広さになっている。多少大柄でも出入りに不自由はないが、運転姿勢ではもちろん地図は読めない。座席の姿勢はかなり自由に調整ができるようになっているから、休憩時に姿勢を変えることは出来るが、寝返りがうてるほどに自由というわけでもない。
乗用車を戦闘向けに改造した車両は、それほどに余裕があると云うわけはない。
荒レ野を走るのに都合がいいという意味で大柄な貨物車よりもマシと云うだけで、それが本当にマシかどうかはラジコル大佐にはわからないことだった。
しかし鉄道脇のなめらかな補線路に出た瞬間に乗り心地は一転した。
実戦の状態を試すことがお望みかと思ったが、やはりそれでもなめらかな方が楽なのも確かな様子でラジコル大佐はホッとした様子で様々に感想を述べていた。
夕刻二人の大佐はレオピン大佐の宿営地へ引き上げていった。
ラジコル大佐の配置は本人の希望もあったが、戦況が苦しい折の軍令本部の意向でもあって、しばらく新兵科研究のためにデカートに滞在するということだった。ファラリエラにラジコル大佐の話を聞くと、明晰で作戦戦術指揮官としては大した方なのですが、勇猛果敢に過ぎて本部では実績と年功で昇進しすぎなければ皆が幸せだったはずの方と噂されているようです、ということだった。
リザもそんなことを言われているのか、と夜半尋ねると、お姉様には強力な兵站本部が控えておりますから。と評された。
大尉閣下とか揶揄される様子もあったし、ラジコル大佐と同じような扱いになっているかと思うと心配だった。
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