ルミナス六才

 忙しいか暇かといえば、デカートからあまり離れられないが、忙しくはなかった。と、多分言うべきなのだろう。

 そういうわけで機械手袋や竹馬をマジンは作ってみた。

 基本的には動力は使っていないのだが、振動を抑制するためにダンパーとして磁性流体と磁性繊維の組み合わせで、電磁気的なフィードバック回路を使って振動を抑制するようにしてはいた。

 基本的には人間の骨格に似た二本一組の骨格構造を、要所各部で滑車を組み込んだ関節で接続し、骨のねじれとその距離を縛る伸縮繊維のダンパーとダンパーを吊り下げる外骨格で骨格の挙動を拘束する。

 機械手袋は張力の調整が手間がかかるが、気密チャンバーにつけている誰の手にもサイズが合わないブカブカの手袋よりは直感的に手応えがあった。少なくとも指先に余った分の皮のせいで引っ掛けてはしまわなさそうだった。

 最終的には操り人形のような構造で宙吊りの操作者をからだの中に収めた甲冑のようなものになった。

 操作に合わせてダンパーに通電させると、ある程度は動力として機能もするはずだが、元の配置が目的と異なるから、余り効率的というわけではない。倍力装置として使うには電算機とそれなりの電力の支援が必要だが、それは準備にしばらく掛かりそうだった。

 単に縁日の出し物として立ち歩かせるには、いまのままでも構わないし、竹馬に乗れるくらいのバランス感覚があれば、家の周りの小道を散歩するくらいはできる。

 骨格とダンパーで下半身だけで半ストンは超えているから余計なことをしなければ、という注釈はつくが、それなりの体力があればそれなりに便利そうには見える。

 手の込んだ釣り天秤のようなものなので、マジンくらいに体力があれば手足が長くなることは様々にメリットも多く、畑起こしやちょっとした土木作業の重機代わりに使うこともできるはずだった。だが、ねじれ構造を多用する関係で機械の脱臼はかなりの頻度で起きていて、力を必要とする常用には課題も多い。一方で指先の動作が非常になめらかであやとりやロープワークといった作業も自由に出来ていた。

 一種の張り子のようなもので、今のところ玩具以上の意味は無いものだった。最低限外の様子が見えないと動くに動けないわけだが、胴体の中で自由に動ける大きさにしたせいで上半身を載せると周りがなにも見えない状態になっていた。

 マジンが忙しい中で面白半分に作った道具にありがちな出来と不出来とを作った当人が楽しむカラクリ仕掛けというところが今のところの雰囲気だった。

 だが、そういう巨大な鎧武者をルミナスはよほど気に入った様子で、自分で使える大きさの膝と足首の付いた竹馬をせがんだ。

 一晩、マジンは息子にどんなものが作りたいのか聞き取りをして、翌日ルミナスを宙吊りにして、ルミナスが昨夜言った高さでいいのかどうかを確認して、軽くそのまま振り回しガン泣きさせたあと、改めて検討して宙吊りにしてみた。

 ルミナスには十キュビットは高すぎて、五キュビットくらいが怖くない高さの限界であるらしい。転んだり倒れたりということを考えれば、その程度にしておかないと色々厄介事も多い。

 そこからはルミナスに計算をさせ、設計図を描き、部品図を描き、ルミナスに工房の説明をして、絶対やってはいけないことを教え、設計図通りの部材を作り、組み立てた。

 ルミナスはいちいち成果を見せたくてしょうがないらしく、そのたびいちいち振り返り作業から目が離れるので、その度にマジンが機械を止めることになった。ルミナスが抗議をすると、絶対やってはいけないことを唱えさせ、工作中加工品から目を離さないを一日に何度も口にさせたはずなのだが、どうも上手くゆかなかった。

 しかたがないので加工中の部品をつついて、よそ見をしている間に壊してやって、ようやく目を離さないようになってきた。

 ルミナスの竹馬の骨格は、重量や寸法からして超硬素材を使うまでもなく達成できるようなものだった。基本的には軽合金製の骨格にすでにある関節部品を納める、手間のかかる積み木のような作業といえる。もちろん材料を加工する工具は撫でただけでルミナスのどこにでも容易に穴が空くようなものでもあるので、慎重を要するのは材料や精度にかかわりがない。ルミナス自らによる作業中、機械が壊れるんじゃないかとマジンが心配になるほどの回数で機械を急停止することになった。

