マジン二十八才 2
夕食までに必要なところを一旦写しをまとめ、ロゼッタは突き出すようにしてマジンにこれまでの捕虜事業経費とエンドアでの事業経費の差分を修正した経費予測を突き出すようにしてよこした。
ロゼッタは夕食の折にマレリウヌとゴシュルに明日の予定を伝えて、クァルを送るように命じていた。
作業内容のだいぶ異なる二つの事業を照らし合わせる有意性についてマジンは疑うところがないわけではなかったが、実際のところロゼッタに求めていた作業というものはそういう、意味があるのかないのか怪しいところを繋いで見せてくれ、と言っているようなものだったから、頭をなででやるとロゼッタは頬にキスを要求した。
「しかし、なんというか、利益は取れるものですか」
ロゼッタは自分で書きだした数字が思っていたよりも大きな数字であることに驚いていた。捕虜一人あたりの生活経費として春風荘の寮生のほぼ十五倍くらいの経費がかかっていた。何もない土地に警備の兵隊を始め様々な準備を整えてゆくと、それだけで町の生活の何倍もかかるという開拓者のただ生きるだけの苦労が、機械の経費によって数字として見える形になるということでもあって、規模が大きくなるに連れてその倍率はみるみる圧縮されてゆくはずではあったが、十五倍が八倍或いは三倍になってもかなりの数字であることには変わりなかった。
「一応根拠を元に捕虜一人あたりの経費を各州に請求するが、おそらくは値切られるな。というか、司法行政関連で採算を取ろうと云う方が間違っているんだ。公益事業として共和国と捕虜引受を請求した各州に支払いを求めるが、難航するだろう。多分最後は理事会で非常請求に訴える動議を求めることになる。だが、戦争が続くようならそこは乗りきれる。心配なのはごくあっさりと戦争に片がつくことかな。例えば一期目の債券が捌ける前に戦争が決着するとか、他は、ボクやお前が死ぬことがこの計画では大変なことになりうるところだ。お前が示したところでは採算ラインは六十万辺りからってことになるだろうから、計画的には伸びしろの範囲内だが、正直わからない。戦場のあたりの道路労務も採算なんて考えてないだろうけど、かなり難航しているようだ」
「事業が赤字で良いのですか」
「基本的には赤字でいい。今回の事業は赤字を前提にした補填という名目でより大きな資金を集めることを目的としている。むしろ問題としては赤字の先がほとんど労務者と我が社に向いていて油断をすると出口が少ない今の体制だ。本質的には共和国の様々に向けた接待だ。
そして、社債を売って現金をかき集める名目を作る。といって現金そのものはどのみち右から左に社債の償還分と設備拡張の投資とで消える。
基本的にはボクが所有する各地の生産拠点の会社施設の開発資金だ。ボクが試験的にめどはつけてあるが、六年やそこらでは十分に成果が出ていないところも多い。だが油井は比較的順調に成果をあげていて、油槽の準備が間に合うなら燃料を一気に切り替えてしまっても問題がない。鉄道の普及が前提になるが海街道に関してはもう少し積極的に開発をおこなう必要も出てきた。
そんな風に資金の投資量に見合う生産力の向上が見込めれば、投資そのものはひとまず成功で、拡大した生産量で上げた利益分で債券を償還できれば、世間に資金が還元される。
結果として誰も損をしないままに、資金が増え生産量が増える、ということになる。これが文明の経済効果というやつだ。
前提条件として流通する通貨が順当に増えることを前提にしているから完璧な形で機能するためには金貨銀貨にこだわらない為替や軍票、藩札などを十分に使う必要があるけれど、乱発行すると貨幣の信用自体が低下するから、そこは信用を支える権威が発行を一括監督する必要がある。
ただ、まぁ、それをうちがやって悪いという法もないので、社内通貨の研究についてすでにおこなわせている。うちも来年には社員十万人を突破することがほぼ確実だし、家族関係者を考えれば既に五十万を超えているだろう。兌換通貨の良い所は金貨銀貨の質を落とさないで通貨の流通を水増しできるところで、更に云えば自分で流通量を制御できるところでもある。
ま、タレルやダカートをそのまま使う訳にはいかないからエミュという名にすることになりそうだがね」
ロゼッタは長広舌を聞いて、少し考えて口を開いた。
「つまり、今回の事業は銀行を開くための資金集めと瀬踏みのための時間稼ぎという感じですか。その、例えば、鉄道事業や議会工作に協力的な州にはエミュを割引で売りつけてやるとかそういう感じの。でも、十年で利益が倍になんてそんなに長いこと続くんですか」
「うん。良い質問だし、いい論点だと思う。実のところを云えば会社の成長はある点で頭打ちになるはずだ。
何故かと言うと、会社の価値に相当するほどに共和国の誰もが金貨と銀貨を準備できないからだ。そして改鋳ということになれば、西方で大きく信用を持っているダカートとタレルが値崩れを起こして、まぁあまり考えたくないような事態を連鎖的に引き起こす。
そうしないためには金銀の採掘が順調に進まなければならないけれど、まぁはっきり云えばそうそう伸びるものでもない。仮に将来カシウス湖の金銀を精錬したとして、どこにどうやって流すのかという問題になってしまう。ボクの懐に金銀財宝が溜まっていても、買いたいもの欲しいものがなければ、単なる死に金だ。
共和国が金貨銀貨を打てなくなるのが先か、会社が成長し切るのが先かという競争は、間違いなく共和国が先に音を上げる。太陽金貨の上の通貨を作ってくるかもしれないが、まぁその程度だろう。
うちの会社やボクのところでお金や価値が糞詰まりを起こして世界に流れないことになれば、会社の成長もそこで止まる。それ以前に社会不安を起こした我が社の財産を奪うために共和国軍自体が攻めてきても不思議には思えない。それはそんなに遠いことじゃない。つまり、ローゼンヘン工業は成長し価値を大きく作り続けるためにはたまに手頃な規模で社会に価値を撒く必要がある。
そしてそれは適度にわかりやすい形で損をしていることがわかるように、そしてその損で大勝ちしているものが目立たないように適当に薄く広くある必要がある。
普通なら振り落としても構わないというのだろうが、そうすれば内戦が起きかねない。気に入らない連中を殺して土に鋤きこんでしまえばいいだろうっていうのは、全く一つの解決策ではあるが、別の方法も当然にある。
だから、会社は価値をばらまかないとならない。それはもちろんバラ撒いただけじゃダメで返ってくるようなものじゃなければならない。食料とかが本当は実は都合が良いわけだけど、穀物も金銀とおんなじである程度のところで頭打ちをするし、複数種に跨れば管理が面倒くさくなる。それに地域格差も多い。
そういうわけで、うちの会社が成長するためには兌換貨幣が都合が良いことになる。ダカートとタレルをそのまま扱うと当然に責任が取れないことになるから、銀行を建てて自社通貨を立てるのが成長戦略としては手堅いということだ」
首をひねるようにロゼッタはした。
「つまり、三千七百億タレルだかを共和国が準備できないから、エミュとして流通させるということですか」
「大雑把に言えばそうなる。世界に三千七百グレノルも金があるとは思えない。だから、発行分の社債がある年にまとめて償還が来るとして会社が現金で支払おうと思ったら、払う前に共和国中の貨幣がなくなる。共和国の信用制度が崩壊するわけだよ。
形の上では黒字倒産に限りなく近いが、状況としてはもっと更に大きく悪質だ。ボクらの会社が望む速度に世間がついてこられない。
はっきり云えばうちの会社は共和国中から恨まれる恐れられる理由なしというわけにはいかんのさ。うちの会社が取引ができているのは、社員連中が給与を信用口座でうけとり購買利用しているからだし、軍がばらまいている軍票や為替を受け取っているからだ。共和国経済が崩壊していないのは、うちの会社がほとんど社内取引で帳簿上のやり取りでお金を動かしているからだ。皮肉を云えば売り渋りをしなければ更に崩壊を早める。
例えば中央銀行にいって会社の口座を空にしようとしたらそれだけで銀行は閉まる。現実問題として太陽金貨を大量に打ってもらっても構わないわけだが、おそらくそれはそれで無理だろう。やり過ぎれば贋金が大量に出回るだけだ」
ロゼッタは首をひねった。
「金銀が少ないならエミュを作るとしてどうするんですか。ダカートやタレルを改鋳するということですか。それとも鉄とか銅とか宝玉とかを」
「高額通貨に宝玉を使うというのは悪くないかもしれないな。だがまぁ紙幣を使うのが現実的だろう。金糸銀糸や透かしを入れる等の他にうちでは割と簡単に偽造対策ができる。もっともそういう工作はイタチごっこになるわけだが、ある程度時間が稼げるのは事実だろう。金銀を使わないですむのは材料の上でも都合がいい」
「貨幣ってこういう風に立ち上がるものなんですか」
「いや、普通は地域があって、他所の通貨を他所の商人を締め出すために自分の土地の貨幣を発行するのが普通だと思う。流れの商人相手なら税金で直接取り立てるよりも確実だ。文明通貨の最初は物々交換の時の金の発行元の印という程度だろう。見たことないから知らないけどね。
今回はちょっとこれまでの独自通貨とは少し違う。軍票とも考え方がだいぶ違う。発行元の僕らに価値があるということを担保にした新機軸の通貨を作ろうという考えだから、貨幣そのものに価値がある必要が無いんだ。軍票の信用元は共和国軍ではなく共和国だ。そこが発行元と信用元とを切り離している軍票と大きく異る。
そして会社は一気に貨幣を流通させるだけの根拠としての需要価値を持っている。会社の提供する様々を求めるために人々が新通貨貨幣を求め使う意味があるということだよ。
