軍都逓信院 共和国協定千四百四十四年処暑

 鉄道が軍都にまで伸びると、自分で自動車を運転する必要もなく、どこかで野営をする必要もなく、片道三日を一等車で過ごしているうちに軍都に付くようになる。

 一等車内は電話と電灯が完備され、食事と沐浴も同じ客車内の設備を共同で使えるようになっていた。もちろん相応に旅客料金がかかるので、それなりの出費を厭わない者だけが乗り会える。

 移動のその間にも、社主を追うように列車客室内の電話がしばしば鳴り、持ち込んだ電算機を経由して実際に電話だったり書類だったりが届くようになっていた。

 書類の殆どは直接決裁の必要なものではなく、稟議書だったり報告書だったりというもので一般には単に折り返し電話で読んだと伝えれば良いもので、質問の必要な物は逆に後回しにすればよかった。

 台車付き行李鞄と同じくらいの大きさの電算機は旅先ではせいぜいがタイプライタと同じくらいの機能しかないが、電話回線と電灯が使えるところであれば電話機の代わりとテレタイプの代わりを同時にできるくらいの機能があって、逃げも隠れもできないような鉄道の列車内では却って仕事が円滑に進むくらいの機械でもあった。

 とはいえつまりは、読んだ分かった、と返事をするための機能しかないわけだが、社主という仕事はそれを云うことが仕事の大半で、それを言わないがために百人千人十数万人もの仕事が止まる仕事でもあった。

 基本的な決裁はかなり分割してあるが、それでも責任の承認や監査という決裁権の裏書は社主の仕事で、ある現場がちゃんと仕事をしている、と他所の現場にも示してやることは安心して仕事をすすめる上で必要なことだった。

 ときどき電算機の画面では読みにくい扱いかねるほどの内容を送りつけてくる部署もあるがそういうところには、読めないので後で帰ってから返事をする、というだけでも随分違う。本当に急ぎであれば整理した要旨を作ってくるところもあるし、先に別部署に回してから他部門の送り書きをつけるところもある。

 実のところを云えば、決裁でない書類に社主の様々は必要ないから、内容を承知したというところが満たされていれば問題ないわけで、本当に急ぎであれば盲判でも別に構わない。

 ただ、ローゼンヘン工業と云う技術を扱う会社で一番技術に長けているのが社主本人であるというのが、一つの泣き所でもあった。

 もちろん泣き所だと思っているのは、社主本人だけでそれ故に手間がかかっても各部門が稟議を社主にまで上げてくるのだし、実際たまになんでこんな数値設定機構設計でうまくゆくと思っているのかと思うような不思議なモノを送りつけてくる部署もあり、そういうものを突っ返して再検討させることで、窮地を脱していたりということもあるので、できるだけ余裕のあるうちに決裁にならないうちに稟議や報告の段階で兆候を摘んでおくことは重要だった。

 万を超える組織になってしまうと、一旦決裁で放った進行を止めようと思うと一期で止めるのは難しくなる。

 致命的なものはなかったが、マジンが社主として失敗したと思っているものはあって、一般用途の手洗い石鹸を香料入りのものに統一する提案を承認したことがある。

 こまめに手を洗う体を洗うというのはローゼンヘン工業のひとつの特徴で、他所の工房と最も違う職場体制だった。その石鹸の管理は誰が現場に配置をおこなうのかということも含めて意外と面倒でもあった。

 便所の手洗いに備えておくにはちょうどよいものだったわけだが、食事の前や風呂で使ったりするにはどうかと思うようなものだった。せめて無香料であったりもう少し落ち着いたものであればと思いながら、会社で手を洗うと甘い薔薇の香りに包まれて半期を過ごすことになった。結局その時の石鹸はまだ残っていて、便所の手洗い用に使われているわけだが、経費や管理圧縮という意味では反省するところが多かった。

 汗臭いよりはマシ、と云う強弁もあったが、食事の時に手を動かすたびに香りが動くのは全く嬉しいものではない。

 皆が社主を信頼してくれるのは嬉しいが、以来現物を見たこと使ったことのないモノについては、誰かの見解が加わるか現物を提示するまで留保するようにしていた。

 とはいえ、さっさと進められるところは進めてしまったほうが面倒が少ないのも事実で、移動時間を有意義に使うためにも電算機による文書情報の転送は重要な技法だった。

 文書を取り込み装置で文書管理用の電算機に取り込んでおいて、要閲覧者をその社内記号と個人符号で管理する方法は見るべき人間の情報管理の意識に大きく左右されていて全社員に強要するには様々に面倒も多い方法だったが、社員証の磁気記録の浮動乱数領域と個人設定の十六桁の文字記号列による暗証管理は煩雑ではあるものの、未来感を強調する小道具として喜ばれていた。

