裏ノ原演習地 共和国協定千四百四十五年寒露

 拐ってきて館に居着いた女たちのうち三割ほどが軍に志願したことは、拐ってきた主であるマジンにとってちょっとした驚きではあった。

 戦争について別にどうでもいいこと、とまでは思ってもいなかったが、せっかく拾ってやった命をそういう風に使うのか、とも思いもしたが、彼女らがローゼンヘン館に身を寄せた経緯や、多くが帝国騎士階級の出身であったことを思えば、身の証を立てるというのは軍場の働きで立てるべきで、仮にそれで倒れたとして、それこそ戦争よりもマジンにとってはどうでもいいことのはずだった。

 しかしそういうことであれば、せいぜいが無様に死ににいく事のないように、被服やちょっとした小物に趣向を凝らして材料や作りに手間を掛けてやるくらいは身内のつきあいのうちでもある。

 有角人も大方が頭に載せられる共和国軍の略帽や制帽は、基本的に烏帽子や冠のようなあご紐や髪留めを使うかたちで頭に据えられるものになっていて、必ずしもかぶるという構造にはなっていなかった。

 タダビトと亜人の最もわかりやすい違いは頭部の骨格にあったから、それをどうやって乗り越えるかが一つの服飾上の挑戦でもある。

 ローゼンヘン館のお針子たちは自身の姉妹たちが出征するにあたって、相応に便宜や協力を図るべきだと考えていたから、軍で押し着せられる兵隊の制服の他に、館で一揃え作れないかとマジンに訴えた。

 それは別に突撃服のような大仰なものでなくともよくて、気の毒な思いをわずかでも和らげれば良いということでもあった。

 共和国軍の方で身分わからぬ新兵が裸で困らぬようにという程度の意味合いでお仕着せの制服を用意してはいるが、別段、兵隊だからと言って制服を自前で仕立ててはいけないということはない。

 徴募されてきた兵隊の多くは、流れ着いた土地の酒場や木賃宿貧民窟や軒や橋の下などで着の身着のまま往く宛をなくし、共和国軍の徴募で野犬のように狩り出されたような者共だったから、制服が仕立てられるはずもない、というだけだ。

 古参兵の多くは自前で軍服を仕立てている。

 軍服は誰が着てもそれなりに格好良く見えるように幾らか大雑把な規則と型はあったが、どこの町でもそれなりの物が作れるように細かなところでは融通が効く作りになっている。

 そうやって作られた制服に、階級章やら各所属本部やら任務参加記念やら特技章やら褒章勲章やらという飾りがついていって世間で誰もが思う軍服になってゆく。

 実を云えば軍服の仕立てそのものは簡素で、それほどに難しいことではなかった。

 大方の生地となる布地はローゼンヘン工業でも日常扱っていたし、色味については却って豊かなぐらいだ。制服の型紙も実物が幾らかあれば、そこから起こすことは容易い。

 兵下士官と士官の制服は上着の襟と袖の形が違うだけで、士官向けの古着の襟と袖を付け替えている兵隊も多いが、それで咎められる種類のものではない。

 軍学校で四年次から五年次に進級した生徒の最初の作業の多く、或いは最初の命令は制服の襟と袖の付替えになる。

 色味と艶が落ち着いていて丈夫でよろしい、と防弾防刃繊維を混紡した生地を使ったとして、そうやって作られた共和国軍兵士向けの制服というものは共和国の価値観において希少ではあっても、ローゼンヘン館においては材料という意味では高価ではない。

 石油と石炭灰を主な原料とした合成繊維は工程と設備の複雑さに幻惑されがちだが、人員時間と原料資源という意味合いでは、原材料を遠方に求めがちな絹織物や毛織物に比べて一回り安い。