 ルミナスの工作センスは悪くない。のだろうと思う。少なくとも材料を切り込み過ぎない程度の大胆さと、必要な形にあわせて丁寧に仕上げてゆくだけの根気はあった。むしろ父親のほうがその時間に焦れてしまうほどではあったが、そういう意味ではなかなかの集中力でもある。

 指を飛ばさない程度に大胆であることと、仮に指を飛ばしてもなお完成を目指し工作を続ける懲りない心が、ある意味で職人には必要だが、職人になるのかならないのかはともかく、この年で道具を使って何かを作るというのは一つの才能を感じる。

 しかし門外の他人の何かに付き合うというのは、わが子のこととはいえひどく疲れる。

 マジン自身の作業は何もしていない、ただ後ろで工作状態を見ているだけなのだが、自分の腕も手も指もほとんど役に立たない、という一種監獄のようなもどかしさに猛烈な疲労を残しながら十日ほどで部品は出来上がった。最後の二日ほどはだいぶ順調だったが、ともかく疲れた。

 その後三日ばかりは組み立てを続けていた。

 部品の接合面のいくらかは刃物のような状態で余り鈍していなかった。

 紙や木をいくらか刻みつけ鈍しながら、ルミナスに加工直後の材料の危なさを教えつつ、部品を組み上げていった。基本的な骨格を組み上げれば、あとは操り糸代わりの合成繊維を張り巡らせて完成だった。

 およそ半月でルミナスの膝関節付き竹馬は完成した。

 竹馬に正座をさせた状態で腰にぶらさがるような位置にある操作席に中腰で乗り込む設計になっているのだが、片足で十パウン近い竹馬でその状態から立ち上がるのはルミナスには体力的に不可能で、立てたまま脚立で乗り込む必要があった。

 だがとりあえず肩車をされた視線で自分の足で歩きまわることにルミナスはひどく喜んでいた。

 竹馬を乗りこなすのが早かったのは、体力に余裕があるアーシュラだった。

 彼女は夏から秋にかけて実り始めた、これまで手が届かなかった庭先の果物を取る機械とし始めた。

 運動能力に優れた彼女は、ちょっと重たい長靴をひょいと蹴り上げる感じで座った状態から立ち上がる事ができることを示し、人が入り込むまで不安定な状態の関節竹馬に落ち着いた姿勢で装具をつけてから立ち上がることで、入り込むまでの脚立以外に装具をつける間の固定用の支えを必要とせず、台車の上に片付けられている状態で道具として使ってみせた。

 それはある意味でルミナスが望んだ使い方で、体力に不足のルミナスにはまだ不可能な方法であったので、彼の悩みは増した。

 つまりはアーシェラがまちなかで飛び跳ねれば大概の天井に手が届き、軒から二階に入り込むことが容易な身の軽さがあることを示していたわけで、子供の体力とすれば眼を見張るほどの運動能力だった。

 クアルくらい大人の体力と体重があれば、要領次第で立ち上がれる様子で防具をつけて乗り込んだクアルは、脚立を杖に立ち上がって見せてルミナスを瞠目させた。立てた状態でフラフラと装具をつけるのでなしに、装具をつけた後で梯子段を使い、上半身の力も合わせて立ち上がってみせたのは、ルミナスにとっては大人の知恵というものを見せつけられた気分だった。



 盲目の美人秘書の娘で父親の愛妾の一人でミンスの従姉妹、という様々にルミナスには屈託もある歳近い女性が、自分の工作物で無邪気に喜んでくれて、しかも新しい使い方を示してくれたことはなんというべきか、幸せな喜びをルミナスにもたらした。

 それはルミナスを若様と扱ってくれる人々が良くしてくれるのとは別種の、なにやら幸福な感覚で顎の下あたりがくすぐったい、首をすくめたくなるような感覚だった。

 パミルもクアルと同じ方法で立ち上がることができて、四倍ほどになった足の長さで歩きまわる楽しさをわけあってくれた。

 問題はミンスで彼女は、二人の従姉妹の楽しそうな姿を笑顔で見送るのだが、ルミナスがそれを嬉しそうに見ているのに気がつくと表情が固くなった。

 他人の感情の理不尽というものを許容し妥協するには、ルミナスはあまりに素直に育ちすぎていた。

 とうとうルミナスは、工房から出てきて女を侍らせながら仕事の書類を眺めている父親に話を聞いてもらうことにした。

「父様、話があるんだけど」

「聞くよ」

 そう言いながらマジンは膝の上の女に鼻くそをほじらせて、自分は資料の数字を書類に写して何やら計算を書き足していた。左手は女の胸元で算盤を弾くようにときたま乳首を弄っている。