 閲覧追跡に端末記号と回線番号を記録することでどこから情報を見たかという記録もなされ、短中期的にはなかなか言い訳しにくい情報閲覧システムに仕上がっていた。とはいえ、十万個ばかり作った論理回路は基本的に同一のもので同じように論理回路を運用するようになるので、個性化固有化は難しく端末記号はいずれ容易にごまかされることになる。

 これが現状まだ十数台しか組み上がっていない将来型電子計算機の運用実証機で、なんでもできるがなにも出来ない、あたかも高性能の毛糸玉と編み棒セットのような機械と称されていた。

 今はプログラムに機能回路とを一対一対応をさせて動作させているが、次は最低限の基幹プログラムを常駐待機させることで一々回路全体を立ち上げ直さないまま、必要な動作機能を切り替えつつ動作するように、最終的には装置論理容量いっぱいの複数動作を平行して或いは外部記憶装置に留保しつつ連続的に実行動作するように仕上げてゆく方針だった。

 ジェーヴィー教授曰く、電話交換機が日々その能力の一割以下しか動作していないのは全く不条理で資源と能力の無駄遣いであると考えている。ということだった。

 今のところ読み取り装置も表示装置も文書管理用途くらいにしか使いようがない性能ではあるが、逆に言えばその程度にはすでに使えるようになっていた。画像のグリッド化の延長で地図や図面の拡大や接合が比較的容易で論理的には可能であるはずで、情報としては格納できるようなのだが、表示印刷機能と入力機能が全く追いついておらず、今のところはガタガタピカピカの文字で文書の内容を査読し書き込みができると云う程度に期待しておいたほうが良い機械だった。

 論理機械言語という一種の異国の言葉を学ぶことがこの機械の運用には不可欠で、それを数学と捉えている間は発展的な利用は難しいだろう、ともジェーヴィー教授は研究室の弟子たちに熱弁を振るっていた。

 教授曰く、詩を読むように湧き上がるように機械に命じ動かすのだ、あたかも物語の魔法使いが箒や杖に命令を与えるようにだ、という。

 ともかく、そういう一日に一割しか動いていない機械を、さらに一割ぐらいしか活用しないままに電子計算機の実用は始まった。

 ジェーヴィー教授は今はまさに機械に言葉を教えてもらっている最中だという。

 作った者が当然に機械に言葉を教えたと思うのが普通だが、教授によればそれは違うという。神が人に言葉を与えた、神に依って人に言葉が与えられたのは事実だが、人が言葉を得たその時からその言葉は神のものではなく人のモノになったという。

 また人が発したとき言葉は、その人の元を離れ、その人のものではなくなる。

 故に人同士は言葉を同じくして尚、誤解し分かり合えないのだという。

 かくなる事例を元に、ジェーヴィー教授は人が我々が機械に言葉を与えたのは事実としても、それはすでに機械のものだというのである。

 機械を心地よく人の願うとおりに舞わせ働かさせるためには、機械の心地よい言葉を紡いでやる必要がある。

 それは詩作にも似た芸術的な感性、音楽や美術的な直感を必要とする。

 そしてそれは数学ではあるが初等代数的な直線構造ではいけない。

 むしろ物理理科の計測に似た緩やかな追い込みをかけてゆかねば、計算機の持つ桁数の崖から突然に突き落とされることになる。

 入れ子構造と循環構造そして差し替え入れ替えが電子計算機の詩作の基本だという。

 類似形を渦状樹状に積み重ねる、自己複製自己積層構造を作り上げ、最終的に自律的な協調を取れる純粋知性こそが、この電子計算機の未来の姿であるとジェーヴィー教授は考えていたが、純粋知性と云うには結局物理的な回路長という時間制限にとらわれていて、そこに至るべくもないことは彼も重々承知していた。