そういう状況では信用やその価格は発行元に一意に一任される。通貨貨幣を商品とするという意味では両替商と同じだが、貨幣そのものの信用を支えたまま商品価値は限りなく小さくすることができる。謂わば完全無記名無品目無期限の定額為替だ、ということだよ。結果としてローゼンヘン工業銀行部と云うべき組織はローゼンヘン工業が人々の需要に供給可能な担保可能な価値分だけ必要なだけ通貨発行をおこなえる。また適度なタイミングで発行貨幣を回収し処分することで貨幣価値の調整がおこなえる」
「処分しちゃったらお金が減るのでは」
奇妙なという顔でロゼッタは尋ねた。
「エミュでしか売らない特別な商品を作ってもいいだろう。そうするとエミュの価値は上がる。例えば街頭でエミュを手配りすると余ったエミュの価値が下がる。
もちろんそういうことを繰り返しているとエミュ自体の価格価値とは別に人々のエミュへの利用信頼は失われ、やり過ぎれば最終的には使われなくなることになるが、エミュの流通が十分に巨大であれば多少の変動はネコの目が振り子の先に吸い寄せられるような効果を発揮する。そこは地域的な述べ流通量以外の額面で測りにくい景気とか雰囲気というものが重要になる。
比較的面倒くさいのは通貨の価値を上げる事よりも実は適度な速度で利用可能な信頼状況まで通貨価値を下げ陳腐化させる方法だ。エミュを使ってもらうためにはボクらが最初にカネを配る必要がある。やり過ぎればどこかに便所紙のように積まれ、こちらの考えていた通りの価値ではなくなる。
どうやって人々に最初にボクらが倒れない程度にエミュを配って使わせるかが、一つの問題になる。
エミュを配っただけでは発行元の損にならないところは実はとても重要で、エミュを何かの物品、ダカートなりタレルなりその他の商品に変えたところではじめて発行元の資産が減る。が、配りすぎると当然にそれが雪崩のように押し寄せてくる可能性も考えないとならない。つまりは、三千七百億の社債償還をどう考えるかというのに問題は似ている。手元に商品価値があればいいが、なければ連鎖的に問題になる。
幸いにしてというか、事の起こりとしてその問題の解決は我が社にはすでに八万八千からの社員がいて、彼らに給与を払う必要がある。その彼らの給与をエミュとして会社で提供しているすべての商品価値をエミュで支払いをおこなうと有利なように設定するという方法で貨幣流通を促す。もちろん口座も受け付ける。それで数十億の金貨銀貨が不要になる。まだまだ足りないわけだが、基本はそういうことだ」
共和国全体で言えば便所紙という考え方自体が贅沢だったり、数千億タレルという金額をどういう風に理解して良いのか、ロゼッタにはわからなかったりするわけだが、話の流れとしてはそういう膨大な重さを持った金銀を直接動かすことの苦労を避けたいというこれまでの流れと矛盾を感じられなかった。
「簡単そう。会社からの支払いや社債の償還をエミュで受け付けると割増にするとかしたらいいんですよね。何か問題があるのかしら」
「まぁ社員と社員以外で生活格差が大きくなるだろうな。あと、鉄道の連絡の有無でも格差が生まれる。少なくとも当初は」
「今よりですか。結構デカートでも問題になっているのに。医療部とか鉄道の予約とか社宅とか制服とか。ひどい人はアタシにまで文句言ってきますよ。なんで弁護引き受けないんだって」
面倒くさそうな話にロゼッタは嫌そうな顔になった。
「混乱の大きさはどのくらいエミュの拡散を急ぐかによるな。ただ基本的に話題として適当なタイミングで回収可能な、うちの場合は企業成長分を見越した通貨流通量が必要だから、デカートを中心に動揺が起きるのはどうしても仕方がない。来年中にはある程度の研究がまとまるはずだから再来年には利用可能なものを揃えて出すつもりでいる。お前論文書くか。商学でも哲学論文書けるぞ」
ロゼッタは手を振って目の前を払った。
「バカ言わないでください。ただでさえなんか妙に偉い人に注目されて面倒くさいんですから。でも、銀行とか作ったら会社はまた目の敵にされるんじゃないですか」
「されるだろうなぁ。作らないと共和国が潰れるのになぁ」
「鉄道と電話と電気とガスと水道と自動車と鉄砲と売ったら~。とか言ってくるんじゃないですかね」
「ま、売って買って維持できるなら見てみたいものだが。設備投資で鉄道も電気も電話もただひたすらバカみたいにカネを食っている状態なんだけどな。自動車で金持ちからカネを吸い上げているからなんとかなっているけど、いま手放したらすごいことになるぞ。第四堰堤は筐体が完成したから、デカートは最悪数百年は毒水を気にしないでいいが」
「水中鉱山とかってのは結局どうなったんですか」
「来年試験運転をしてみる。新型発電機の組み立ても基礎工事が終わった。だが浄水器の規模は杯で汲んでいたものを柄杓に持ち替えた程度のものだ。仕事の出来によってはそのまま湖に戻す」
「なんか新型発電機は危ないって言ってませんでしたっけ」
そんな話がというようにロゼッタは改めた。
「取り扱いを間違えなければ問題はない。石炭や石油を百年分も丸抱えしているようなものだから事故が起こると危ない。何年も燃えるような燃料だから、事故が起こったあとも延々小火のように何万年も燃え続けるしな。思いつく限り手当はしてあるが油断はできない。だが、取り扱いが悪くて火傷するのは言っちゃ悪いがいつものことだ。事故が起きてもカシウス湖の内側で決着するようには作ってある。水が減っていれば問題にならないよ」
マジンは全く淡々と危険そのものはあることを認めた。
「それならいいんですが。エンドア樹海の開拓とかカシウス湖とかどう考えてもお金にならないことやっていて大丈夫なのかと心配になります」
改めてはみたものの特段ものがわかっているわけではないので、ロゼッタは気がかりそうに感想を述べた。
「たしかにどちらも単体としては採算が取れないんだが、それが重要なんだ。ローゼンヘン工業が苦しんでいる、という印象をあたえるためにもね。それに連結的な展開ができないわけではない。カシウス湖は冗談でなく文字通りの大金脈になる可能性もあるしな。樹海も順調なら国のような規模の農地ができる。その気があるならお前を女王様にしてやってもいい」
真面目な話をしているさなかで混ぜっ返されたことでロゼッタは嫌な顔をして手を払って机を叩いた。
「そうでなくてもバカの世話で忙しいってのに、バカ言わないでください。農地に土が売れるとかって話は聞きましたけど。でもアレ、会計を見ると土が売れるって云うよりは鉄道が利用されるようになったってだけみたいですけど。売上は立っていますけど、機械とかの運行費みているとどう考えても赤字ですが。その分確実に伐採地が増えていることは認めますけど、お金にはなっていません」
責めるというより意味がわからないというようにロゼッタが言った。
「それでいいんだ。農家が鉄道を使うっていうことを思いついてくれれば、そのためにカネを必要とするって云うことだろう。お金なんて酒飲むか賭博のチップぐらいに思っていた連中がうちの商品を買ってくれるようになるってことが重要なんだ。土を運ぶために機械も必要だしな。マイルズ卿は一生懸命金策しているよ。マルバレーダのところも軌道に乗ったみたいだ。ミョルナにも土は持ってゆこうと思っている。あそこも鉄道沿いの山間で頑張っている農村はあるからな」
「なんか貧乏人相手にしても間に合わないような」
胡散臭気な様子でロゼッタは感想を述べた。
「そう言うな。農家はアレで成長の基盤だ。伸び幅は大きくないが確実に価値を作ってくれる優秀な業種だよ。ヴィンゼぐらい元がひどいと伸び幅も十倍にもなる。セゼンヌが信じられなくて町中の畑をめぐってたぐらいだ」
慰めるような口調のマジンに詐欺か手品の仕込みを見破ろうとロゼッタが何かを考えるようにしていた。
「そういえば大豆が大暴落しましたね」
口をとがらせていたロゼッタが言った。
「まぁ油の先行きがなくなったからな。大豆自体はボクは好きな豆なんだが。会社でもかなり引き取ったはずだよ。安かったし」
「知ってます。相談受けました。料理に使えないかって」
ロゼッタが面倒なことを思い出した様子になった。
「色々使えるんだが。基本は煮豆だが、干したのを水にふやかして出てきた豆汁を固めてみたりそのまま使ってみたりとか、塩豆は雑菌を減らしやすくてゆっくり発酵するから、醤を作ったりな」
「教えてあげてくださいよ。なんでアタシに聞きに来るんですか」
ロゼッタは行儀悪く机に腰を預け、マジンの座る椅子を蹴る。
「頼りにされていると思って諦めて喜んでおけ」
ロゼッタは口を尖らかせたまま、頭を突き出しマジンに撫でさせる。
「それで戦争の方はどうなんですか。鉄道も上手く使えなくてなんかパッとしないみたいな話を聞いていますけど」
「夏頃にはアタンズまで単線が伸びる。冬頃にはギゼンヌにも伸びるはずで、ドーソンは再来年だろうなぁ。ただ、南部は測量が終わっていないところがまだあってよくわからないんだ。軍は途中にある集落に駅を作ってそこを拠点にしたい意向もあるらしい。そうするとドーソンは少し後回しになる。鉄道が上手く使えないのは、正直予想出来ていたことで、鉄道の大事なのは荷物をどうやって出し入れするか。行李の性能を上げてもその先の計画、兵站の運用計画がある程度定まっていないと話にならない」
ナンチャパラーという集落は水の便が悪く人口は少ないものの平地がちで、鉄道基地の取り回しに都合が良いと軍は考えていた。
「いま、アタンズに夏頃って言いました」
「言ったな。その予定だ」
マジンがあっさり頷くのにロゼッタは睨む。
「ひょっとして、それで突然アタシに事務局長やれってことになったんですか。三ヶ月で三十万人受け入れるつもりでって」
「三ヶ月でおこなうのは伐採と整地だけだけどな。そうしたら、捕虜がその後夏頃から送られてくる。とりあえず三十万人」
なんでもないことのように言ったマジンの言葉にロゼッタは嫌そうな顔をする。