「話があるんだけど」

「何だ、大声出すなよ。聞くよ」

「大事なの。それに。誰にでも聞いていい話なら父様になんか聞かないよ」

 ルミナスが声を張り上げた。

 それを聞くと女は眉を跳ね上げ目を丸くして、ルミナスの目が潤み赤くなった顔を眺め、主の左手を押しのけるようにして立ち上がり、もう一人いた女も書類を机の上に広げるようにしておくと、部屋に据えてある冷蔵庫から冷やしてあった水差しとお菓子を机に置いて、頭を下げて出て行った。

「わかったよ。こっちも大事なんだ。明日の昼には返しておかなくちゃならない。計算だけさせてくれ。……こっち来い。大事な話ならその前振りがあるはずだ。それくらいなら計算しながらでも聞けるだろ」

「ボク男だよ」

「子供が親の膝に乗るくらいべつにいいだろ。お前はボクの子供だ」

 そう言いながらマジンは膝を叩いた。

 ルミナスは女の匂いをさせているマジンはあまり好きじゃなかったのだが、ほんとうに忙しいらしいマジンが、ともかく話を聞く気はあるらしい、と云うことで机を回りこんでマジンの膝に座った。

「それ何の計算」

「働いている人たちの食事。と捕虜の食事の大体の内訳。捕虜にちゃんとしたものを食べさせているか調べている。あと、捕虜たちの食事の上前ハネてズルしてる奴がいないかとな」

「ホリョってなにしている人たち」

「なにって云うんだろ。捕まっている人」

「捕まってるのは知ってるよ。捕まって何してるの。うちにいる女の人達みたいに父様の仕事の手伝いとかしてるの」

「家にいるのは捕虜じゃないんだけど、な」

「でもホリョみたいなものなんでしょ」

 ルミナスは誰かから女たちが館に来た経緯を聞いたのかもしれない。

「まぁ、扱いが難しいっていう意味ではそうだけど、軟禁しているわけじゃないしな。家にいるのは食客ってところだろうな。連中、町に出て行って買い物とかしているだろ。まぁ子供の世話があいつらの仕事って云えば仕事かな」

「書類持って父様の膝に座って鼻ほじるのも仕事だね」

「まぁそうだ。布団を温めてくれるために抱きまくらや添い寝もして子供も産んでくれる。お前も頼めば寝るまで本を読んだり歌を歌ってくれるかもしれないぞ」

「そういうのはいいよ。ホリョってなに」

 皮肉を言ったつもりがあっさり開き直られてルミナスはむくれて言った。

「戦場で捕まった敵の人たち、かな。敵っていうのは犯罪者ってわけじゃないけど、なにするかわからないから閉じ込めてある。だからなにをする人って云うよりなにもしちゃいけない人」

「戦争って敵の人を殺すんじゃないの。なんでわざわざ捕まえるの」

「馬でも犬でもカエルでも死ぬと腐るだろ。人も殺すと腐る。お墓も準備する必要がある。できれば殺さないほうが手間が少ないんだ。鉄砲の弾も限りがあるし、墓穴をたくさん掘るのも面倒くさい。だけど敵は邪魔くさい。戦場の兵隊はとても忙しい。だから戦場の戦いと関係のないところに送る」

「でも父様苦労してるじゃん。殺しちゃわないの。うちには機械があるからお墓掘るのも大変じゃないでしょ」

 子供の直接的な質問はなかなか返答に困る。

「まぁ苦労はそうなんだが、殺さないで仲良くできるなら、ソッチのほうがいいだろ。実際にウチの会社で働いてくれる気になった捕虜も結構たくさんいる。いま三万人くらいかな。共和国の人より多くなったかもしれないくらいだ」

「その人たちもショッカクなの」

「似ているが、うちのためじゃなく、自分や家族のために会社で働いてくれているから、帝国国籍の労働者。外国人労働者ってところだろうな。外国人だから身寄りはないけど、何かあれば会社が中に立つことになる」

「それって面倒じゃないの」

「べつにもうなれた。というか市民だって亜人だって奴隷だって喧嘩して騒ぎになるさ。騒ぎがイヤなら人を雇ってはいけない。部下を使ってはいけない。人を使うっていうのは仲裁をしたり面倒をみたり、そもそも面倒が起こらないようにするのも仕事のうちだ。おとなが面倒っていうのは急ぎの大事な仕事が飛び込んできたって意味だからね。忙しいときに大事な仕事はできればしたくない」