 あらゆる純粋知性への試みは、時間という枠組みを乗り越えられるある瞬間にしかありえなく、一次元よりは二次元三次元四次元五次元更に幾億万次元といった高次構造のほうが接続量連想量から純粋な知性へ近づきうるが、その爆縮的な情報回路の構造は神の視座と云うにはあまりに儚いものであろうと、教授は述べていた。

 質量の究極として光が飲み込まれるような闇が生まれるなら、あたかもその対偶に至るような実体と質量を持たない光の点こそが、ジェーヴィー教授の考える究極の情報回路になるだろう。

 そうあるためには巨大な容量の記録回路装置に満たされた情報と、それに比して物理的に小さな記憶演算領域と圧倒的な計算速度が必要になる。

 それこそ回路そのものが情報で形成されるような概念上の構造である必要があって、少なくとも、今ここにあるような入り口出口が一対一で存在できる電子的迷路ではいけない。むしろ電子と殆ど一体化したような大きさの回路を形成する必要がある。

 だがそういった現実的なものを超えた極超高次元の情報構造が十分に膨大な情報量を扱い始めたとして、それが自律的に演算を開始するさまはそれはそれで興味が有るものだった。

 そういった物が地上にあるはずはない。

 一種夢想家の言葉が現実を超越しているのはそれとして、回路としての三次元構成というものは既に技術としては構想はしていた。それはエッジング技術と蒸着技術に積層造成と云う樹脂回路でおこなっていることを、より細密の半導体としておこなうことで達成は可能だった。一種の飴細工のようになるが不可能ではない。

 四次元五次元となると想像しやすいところで分岐処理として別回路で生成していた結果を一気に重ね合わせ戻して多重処理するとか、或いは時間要素の外部記憶を使っての参照の他にも現在の判定の基本である〇一を正負と加減という二つの形にしても良いし、或いは信号そのものを何桁かに記号化して複層化するということもありえた。そうするとある機械では〇一〇一である記号が隣り合った別の機械では一〇一〇や一一一一になるかもしれない。

 そうやって分岐と統合を繰り返すことで、高次元的な演算をおこなうことは出来る。

 そして機械の運用記録を長期的に蓄え使えるほどの性能があるなら、それは確かに機械の記憶と云ってもいい個性になり得る。或いは過去の乱数の積み重ねを記録してゆくとかも面白い。

 と云う話をちょっとした成行きで鉄道部軍都支社の社主室でマリールにすることになると、マリールはしばらく頭のなかで吟味したあとで二三個の記号式を示した。

「たぶんですね。それ、あれです。星の門とか智慧の光とか願いの坩堝とか云われている魔法の根源としての、世界の穴のことです。まぁ、そのなんというか、概念というか作り方の理想論というか。ちゃんと誰かが実証したような種類のものではないんですが。昔はたくさんの術者の呪力をぶつけることでできるものだと思われていて、生け贄が必要な儀式がたくさんおこなわれた根拠でもあるんですが、こうアレです。人間の感情の爆発的な構造をグバっとピシャっとやると悲鳴みたいにして上手く起きるんじゃないかって思われていました。それはそれで意味はあったんですが、そういう方法ではうまくいっていません。

 そういう爆発的な方法じゃなくて地味にこう一冊一冊本を読み返すような計算をちまちま積み重ねてゆくような方法でもいけるだろう、といわれていることはまぁそうなんですが、それだけでも足りないだろうと」

「何の役に立つんだ」

「役っていうか。魔法の根源というか。術者なら誰でも持っているはずのものなんですけど、腑分けしても見つからないような物なので、どういうものなのか作ってみて、うまくゆくなら魔法使いになりたい人に植えてみたり、伸ばす方法があるなら魔法使いの能力拡大をしてみようかなぁとか、そういうもののはずです。まぁそもそも空想上の概念上の産物なので上手くいっていない上になんていうべきか、その、術者そのものを殺しちゃうような実験ばっかりだったんで、お蔵入りっていうか、本末転倒だろうってことになったんですが、二三十年くらい前まではわりと本気で研究していた人々が軍にもいました。今はそんなことしないでもやれることも割と多いじゃん、ってことになっていますが。軍の魔導士って云っても旦那様の懐中電灯とか無線電話とあんまり変わんないような感じの人が多くて、しかも割と電池が切れかけの感じなので、切実って云えば切実なんですが。共和国軍ってそういう意味じゃ大きいので割とどうとでもつぶしが利くんです。正直民間で扱い悪いところに囲われている魔法使いとか大変ですから」

