ヴィンゼ 共和国協定千四百四十五年春分

 娘たちが帰ってきた話はヴィンゼの町の古い連中には大きなニュースだった。 

 ヴィンゼはおろかデカートでも軍に仕官任官された者は珍しく、軍学校を主席と次席という卒業ともなれば、彼女らが亜人だろうがなんだろうが、一廉の者と共和国が認めたことになる。

 軍都での八年で背丈でマジンを文字通り頭一つ追い抜くことになった娘二人は雑貨屋でも酒場でも驚かれた。スピーザヘリン農場では二人共に嫁をとっていたコルとゴルがゴソゴソと頑張った表情で驚きと喜びを示して大いに歓迎してくれていた。

 嫁の一人はマジンも酒場で話したことも寝たこともある女で、農家の嫁になるにあたって男漁りをしている、と云うヴィンゼに流れてくる女としては肝の座りと血の巡りのいい女だった。いっそ自分で畑を開いたらと云うからかい半分には身一つで畑をやるほどバカじゃないというくらいには身の程も知っていた。

 スピーザヘリンは表情の乏しさ口数の少なさに反して農業の試みという意味では貪欲で、ぶっきらぼうではあるが粗暴ではなく、付き合いは悪いが人嫌いというわけではなく、ヒトとの付き合いが少ない農民の悪癖を煮詰めて貼り付けたような一家であることがわかれば、その女房や娘が気立ての良い理由も腑に落ちてくる。

 そういうわけで、スピーザヘリン農場は立地でローゼンヘン館に近いこともあって、ゲリエ家一党と緩やかな近所付き合いをしていた。

 鉄道が通り数年したところでいつぞやの騒ぎで逃げ散った奴隷のいくらかが旦那や女房という連れ合いを連れて働き口を探して戻ってきたりと、ヒトの扱いが悪いわけでもないことから、酒場女が姉貴分を呼びつけて兄弟の女房に収まった。と云う流れがあった。

 田舎者の農夫と侮った屋敷の新入りを、今は屋敷の庭周りで筆頭を預かるマイノラが、文字通り締めるという一幕も幾度かあったが、大なりとて一家、小なりとて一家、という辺境の付き合いとしてはやり取りのある間柄だった。

 スピーザヘリン農場は貨物車を買うほどに余裕が有るわけではないが、近所のよしみで貨物車を借りるのに金を払ったり農作物で物納できるくらいには様々に余裕ができていて、機械農具をマルバレーダの工房に頼むくらいには稼げていた。

 マルバレーダの一家は子供だけで農地を支えることを諦めて兄弟で農具や馬車の軸の製造や修理などに力を注ぐことにして、ヴィンゼの港口側の街道沿いに越して来ていた。マルバレーダは、いっとき兄弟揃ってローゼンヘン館に出入りもしていたが、自分たちの工房を構えるまでになっている。

 そのマルバレーダも一昨年流れ者の酒場女と結婚して、去年からは徒弟を抱えている立派な親方になっていた。レーダの工房も日々に追われてはいる様子であるが、十年も経てば子供も大人になる。

 マルバレーダの工房は、およそヴィンゼの街でというよりもデカート州内でもローゼンヘン館の文物を工業製品という形で理解し、実用品として使える形に整備することが出来ている信用できる機械工の一つとなっていた。

 ヴィンゼの酒場は建て替えをおこない、女も幾度も入れ替わっているが主人は変わらないままだった。酒場女のいくらかはヴィンゼの女房衆に収まっている。

 田舎に流れてきた女たちのいくらかは、最初からそのつもりであったし、幾らかは単に旅の縁の者たちで、せいぜいが宿代飯代以上に雇われという意味は殆どない。そういうむやみに若くもなく疲れ果ててもいない女たちが、路銀稼ぎと女修行に酒場を使っていた。

 ヴィンゼでただ酒場といえば誰もが思いつく店は、酒場という大きくわかりやすい看板をかけたまま、半ば日雇いの女を大して良くない条件でそれでも不思議と弾つきることなく幾人か抱えたまま、昼夜なくダラダラと店を開いていた。