 一通りはアルジェンやアウルムに作ってやったものと同じで、一部については材料が多少良くなっているものもある。

 日々増えてゆく子供服を内製している館の日常風景に少々急ぎの仕事が割り込んだ、というに過ぎない。

 出征する者の中には有翼人多肢人はいなかったから、服飾上の手間と云うのは幾人かにしっぽ袋を余計に作ってやることくらいであった。

 誰になにを作っているとか作っていないとか、体型からくる号数の組み合わせとか、材料の見積りとかそういう作業に電算機は思いの外、役に立った。

 共和国軍の軍服は士官下士官兵でそれぞれ襟と袖が違う以外は夏冬ともに基本的な色合いは共通だったし、外套や大長靴や冬袴といった雨具や防寒具は全く同じものだった。

 唯一はっきり違っているものは帽子だけだった。

 十日に四百着の突撃服の仕立てといくらかのその直しができるようになると、お針子たちは訓練中の姉妹たちに休暇を利用して帰ってこさせ、軍の服と同じ色同じ柄同じ寸法で全く別の素材を使った制服を仕立て始め、ついでのように下着を仕立て始めた。

 それはおよそは化学合成された新素材であったり単純により高級な材料であったりしたが、ともかくも単に使い古しの間に合わせを与えられるよりは数段も各人の体にあったものだったし、軍が下着のようなものに気配りできるほどに兵站が充実しているのであれば、今次の戦争の展開は全く違ったものであった。

 リザはある意味そういった物品を素性に興味ないままに引っ掴むようにして持ちだしていったが、ローゼンヘン館においては当たり前に使っている材料や品物で、ついでやクズというわけではまったくないが、いくらでも数打が出来てローゼンヘン工業の社員なら困ったときに購買に頼むか庶務に資材申請すれば、いくらでも手に入るようなものだった。

 市価においてはそれなりの額面ではあったが、大方は突撃服のような手間や作りがややこしいものでもなかったから、電話があって払いのあてがあれば、鉄道駅のカタログショップ店頭で手に入るような品物ばかりだった。

 無論、東部戦線に市街電話が通じる予定は今のところない。

 お針子たちの単純な善意とは裏腹にオートクチュールのマヌカンたちと同じような有様になっている軍役に参加した訓練中の女たちは、一種の渦のようなものだった。

 階段参謀であった若者や古参兵の多くはいわゆる素寒貧ということはなく、物の道理や先行きに気が回る者たちもそれなりに含まれていたから、ゴルデベルグ中佐がまとめて募兵してきた女たちが持っている物品の意味に気が付かないはずもなく、幾らかは特注だったりするものの、大方はカネを出せばローゼンヘン工業の購買で手に入るものばかりであることを知ると、休みのたびに誰かが注文とカネをまとめて買いにゆくということを繰り返していた。

 それは訓練監督や演習判定官が報告会議でわざわざに管理上の一考を求めるほどに目立つもので、私物の所有を取り上げるほどに風紀を乱すというわけではないが、格差が生じていることで混乱が生じていることも事実であった。

「まぁたしかにこの火口とか小さなあかりは便利ですが」

 訓練監督であるスミル少佐が述べ、今や合同演習司令部では当たり前に使われている手の中のオイルライターを鳴らし火をつけ消した。

 これまでも携行できる火口というものがなかったわけではないが、それは火縄に火を移しておいて、金属の蓋のついた管をかぶせるというものでときたま面倒を見てやらないと火が消えたり服に穴が開く小火になるようなものだった。

 もちろん小さな火口箱や火打ち石というものもあるにはあるが、そちらは片手で扱うようなものではなく煮炊きや暖を取るためなどのもう少し腰を据えた使い方が主になる。

 タバコのみの必需品であるマッチは少しづつ安くなり始めていて便利ではあるが、まだ少し高級品であった。

 懐中電灯に至っては落として壊しても火事にならないというだけで全くありがたい品物だったが、とうとうに拳銃と一緒に腰に下げておいても邪魔にならない寸法にまで収まってきた。

 晴れていれば夜でも真実の真っ暗闇ということはあまりないのだが、足元の物を探すには明かりは必要だったし、そういう時には月明かりでも足りないことはあって、どうあってもやはり夜に明かりはほしいものだった。