 マリールはあまり興味なさげに言った。

「世界の穴ってやつは、アレか、セラムの目に使った端材みたいなやつか」

「アレは、多分。まぁそうです。ああいうあちこちにあるものの中に閉じ込められているものがあるのは知られているのですが、純粋な形でとなるとなかなか貴重なのですよ」

「魔族の持っている魔結晶を集めればいいんじゃないのか」

「まぁ、理屈で言えばそうです。でも魔族は結構強いので。こうなんというか、我々とはちょっとズレて存在しているんで、結構手強いのですよ」

「ズレてってなんだ。割と簡単に殺せた覚えがあるが」

「それぞれに位相がある結界があるはずなので。我が君……殺したことがあるんですか」

 怪訝な顔のマリールにマジンは頷いた。

「まぁ、それなりの数は」

「というと、十はと云うところですよね」

「まぁ、そうでなければあの宝玉は作れない」

「ちなみに殺した方法は」

「得物で腕尽く」

 まぁ、といってマリールは笑った。

「我が君はやはり魔法を日常的に自分の体に向かってお使いなのでしょう。というか体温とか汗みたいにして吹きこぼしているんですね」

「それは悪いことなのか」

「贅沢ってだけです。背の高い人やお金持ちや声が大きい人が好かれたり嫌われたりするのと一緒でそれだけではあまり意味がありません。ただまぁ目立つ贅沢な個性ってだけです。魔術としての扱いやすさはともかく素養としての魔力自体は持っていない者のほうが少ないほどのものですし」

「贅沢っていうのは」

「魔法使いの立場から言えば、召使を使って自分の体の世話をさせているようなものなので贅沢だなぁというだけで私もやっていますし、珍しいというわけではありません。リザ姉さまもその最たるものかと。あれだけ轟々噴き上げていればそりゃ弱々しい他人の魔力なぞ聞こえるはずもありません。私、お姉様に腕ずくで勝った試しがありませんもの。それにお姉様いつでも薄着でしょ」

 リザは特に薄着というほどに極端ではないが、かなり寒い時でも帽子と襟巻き外套に手袋ぐらいで毛皮で裏打ちした大外套のような重たげな物を着ていた覚えがない。共和国軍は全体に陣地戦指向の軍隊で装備全体は軽装であるものの被服は多い印象がある。

 そのために外套や大外套の外から簡単に着脱できる斜めの肩からのベルトと腰のベルトで三角に支えた大きめの雑嚢を一つか二つ胸と腰にぶら下げて、更に大きな背嚢は行軍中は輜重に預けるような事が多い。或いは大外套や雪袴を背嚢に括り付けている兵隊も多い。

 ガッツリ着込んだ上で荷物を増やしたり減らしたりするような軍装で、ミョルナの山を登ったり降りたりしている兵隊の輜重をしばしば見かける。あそこいらは油断すると夏のさなかでも風向きで霜が降るような土地なので夏のさなかでも大外套を着込んだまま延々と行軍することになり、それを支えるためには状況に速やかに応じられる装備が必要になる。東側がワイルの荒野だというのもなかなかにすさまじい。ワイルはワイルで天候が日照り続きが多く、日中冬でも二十度に迫り夜は一気に油が凍る温度まで下がる。

 北街道の輜重隊には輜重に掛かる輸送対象の軍需物資の他に、輜重隊の兵隊のための装具を相応に積んだ大行李が随伴していることが当たり前になっている。

 北街道往来向けと共和国軍で規定されている被服を全部揃えると相当な量になるはずだが、重防寒用や海洋で使うような一部特殊な被服は士官も個人購買の義務はない。とはいえ官給品は体に合うものが流れてくるかどうかはその時次第なので、役付の士官は従兵や部隊の行李に私物の行嚢を預けていることが多い。

 そういう中でリザは軍服の上に外套を着るだけで帽子と襟巻きにオーバーブーツが関の山で平気で過ごしていた。もう一枚風よけにポンチョを羽織るとかしたらいいのではないかと思うこともおおいのだが、本人が気にしないのであればあまり言えることでもなかった。

「ボクは寒いのきらいだな」

「単に健康だって云うだけかもしれないのですけどね。でも、そういう健康や精神なんかの生命を支えたりするものが魔力と同元だという考え方が基本にあるのは間違いありません」