 土地勘のない連中が最初に足を向けるのが酒場であることから、鉄道駅から見えるあまりパッとしない目立つ看板の酒場は、静かに飲むのには向かないが潰れる理由もない。

 それが本気なのか演出なのかはさておいて、酒場は潰れない程度に客は出入りを続けていたし、マジンもヴィンゼまで足を向けて暇なら役場と保安官事務所と酒場にくらいは足を向けて、新しい女と話が合えばそのまま泊まるくらいには好んでいた。

 単にローゼンヘン工業の社主というだけでなくデカートの元老という押しも押されもせぬ名士様になったはずのマジンであっても、この酒場にくると未だに手配書に名を残すようなトンチキな腕試しにイチャモンを付けられることも多く、何かの余興のような小遣い稼ぎのようなそれを楽しみにもしていた。

 鉄道旅行は多くのお尋ね者にとっても手軽な交通手段で、日々数万数十万という人々を顧客兼商品として取り扱う鉄道運行は、駅馬車よりもよほど身分を隠しやすく数百リーグを一跨ぎにできる乗り物で、絶妙に往来の便のよろしい辺境としてのヴィンゼはそういう脛に傷を持つ連中が不定期に集まってもいた。

 もちろんヴィンゼだけがそういう土地というわけでなく、開拓農地を抱える土地であれば、人物怪しかろうと人手は人手と受け入れるわけだが、往来の便という意味でも町の人々の入れ替わりと関心の薄さと云う意味で、ヴィンゼはほとぼりを冷ますに都合がよく、またふらりと身分を捨てるのにも都合が良い、ワイルとは違う意味で風来坊にとって面倒の少ない土地だった。

 そういうわけで、一旦は役を解かれたもののヴィンゼの保安官補としてジュールの仕事はそれなりに多かった。

 そろそろヴィンゼにも保安官という中途半端な司法行政の治安支援の民間請負人ではなく、きちんとした司法なり行政なりの人員が必要な規模になり始めていたが、ヴィンゼひとつのことだけでなく戦争の影響だけでなく、様々に動き始めた社会の影響でデカートの州行政は人手が足りない状態になっていた。その人手不足がいったいいつまで続くのか、いったいどういう人員が必要なのか、誰にも皆目検討がつかないままとりあえずの業務に邁進していたから、大きな問題が起きていないヴィンゼの治安の問題は棚上げされたままの状態だった。

 口八丁手八丁と云うには手がやや不足していたが、ジュールはある意味で面倒の折り合いをうまく見つける才に富んでいて、田舎の保安官に必要な融通と妥協を苦笑とともに流せる人物だった。

 八年ですっかり変わったヴィンゼでもあったが、実のところアルジェンとアウルムが手足がすっかり伸びてマジンより大きくなった程度の変化でしかなかった。

 人によっては驚くほどの変化でもあったが、鉄道駅からわずかに歩けば元のままだったし、昔の街の中心に至っては鉄道駅から覗ける位置にあるにも関わらず元のままだった。

 たった八年では全部を入れ替えるほどに手元に様々が揃うわけではないし、銀行やら役場やら商店やらというものを建て替えるとなるとそれなりに気合も必要になる。

 それほどに人手やカネに余裕があるというわけでは全くなかった。

 税収は確かにローゼンヘン工業の様々で一気に増えたが、田舎町は看板を治すよりは先にやるべきことがいくらもあって、そういうところの掛りや払いをおこなうと繰越はおどろくほど少なかった。

 要するにこれまで町行政がやるところを住民が諦めて独自に勝手にやっていたわけで、本来業務に必要な経済規模を確保できていなかったということが明らかになっただけでもある。

 軌道に乗っていない農業主体の自治体なぞ税収が上がるほうが不思議なわけでそれだけの事だったから、繰越が出るだけ驚きだが、それもつまりはあちこちの手を抜いて来年に回した結果だった。

 しかし、それでもつまりはこの数年でだいぶ状況は良くなったということでもある。

 そういう話をマイルズ保安官とのんびりと昔話を咲かせながら酒場でしている裏で、ジュールが牧場から逃げ出した牛を追って、幾人かの男たちとともに幾つかの農場を回っているはずだった。大規模に土を入れ替えた結果としてそれなりに牛を放っておける放牧地がヴィンゼにもいくらか出来ていた。