「でも捕虜はなにもしちゃいけないんでしょ」

「ま、そうだな」

「でも食事はするんでしょ」

「ま、そうだな」

「誰が食事の用意したりお金払うの」

「いまのうちは、デカート州。戦争に勝ったら帝国軍かな。あとたまに家族の人がいるとそういう人たち。家族にとっては誘拐されたみたいなものだからな。身代金を払って家族を取り返したいっていう人たちもいる」

「働かざるもの食うべからず、じゃないの」

「違うぞ。それは、働きたいと定めた人の覚悟の言葉だ。仕事は一生懸命やるぞっオーッて程度の意味だよ。お客様は神様です、っていうのと同じだ。アレもお客様は偉い神様だって話じゃない、神様だと思って祟りや呪いに巻き込まれるな、お客は邪魔するな、なにもしてくれるな、手早くきちんと仕事しようってだけだ。

 まず、なにもしないことが捕虜の仕事なんだ。だから、何もしない捕虜はそれだけで立派に働いている。

 それからな。ちゃんと人が働くためにはきちんと食事を食べてなくてはいけない。だから、働いてほしい人、部下や家族を持つ人がやるべきことは、働かすには食わせねばならぬ。語呂が悪いけど、衣食住の手配は人を使う上では必ず考えなくてはいけないことだ。

 まじめに考えると本当に面倒くさい事柄が山積みになるからしばしば失敗するし、カネや手間がかかるから手抜きも多い。極力人を預かり雇うときは考えなくてはいけないのだけど、準備がきちんとできていないと働いている人も死ぬし、自分の家族も死ぬかもしれない。どこかの農家の人に聞けばわかるけど、本当に簡単に人は死ぬんだ。マキンズあたりに聞いてみれば農家の苦労は教えてくれるよ。あいつはあれでそういう話はきちんと扱う男だ」

 少しルミナスは首をひねって考えている様子だった。

「でも父様は捕虜を働かせてるんだよね」

「そうだな」

「それって捕虜の仕事の邪魔をしているんじゃないの」

「ま、そうだな。だから働いている間は捕虜じゃない。労務者だ。食事も違うし、多少扱いも変えている。捕虜の人たちに労務者なりませんか、ってボクは一々聞いている。今見ているのも、ちゃんと違っているはずだよな、っていう確認だ。ま、もうちょっと乱暴に捕虜と労務者を行き来させているところはあるが、うちの仕事は結構難しい仕事だからね。ちゃんと働く人以外欲しくないんだ」

 少しルミナスは考えていた。

「セントーラって労務者なの」

「それはあれだなぁ。難しいなぁ。きちんと契約や約束があるわけじゃないからな」

「離れにいるショッカクの女の人達と違うの」

「まぁ、セントーラやマキンズやウィルソンや工房の爺さんたちも食客には違いないんだけどな」

「母さまたちは食客なの」

「愛人だってむこうは言っているけど、結婚できるなら奥さんにしたいし、できなくても家族だと思っているよ。まぁ内縁の妻ってやつだな。共和国は、と言うかデカートは奥さんや子供をいっぱい作りすぎても面倒見られないでしょ。旦那さんも奥さんも相手は一人にしときなさい、っていうことで、法律で旦那さんと奥さんは一人づつってことになっているんだ」

「父様は法律破っているの」

「破りたくないから、結婚できないんだ」

 少しルミナスは泣きそうな顔になった。

「まぁそこはあまり悩むな。ちゃんと弁護士の先生に話をつけておいて、お前たちがこまらないようにしといてやるから」

「セントーラやシェラルザードはナイエンの妻なの」

「どうなんだろうなぁ。実はそのへんは難しい。こっちがそうだって思っても相手が、違う、って云うかもしれない。兄弟ってのは別に誰が決めなくても兄弟なんだが、友達ってのは互いにそう思ったときに友達だ。ボクはまぁセントーラもシェラルザードも内縁の妻だと思っているが、むこうはただの変な人って思っているのかもしれない。聞いてみるか」

「いい。それで、クアルとパミルはボクの兄弟なの」

「多分違うなぁ。でも内縁の妻かって云われると、あの二人については流石にちょっと困るな。まぁ十年かそこらしたらそれでもいいんだが。お前が奥さんにしたいって云うなら聞いといてやろうか。十年くらいしたらお前が結婚するか。どっちがいい」