 どちらも数タレルほどで買えるもので、一食二食抜けばよほどの貧乏人でも手に入る便利な道具だった。

「私の部下たちもその二つはあらかた持っているはずだが、それでどうしたいと」

 駐屯地の司令で演習場の管理上の最高責任者でもあるレオピン大佐が尋ねた。

「できれば装備の統一を方向付けたいと思います。軍の支給の装備だけでは様々に不便で兵隊たちがあちこちから買い揃えているというのはわかっているのですが、なんというか、こう、各地から集成されている兵隊たちとこちらの後備聯隊で、実は後備聯隊の装備が優れていることについて、動揺が起こっている様子です。あと、まぁその、ゴルデベルグ中佐が募兵してきた兵たちが極めて優れた装備、主にこれは被服ですが、そういうものをどうやって調達していたのかという話で、まだ揉めるとまでは云わないのですが、微妙な空気がありまして。正直を云えば訓練が上手く回りだしたという兆候でもあるのですが、放置もそろそろ危険な状態でもあります」

 ああ、とレオピン大佐が自らの聯隊がここに腰を下ろしてからしばらくも起こった騒ぎが起きていることがわかった。

 兵たちの多くは戦争ごっこなどと自分たちの訓練を揶揄もしていたが、鉄道警備隊や捕虜収容所看守との合同訓練の一環で装備や設備待遇が一般部隊よりも向上したことは事実であった。

 結果としてむやみに事故を恐れないままに訓練がおこなえる環境にあることで、訓練が効率的におこなえるようになっていた。

 前線も含めて殆どの兵隊と後備聯隊との間で完全に同じ装備といえるものは、軍服のデザインと機関小銃の弾倉くらいだった。

 だがその過程で目端の利く兵と乱暴な兵とが騒ぎを引き起こす時期がしばらくあった。

 最終的には物が陳腐化して行き渡れば落ち着くわけだが、これから戦場に赴く部隊としてはそれをのんびりと待っているわけにはゆかない。

 そういうわけで集成中の兵が他所の部隊に対して他所の兵科や士官幕僚に対して格差を感じることは実のところ必然であったのだが、同じ部隊の兵隊同士で待遇の格差を感じさせることは管理上全くよろしくなかった。

 最悪、くだらない鶏のつつき合いのようなことが起こり、兵が味方の兵を殺すことに繋がる。

「それであなたはどうするのがよろしいと思うの。私の連れてきた新兵の真新しい被服を取り上げて、使いふるしの被服をあてがえ、とそういうことかしら」

 レオピン大佐が目を向けたゴルデベルグ中佐が発言を許されたと見做して口を開いた。

「あ、いえ。そういったことではなく、その、装備の管理は兵員の管理にもつながります。その、こちらの部隊が新規に編成された部隊で装備においても新基準を求めるのであれば、一旦被服も含めたかたちでそれにふさわしい調節をおこなうべきかと考えます」

 ゴルデベルグ中佐のご乱行と一部の幕僚や兵の間では云われている事柄について嫉妬や驚愕という感情と、研究や効果判定をおこなう参謀としての職責とをぎくしゃくと切り替えた態度で訓練監督であるスミル少佐は参謀らしく言葉を切らぬうちに考えをまとめ口にした。

「主計参謀、兵站参謀、輜重参謀、席次は気にしないで良い。所見はあるか」

 レオピン大佐がその様子を見て意見を求めた。

「レンゾ大尉。あなたの思いつきから始まったことよ。何か言いなさい」

 リザが言葉短く言った。

「いっそこの際に一旦すべての装具をローゼンヘン工業の品で揃えてしまうべきではないか。その上で兵が必要な物は自弁すればよいのではないか、と思います」

「あなたなに言っているかわかっているの」

 ファラリエラがサラリと答えた言葉にリザは眉をひそめる。

 リザはかつて軍令本部の調査任務として、ローゼンヘン工業製品での兵士の装具全般に関する調達研究を報告したことがある。当然に様々な理由から参謀研究の山に積まれて、その後の軍政にはつながっていない。