 うまく年月が経てば、水自体はそこそこにあるヴィンゼの農地はわざわざ他所から土を流しこむようなことをしなくとも土地は落ち着くはずだったが、今のところは鉄道の力である程度まとまった量の他所の肥えた土を必要としていて、その資金と担保のいくらかはマイルズ卿の資産が裏打ちをしていた。

 農地の土の入れ替えともなれば植木鉢一つの量とはそれは桁が違って、人一人馬一頭でできるわけもなく五人十人でもまだ足りず、百人近い人とそこに幾らかの家畜と道具が必要だったわけだが、幸いローゼンヘン工業で新型の自走機械の試運転とそのついでの農業用に調節した新型機械の借り受けをおこなうことでヴィンゼ農業組合はそこそこの短期間で成果をあげていた。

 一畝肥やすに人一人死ぬ必要がある開拓農地ではあるが、顔見知りを一人殺すよりは石炭袋の山に火をかける方がまだマシな理屈は農民の誰もが感じていて、しかし農地一面の土を鉄道で運び機械を動かし土を鋤き込み、という作業の途方もない法螺話のバカバカさ胡散臭さを感じてはいた。

 だが話半分の法螺話、というほどに疑いだけがあったわけではない。

 結局は、金の問題だった。

 牛のように立ち尽くす農民たちを踏み出させたのは、マイルズ保安官だった。

 当初からローゼンヘン館の若旦那の法螺話、ということで幾軒かはそれを試す気分にもなっていたものの、払いを事前に積み上げる段には結局誰もならなかったが、マイルズ卿に借用書を認めて預けるくらいの条件であればというくらいの大冒険には乗り出した。

 法廷窓口で借用書を書く気になった十五軒が毎日五六台の貨物車いっぱいいっぱいの土を畑に受け入れ、ほとんど毎日総出で麦畑の入れ替えのひと月あまりも土を入れ替えた。

 だいたいこの時期は次の農作業の合間で道具の手入れや買い物やらと多少ともゆとりのある時期だったはずだが、それどころではなくなっていた。

 麦蒔き自体も例年より遅れたが、多少の遅れは土を入れ替えたときに耕された土地には関係なく、土そのものの効果もあってか例年よりも確実に実りはあった。

 毎年幾割かは立ち枯れやひどく痩せた穂の実りであるものが、その年はほぼすべてがそうあれと願うような実りをつけていた。そういうわけでいまやヴィンゼ農業組合は一大勢力として町外れに車庫と穀物倉庫を構えるようになっていた。

 鉄道がつながり、デカートの景気が共和国中に響いている昨今、デカートやソイルに土地を求めることが難しくても、ヴィンゼならまだなんとかなると考える独立農家を目指す農民はいないわけではない。育った土地から離れた農民がいかに弱いものかはヴィンゼに移ってきた者たちならいやというほど分かることだが、それでも今なら以前に比べればかなりマシだと言えるくらいにはヴィンゼ農業組合は機能を始めていた。

 デカートから農学を志す学者を招いてもいる。

 農業組合の成立とヴィンゼの絶対多数の農家の加盟を得たことで、農業機械や貨物自動車も幾両か用意できるまでになった。

 それによってマイルズ卿個人の資金の回収は遅れているが、理屈の上ではヴィンゼにやってくる新しい農民の多くが居着いて組合に入り土地にカネを落とし続けてくれる限り、農業組合の配当はおこなわれ、いずれ資金は回収できるはずだった。

 鉄道をつかった穀物の搬送は、貨車を枡に出来るほどの規模がまとまるなら急激に安くなる。

 そのことによって穀物の他州への運び出しを助けてくれる。マイルズ卿の調べでは大雑把に貨車三両を満たせるなら鉄道で軍都まで運んでも、自分たちで馬車でデカートに売りに出すよりも経費は安くなる勘定だった。

 そして軍都は穀物に限らず食料品一般が高値で取引されている。

 目標としては収穫毎に五十グレノルを組合に納めるようにしてもらえればひとまず組合は成立するし、百グレノルを超えればマイルズ卿の投資している機械の購入費用が分かる形で回収できる。今七十二軒の組合員がおよそ八十グレノル少々の小麦をヴィンゼ農協に納めていた。