「三十万人ってデカートの人口と同じくらいですよ」
「今はだいぶ増えて五十万人って云ってるけどな」
確かめるように言った言葉をあっさりと上書きされてロゼッタは呆れたようになる。
「そんで採算がとれるようになるのが六十万人超えてからって」
「まぁそのくらいは必要だろうな」
桁違いの話に毒気を抜かれたようにロゼッタは気分を変えて真面目な顔になった。
「材木は」
「整地しながらだから、タダだな。だけど土地を確保しただけじゃ、住宅分の木材は手に入らない。その三倍か五倍か伐採する必要がある。それに湿気が強くてすぐに使うというような材料じゃない。丸太小屋って土地じゃないんだ。とは言ってもある程度はそうしているけどね」
「食料は」
「とりあえず運ぶ。だがそのうち自給はしてほしいな。土地は植物には向いているから灌漑計画だけきちんと立てて土地の水を抜いてやれば畑として機能する。いまのままだと腐りきっていない乾いた沼の底のような有様らしいから、どこかの一角を水抜きして土を作る必要がある。農作物の土にするためにはどこからか土を運んできて二年かそこら土を作る必要がありそうだ。似たような話題で面白いことにヴィンゼの土は植物を弱らせる働きが認められている」
「似たようなって。そんなことって」
耳を疑うようなことをロゼッタは聞きとがめた。
「ヴィンゼの連中にしてみれば面白がっている場合でもないだろうが、ともかくそういうこともあるらしい。マイルズ老が焦って金策する気分がわかるだろう」
「ヴィンゼの土がって、毒なんですか」
心配そうにロゼッタは尋ねた。
「人が食っても死なないところを見ると、毒というよりは栄養がないとか根が伸びないとかそういうことなんだろう。ともかく一キュビットばかり厚みを出して土を入れ替えるとセメントも突き破るエンドアの森もしばし沈黙する」
「しばしって、どれくらいですか」
面白そうに説明するマジンにロゼッタは確認した。
「わかるわけないよ。ようやく二年だからね。ヴィンゼの土を捨てに行って樹海がおとなしくなった話をしたらポルカム卿がうちも土を入れかえたいって話になった。ソイルの対岸のあたりもイマイチなんで土地を入れ替えて耕作してみるつもりらしい。そういうわけで彼も理事に加えた。色々耳に痛いことを言う御仁ではあるが、ガラの悪い正直者というところだ」
そういう人々に振り回されているロゼッタは嫌そうな顔をする。
「ともかく伐採したところをその土で入れ替えていけばいいんですね」
「そういうことになる」
「どれくらい土を入れ替えたんですか」
「百二十万グレノルってところだから鉄道貨車の延べで十万両くらいかな。一リーグ四方にはまだ全然達さないが、最低限の整地は進んだ」
ヴィンゼの土が効果がありそうだという判断ができたことで、鉄道のおさえていたヴィンゼの線路沿いの荒れ地の土が削られるように持ち込まれていた。
「それって、ひょっとして堰堤の材料と同じくらいってことですか」
「規模で言えば堰堤のほうがまだ数倍あるが、線路を通そうと思えば当然に超える数字になるな」
今更ながらに採算がとれるはずもない事業であることにロゼッタは眉根を添えた。
「それって、いつまで必要なんですか」
「土か。とりあえずは東西と南北に道が伸びるまでだから合わせて五百リーグくらいの長さ幅でおよそ百キュビットというところだから、道の面積で一リーグ四方。建物を含めておよそ倍と考えると二十倍くらいかな。資材の量としては第四堰堤の大体二倍半から三倍というところだ。って資材量についてはどこかに計画見積り書いておいたろ」
「ありました。けど、そんな大きい数字書いてあっても何のことだかわかりっこないし、ヴィンゼの土だってことは書いてなかったです。舗装材とかって書いてありましたけど」
「まぁ舗装材は色々使うからな。ミョルナから砕石も大量に運ぶ。最後はアスファルトやセメントもいるしな」
「こんなに色々使ってどれくらい保つんですか。百年くらいですか」
「それくらい保てばいいと思うが、おそらくは二三十年というところだろう。保線の費用はこれほどにはかからないが、人里離れればそれなりに掛かる。高温多湿地域だからもっと短い可能性も十分にある。十年も経てば草が覆うくらいに根が生えるくらいに落ち葉も積もるだろう。一旦そうなればどのみち直ぐだ。爺さんたちの除雪機で草葉を焼きながら灰を飛ばしていったとしても、わずかに残った灰とタネですぐに花壇のような有様になる」
工房の老人たちはガスタービン機関の新しい使い方として除雪機を提案して提案して見せていた。高速高温の排気で雪を溶かしつつ吹き飛ばす手押しのブルドーザー状のそれはローゼンヘン館のような広いところであればそこそこに役立つが、一方で飛ばした泥混じりの水滴がそこらに飛び散ったり、溶けた水が固まって凍っていたりと微妙な欠点はあるもののまぁまぁ面白げな機能を持つ機械ではあった。
別種で鉄道が使っている巨大な芝刈り機のようなロータリー式の除雪機も作っていた。
「あれ、そういう風に使えるんですか」
「下草焼きのバーナーに使っていたくらいだから大丈夫だろう。どっちかというとボクに空飛ぶ機械を作れとアピールしているみたいだが」
気楽そうに話すマジンの言葉にロゼッタは少し考えるようになった。
「空飛ぶ機械ですか。あの熱気球とか飛行船とか云うやつですか」
「まぁ、それもという感じで別のものを作るつもりだが、飛行船の話はどこで聞いた」
確認するようにマジンは尋ねた。
「会社では割と有名でした。ミョルナの開発で活躍したが、あんまり経費が高いんで社主が目を回してお蔵入りさせたとか、嵐の船みたいに本当に揺れるんで改良中とか、そんな感じでしたが」
「社外秘なんだが、お前が割と有名ってことはあちこちに漏れているってことだろうな」
「空飛ぶ機械の話は少し前に論文で書いていたってことで、会社でもだいぶ期待があったようなんですが、社外に漏れるとマズいような話なんですか」
ロゼッタは心配そうな顔になった。
「マズいというか、今は本当に運行経費が高いんだ。次からだろうな」
ステアはシリンダー式気嚢から二気混合気嚢になってシリンダーからのガス漏れもほぼ完全になくなってはいたが、ヘリウム自体が希少であることにかわりなかった。今は水素漏れに耐える気嚢と配管構造の研究をのんびりおこなっていた。とはいえ水素二酸化炭素気嚢の飛行船研究もそろそろ満足してきたところであったので、ステアの同級船を作ってもいい時期ではある。
気嚢に二種類の比重の気体を混合し外気との比重を調節し、気嚢を原則として変形させず内圧を限りなく外気と平衡に保てることが二気混合式飛行船の特徴でもあった。そのために気嚢の大きな体積変化を必要とせず、構造上剛性をもたせることができる。
それは丈夫な気嚢を丈夫な飛行船をより大きくより軽く作ることができるということである。
ヘリウム利用には材料資源調達上の頭打ちもあり、より大きな飛行船をより軽便に利用しようと思えば、水素利用の努力が必要になる。
水素利用の大きな障害である水素の爆発的な燃焼がこれまでステアをヘリウム利用に縛り付けていた。
問題の一つである燃焼そのもの問題は水素の燃焼速度によって殆ど無視できる。
たしかに水素の反応は猛烈な爆発と高温を伴うのだが、その激烈な反応は燃料である水素と酸素をあっという間に消費し切るために、構造材自体に難燃性が担保できるなら、延焼という形にはなりにくい。構造材や配置の問題は重要な配慮が必要だが、気嚢の内圧を支えるだけの水素の量は二気混合式飛行船の場合はそれほどに水素分圧を必要としない。
不燃性の材料をすでに十分に準備出来ていることで連鎖的な延焼は過剰に問題にする必要はない。
速度による衝撃波による躯体の破壊は剛性のある気嚢と船体構造によって軽量の気嚢材料が高速で飛散したとして破壊に至らない強度を与えられる。
のこる問題は水素の燃焼速度自体で気嚢内に燃焼現象に飛び込まれると気嚢内或いは飛行船構造周囲雰囲気全体を一気に負圧にする点だった。そして大きく負圧になった筐体は剛性に余裕がある作りとはいえ、衝撃波を伴う水蒸気の移動と大気の圧力を飛行船に叩きつける。その衝撃で飛行船が潰されてしまう。大部分を炭素系材料の強度のある膜や骨格構造で支えられた気嚢とはいえ、軽量の材料では破壊にどれだけ耐えられるかは期待されていない。
そのために衝撃波と負圧を感知すると高速で水素系のバルブを閉塞し気嚢内に窒素を吹き込む窒素系爆薬を使った爆発元圧装置が気嚢に複数設置されていることで気嚢の爆発圧壊と船体大規模破壊との対策としていた。気嚢本体の破壊以外では大規模なリークが起こらない構造になっていることと、ガスタービンの研究の成果で超高速で閉塞開放する高圧バルブが実用されたことも自信につながっている。
気嚢が爆発をしたとして構造全体が延焼圧壊をしなければ飛行船の運行には問題がない。
そういう理屈だった。
一部を水素二酸化炭素混合気嚢に変えたことでステアの浮力は大きく向上していた。
ステアの問題は、単純な運行経費というよりはそれに見合うだけの巨大な空輸を必要とする物資八十グレノルがあるかという問題でもあった。大型積載貨物車を四両まるごと荷物ごとの見込めるステアの威力はそれは大したものではあるが、カノピック大橋とほぼ同じ長さの巨体はどこにでも荷物を下ろせる準備があるというわけでもなかった。
「試験中の機械なんですか。乗ってみたいな」
「手軽なやつなら爺さんがこの間作ってた。そっちは面倒が少ない。まぁ、あんまりすごい乗り物でもないが、観覧車よりは高く登れるし風に流されてどこかに飛んでゆくこともできる。丸一日子供たちを載せて上がったり下がったりしていたよ」
フンと鼻を鳴らしてロゼッタは少し考えた。
「そういうものを使っちゃえばわざわざエンドア樹海なんて切り開かなくてもいいんじゃないんですか」
