アタンズ 共和国協定千四百四十六年大雪

 マジンがリザ戦死の報を受けたのは気を利かせてくれたバールマン少佐――鉄道がアタンズに伸び着く直前に彼女はかつて開戦劈頭に共に敗走した同じ中隊の新品小隊長であったマカモト少佐と結婚していた――が知らせてくれたからだった。

 イモノエ将軍は突然のマジンの来訪に驚いてはいたが、何者であるかおよその用向きは察しており、鷹揚に出迎えの士官を駅に送った。

 イモノエ将軍の記憶の中の新兵器の売り込みの場にいた青年と少年の間のゲリエ氏といま目の前のゲリエ卿では風貌も表情も全く異なっていた。

 無理もないとイモノエ将軍は自身も増やしたシワの数を確認するように自分の目尻に指を伸ばした。

「この度はお悔やみ申し上げる。お久しぶりだというのにこんな風な挨拶になってしまったことを、本当に残念に思っています。ゴルデベルグ中佐の活躍によって土石流に巻き込まれた運転手だけで済んだわ。馬匹や歩兵を連れていたらとんでもない被害になっていたところよ。英雄のご遺族にこういうことを云うのはいつも辛いのだけれど、ありがとうございます。あなたの大切な方は我が軍を救い勝利へと導いてくれました」

「彼女は今どちらに」

「半日ほど前に霊安室に。明日の午後の便で軍都に凱旋をする予定です」

 イモノエ将軍はあくまで勝利をしたと言っていた。

「彼女には家族の墓があります。連れ帰ってやりたいのですがよろしいですか」

 儀式に付き合っている心の余裕が無いマジンは自分の要件だけを確認した。イモノエ将軍は蝋細工のような表情のまま、間をおいた。

「……いいでしょう。どのみち軍人墓地は空であることも多いのですから。――カルコス軍曹、ゲリエ氏をゴルデベルグ准将のもとにご案内しろ」

「准将ですか」

「正式な辞令は葬儀においてということになりますが、既に本部からは略綬と階級章が与えられました。これも鉄道の威力です。あなたとあなたの会社には感謝してもしきれない。奥様の死はそれだけに残念です。改めてお悔やみ申しあげます」

 アタンズの将校用霊安室は狭くも小さくもないはずだったが、戦時にあっては広いとも思えない部屋だった。それでも遺体を後送するだけの余裕が鉄道によってでき、即日慌てて葬儀をおこなう必要もなくなったことで随分と落ち着いたという。

 かろうじて冬であれば脂の腐る甘い香りと肉の溶ける酸っぱい匂いを抑えていたが、霊安室特有の滑りのある湿気は香入りのロウソクのせいで奇妙な膜のような空気と人の声や動きにいちいち揺らぎを起こす影を作っていた。

 霊感や魔力の素養がなくとも死者の霊を探してしまいそうな部屋の空気にマジンは眉を顰めた。

 泥と大差ない香りとそれをごまかすための没薬の他に鎮静効果を高めるために幾つもの香料が混ぜられた香は、死者を悼むためとはいえ幻覚を引き起こしかねない。

 阿片だか黒蓮だかで愛する人々の死を悼む落ち着きを作るというのはマジンの趣味の上で好みからはかけ離れた趣向の演出だった。

 だが公営の霊安室では演出ともいえない一般的な処置だった。

 誰もが悼み悼まれる縁者を得ているわけではないが、死者と静かに向き合う場所は墓地以外に必要だった。

 リザの遺体を探すのは簡単だった。傍らにショアトアが跪いていた。

 リザは綺麗に拭われ化粧もされていたから、血の気がないことを探すのは多少探す必要があったが、死後たっぷりと五日経っているリザの体は再び力を失い始めていた。

「帰るぞ。ショアトア。従兵の任務だ。なにがあったか、報告してくれるんだろう。帰り道に教えてくれ」

 遺族への遺体の引き渡しはイモノエ将軍の計らいで手間なく進められた。リザール城塞の破砕に巻き込まれた中には百人余りの負傷兵もいて、重症のものはローゼンヘン工業医療部で面倒を見ることにして引き取った。少なくとも前線よりは確実だったし療養院よりも重症の負傷の回復という意味で薬品や手術の実績は充実していた。



 驚くほどに明瞭な説明をするショアトアだったが、一方で彼女にはなにが起こっていたのかきちんとわかっているわけではなかった。

 彼女が気がついたのは不自然に守兵が高い塔楼や城壁に固執していることでなにか胡散臭い罠のようなものを感じたこと四方の門を守る城兵の抵抗が奇妙に弱く、積極的に城を捨てているように見えることをリザに告げたくらいだった。そしてしばらくの城内捜索の折に帝国軍総司令部からの脱出手順の通達命令書を見つけたことでリザール城塞が既に帝国軍の総司令部ではないということがわかった。