 他所の土地を知る者から見れば、家々の耕作面積の規模からすればもう少しいけるだろう、と云うのがヴィンゼの土地の力でもあって或いは疑いを持っている農家の気分でもある。とはいえ資金回収は早いに越したことはないが、マイルズ卿が元老として開拓農民の指導をおこなうということは、デカート州からの開拓補助金をある程度宛てにできるということで、小狡く云えば元老院で一席ぶってヴィンゼの窮状を泣き落とせば、マイルズ卿の懐にはカネが落ちるということでもある。

 形の上では元老マイルズ卿の貸借ということになるが、ある時払いの利息なしという貸借条件は元老院に籍をおいている限り変わらず、籍がなくなっても結局は請求先がなくなってデカート州財務当局が泣き寝入りという、穴だらけの構造を持っている。

 無論、その穴は制度上というよりは成長構造を求める経済活動の上ではどういう形でかどこかに絶対に必要な穴であって、開拓者の支援という欲望と合理性の極限における特異点でもあったから敢えて塞がれていない穴であったのだが、穴を管理すべき元老自らが欲望を持って穴に向かうと碌な事にならない。

 デカート州元老マイルズ卿が敢えて町長に立たず、町の土地の大部分を私的貸借とせず開拓民に託しているのは、苦く痩せた土地の質を見限ってと言うよりは、私心ない公的事業の側面を強調するためでもある。

 既にかつて成長の初期段階を終えたソイルでこの制度を利用した悪巧み、と言うか文字通り一席ぶった元老がいて、若くしてそれに一喝を入れたチルソニアデンジュウルが兄二人を失っての繰り上がりというだけでないことを示した疑獄事件があった。それも既に十数年というより二十年前の事になるのか。

 デカート州の元老という職は、制度の穴を占有的に管理し利用する立場の超法規的な調節機構であるから、必要に合理的合法的な方法ないとなれば無理無法をおこなうことを求められる哲学的に矛盾した立場でもある。

 例えばそれは同胞百人を活かすために同胞百人を殺すことを許され求められる立場であったし、場合によってはそれが百を活かすために千でも万でも殺すことを求められる立場であった。

 そこには数の理論などという半端な人道は許されない。

 そもそも人間が同じ価値を持っているということを哲学の上では否定されている。

 ヒトにはそれぞれ価値があるが、例えば筆と紙の価値を比べることに意味は無いと云う意味において、どの局面でその価値が機能するかわからないから油断せず扱え、という意味において平等なのであって、平等そのものには意味が無い。

 その意味において次の局面に必要な同胞百人を見極め活かすために百人でも千人でも万人でも殺すことを元老は求められている。

 そこには大きな矛盾もある。

 人がある局面の次を見通せるなどということは殆ど無く、また見通しが立つほどに単純な局面であれば、そもそも同胞を計画的に殺す事態が必要であることのほうがおかしい。

 つまるところ、覚悟を促す言葉であるとされているが、過去においてはそういう事態がなかったわけではない。

 そういった元老の超法規的な立場を理解した上でソイルで起きた一件には弁護をたてる余地はないわけではない。

 だが、その弁護のことごとくをデンジュウルは安々と打ち砕いてみせた。

 超法規的な存在であることを求められる元老にとって、明文非文にかかわらず自らの信念というものを問われる機会というものは、そもそも存在の否定で最悪の侮辱で挑戦でもある。

 結果、デンジュウル卿はその鬼才を大きく認められ、元老の籍はそのままに元老院からは遠ざけられることになった。

 ともあれ、そこまでの元気勇気をマイルズ卿が振り絞る局面にないことを彼自身が安堵する程度にヴィンゼの状況は好転していた。

 ヴィンゼが開拓地である以上、当然に無限の問題ばかりがあるわけだが、少なくともローゼンヘン館での事件以前のようなつま先立ちの状態でもなければ、ローゼンヘン館の事件直後の首を吊っているも同然の状態でもなくなっていた。

 全くの成行きとはいえ街のはずれと云うにはやや遠い位置に共和国軍の聯隊が演習場と駐屯地を設け、鉄道沿線には警備隊がそれなりの規模で存在し、デカートとヴィンゼの間には実力組織として頼るには少々心許ないが、ともかく軍の輜重基地がある。