「結局、捕虜をどうやっておとなしくさせるかどうやって管理するかというところが重要で、そのためには働かせて食事を与えてその減った分で人数を管理するのが簡単だってことなんだよ」
「お腹が空いたら帰ってくるだろう、って感じですか」
「ま、そういうところだ。ある程度、穏当に成功しているよ」
ロゼッタはひとまずの触りとしては満足したようにうなずいた。
「会社のなんかを売っているって話も聞きましたけど」
「労務中は割と自由にさせている。地味に人気なのは化粧品とか薬のたぐいかな。騒乱の懲罰に私物没収が入るのが結構効いている様子で、協力的な捕虜が多いよ」
「それもアレですか、価値を与えるバラ撒くってやつの効果ですかね」
「なりふり構わないとか、やけくそとか、管理しようとする側にとっては碌でもない状態だからね。つけあがらない程度に甘やかすのに常識的な取引と信頼は大事ってことだろう」
「甘やかしたほうがうまくゆくってことですか」
聞いたことがない理屈にロゼッタは首をひねる。
「脱柵や暴動を起こさない程度に、だ。自分たちのいる環境が外よりマシであることを教えてやればいいんだよ。そういう意味でエンドア樹海はなかなかの土地だ。機材資材がなければボクでも流石にここに手を入れようとは思わない。実はミョルナの工事の直前にエンドア樹海を横断しようとか考えていたことがあるが、そうしていればどうなったかは今ならわかる」
「会社が潰れてたってことですか」
心配そうにロゼッタは尋ねた。
「いや、そんなことじゃ会社は潰れない。ただカネに余裕がなくなるから、鉄道事業を一時諦めてとりあえず自動車と船で機関小銃を納品してオシマイにしていたろう。共和国は戦争の先行きが立たず、まぁ、いいところアタンズで粘って今頃陥落とか言っていただろうし、北側はイズール山脈の北側に防衛戦を張る計画だったろう。ギゼンヌからアタンズまでが三百万人口を持つ帝国の一部になったらちょっとばかりえらいことになるよ。ミョルナの山を隊伍を組んで往来するのは自動車があっても実のところなかなか大変だ」
考えてもいない説明でロゼッタが困ったような顔をする。
「共和国が負けてたってことですか」
「なにを勝ち負けと言うかによるが、今のように捕虜が多すぎる、とか贅沢をいう余裕はなかったはずだ」
「そんなに大変な土地なんですか」
嫌そうにロゼッタは改めた。
「まぁ、行ってみればわかる。常夏の森だから寒くないのが救いだが、緑もゆるというのが葉から陽炎が上る真夏のことを指すのだ、と子供に説明したら信じそうな土地だよ」
「地図は見ましたが、正確なんですか。なんかくびれたあたりでも百リーグ超えてるし東西は三百リーグくらいありますよ」
ロゼッタの追及に曖昧にしていたことに踏み込まれてマジンは少し困ったような顔になる。
「三百はないかな。二百五十リーグを少し超えるくらいだ。くびれたあたりはそこそこ大きな湖があるが、名前がないというか、知られていなかったものらしい。参謀本部の地理課にも問い合わせているが、今のところうちの会社が発見者だ。地図が正確かというのは困った質問だが、航空写真を元にしているからおよそのところは正確だ。だが実際には細かな起伏や深い亀裂断層状の渓谷がある。巨大なテーブル大地のようなのだが、そういう地質構造はまだ全くわかっていない」
「航空写真ってのはさっきの空飛ぶ機械の話ですか」
「まぁそうだ。飛行船を色々試していた時期にエンドア樹海を一周めぐってみた。上空からだがね。森が濃くて殆どなにもわからないが、あちこちに水面があったり川が流れているのはわかった。測量の結果として木の高さとはとても思えない位置に水面があることがあって、深い断層があるだろうという事になった。それ以前にも実は測量隊が断層を見つけてはいたんだ。測量隊は手を出さなかった様子だがそれは全く正しい。ついでに手を出すような規模じゃない」
「大きな洞窟があるってことですか」
「流石に中までは入っていないが、あることは間違いない。古代の秘宝や遺跡があったとしてもボクは驚かないし、亜人や魔族が隠れて住んでいたとしても不思議ではない」
「それだから、変なもの見つけたらまわり囲って封鎖しろっ帰ってきた脱柵者は殺しちゃえって、冗談じゃなかったんですね。光画には何かそれらしいものはなかったんですか」
ようやく合点がいったという様子でロゼッタが物騒を口にした。
「まぁ、殺しちゃえとまでは言わないんだが、扱いに困っているのは事実だ。変なふうに原住民と衝突しても面倒だし、写真は撮るだけ取ってきたけれど、広すぎてこれだけ広いとすべてを探すのは時間がかかる。会社でも何人かがつききりで地図を起こすために頑張っているよ」
「ひょっとして最初の測量隊の人たちって本当になにも資料無しで行ったってことですか」
「まぁそうだな。一応自動車は足りていたようだが、幾両か失ってたな。みんな生きて帰ってきただけで大したものだと思うよ。何人か怪我はしたようだったが、仕事に差し障るようなことはなかったようだ」
「そういえば、大事なことを聞くのを忘れていました。これ、いつまで必要なんですか」
ロゼッタがふと不思議そうに思いついたように尋ねた。
「いつまでとは」
「例えば、道路が貫通するまでとか、農地が完成するまでとか、戦争が終わるまでとか捕虜がいなくなるまでとか」
具体的なロゼッタの質問になったことでマジンは微笑む。
「そういう中では、捕虜がいなくなるまで、だな。捕虜がいなくなったあとはローゼンヘン工業が後の工事を引き継ぐことになる。捕虜の一部が残留を希望するようなら、事業に組み込むが、期限としてはそうなる」
「工事中に開発された土地は、会社の所有ということでいいんですよね」
「各工区は段階的に登記がおこなわれてゆくからそうなる。尤も共和国は法人格を認めていない州も多いから、ボクの名前で登記するほうが面倒は少ない」
「いま鉄道はご主人様の名義ですよね」
「現在鉄道基地線路の大方の土地がボク個人の土地ということになっていて様々面倒だが、そこも順次会社の土地に切り替えてゆくつもりだ。州によっては税負担が増えてしまうが、それも仕方あるまい。その辺も銀行部を立ち上げたい理由の一つになっている。実のところ、名義をボクに集めておくと社内で土地を転用したときに一々行政に運用を報告する必要がなく、ひどく都合がいいんだ。税区分も単一だしな」
「ご主人様が死んだとき大変ですよ」
「まぁそうだな。だから所有を移したいんだが、まぁ代金を移すとなると相当な金額になる。公定価格で税金を納める必要もあるしな。税金分を公庫に収めようと思うと銀貨では無理な重さになる。この部屋を埋めても足りない」
「ああ、それで竜の巣か」
納得したようにロゼッタが口にした。
「なんだそれは」
「鉄道が大きな龍みたいだって話になっていて、ここがその巣だって話ですよ。ここの地下には莫大な量の金銀が眠っていることになっています」
「そんなもん、寝かしゃしないよ。さっきも言ったとおり、この期に及んでうちで金貨銀貨を蓄えていると商売そのもの共和国そのものに差し障る。寝言は寝て云え、ってところだが、日々に汲々とする者達におそらくは金持ちの気持ちはわからんだろうな」
「それで新銀行はいつ立ち上げ予定なんですか。新通貨の話しぶりといい、ご主人様の心中では決められているんですよね」
「最初の償還の直前が良いと思っている。四五年先かな。その時はまた頼む」
「なんですか。またなんか面倒くさそうなことを命じるんですか」
「頭取を頼もうかと思っている」
「うあ」
ロゼッタは端正な顔を歪めこれ以上ない嫌な感情を示した。
「頭取は事務局長と違って面倒な紐付じゃないぞ。まぁ当分はボクの紐が強いが、銀行が大きくなるに従って関係なくなる。最終的にはボクの資産を使ってお前の好きにやって良くなるぞ」
「そういうのはリザ様とかセラム様にお願いしたいところなのですが」
「まぁ、あの二人が軍人をやめてうちに来てくれるならな。戦争が終わるまでは無理だろう」
「そうしたらお嬢様のどなたかを」
「そんなにイヤか」
「イヤっていうか」
「とりあえず、一期六年は頼むつもりでいたんだが」
「お嬢様方ではダメなのですか」
「資産移しって思われるのは心外だしな。いずれソラかユエかに任せるにしても、最初にいきなり自分の子供を立てるのは本気かどうか疑われる。少なくともお前ならデカートには名前を知られているし、エンドアの事業をうまく回せたらぽっと出とか言わせないくらいの実績になる。各地の名士に故知もできるしな。帝国にも名を知られるかもしれないぞ。まぁ。少し先の話だ。まずは事務局長、頑張ってくれよ」
罠にかかった獣のように狼狽え困ったロゼッタがふてくされていると秘書室からクライシェアモナが書類を持って現れた。彼女は豚小屋から拐って連れてこられた女の一人で深い桃色の瞳の義眼を与えた女だった。見えるということはない様子だったが、朝晩鏡の前で化粧するときや風呂あがりに体をたしかめるときに右目の義眼を光らせるのが、楽しみであるらしい。馬に乗るのはなかなか巧みなのだが、自動車はまだおっかなびっくりで運転手をさせるには少々怖いところもあるが秘書をさせている。
「お話し中でしたか」
「いや、いいよ。仕事だろう」
見るとエンドアの労務報告だった。マジンは見たいところだけ眺めて、ロゼッタに席を譲った。
見とけと云われて素直に眺めたロゼッタは長椅子にだらしなくくつろいでいるマジンに声をかけた。
「このタスクって通貨は最後どうするんですか」
「亡命希望者や就職希望者からは買い取っている。新通貨と銀行業務の実験と研究みたいな感じだな」
「エンドアでもやるんですね」