 リザはショアトアの言をいれ一旦は制圧占領するつもりだった城塞を戦車による破砕に方針を変えたが、部隊の離脱は間に合わなかった。城塞の地下を縦横にはしり堀につながる下水道に仕掛けられた爆薬と時を揃えて城の用水にしていた水源が崩された。

 それからのことはショアトアにもよくわからない。

 ただ、なんというか、定員を超えてぎゅうぎゅうにいっぱいいっぱいに詰め込まれた歩兵戦車の中でリザが外部との連絡を取り続けていたことはわかっていた。それぞれの戦車は訓練の途中で車内で煮炊きできるくらいの広さを持っていたが、突撃服を着た兵隊が定員を超えて乗れば棺桶と大差はない。

 命永らえたもののそのまま穴埋めかというパニックを防いだのはリザだという直感がショアトアにはあった。

 待機していた聯隊本部のマリールがリザの戦死を確認するまでリザはしつこいぐらいに埋もれていた戦車の位置や戦車に潜りこみ残った者達の位置を後方の部隊に伝え続けていた。

 指揮車である歩兵戦車にはいろいろ省略されていたり増やされていたりという装備があって銃座の類は随分簡素になっていたし、地図を広げられるくらいの広さもあったから多少広いはずだったが、他の歩兵戦車はかなりきつい筈だった。

 演習で丸一日横倒しになった戦車で待機するという奇特な訓練もやったとはいえ、はっきりここまで外の明かりもない機関も回せない状態での待機は初めてであったし、ゴルデベルグ参謀長からどういう魔法か驚くほど明瞭に各車に通達された救出まで二日乃至三日という予定はつまり演習よりも一回り状況が厳しいことを示していた。少し落ち着くとぎゅう詰めだった車の中から幾人か分の突撃服が追い出され、多少マシになった。

 城塞は土石流に巻き込まれたが、マスタードガスは大した効果を出すことなく、重装備のそもそも防毒装備を用意していた戦車歩兵を殺すことはなかった。

 突入部隊を支援するために展開していた部隊では土石流の回避に際して交通事故を起こしていて合計で五名戦死していたが、部隊としての土石流そのものの回避には成功していて、リザール城塞を賭した帝国軍の作戦は全体としては不満足不完全な形で終わった。

 城内制圧に突入した車両の多くは前と後ろを塞がれた形で瓦礫に埋もれ身動きがとれないままに戦闘どころではない状態ではあったが、幾両かはほぼ垂直に進行方向を向けていたことで地表に這い出すことに成功した。

 どちらの戦車も機関が駆動できるほどに給排気系が機能しているならば、横向きに並んだ戦車二両をまとめて押しのけることが出来る力を持っていて、外側についている様々な機材を幾らか諦めることで、穴蔵から這い出す昆虫のような有様で地力で脱出したものもあった。

 過大な戦車の性能と価格を揶揄する言葉は大本営のみならず、実は装甲歩兵旅団内部でも存在していたが、全くなにを敵としてみているのかわからない戦車は、この局面において帝国軍の陥穽を力まかせに打ち破ってみせた。

 危機から脱した車両の戦闘力は全く怪しげで、主砲を発砲出来るような状況にあるはずもなかったが、破城槌として開き直った使い方をされれば、帝国軍の決死隊も抵抗どころではなかった。八グレノルの車重の鉄の塊が石造りの城塞に突き刺さることで僅かに拠点として機能していたリザール城塞の残留部隊は降伏した。

 装甲歩兵旅団の前衛、リザール城塞突入部隊の戦闘力と引き換えにリザール城塞は拠点としての機能を完全に喪失した。

 だが、帝国軍本隊は既に地形的に裸になっていたリザール城塞を諦めて後方に拠点を作っていたこと、戦力という意味では温存していたことで、リザール城塞の破砕制圧と帝国軍の連絡線の封鎖という作戦の主眼は果たせたものの、帝国軍主力の撃滅という結果を得ることはできなかった。

 帝国軍主力は装甲歩兵旅団のリザール城塞制圧の意図を読み取った段階で作戦行動としてリザール城塞の放棄を決意、地形的な大規模破砕に共和国軍先鋒を巻き込む作戦を選択していた。もちろん作戦の一部であるからには二の矢として反撃も作戦の一部として組み込まれていた。

 強力な先鋒をリザール城塞の破砕で無力化しその混乱で後続する本隊を破砕するという、大掛かりなしかし単純な作戦は、つまりは開戦の際の土石流による陣地破砕の防御的な利用だった。一般的な話題として攻城戦の主力が二線級ということはありえず、長駆帝国軍の縦深を食い敗れるだけの戦力を、地形的な根拠を失ったリザール城塞を引き換えに粉砕できるならば悪くない取引だと帝国軍は判断していた。