「不健康な噂が多い割には魔法使いってのは健康なのか」

「というか、不健康を自覚しているから健康維持に真剣なんだと思います」

 ああ、と曖昧にわかったような気分になってから、マジンは何の話だったか少し考えた。

「それで位相とか、結界とかっていうのは」

「普通魔族はその魔力で私達とは少しずれた世界にいます。触れる影というか、世界の襞というか、まぁカーテン越しに存在するような状態です。なので、彼らは物理的に無敵というわけではないのですが、見えたその場を攻撃してもそこには本体はありませんし、向こうからの攻撃も微妙に異なっていることが多いのです。で、まぁ大抵は苦労するものなのですが」

「それで割と手応えがあるのに躱されることが多かったのか」

「結界の位置や形がわかっているなら物理攻撃と魔法の組み合わせというのは、単純で合理的なのですが、総じて体力としてどちらかが先に尽きるので、基本的にはあまり一般向けというわけではありません」

「普通はどうするんだ」

「普通は、火とか水とか普通は三聖四霊五行なんかの相性に頼って相手の弱点をつくんです。それでも最後は力尽くなんですが、最初から力尽くよりは幾分楽、ということになっています」

「魔法戦の経験は」

「命がけのものはまだ。模擬戦はわりとと云うところです。私の田舎には魔法を使ったそういう博打の類もあるので。そういえば今度行きましょう。父はダンマリでしたが母は会いたがっていました。アーシュラもまだ会わせていないので自慢をしないとなりません」

「そういえばソラとユエにはロウソク通信とやらを教えてたな」

「おふたりともスジが良いですよ。いまでもたまに使っています。電話と合わせると顔を見ながらお話できますし」

 ロウソク通信というのは魔術を使った一種の影絵で針で穴を開けた黒い紙をロウソクと像を映す白い紙の間に衝立のように置き、蝋燭の炎を揺らし像を結ばせるという技術で片方に二人づついたほうがやりやすいが一人でもできる。なにが映るかは炎を動かす相手次第だが結像をさせるのは受信側の装置の調整と誘導が大きい。

 マジンは苦手というか結局うまくいかなかった。

 まぁ、上手くいかなかったことが悔しいというわけではないのだが、気にしていないというのも嘘なので、気分を変えるために飲み物を水差しから注いだ。

 ローゼンヘン工業軍都支社の社主室は仮眠室の付いた居室と執務室の続き部屋になっていて、基本的にはデカートの社主室と同じような作りになっている。

 マリールは別に時間は気にしていない様子ではあったが、実を言えば彼女は個人的に遊びに来たというわけではなかった。もちろんついでの話し合いを果てしなく長引かせるのは彼女の本意ではあったが、彼女は公務で仕事で社主室を訪れていた。

「うーん。話が脱線しすぎたね。つまり、アレかな。キミの上司というか、逓信院の皆様も電算機を魔法の機械とか人工知性とか考えているのかな」

「その、旦那様のところで前に貸して前線で壊された機械について報告が上がって、それの中身が電話交換機に使われていると知って、使いたい、必要だ、と言っている部署がいくつかあるのは事実です。何に使うのかまでは知りませんが、逓信院はべつに魔術の研究ばかりやっているわけではありませんから」

「それで見積りか。いいよ」

 そう言うとマジンは手元の電話をとってデカートの電話部本局を呼び出し、電算機の見積りを軍都の鉄道部庶務課に送らせた。

 ただ、電話交換機としての仕事から開放された電算機は無職の若者と同じような自堕落な存在だった。一々まともな形の命令を積み上げてやらなくては自分の靴の紐すら満足に結べないような状態になっている。

 分厚い資料書とおよそ八十ほどの命令の構文集こそがむしろ電算機の価値の本体とも言える。その命令に基づいて基本的に八桁の十六進数の文字列を積み上げることで命令を組み上げた新しい命令を更に積み上げて仕事をさせてゆく必要がある。

 単語を組み合わせて物語を記述し説明に至る一種の文学的な構造をしていた。

 表音記号で言語を音写し複雑な意味を積み上げている共和国の言語体系にも似ていると言ってもいい。

 ともかくも、なにが狙いかという話題は別にして、電算機の利用という意味で今は運用実績が欲しかった。

「それでなにができる機械なんですか」

 今ひとつわかっていないようにマリールが尋ねた。

「足し算と引き算を山のようにたくさん記録しながらできる。それを表示できる。ある数の代わりにその数に対応した記号や表示座標を示せる。それを繰り返せる。他にもいくらかできることはあるが、基本はそんなところだ」