「やってる。というか、やめられないだろうな。取り上げたら本当に暴動になるよ。収容所の中でも信用口座の中のタスクは取り上げないっていう原則があるから、喧嘩や小火とかで私物の取り上げや資材の撤収があっても、割と冷静に他人事でいられるところがあるけど、連中にしてみれば最後の社会信用ってのは理性と同じものだよ。なにせ帰れるかどうか、連中自身も疑っているぐらいだ。状況としては囚人よりひどいよ」
「それはわかりますけど。……何やっているんですか」
女の頭を膝の上に乗せて顔を撫でているマジンにロゼッタが目を剥く。
「別にいいだろ。ボクが女といちゃついているなんて珍しくもない。それにこれはどっちかというと治療行為の一環だ」
「それが治療ってどういうことですか」
如何にもひどい言い訳にロゼッタが改める。
「セラムの目に割と早く変化が訪れたのにコイツラにはそれがないのはなんだろうなぁと思ってたんだが、セラムとは最初から子供を仕込むつもりでイチャついていたんだと思いついてさ。運転手やカバン持ちをさせたり風呂や寝床一緒にしたりしている。コワエみたいに男がイヤだって言われると無理にって訳にはいかないが、まぁアイツも秘書としては働きはいいし、腕っ節も頭もなかなかいい。……何だ、その顔」
話を聞いているうちにロゼッタの目が道端の死体を見るような顔になる。
「いえ、ご主人様のそういう見境のなさにはなれていたはずなのですが、今度は治療目的ですか。セントーラ助けに行くついでに女子供千人まとめて拐ってきたって話を聞いた時にも思ったんですが、リザ様と結婚なさるんですよね。その、……約束の上では来年かその辺りで」
「まぁそうなるな。互いに死ななければ。アイツまた戦場に行くみたいだから生きているかはわかんないけどな。よほどのことがあっても死なないだろう。むしろ志願して出て行った連中のほうが心配だ。兵隊なんてコインの裏表であっさり死ぬ商売だ。物の序でと拐ってきたコッチが云うこっちゃないが、命は大事にして欲しい」
誰を心配しているのかわからないマジンの言い草にロゼッタは呆れた顔をするしかなかった。
「それでリザ様はなんとおっしゃっているんですか。結婚について」
「戦争終わってるといいわねってくらいかな。コイツラのことは知っている。寝床に這い込んでた女たちを床に蹴り落として部屋から出るのも許さずに一晩中やってた。まるで見世物小屋だったよ。まぁアイツにしてみれば休暇で気晴らしのつもりが邪魔ってことなんだろうが」
如何にもずれた答にロゼッタは言葉もない。
おとなしくまぶたを撫でられていたクライが手を引き寄せ噛み付いた。
「見せつけてけしかけたくせに悪い方ですね」
拗ねたように言うクライが噛んだ手をまぶたの傷跡の上に戻した。
「もしかしてセラム様やファラ様も同じようなことしたんですか」
「セラムは無視して寝てたかな。ファラはやるだけやって客間で寝坊するまで寝てた」
「マリール様は」
呆れたようにロゼッタはさらに尋ねた。
「中庭でトーナメント開いてたよ。葦の木剣で面つけて叩き合いというか斬り合いというか」
「マリール様もお強いですね。あれだけ強い女性は見たことありません」
膝の上のクライが感想を述べた。
「ボクも手を焼かされるくらいだからな。……ロゼッタ。状況はわかってきたか」
「お屋敷がとんでもなく爛れた状況であることはわかりました。クァルとパミルがお手つきでも驚かない覚悟もできました」
「ふたりとも経産婦だ。ボクのタネじゃないけどな」
「ウソッ」
冗談のつもりで言った言葉に衝撃的な言葉を返されてロゼッタが驚く。
「嘘じゃない。まぁ、そういうわけだから気をつけてもやってくれ。うちの状況だけじゃなくエンドアの状況はわかったか」
「お医者がやたら多いのはどうしてですか。三百人くらいいる」
「研修中のやつを全部一旦回したからだ。第四堰堤の経験で結局のところ人数がいないと全然対処できないことがわかった。来年からはまた少し規模が増える。ボンクラでも自称でも医者になりたいっていう連中をともかく引き取って現場に送っている。町にいればヤブ以下の連中だが、エンドアでは少なくとも担架を運べる。中には肉屋上がりで骨接ぎや傷の縫い止めが上手い奴もいる。
堰堤の時は騒ぎの型ってのが決まってて場所も内容も勘が利くほど決まっていたが、エンドアは堰堤のときほど重症は少なくても、ともかく広くて些細な怪我や病気が多い。
獣や虫やそういう得体のしれない生き物の類は死ぬほどの毒を持っている奴は多くないが、腫れたり痺れたりという事件も多い。木の実やキノコで中毒とかも起きているし、腐れるのが早いから食い物や水も面倒に繋がる。妙な熱が続く麻疹みたいなのが流行ったこともある。大方は極低温で凍らせた人痘と回復者の血清でなんとかなるんだが、百人ほどは病気で死んでいる。血清ったって体の血を抜くほどにとるわけにはゆかないしな。
死んだ者の病気についてはわかっていないところのほうが多い。収容者に日記を奨励していて検閲を前提に報奨金も払っている。飴玉かタバコか一つ選べる程度のものだが、日付と天気と単語を書くだけで稼ぎになるということでそれなりに人気もある。死亡者の幾人かもそういう日記をつけていた者がいて意味を探ったりもしているが、必ずしも原因らしいものに行き着いてもいない」
「それが日記報奨ってやつですか。一万一千件ちょっと」
マジンの説明から確認するようにロゼッタが口を開いた。
「そうだ。今大体二万八千くらいが現場にいて、日記帳自体はおよそ全員二万六千くらいが所有している。他に筆記具も私物としてタスクで購買できる品目に認めているから、実際にはどれだけが日記をつけているのかはわからないのだが、病気で死んだ連中は九割以上が持っていた。内容はさっき言ったとおりで、病気の原因究明には役に立たないが、献立や詩作や出す宛のない手紙だったり遺言状だったり、まぁそういう故人の遺品だ。収容者に縁故の者がいれば、保釈後に引き渡すことを告げてある」
「なんか、切ないですね」
「これも戦争の一側面だ。まだマシな方だと努力するしかない。戦争が終わって生かしたまま帰せれば、思わぬところで助けられるかもしれない。まぁ期待するほどのものではないが、会社で働いてくれている連中は皆それぞれなかなかに腕利きだよ」
「戦争早く終わるといいですね」
「アタンズまで線路が伸びれば随分違うと思うが、今回の戦争は帝国と共和国の国力の差を見せつけるような展開だからな。帝国が諦めるか満足するまで終わらない。戦争が終わってもコイツラが帰れるかどうかは怪しいところだが、捕虜たちにも帰れる奴はいるだろう」
「帰れない捕虜はどうするんですか」
「働く気があるやつは引き取る。そうでなければ追い出すということになる。今のところは捕虜返還はかなり絶望的なので困ったところなのだが、共和国の衆民として帝国への帰還を諦めるというのであれば、各州で好きにすると良いと思う。そのための心づもりが信用口座のタスクでもある」
「そうすると、私の事務局の仕事というのは、そのタスクが適当に労務者に分配されるように労務を割当て労務の報奨を調節するということですか。その、戦後を睨んで、帰還できなくて、ローゼンヘン工業でも引き取りようのないような人たちが、その場で暴れださないようにするために。仮に六十万人が会社に入りたいっていっても無理ですよね」
「無理だ。と云うか、ある意味そのための開拓事業でもある。膨大な人員を引き受けるためには農業か鉱業に頼ることになる。市場の動向を睨む必要や長期の生産計画に縛られる工業に比べると、農業は金銭的な一人あたりの収益率は高くないが割と収容人員の弾力がある業種だ」
「でも会社でも雇うんですよね。この後も」
「捕虜の選別と職業訓練を進めている理由は、そこだからね。やる気と技能のある人員は取る。年に一万から二万の間だがね」
「いままでは多いと思っていたけれど、これ見て今の話聞いていたら全然少ないと思えるようになってきた」
ロゼッタが報告を改めて眺めているとセメエレビーナが入ってきた。
「あら、ロゼッタ様」
「セメエ、こっちだ。持ってきてくれ」
「クライ、だらしないわね」
「御手様の思し召しだ。羨ましいか。替わってやんね」
「いいわよ。別に」
セメエは鈍い金色の義眼の瞳と自前の明るい胡桃色の右の瞳でやぶにらみにクライを目ねつける。
「クライ、交代だ。起きろ。そのまま少し詰めてくれ。セメエ、治療だと思っておとなしく膝枕されろ」
しぶしぶという表情でおとなしく膝枕されるセメエに、クライはニヤニヤと笑いかける。
セメエの開きかけた唇を手のひらで塞いでから傷ついて閉じきらない左のまぶたをなでて閉じてやるとセメエはおとなしくなった。
長身の割に体の柔らかいクライは器用に体を長椅子に収められていたが、クライに詰めさせてもセメエの体を治めるのは難しく、上半身を半身にしたセメエの柔らかげな形の良い腰と尻はじゅうたんの上にだらしなく落ちることになった。
しばらくセメエはおとなしくまぶたを撫でられていたが、書類の束をめくるたびに手が離れ戻ってくるのが気になったらしく、まぶたを撫でてる右腕の間から腕を伸ばし、書類を支えた。
その光景を見てロゼッタは大きくため息を付いた。
「それで、ご主人様はどのくらい帰れない人達が出ると考えているんですか」
「わからない。だが、およその話では帝国軍はさらに百万から二百万の人々を民兵兼開拓者として押しこむつもりだろうと言われている。数字の出処は怪しいがどこかの土地をまるごと移植するつもりの戦争らしい。本音はどこにあるのかしらないが、捕虜たちの身の上を聞くと暴動だか一揆だかが起きて政庁が陥落したらしい。そういう捨て置けない事態に立ち上がった農民を自治差し許すという名目でこちらに押し付けているというところがどうやら今回の戦争の経緯らしいんだサンタンなんちゃらって反乱軍が自治独立を宣言したらしい。で、誅滅せよということになってその仕置だそうな。そうなんだろ。ふたりとも」