 それぞれの組織の兵隊の質は敵を試すまでわからない、とはいえ自動車化機械化されており、電話をかければ小隊の数個を半日とかからず、鉄道警備隊に至っては火事が家を焼きつくす前に到着するはずだった。

 鉄道警備隊の消防団の装備は長距離列車の消火を前提にした、はっきり云えばかなり大仰なものであったが、火災の消防対応において余裕のある様々と豊富な人手が悪く働くことはなく、およそ火事を出した本人以外は働く気のある者が集まることを嫌がるものはいなかった。

 鉄道警備隊消防団は既に実績として、鉄道沿線で起きている多くの火災の被害の拡大を防いでいる事実は多くの土地で認められている。沿線と云うにはやや広いヴィンゼ一帯も例外ではない。

 だが鉄道警備隊消防団が嫌がられるのは、彼らのやる気とはまた微妙に異なる理由もある。

 彼らの消火用装備が一般住宅を対象にしたものとしてはやや大仰なのだ。

 鉄道の重篤な火災を前提にした装備を持つ消防団は、難燃材料を使った耐火服なるものを持っていて、相当の火勢の中でもそれを着込んだ隊員が飛び込んで幾人か助けている。

 彼らの噴水銃は周辺に散水しながら火元を直撃するというもので、火災の現場の温度を気分というだけでなく下げるほどの水を辺りに撒き散らし、その活躍は火事を食い止めようという人々には全く心強いものだ。

 しかし、家の周りで顔が暑くなるほどの火災が初夏の通り雨のあとのような気温になる水の量を窓から流し込まれた家がどうなるかといえば、タライやバケツをひっくり返すような量とは訳が違う、水を百キュビット先の人間が歩けなくなるような勢いで叩きつける、つまりは人工の滝で火元を粉砕する工作機械と変わらない道具でもあった。

 水の便の悪いところでも彼らは活動をする。

 火薬の爆風と吸熱反応を利用した火元破砕用の爆薬は、末期的な火災を一気に鎮静したり、歪んで開かなくなった窓や扉を破砕したりするのに使われる。破片の代わりに発泡剤や化学剤の入った水を撒き散らすことで水の便の悪いところでもそこそこにつかえる消防隊の秘密兵器だった。

 一言で説明すれば、火の元を吹き飛ばす爆弾というべき道具を消火に使っているということである。

 ヴィンゼにだけあるわけではない鉄道警備隊消防団の実力は、彼らに助けられた者たちの多くが認めている。

 だがしかしつまり鉄道警備隊消防団が活動を始めるということは、たとえタライ一つ毛布一枚で消火できるはずのボヤであっても、部屋ひとつや家まるごとが掃除を投げ出したくなるほど、或いは建て替えを必要とするほどの混沌とした状態になることを意味していた。

 もちろん鉄道警備隊消防団が連絡を受けて現場に到着する四半時で火災が制圧できないということは、火事はもはやボヤという領分を超えているということだったから、火元の主の言葉は客観的には寝言妄言と変わらないわけだが、それでも鎮火後の惨状を見れば文句を言いたい気分はわかるし、消防団が出動するということはその後に保安官と役場の人々が火元の状態と状況の見聞に現れるわけで、家の中を他人に引っ掻き回されるのが嫌で開拓農民としてヴィンゼに居着いた者達にとっては矜持の問題でもあった。

 火事を出して財産と生命を丸焼けにした矜持に、どれほど意味があるのかは他人にはわからない。

 そのわからないところの弁論の機会として、裁判が開かれ争われることになる。

 裁判ができるほどに元気であることが消防団の行動の成果だと思うのだが、と同じことを法廷で証言したマイルズ保安官としては他人事として笑わなければ気の毒でみていられない話でもあった。

 ヴィンゼの農民のややこしいことは、公の場でゲリエの若旦那に面と向かって文句と礼を叩きつければ気分が晴れるというような程度のところに、役所の下っ端と厳つい顔をした消防団長が現れたことで更にこじれてしまうと云うところでもあった。

 その程度の話であればこのあと乗り込んで挨拶して帰ると、軍服以外背丈に合う服を持っていない二人を連れてゲリエ卿としてのマジンは裁判を起こしている相手方にお見舞いに伺うことにした。