 電算機の機能というものを説明する上でどう説明するべきかはかなり困る。

「それでどうしていっぱいある砲弾の空中の位置をそれぞれ示してみせたり出来たのです」

「それは、間が随分飛んでしまうのだけど、それぞれの空中での特徴を計算して、出した答えを関数図表的に表記したとしか言えない。空間測量の話題に至る前に熟すべき話題がいくつかあるから、その答えを一足飛びに知りたいなら分厚い教科書と論文を読むか、電算機の命令自体を読み解くしかない。細かいところが知りたければ、館のジェーヴィー教授の研究室にくるように伝えてくれ。ベラベラと長い話をしても多分一日じゃ追いつかない」

 少しすると庶務課から見積書が届けられた。

 高っ、とマリールは驚いていたが、安くできるわけのない構造もしていた。

 電算機の中枢部は基本的に宝石と金細工で構成されている。

 説明したところで理解をしてもらうのは難しかったが、マリール自身も驚いて口にはしたもののあまり気にしている様子はなかった。

 石油材料が安定的に使えるようになったことで比較的効率的に材料管理や装置管理ができるようになったとはいえ、純粋な材料の精錬生成はやはり未だに面倒が多く、機械そのものの管理はともかく真空工作室や無塵工作室の管理は面倒が多かった。殊にジェーヴィー教授は理論はともかく製造に関する限り、余り理解のある人間ではなかったのでどういう理由においても彼のいうことを聞く人間を工房に近づけるわけにはゆかなかった。

 一部研究者については館及びローゼンヘン工業関連施設への立ち入りを一切禁止した。

 彼らの多くは必ずしも横柄な人物ではなかったが、能力に偏りのある自覚と謙虚さに欠ける人々が多かったし、自分たちの研究が飛躍する幻想に酔っていた。

 当然にゲリエ村の宿舎からも退去いただいた。

 大人げない態度、と云う声もあったが、彼らが壊した機材の金額を考えれば、彼らの一族を奴隷に売っても回収できない金額であったから、退去で済ませたことはむしろマジンにとっては子供の遊びの範疇だったからだった。

 ジェーヴィー教授自身は工作技術に無頓着で無理解ではあったものの、工作機械に対して極度に臆病でもあって、彼自身が工房に近づくことは殆ど無かった。彼自身は工作を極単純な簡単な作業と考えている様子はあり、その非常に景気の良い扇動的な発言で他人を簡単にその気にさせることが得意ではあったが、彼自身が工房に近づくことはなかったために直接衝突する理由にはならなかった。

 ジェーヴィー教授が研究の広がりの可能性や知的な刺激を持った人物であるにもかかわらず、学志館で今ひとつ主流的な立場になかった理由は、一方で極めて軽薄な面や他人への無理解を隠さない面を持っていたことが影響していた。

 とはいえ彼は権勢家と云うわけではなかったので、彼の縁故の人物を研究室から排除してもそれが自分に対する攻撃だとは考えず、むしろその人物が施設に危険を及ぼしていたことを無邪気な様子で嘆き謗りさえしていた。

 ジェーヴィー教授を一言で評するならば、極めて自分勝手な人物ということに尽きる。

 マジンの立場としてはそれはそれとして次を睨む必要があった。

 ジェーヴィー教授の取り巻きが信用ならないなら、ジェーヴィー教授の組織を小さく削る必要があって、そうしても構わないだけの投資先を設ける必要があった。

 軍がどういう思惑でいるにせよ、その組織が電算機に興味があるというのは非常に結構なことでもあった。

 逓信院は代数或いは幾何といった数学的な研究を広範な領域で専門におこなっているわけではないが、魔法魔導を研究する上で、形而上形而下を接続する様々な相似類似という形態学或いは書物知識としての暗号符号等の置換を実用する記号学等という論理学や言語などの横断的な領域に様々な研究者を配していた。

 ある意味で扱いの面倒になりそうである電話交換機という装置を一種の風溜まりのような政治力学的な意味合いで預かったことで、逓信院はその装置に触れる機会が増え、単に精妙な加算器というだけでないことを前線からの報告で知り、ほとんど同時に複数の研究部署で要求が立ち上がった。