「どのみち自動車部隊の運用に関しては部品供給や鉄道の支援をはじめとするローゼンヘン工業の支援が不可欠です。また、ローゼンヘン工業は事実上自社社員のすべての必需品を自社で生産できる状態を志向しています。ならばとりあえずの基準としていったんすべてをローゼンヘン工業に任せて自動車聯隊二箇聯隊九千七百二十名分の一切を発注してみるのも今後の参考にはなるのではないかと。今のうちなら予算は軍令本部にねじ込めばある程度はなんとかなるのではないかと思います」

 リザが何度か考えたことをファラリエラは再び指摘した。

「兵站本部は嫌な顔をするわね。私がいろいろデカートから送りつけてやったの見事にガン無視するくらいだもの」

「ですが、おそらく今回はそうすることはないかと」

「私、あちこちで閣下と呼ばれていたのは知っているけど、自分が将軍になったとかは思ってないのよ。……話がそれました。申し訳ありません。司令」

 レオピン大佐は鷹揚に身振りで答えた。

 各地での物資の調達の手間を経験していた幕僚たちは、この地での物資調達に格差があること、単にローゼンヘン工業を経由しているかしていないかで随分と差があり、兵站本部を経由しているかいないかでも差があることは実感があったから、レンゾ大尉の発言がなにを意味しているかは想像がついた。

「いや、いい。それでレンゾ大尉。兵の備品のすべてをローゼンヘン工業で揃えることは可能なのかね」

「軍指定の被服以外のおよそすべてが可能でした。私の持つ物品すべてがローゼンヘン工業製品です。今回、新たに兵の被服についても実績として確認されました。私の知る限り、軍の指定とは材質で大きく異なるものもあるようですが、少なくとも色形の上では問題ありません」

「値段は」

「申し訳ありません。そこまでは調査していません」

 ファラリエラが答えるのに三人の大佐は顔を見合わせるように異論のないことを確認した。

「主計参謀。部隊の求める備品についてローゼンヘン工業より一旦すべて人数分を調達するように調達見積りをおこなえ。また公定価格を超えている物品及び該当怪しげなものについても代用品の有無を確認せよ。行李や馬具天幕金庫時計という大物やインクや天花粉傷薬のような小物或いは糧食や石鹸といったものも含めてだ。

 兵站参謀、兵隊の私物について実態調査をおこなえ。目的は処罰ではないことを告げ各員に協力を求めよ。違反品についても今回は一切目をつぶる。非合法の物品についてもだ。その上で軍指定以外の任務上必要有用と思われる備品、任務上有用ではないが生活上の必需品、嗜好品にわけて報告をおこなえ。またその物品がローゼンヘン工業で調達可能かどうかその価格を合わせて調査せよ。

 輜重参謀、兵站参謀の報告を元に輜重及び各隊行李の運行を見直す。兵員用貨物車や各戦車及び戦車輸送車等の一部車輌については積載物の定数の変化があるはずだ。現状における各車両の積載物と運行の状況について確認せよ。また車両によっては工具等の員数外の備品も含まれている可能性がある。これも処罰が目的でないことを告げて、運行に携わる各員の協力を求め調査せよ」

 調査はおよそ三週間にわたっておこなわれ、かなり踏み込んだ意図の兵站参謀による突然の私物検査はいくらかの騒ぎはあって、処罰はなくとも混乱は伴ったが、ともかくも装備の見直しという手当を経たことで、大方の兵にとっては新部隊というものが懲罰的な島流しや処刑代わりの最前線送りではないらしいという印象を与えたことは全体の流れとして好回転に結びついた。

 共和国の常識では輿を担ぐ、ということはあっても馬の代わりに小さな荷車を牽くという概念はあまりなく、ローゼンヘン工業が使っているような人や自転車で引ける人力車大八車のようなものはデカートでもあまり一般的ではなかったが、馬をわざわざ準備するよりも簡単にそこそこ大きな荷物を運べることで自転車が陳腐化する以前にデカートでは一気に普及した。また、大きなシャベル又は板金製のモッコに車輪をつけたような手押しの一輪車ネコ車もデカートやローゼンヘン工業の設備施工現場ではよく見られるもので、奇妙なものでもあったが便利そうでもあった。

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