「サンヤンジェンタウですね。それ自体はなんというかありがちな座と新興宗教みたいなものだったんですけど、幾つかの貴族が権利を争っている土地での暴動が端緒で邦境に無法地帯が広がってしまいました。小貴族の幾つかが戦う前に降伏するような状態に膨れ上がったところで、詮議が下りおよそ八十万ほどの反乱は誅滅されたのですが、その反乱を鎮めた者共に新しい土地を与えるということでサイジャンを賜ったという話のはずです」
クライがマジンの言葉をうけて補足した。
ロゼッタはマジンの傍らに侍っている二人が帝国の出身だという話を聞いてはいたが、その口からこぼれた言葉の意味をしばし理解できなかった。
「つまり、ええと、八十万の反乱軍があって、それをやっつけた農民を褒美として流刑にするということ、なのかしら」
「およそその農民が反乱の中核でもあったらしい。無辜のものも含まれているかもしれない五百万人をまとめて死罪とする代わりに、絶対確実な八十万人を殺して残りを流刑にしたということだ。という理解でいいんだろうか」
「言葉を飾るを惜しめば、およそはそれで十分かと」
セメエが腕の間から言った。
なお抵抗するものは、逆賊として殺される。全く単純な徹底した仕置にロゼッタは唖然とした。
「流刑ってことは捕虜の人たちは帰れないってことですか」
「おおっぴらにはな。だが、事件の起こった土地以外で縁者がいないわけではない。それに流刑ではないんだよ。あくまで褒美として土地を賜ったんだ。皇帝の意志だから拒否はできないけど、そこを離れてはいけないとも言われていない。歩いて帰る事ができると思えない程遠いが、歩いて土地を離れていけないかという法もない」
ロゼッタの問いにマジンが答えた。
「立場にもよりますが、農民は領主の許しがないと土地を離れてはいけないことになっていますし、貴族はみだりに土地をあけることを許されておりません。もちろんただの建前ですが」
クライがロゼッタに答えた。
「あなたがたは戦争が終われば帰れるんじゃないの」
「無理でしょう。というより、私達こそ帰る宛がないのです。主だった縁者には追手がかかっているはずですので、事によれば頼った相手によって捕縛されます。私達を助け御手様に従った者たちも同様です」
「セントーラを助けたって、獄門から助けたってことだったの」
クライの言葉にロゼッタが驚く。
「厳密には違うようだがボクには区別がつかない。まぁお前はボクが扱いの悪い養豚場からメス豚をまとめて拐ってきたという程度に考えればいいさ」
マジンの露悪的な混ぜ返しにロゼッタがまなじりを釣り上げ睨みつけた。
「ご主人様。いくらなんでも言い過ぎです。ご主人様が他人の命を時にそういう風に扱うのは知っていますが、家人や社員にそういう態度を取るのは辞めてください。信用にも関わりますし、馴れ馴れしく見せつけられているようで不快です」
「すまん。気をつける」
戯れ混じりの韜晦にロゼッタがピシャリと返した言葉にマジンは謝るしかなかった。
「お二人もごめんなさい。事情はわかりませんが、状況はわかりました。……けど、会社の方は大丈夫なんでしょうか。帝国のヒトも三万人くらいいますよね」
「四万のほうが近いくらいだろう。大丈夫かダメかというと、なにを以ってというところなんだが、問題が起こるとすれば帝国と直接取引をするくらいになった頃だろう。軍と取引があるというのはそれは事実だが、ここにいるコイツラや軍に入った連中がそのことで共和国を危うくするとは思えない。まぁ心配なのはペルセポネを預けているノイジドーラが下手を打つことくらいだろう。ある意味そこはどうでもよいことさ。あの船で逃げてこられないような相手だと、正直ボクはどうすればいいかわからない。会社の帝国人についてはドンピシャリで顔見知りに会わなければ問題にはならないと思う。恋人とか許嫁とか家どうしの付き合いとかあると厄介だが、知らんぷりして最悪ボクの女だってことで押し切ってしまえば良いんじゃないか」
「如何にも、ご主人様らしいバカっぽい切り抜け方ですね」
不機嫌が治らないロゼッタが辛辣に評した。
「この手の話で賢い切り抜け方なんかあるわけないだろう。あるなら哲学博士に教えていただきたいものだが、手品のタネはバカバカしいくらいのほうが人の目はごまかせる」
「そんなに帝国の人雇っちゃって大丈夫なんですか」
肩をすくめるように言ったマジンにロゼッタが尋ねた。
「帰るつもりがないなら問題もないし、亡命して良いことって言ったって、せいぜいが財産権が自由になることくらいだろう。家が欲しいって言って志願した連中はともかくそうでないなら慌てることもない」
「お屋敷のご主人様が誘拐してきたご婦人方の話ではなくてですね。このあと、何万人だか帝国の人々を雇うことになって、あちこちに帝国の人をローゼンヘン工業の社員だって配置するんですよ。亜人と帝国人とだけで会社が動いているような印象をよその州の人が見たら、ローゼンヘン工業は帝国の手先だ、とかいちゃもんつけてくるんじゃないですか、とお尋ねしたいんです」
流石に苛立ったようにロゼッタは少し高い声を出した。
「お前はそれをいちゃもんだと思うんだな」
「いちゃもんじゃないですか」
口をとがらせてロゼッタは言った。
「会社が誰のものかという話題はかなり深遠な哲学的な問いに繋がる。組織が誰のものかというのは、お前の魂はどこに宿っているか、という問いとほぼ等しい。ローゼンヘン工業は、今のところボクの会社だ。ボクとともにありボクが死ねば滅びるからな。今のところ。仮に帝国出身の三万八千六百五十名が明日突然に職場から蒸発しても会社は滅びない。或いは他の誰が突然に消えても同じことだ。もちろん膨大な事故は起こるだろうがね。それはコイツラが片目を失ったことで死ななかったのと同じように会社は立ち直るよ。だが例えばそういう事件が起きたとすれば、ボクは帝国出身者を雇うのを躊躇せざるをえないだろう。セラムは目を失ってから暗いところが苦手になったらしい。死ななくとも魂には傷がつくんだ。
話を戻して、なんで会社が膨大な数の帝国人を雇用するに至ったかといえば、識字率が高く勤勉で器用で職務上の規律に従う、極めて理想的な有能な人材が多いからだ。もちろんそういう労務実績のある人物にのみ登用勧誘をしているわけだが、ともかくそういう事情がある。はっきり云えば会社が安心して登用できる人材というものを大雑把に区分するとして、特性にあった亜人か専門の奴隷か軍隊経験者か学志館の卒業生か労務実績のある帝国人か、という選択肢しかほとんどないんだ。
まぁ、そうは言っても、それだけじゃ足りないから下働きもたくさん雇ってはいるが、管理上の面倒を減らしたいこともあって帝国人が増えている。
わかるか。共和国は帝国に人の数でも質でも負けているってことだよ。或いは帝国という国は煉獄のような国なんだよ。そしてローゼンヘン工業はその煉獄の住民の鍛えられた魂を求めた。もし仮に将来、ボクが死んでなおローゼンヘン工業が残ったとすれば、大いに帝国の魂を受け継ぐことになる。共和国の人々がいまのままならそうなるな」
「つまり、どういうことですか。今はいちゃもんだが、ご主人様の死んだあとはいちゃもんじゃなくなるということですか」
「まぁ半分はそうだ。残りの半分の話をいえば、そんないちゃもんを気にするだけバカバカしい。なるようにしかならないし、口に出した時には手遅れだという悲鳴とかわらない。もし仮にそういう社会一般の悲鳴や不満に責任を持たなければならない個人がいるとすれば、その人物のことを独裁者という。あいにくボクは他人の命も泣き言も酒のつまみくらいにしか考えていない。文句をいう連中が手に負えないなら手を引いてやればいいんだよ。極論、会社にとって共和国は或いは各州はどうでもよい。ただ資源を与えてくれ、我々の会社の価値を認めてくれる人々さえいれば良い。だから、会社が帝国の手先かと云われれば否だし、会社が共和国のものかと問われればやはり否だ。そう問う個人の皆様をこそのみ相手にしております、我らの価値をお認めくださいますか、という答が正着だろう。そしてローゼンヘン工業の魂の価値は問いかける個人よりも遥かに大きい。そうでなければ価値を提供できない」
「デカート州元老としてはそれでよろしいんですか」
「州の元老としては良いんだ。共和国一般には責任がないからな。それは大議会の仕事だ。だが全然別の問題として、そういうバカバカしいイチャモンを吐くような個人を修正するために、大規模に教育機関を立ちあげないと問題がある、というのは感じている。モノになるまでの数十年という時間を考えると全くバカバカしいんだが、毎年一万人規模で人材を生み出すような教育機関が必要だ。それこそ裏の産院が毎年フル稼働するようなくらいに子供を生ませても問題ないような育児機関とね。社員連中もそろそろ女房子供というものたちも多いはずだ」
「学志館じゃ足りないってことですか」
「足りないっていうか、学志館は研究のついでに子供の教育もしているんだよ。ありゃ先生方の気分転換に子供の教育はどうですか、っていうので始まっている」
「軍のやっている養育院とかはどうなんですか」
「毎年千人くらいは受け入れているようだが、どうなんだろうな。リザに聞いてみるのが良いと思うが、エリスとアウロラがあっさりここにいることを考えると、軍に入っている子供がどれくらいいるのかはよくわからないな。戦争で多少軍学校の人数は増えたってふたりは言っていたが。ともかくそういうものがあと十倍も必要だ。いまは作法院の人材ってのに興味があるんだが、簡単に取れるものなのかな」
「どうなのかしら。遠いし。セントーラはなんか知ってるかも」
ロゼッタは作法院という組織に興味があったわけでもなく、もちろん子供の頃から成行きで苦労させられたデカートの外の世事の何かに詳しい、というわけでもなかった。
「何のお話かしら。……戻ってこないと思ったら、甘やかせて頂いてたのね。まぁいいわ。どうせ終わりだったし。……社主代行、今日の決算報告です。まずはお目通しを」