 これこそ彼らの求めていたものだというのだ。

 逓信院はその組織の目的から人員規模については自由をほとんど認められていなかったが、予算については会計上の追跡がおこなえ名目が立つなら事実上自由だった。

 彼らは早速電算機を予算化した。

 その早さは見積りを受け取り、翌日兵站本部に今後計画の説明と希望の折衝をおこなって帰社しようとするマジンの肩をマリールが叩き、他に三人の逓信院の士官がいたほどである。

 マリールにはマジンの所在を探すことはひどく容易いことで、それは重々承知していたが他に何人かいた彼らは確実にマジンを渡りをつけるために、そのマリールを猟犬代わりにした。

 鉄道の旅では自動車の管理も不要で、運転手も秘書もいらない気楽さからマジンが一人でいることに三人の軍人たちはやや驚いている様子だったが、大本営から見える位置に駅舎と支社があるので、困れば社員に助けてもらえるのも社主の立場の気楽さであった。

 彼らの要件は端的に云えば、高速電気計算機の来季の予算計画を埋めるだけの運用資料がほしいので、ローゼンヘン工業に見学と研修に伺いたいが日程の調整設定をおこなえないかというものだった。

 鉄道が整備されたので移動の時間はほぼ無視できる状態ではあるとは云え、電気計算機は専門に編成されたわけではない現地部隊のしかも統帥権運用の員数外の機材ということで情報がほとんど上がっていない。

 しかし、電算機については参謀本部や逓信院でも一種過熱気味の報告とそれにあてられての部内研究もあり、逓信院では予算化そのものは可能である早くも期待されていた。

 またさらにしかし後の信用にも繋がる種類の高価な機材でもあることから、早急な知見の修正が必要だろうという結論に達していた。

 ついては十人ばかりの部局の人員をローゼンヘン工業に送り込みたい。また、可能であれば継続的に研究情報の取得をおこないたい、という申し出だった。

 ギゼンヌで恐怖砲撃をおこなっていた実績が積み重なり始めたあたりで、幾度かその使用機材についての問い合わせを参謀本部はローゼンヘン工業の幾つかの部署におこない始めていた。具体的には電話線が鉄道に先立って軍都に到達した初夏の頃から散発的にである。

 だが、ローゼンヘン工業の鉄道部も或いは新港にあるデカート支社や電話部電灯部もはっきりとしたことはわからない様子だった。それはアミザムに軍需品を専門に扱う商社部門として開設されたはずのロータル鉄工でも同じだった。

 様々な伝手で番号を得た本社秘書室からは、新規開発品については製品化の目処がつくまで問い合わせに回答できないと言われていた。

 ギゼンヌ軍団が中心になっておこなっている恐怖爆撃は、ではいったいアレは何なのだ、という話題が大本営のあちこちで起こり始め、いずれにせよ何やら素晴らしい戦場の神の視座を提供する機械群があるらしい、という噂話だけが独り歩きし始めていた。

 実務を主とする軍令本部と兵站本部は、戦争が再びの混乱で膠着している今、そんな新兵器に関わっている余裕はどこにもなかったが、参謀本部や逓信院という部署はそういう俗世の混乱からは離れていることも仕事でもあった。

 アレは何なのだ、という機械的な点については三人の研究者たちは殆ど理解していなかったが、測量機器の一種を極めて高速に支援する計算機という機能的な面についてはおよそまっとうに把握していた。それが電話回線に似た手法で測量機械の信号、機械言語をそのまま統合することで一々読み取る手間を省きつつ、人にわかりやすい形に翻訳する機械である、という理解を得ていた。

 それは定義的にはどうあれ理解の根幹の流れとしては最低限の正しさを持っていた。

 物理現象として定義が困難な魔法魔術を軍務という日常技術として扱う逓信院は、高速電気計算機を、秩序を見いだせない混沌とした記号を整理し翻訳する機械、或いは現象を可視化する機械として欲していた。

 入れ子構造や有限無限の反復或いは外濫による状況の留保と切り替えなどの現象の混沌過程を計算機能とし、留保した情報を逐次検索し、並び替え、特定の型に整形転換するという分類技法の基礎を自動的に高速におこなえる計算機は、魔法や魔術というものの共通因子を分類する機械として極めて有望である、と参謀研究は高速電気計算機の逓信院の専有機材として導入を推奨していた。