 共和国軍の自動車戦力を一掃できればもちろん、そうでなくともそれに近い価値があると帝国軍は考えていた。帝国軍は共和国軍内の政治的混乱を把握していて、もちろんそれが全く指導行き届かない未開の地らしい不透明な混迷によってどう転がるかわからないことも把握していたが、開拓者たちの報告などからおよその見積もりが立てられないということはなかった。

 結果として帝国軍の目算は十分な形では叶わなかった。

 リザール城塞に突入した部隊は丸二日不自然な姿勢で埋もれていたことで、幾人かは骨折や或いは軽くない塹壕病にかかっていたが、一人の例外を除いて突入部隊は生還した。



 装甲歩兵旅団は全く防御戦闘においても強力な戦力を誇示し、半包囲下で瓦礫の街となっていたリザール城塞の各所で友軍とついでのように幾らかの帝国軍捕虜を掘り当てると、動き良く出てきた帝国軍本隊の反攻部隊を自力で食い破り振り切るようにして後退した。

 もともと機材の半数がリザール城塞攻略で消耗していたところに、城塞を引き換えに強力な共和国軍先鋒を叩き潰すつもりでやる気に満ち満ちていた帝国軍を相手にするほどの物資の余力は旅団本部にはなく、リザール城塞を土地として確保することは補給の連絡上も不可能だった。

 マリール――アシュレイ大尉は防御戦闘の連絡中継と戦闘指揮管制と更に救出作業の誘導指揮をほとんど同時に一人でおこない、旅団のほぼすべての戦力を完全に掌握してみせた。

 はっきり云えば越権行為すれすれであったが、各戦闘単位が既に二日の持久戦闘で手持ちの弾薬の殆どを使い果たしており、前衛後衛を入れ替える形で土地を捨てながら友軍が合流する複雑な防御戦闘の中で戦区で最も強力な即時性の高い指揮をおこなえる作戦統括者として、リザール城塞の救出部隊の戦闘指揮を統括していたアシュレイ大尉は、後退してくる前衛予備本隊が備弾充分でないことを理由に、そしてその後は既に旅団本部の指導による作戦戦闘中であることを理由にホイペット大佐への戦闘指揮の移譲を拒否した。

 実際のところ生き埋めになった友軍の収容のために攻守が目まぐるしく動いている戦線は計画的な引継ぎが難しいことは明らかだった。仕方なくホイペット大佐はアシュレイ大尉の指揮に支援の形で戦力再編の整った部隊を戦区に段階的に増援投入することで応えた。

 救出作業はほぼ予定通り三日目の日没前には完了し、すべての人員と重機材を回収し、日没直前に疲れの見えない共和国軍に嫌気を差し始めた動きの悪い帝国軍を戦車が追い潰し、いくらかの土地を稼いだところで日没後に本部に合流すべく動き夜半前に合流した。 

 共和国軍にも装甲歩兵旅団に追従できるほどの機動力を持った部隊はおらず、軽歩兵としての亜人猟兵を戦力の軸にした機動力の高い聯隊が装甲歩兵旅団をかろうじて追う形でリザール城塞を見下ろす位置に進出していたが、戦力を温存した帝国軍主力と正面切って殴りあうことは到底出来なかった。

 装甲歩兵旅団がリザール城塞で生存者の救出に急いでいる間、そしてその後の防御戦闘のおよそ三日間、更にアタンズへの後退の三日間のうちに昏睡状態だったゴルデベルグ中佐は戦死した。

 どの時点でリザが死んでいたのかショアトアにもよくわかっていなかった。

 包囲されようと自動車旅団の戦力は金剛石の如き硬さを持っていたが、その硬さ強さを支える燃料や砲弾は十分無尽蔵には程遠い状態だった。

 リザール城塞を完全に無力化し戦前の陣地線を踏み越えた位置に幾つかの聯隊が進出したことで共和国軍大本営は作戦の成功を誇示したが、帝国軍の戦争能力の粉砕という意味では失敗していた。

 戦争は再びの膠着状態を予感させる展開だった。

 リザール城塞攻略とその後の防御戦闘で手持ちの戦力を消耗した装甲歩兵旅団は後続の聯隊の到着を待ち、予定通り自力でアタンズの整備拠点まで後退していた。

 後退の過定で再び三号橋頭堡での戦闘があったが、帝国軍の後方からの奇襲だったことでそれは殆ど問題にならなかった。

 装甲歩兵旅団は結局たった六名の戦死者の犠牲でリザール城塞を陥落させ、最前線を戦前の位置まで押し込むことに成功した。

 結果だけを見ればそういうことになる。

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