首をひねるロゼッタの言葉が聞こえたのかセントーラが現れ、執務机の上に抱えていた綴りを積み重ねた。その様子にロゼッタがまゆを跳ね上げ嫌そうな顔をする。
「作法院の人材って簡単に雇えるものかな」
マジンはロゼッタの様子をちらりと見てセントーラに尋ねた。
「まぁ簡単というか、普通はおあずけするものですが、孤児とかは割と簡単に雇えますね。私の下の執事三人は作法院上がりですよ。紆余曲折はあるみたいですが。相応に付き合いのある人買いが纏めて買ってゆくことも多いはずです」
「会社の会計とか窓口の事務処理とか使えるかな」
「使えると思います。ですが、あまり安くはないかと思いますが」
セントーラが何事かと考えるように答えた。
「中級幹部に使えるような人間を育てる時間が惜しい。会計は訓練だが、接客業は才能と訓練と両方が必要だ。選別する手間を金で買えると思えば、あの三人は安い買い物だった。年齢容姿を問わず二百人買う、って言ったらむこうは嫌な顔をするかね」
マジンの言葉にセントーラは納得するような顔をした。
「いえ。おそらくは大喜びだと思います。どういう風に使われるおつもりですか」
「買ってしばらくはうちで使って様子を見る。その後、会社の顧客主任として主に各駅に回す。酒場の雇われ女店主みたいな感じかな。駅長の二つ手前くらいの感じだ」
「そうすると、幾度か買い増すおつもりですか」
セントーラは改めた。
「そのつもりだ。単純に欲しい人数をいえば千では多分きかんだろうが、いっぺんに買うのはまぁ二三百だろう」
「さすがのご主人様もあれだけ数がいたら、女のつまみ食いはその程度で十分ですか」
混ぜっ返すようにセントーラが言った。
「女は良いが、子供は今は手がまわらないだろ。ああそうだ。そういう用途もあるのか。子供の世話が得意なのも必要だ。医者とか産婆や薬師ができればなお結構」
「本気ですか」
からかったはずの応えに疑うようなマジンの言葉が返ってきたのにセントーラが眉をひそめた。
「産婆か。そりゃ本気だ。このあと何万社員を増やすと思っている。去年のうちには冗談のつもりだった銀行の話をロゼッタにもするような状態だぞ。鉄道沿線に薄く広がっているが、デカートと同じ規模になるのは間違いない。病院も産婆も乳母も当然に必要だ。裏の女連中は賢いし体も大したものだが、技能には欠けている、というか保証がない。指導者が必要だ」
「女郎屋でも開くつもりかと思えば、病院か学校でも開くおつもりですか」
今ひとつ論旨がつかめない様子でセントーラが尋ねた。
「まぁそうだ。道端で拾った浮浪児どもを頭と体を洗うついでに真人間にしてうちの会社で使いたい。そうすればボクがいくら女をつまみ食いしてもできた子供はそこを経由して会社の優秀な人材に仕立てられる。ロゼッタほどの当りがどれだけ拾えるかは分からないが、ボーリトンくらいに使える奴が幾らかいるのは間違いない。あいつの育て親も悪くない仕事をしている。支援してやるか」
「お話ではどこまで本気かわかりませんが、問い合わせてみましょう。船を使えますか。あそこは船で行ったほうが近いと思います」
呆れたような納得したような表情でセントーラは請け負った。
「そういえば、お前はどうしてあそこに預けられたんだ。オーベンタージュの何とかは共和国に入り込んでいるのか」
マジンが思い出したように気になっていたことを口にした。
「ああ。それは懇意の帝国の商人が得意先の共和国の商人に頼んだんです。オーベンタージュは西方馬を何頭か仕入れるほどには商いにも力を入れていましたから」
「それで、やあやあ我こそは、みたいなことをノイジドーラにやらせていたのか」
「私たちには他に手がありませんでしたから、ご主人様には本当に助けていただきました。ありがとうございます。……なに。ロゼッタ、社主代行。ああ、それは続きがあるの。記号があるでしょ。納得したら、ご主人様に渡して。……ふたりも、むこうがまだ片付いてないわよ」
人肌に生ぬるくなったネコのような秘書ふたりをセントーラが連れてゆくと入れ替わりにコワエとシェラルザードがやってきた。ふたりは鉄道輸送の出来高と荷受け引き渡しの報告を持ってきた。
シェラルザードが殆ど声だけを頼りにマジンの隣にあっさり腰を下ろしたのとは対照的にコワエはおずおずと向かいに座り、机の上に報告書を滑るように押し出した。
コワエヨアンピンの翠がかった碧眼は生来の左目と色味と形を揃えたちょっとした自信作であったので、その出来を彼女がどう思っているのかあまり聞けないまま、コワエとは微妙な距離感があるままになっている。
ロゼッタより五つも年若いコワエは子供が許せない母親の一人で、経緯を考えれば已むを得ないとも言えるが全く気の毒なことであったから、身の振り方が定まったら出てゆくもよし、とマジンが思っている女の一人だった。ただ一方でこの屋敷の外のほうが怖い男の多い世界でもあることは間違いのないところでもある。
コワエの鋭く切れ長の目の美形と男好きする体型はなんというか気の毒ななりゆきに彼女を誘い、家のことをやらせてみれば卒なくこなし、乗馬や武術も射撃も人並み優れ、と全く以ってこの女の子供がほしいと思う気持ちはわからんでもないが、もったいない壊し方をした連中もいたものだと居合わせた限りの者を弑平らげたマジンが思う女だった。出会った頃のリザから攻撃性の代わりに落ち着きを足すとこんな感じだろうかと思うような女性であったから、過度に警戒され嫌われているらしいことは、なんというか唸らざるをえない状況だった。
シェラルザードは眼窩の奥の皮が捲れてきたらしく、瞼の裏の違和感を訴えていて洗眼用に目薬を準備した。細かな垢が出てくるのは義眼を入れている以上は当然で誂えた当初は月に幾度か抜き差しをしていたが、ここしばらく落ち着いていたのだがと、目薬を注して目やにと眼窩の垢を拾ってやりながら様子を見ようと膝の上のシェラルザードのまぶたを押し開き義眼の様子を確かめると、ぎろりと眼の奥の影が動いた。一瞬のことだったので確証がないままにとりあえず目薬を注し、義眼を軽く転がし、まぶたをつまみさらに注しとシェラルザードの鼻から目薬が溢れるまで注いでやった。
「ふたりとはなにを話していらしたのですか」
「いや、話していたのはもっぱらロゼッタとだ。今度彼女がおこなう仕事の背景と方針、そこに絡むボクの期待する未来図についてだ」
目薬に浮き上がってきた目の垢を吸い寄せようと義眼に指先を近づけるとシェラルザードはぎくりと体を強張らせた。
「痛かったか」
「痛いというか、怖かったというか。痛くはなかったです。特になにも感じませんでした」
「まぁまつげに風が当たるだけでもいろいろ感じる時もあるしな」
反対の目も念入りに目薬を注してやり目垢を拾ってやってまぶたを閉じさせて目をなでてやる。
シェラルザードは若くして目を失ったのでまぶたがしぼんでしまっていたから、義眼を収めたことで、まだまぶたが追いついていない。それでも年老いたと云うにはまだまだ早い青年であったから、ゆるやかにシェラルザードのまぶたは新たな顔立ちに合わせて伸びていた。
「御手様が望む未来とはどういう未来ですか」
シェラルザードが膝の上で尋ねた。
「もっぱら、会社の話になるわけだが、そこらの無力無能で不遇な無辜の人々が会社の有様を見て我が身の恨みを投げつけないですむくらいに文明な世の中になれば良いと思っている。という話なんだが、まずはそのためにはこのあと共和国領内に押し寄せて来るだろう百万だか二百万だかの帝国の皇帝の仕置によって押し出されてくる帝国人を暴徒にしないまま一時預かりをする必要がある。そしてそのいくらかには文明めでたく祝福し、ボクの会社の社員として共和国に文明を広げてもらう必要がある。そのためにロゼッタには彼女の正義の赴くまま独裁を縦横に振るってもらわないといけないだろう、と説明をしていたんだ」
「そんな。独裁なんて。ご主人様が自分でやれば手早いのでは。なんでアタシなんですか」
ロゼッタが怯むように言った。
「その答はお前自身がさっきから幾度か出している。お前はボクが不真面目で不道徳だと思っているだろう。コイツラを拐ってくるときにボクは何千だか兵隊を殺している。と言ったら驚くだろう」
「そんなことは。……思ってますけど、害があるようなものじゃないし、咎めるようなものじゃないし。……良いじゃないですか。私がご主人様どう思ってたって……。……何千って本当なんですか」
ロゼッタはからかわれたと思い警戒気味に尋ねた。
「まぁ。実はどれだけ殺したかというのは問題ではないが、拐ってくるときに幾らか殺したのは事実だ。それを聞いてお前が眉をひそめるような人間だから任せるんだ。大きな組織になってしまうから、良からぬ使い方を探す連中も出てくるだろうし、半日で数万が死ぬかもしれない。そういうのを潰すのはボクは好きだしそこそこ得意なんだが、いきなりマサカリを振り回すのはどうかと思うだろう」
「それはそうですけど。他に誰か居るんじゃないですか」
「一回だけなら誰でも良いんだが、言ったとおり先の話を睨む必要がある。戦争が終わったあとも別の問題が待っていることは話したな。世間的には欲得で銀行を建てるんだろうと思われるだろうが、共和国を潰さないための銀行づくりでもあるし、状況によっては帝国や諸藩諸王国或いは西方諸国とも取引をおこなうための準備でもある。戦争が終わったあとも会社が成長を続けるためには鉄道の通るところの投資を連続的に循環的におこなう必要がある。その速度は戦争によって起こった格差を可能なかぎり早く埋めるようなものにならないと共和国が崩れ潰れる。だから、会社の成長は戦争が終わってからもしばらく止められない。お前も会社の会議で知っていると思うが、北部と南部の格差は実は思った以上に大きくなっている。鉄道の有無というものが思いのほか権益を産んでしまっている。数年で商売の形が変わるというのは仕方ないところだが、国の半分以上を絶望させるような状況も好ましくない。南部のほうが人口という意味では大きいしな。