 人員の研究行動に制限が少ない代わりに予算の自由が殆ど無い、参謀本部としては新規機材の運用実績と協力組織に人員の少なさそうな従って、利用頻度の少なさそうな逓信院を選んだわけだが、そこは大いに間違っていた。

 人員規模という意味では逓信院は確かに大本営でも最小格の組織ではあったが、待機人員と云う意味では参謀本部とさして変りなく、予算という意味では遥かに潤沢であった。逓信員の研究員たちは様々に悶々とした形で研究対象を探していた。

 参謀本部の軍政研究報告を受けた逓信院は、満帆背に受けて電算機研究に乗り出した。

 明後日にはヴィンゼに帰るが、その時に同行されるもよし、というと、ならばと逓信院は同意の言質を与えたゲリエ卿自身が驚くほどの腰の軽さを見せて、八名ほどの視察団をローゼンヘン館に同行させることになった。

 マジンは軍人たちの腰の軽さに驚いたが、逓信院研究本局にしてみれば事実上無任所の研究者を数名纏めて送り出すだけのことで、まして鉄道線が引かれてからは往復でも十日とかからなくなったとあれば、相手の気が変わらないうちに見るべきもの聞くべきものを見聞きするのを惜しむことはなかった。

 逓信院所属の研究参謀たちはまるで学校の見学を約束するような気楽さで三日ほど機材の見学と資料の読み方の手ほどきを受ける日程を定めると引き上げていった。

 帰る前にアルジェンとアウルムには軍学校の制服を仕立て直した。

 彼女らふたりともいつの間にか、というよりかは春先辺りから気がついてはいたのだが、マジンは背の高さで追いぬかれていた。アルジェンより背が高いアウルムはもう気にするのをやめた様子だったが、アルジェンは俯き肩を落とし背を丸めて窮屈そうにしていた。

 入校した頃は胸の高さくらいだった二人は、成長期の間に一気に倍ほどに育っていた。

 二人でどーんって突っかかってこい、と言って胸を叩くと、流石にふたりとも躊躇したが、とりあえず一人づつ試すことになった。

 ふたりとも体重でも身長でもマジンを上回っていたが、まだ体格差という意味では決定的ではなく、バランスと姿勢と筋力でマジンが抑えこむとふたりとも動けなくなっていた。

 二人同時でも一回捕まえてしまえば同じことで、一人の分マジンが押しこむのが楽なくらいで二人を転ばせていると、憲兵が飛んできた。

 憲兵に絞られるのは気の毒だったので二人を逃がして、親子であることを告げると憲兵はしばらく勝ち戦で治安は落ち着いているが人騒がせをするなと路上でマジンに説教をくれて放免した。


 逓信院からローゼンヘン館に送り込まれてきた八人の視察団は魔法使いと云うにはあまりに普通の軍服をきた官僚で、逓信院の樹木の徽章はつけているものの杖の徽章のない連絡参謀の資格のない人物もいた。

 必ずしも魔法が使えることが逓信院の勤務条件ではないというのは少し驚きではあったが、希少であるはずの魔法使いばかりで組織が動かせるはずもなかった。

 全く彼らは淡々と電算機の来歴や機能の説明を受け、現状における研究状況を見学して引き上げていった。

 研究参謀たちはローゼンヘン館の工房や研究室でそれぞれ折々に驚きを漏らしていたが、彼らの興味がどこにあるのかはわからなかった。

 だが複数の電算機で計算を連携させられるのかなどという質問を発していたように最初から連接を考えている様子ではあった。

 電話交換機の内部では二つから六つの電算機が連携をして局内の電話回線の管理を行っていた。

 物理的な距離や電気的な消耗を減らすために回路の小型化集積化積層化をおこなっているわけだが、時間がどうでもよいということであればいくらでも巨大に接続し計算の並列化をおこなうことで計算規模の必要な様々をおこなうことはできた。

 今のところ、その表現出力装置や命令や結果の記憶記録の保存が困難であることから装置能力の巨大化は無意味に近いが、今後の課題としていずれ解決するとして様々に展開はできる。

 思いつきの勢いと成行きで作った計算中枢に比してその外側の部分の貧弱さは目を覆いたくなる有様だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る