 出向いてみれば下にも置かない扱いで、二人の立派な士官様がアルジェンとアウルムであることに驚きながらも歓迎してくれた。

 老人の姉の葬式で二人が老婆の好きで歌っていた歌を歌ったことを老人は覚えていて、二人がついでの墓参りで歌うと目を細めて礼を言った。

 一体何がどうなって裁判沙汰になったのかというところが、わざわざに足を運んだマジンには不思議な運びだったが、老人が今は笑って言うには、ちゃんと文句と礼が言いたかったが酒場で言うのとは少し訳が違うし、ゲリエ家の若旦那は役場の寄り合いには自分の用がないと出てこない。火事の後始末で少し役場の連中と揉めることがあって、裁判でもおこすか、と誂われたのに、つい乗った、ということだった。

「正直火事の騒ぎは驚いたが、あんたんとこの大仰な火消しは大した頼もしいもんだとも思った。なんとかいう団長さんも家族と奴隷までじゃなく、家畜の心配と面倒まで見てくれた。色々家の中が壊れて、そりゃ文句も出るが、まぁそりゃよくある騒ぎの面倒でこっちの話だ。……その上でアンタに文句があるとすりゃ、街の寄り合いに小僧一人よこさんことだ。百だか千だか人を買うなら、気の利いたのの一人か二人は混じっているだろう。そういうのを寄り合いに回せ。そこの軍人さんくらいシャンとしていれば却って女のほうが面倒が少ないかもわからんが、ともかくこっちが挨拶ができる相手を寄り合いによこせ。奴隷かどうかなんぞ鑑札に興味はないから見分けはつかん」

「ああそりゃなるほど。しかし、ジュールを出しているはずだが」

 老人の言葉にマジンがそう言うと、老人は杖を振り上げて今度こそ怒った。

「アホかい。ありゃ立派な保安官補だ。アンタはあれが手下のつもりでおるかわからんが、ありゃアンタの家ではどうだか知らんが、立派な街の公僕だ。町のモンだ。家の付き合いの話をついでに頼む相手じゃない。……そらま、例の氷屋がアンタのもんだって話は街の古い衆なら誰でも知っている。アレがそこの若い衆だって話もな。だがそれとこれとは筋が違う。あの男が保安官補である限りは保安官のテカだ。このまま保安官になるって云うなら尚更アンタの家と同じにゃできん。そういうもんだ」

 老人の言い分はわからないでもなかった。

「ジュールは保安官務まるかね」

 マジンがそう言うと老人は溜息をついた。

「いつまで務まるかはわからんが、立派に務まっとるよ。背中から撃たれることがなけりゃ良いと思っとる。火事の時も頭が焼けてる女房に代って色々手配りしてくれた。マイルズ保安官は良い保安官だが、あの人がどういう理由でもおっ死ぬと町がひどいことになるのは間違いない。できれば保安官は別のモンにやってほしい」

 マジンには云われるまでその意識はなかったが、実のところヴィンゼ開拓がこれまでなんとかなっているのは、元老であるマイルズ卿が様々な便宜を図っていたからだったし、その便宜の担保は単にマイルズ卿の意志という以上の意味はなかった。

 一方で人はいずれ死ぬという理において、ヴィンゼの太く重く大きな要であるマイルズ卿の生死は重大な意味もあることを改めて老人の口から告げられた。

 わざわざに足を運んだマジンが驚くような指摘だったが、なるほど当たり前のことでもあった。

 デカートの元老の超法規性というものの威力を最も分かりやすく体現している存在が実はマイルズ卿であるということは、改めて指摘されれば驚くべきことでもあったし、そう考えれば軍監やら保安官やらをやっている場合ではないとすら云えたが、そこはマイルズ卿の人徳や悟性も含めた人物というところでそういう人物であればこそ、ヴィンゼという苦労ばかりの土地で人々がかろうじて踏みとどまっている理由でもある。

 鉄道が軍都まで伸び、西にも南にも相応に広がり始めた今、ヴィンゼを逃げ出すことも以前より容易にできるようになったのだが、一方でこうも様々な好転というべき変化が起これば、もう少し付き合ってみようと考えるのが人の欲望であり好奇心であった。

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