世界のお金を吸い上げて注いでも足りない分はボクが知恵を出すことになるが、お前が良いと思うように諮らわないとボクが世界を踏み潰すことになる。リザあたりはそれで全然構わない様子だが、お前はどうかと思うだろ。……どう思う。例えば、お前の子供が誰かに拐われたとして、その誰かを殺すために町を焼き払って子供を助けだすって」
「それって、帝国の皇帝の話みたいですね」
「ボクもみっともない話だと思うんだが、できちゃうからやるんだよね。相手の無法を説くよりも簡単だし。非常装置としてはそれで良いんだけど、お前の子供がさらわれたってのは実はかくれんぼしていて家の納戸で寝ていただけかもしれないだろう。そう考えれば褒美として土地を与える、という流刑の方法は非常装置として実は上等の部類なんだ」
「流刑地にされた住民としてはひどく迷惑なんですけど」
「まぁそうだな。だから共和国は戦争を戦っている。だがおそらく帝国臣民はそれのどこがいけないのか、チイともわからないと思う。それをわからせるだけの力は共和国に今ない。あればボクが鉄道を敷いてやる必要もなかったし、捕虜を引き取るためにエンドアを切り開く必要もなかった」
グダグダ言っている言葉が単に混ぜっ返しのごまかしであるとロゼッタは見切った様子で鼻先で笑った。
「つまり、三年だか四年だかあとに銀行を建てて、アタシが銀行頭取になることは既に決まったことということですね」
「そうなるな」
あっさり認められロゼッタは力なく笑った。
「すっごい立身出世。単に学校行きながらお役所通ってただけなのに、こんなに出世しちゃって良いのかしら。って良いだろうって云うような価値観のご主人様だから危ないっていうのはよっくわかりました。上手くゆかなくても知りませんよ」
「上手くゆかなかったら、ボクが共和国の執政官独裁者になるだけだ。或いは何もかも投げ出してどこかに逃げ出すでも良い。南の島でも北の山でも身を潜めて楽しくやるさ」
「カシウス湖とかエンドアの捕虜の人とか鉄道とかどうするつもりですか」
投げ出すような主人の言葉に流石にロゼッタは咎めたように云う。
「銀行が上手くゆかなかったら、共和国が割れたとしてどうにもなるまいさ」
「会社と共和国とどっちが大事なんですか」
「それは実は場合による。原則としてボクの家族家人社員が大事だ。共和国を滅ぼしてそれらがすべて救えるなら共和国を滅ぼす。会社を切り捨てるだけで家族家人が救えるなら会社を捨てる」
「私は家族ですか家人ですか」
ロゼッタはこの機会にと改めた。
「お前はボクが共和国を滅ぼして会社を滅ぼして世界のすべてをお前の手にかけさせてその光景に我慢ができるか。それでもボクを恐怖せず赦せ一緒にいたいならボクの家族だ。普通は大人になれば他人のやることに疑問を持つものだ。あまり煮詰まらない程度に考えておけ。血縁とか子供とかはボクにはあまり縁がない。だが裏にいる赤ん坊というか幼児共はまさにボクの家族だ。いずれ家人なり他人なりに成長するのだろうが、今はまさに庇護を必要としているそれだけの者たちだからな。あとはよくわからない。一種の自己申告と請求による事後承諾だ。まぁうちの敷地にいる取引以外の連中のことは家族だと思っているよ。生ませた子どもたちも、子供を産んだ女たちもね。風来坊にとっての家族なんてそんなものだろう」
「家族じゃないほうが良いみたいな言い方ですね」
「家族でも結局は他人だからな。責任をどう取るかというだけの話さ。ボクは作る壊すは割と得意だから面倒を止めることまではできるが、責任を取るのは苦手だ。いろいろな人々に責任の帳尻合わせを頼んでいる。そういうわけで身近な家人にして遠い家族であるロゼッタワーズマスに今後のボクの責任について明らかにしてもらおうと思っている」
「全然できる自信がないんですけど」
あくまで軽く言うマジンにロゼッタは不満気に言った。
その声を聞いてシェラルザードが身を起こした。
「ロゼッタ様。心中、お察ししますわ。ですが、御手様の仰るところを伺えば、ご尤もなところ。開いて申せば、御手様は優れて物事をなす力が強すぎて物事の加減がわからないと仰っておられるのです。ロゼッタ様のお仕事はつまりは御手様がついうっかり余計なことをしないように叱ってさし上げることです。それはまさに家族でなければやりきれない仕事です。私も瞑した身では頼る先もなくお屋敷に身を寄せて宛て処もない身。御手様のおっしゃりようではもったいなくも私もご家族の一員ということであれば、及ばずながらロゼッタ様に合力差し上げたいと思います。どうかお引き受けになってくださいませ」
シェラルザードにそう言われてロゼッタはモニョモニョと口の中で言葉を噛み潰した。
「わかった。わかりました。一生懸命やらせていただきます。その代わり――」
そう言ってロゼッタは乱暴に席を立って長椅子の脇に経つとマジンを押しのけるようにして座って更に仕草で押しやり、コロンとマジンの膝の上に頭を載せた。
「――ちゃんと甘えさせろ。セントーラばっかりズルいと思ってたんだ。なんかいまもみんな気持ちよさそうだし。みんなズルい。……手は頭を撫でるっ」
恥ずかしさを勢いで押し流すようにロゼッタは一気に言うと頭の座りの良い角度位置を探すようにしばらくマジンの膝の上で寝返りをうっていた。
二十歳を過ぎてだいぶ経つ者が、今更こういうことをしているのはロゼッタ自身もどうかと思うのだが、どうにも見せつけられて羨ましかった。
そこにケヴェビッチがやってきた。
「旦那。ちょっといいですかね。さっきのエンドアの事業の話で……。お話し中でしたか」
「いや。休憩中だった。いいよ。なんだ。……シェラルザード、コワエ。ご苦労さん」
「何だロゼッタ。んなだらしねぇ、ガキみたいな格好してガラはお嬢様でもやることはまるでお子様だな」
膝枕されているロゼッタを見つけてケヴェビッチが苦笑して言った。
「ほっといてよ」
そういいながら、ロゼッタは立ち上がりお茶の準備をする。
「話ってのは何だ」
「エンドア樹海ってのはえらい蒸し暑いところなんすよね」
「まぁ年中朝から晩まで蒸し風呂のようなところらしい。夜は一応釜の日は落ちるという話だが、雨がふらなければそのままという。切り開いて水を抜いたら少しマシになったと言ってはいた」
論点がわからないまま告げるマジンにケヴェビッチが頷いた。
「その辺の話はちこっとだけ聞いたことがあります。んでですな。帝国の労務者ってのは例の堰堤のときに使った連中が殆どなんすよね。どんな塩梅ですか」
「現地の事件事故の報告は目を通したか」
「大体はつうて、これから役付きだってのに殆ど見当もつかない有様なんで困ってるんすが」
ケヴェビッチが困った様子で白状した。
「今ん所はそうだな。だがなんというべきか、さすがに連中も土地の暑さにはほとほとやられている。仕事を舐めているわけではないが、暑さで倒れたり病気でやられたりというのが多い。転落や崩落に巻き込まれる事故はなくなったが、その分病気で動けなくなる連中が多い。堰堤の工事と比べて春先の事故の多い時期と同じくらいの数の連中がなんかかんかで軽い病気になっている。大体は二三日だが、手当が悪いと死ぬこともある」
「仕事の具合としては」
「およそ予定通り。手を抜いている連中と頑張っている連中は堰堤のときほど色分けされていない感じだ」
「それはどっちに」
「遅れ気味にな。だが目立った反抗怠慢や大規模な脱柵はない。堰堤にいたような参加しておいて寝ているだけのような者はいないな。脱柵も水場や日陰を求めて日中の気晴らし程度の物が多い。本格的な脱走への下見というのが見方としては正しいのだろうが、決まった個人というわけではなく順次伐採されているので、今のところは独房数日というところだ」
ケヴェビッチが頷いた。
「その連中引き上げさせるんですよね」
「まぁ任期が終わったら入れ替えるな」
「当人のやる気のあるのを千か二千か残せませんか。出来れば会社が待遇を約束する感じで」
ケヴェビッチが本題に入った。
「半分は任期をずらしてあるが、そういう意味でなく特別扱いをおおっぴらにしてということか」
「そうです。特別扱いをする連中を少し残して置いときたいんです。まぁもちろん特別扱いといってやる気を見せて貰う必要はあるんで、こっちで手綱を握っていることはしっかり示す必要がありますが」
「理由はあるんだろうが、なんだ。お前が使いたいのか」
「まぁ、それも半分ありますが、全体を最初から通しで掴んでいる年寄格ってのがいると話が進みやすいんで。今回は特に鉱山を掘り抜くのに似たような森に道を割くってことなんで、そういうことです。鉱山ほど複雑にならないことは勘定に入れても何十万だかの人間を扱うってことになればそれなりに中のことを知っている人間は重要になりますし、知っている連中を探してうろつくよりは、ダメでも目見当がついている方が楽かと」
「わかった。それだけか」
「あと、アタシのテカの人員は訓練はともかく数が揃ったら早めに出たいと思います。さっさと体をならして、いるものを揃えないと仕事どころじゃないでしょう。むこうも五百やそこら入れる用意はあるんでしょう」
「なければ貨車で宿をでっち上げればいいさ。他になんかあるか」
「ああ、まぁ今はそんなところですかね」
「わかった。お前のいう年寄り格については収容所の連中と諮ってみよう。ロゼッタ。お前も収容所に一緒に行くぞ。現収容所の年寄格にあって話をしてみよう」
翌日ボーリトンの運転で今は修道院と呼ばれている鑑別所と捕虜収容所をめぐることになった。
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