 ルミナスは困ったように首を振った。

「ミンスは」

「それが聞きたかったことか」

 ルミナスは不安げな顔のまま頷いた。

「まぁ、多分そうだ。お前らの妹だ。書類上もみんなお前らの弟妹になっているから、別にそこいらはアレなんだが、セントーラは特に教えてくれなかったが、改めてお前が聞いたら教えてくれるかもしれない。好きなのか」

「好きっていうか。……嫌われてる。なんでだろう」

 そう言うとルミナスは、色々我慢していた様々が吹き出して、しゃくりあげて泣き出した。

 マジンも流石に書類の精査どころでなくなって、ルミナスをそのまま胸に抱いてやる。

「お前の責任じゃないよ。半分はセントーラのせいだ。残りはまぁボクや他のいろいろのせいだろう。あの子は怖い目にあったからな。全部ボクのせいだって思っているんだろう。……その辺、セントーラに聞いてみるか」

 ルミナスはしばらくしゃくりあげて泣いたままだったが、落ち着くと意を決したように頷いた。

「セントーラ。聞きたいことがある。手が離せるようならきてくれ」

 マジンは電話を取り上げて隣室のセントーラを呼びつけた。

 ルミナスはセントーラが来るまでに落ち着こうとしているようだったが、なかなかそう簡単にゆくはずもなかった。が、セントーラも何やら込み入っている様子で、ルミナスとしては助かった様子でもあった。

「おまたせいたしました。何の件でしょう」

 そう言いながらセントーラはいくつかの書類をさらに机の上に置いた。

「急ぎ、かな。それは」

「全部、明後日の午後までにと云うところですか。内容は盲判でも大丈夫そうですが、先に電話で声をかけてあげるとむこうも安心するかもしれません」

 ペロドナー商会の消耗品の報告と手配だった。

「――それで何の件でしょう」

 セントーラは主が書類に目を通し一旦書類箱に収めたのを待って改めた。

「ルミナスが聞きたがっている。お前はボクの内縁の妻ってことでいいんだよな」

 そう言われるとセントーラは少し驚いた様子だったが、マジンの膝の上のルミナスに目をやって微笑んだ。

「光栄な事です」

「ミンスはボクのタネ、ルミナスの妹なんだな」

「そうです」

「ミンスがルミナスを嫌う理由に心当たりはあるか」

 そう言われたセントーラは少し困った顔をした。

「嫌うとか怒るって云うより、戸惑って身構えているんだと思います。あの子は良い扱いを受けませんでしたから。私も助けてあげられませんでしたし。若様が扱いに困っていらっしゃるのは存じておりますが、異母兄弟の縁で仲良くしてやってくださいまし」

 セントーラが丁寧に頭を下げたことでルミナスは却って戸惑いうろたえ頭を下げた。

 そのことでセントーラは改めて微笑んだ。

「ボクの息子だから女が嫌いなわけはないんだが、それよりも理由を聞いていいことかどうか困っていたらしい」

「理由はそのうちお話しします。いま話してもきっと混乱するようなお話ですし、学志館の初等部を卒業されてからくらいがよろしいかと」

 あまりに気の長い話だったのでルミナスは不満と困惑を顔に出していた。

「不満があるなら、その間に少し仲良くなってミンスと話をしろ。なぞなぞの答え合わせのようなものだ。それにセントーラが知っている答えがミンスの答と一緒とは限らない」

「どっちか間違っているの」

「間違っているかもしれないけど、間違っていないかもしれない。影絵みたいなものだ。手の影が犬になったり蛙になったりフクロウになったりするだろう。セントーラは影が犬の時をみているけど、ミンスはカエルやフクロウをみているかもしれない。影を作っているところみればただの手で犬やカエルやフクロウにはとても見えないけどな。世の中のことの殆どはそんな風にして動いている。実は誰もいなくて、木に引っかかったボロ布が風で動いているだけのことかもしれない。ミンスには、悪いことをした怖い影がルミナスに思えたってだけだ。ま、これもボクが影絵を見てそう思うだけで、間違っているかもしれない。答えがわかったら教えてくれ」

 そう父親に言われてルミナスは少し安心したらしい。多少表情が緩み肩から力が抜けた。

「若様にはご心痛でしょうが、ミンスを妹とお認めいただけるなら、娘の気が晴れるまでもうしばらく気長にお付き合いいただけるよう願えれば、誠にありがたく存じます」

 大人に丁寧に言われると、ルミナスは頷いて努力をせざるを得ない子供だった。大人はルミナスの父を見て丁寧に言っているのはわかっていたし、色々あるがルミナスの父が立派な人だというのはルミナスは認めていた。

 ただ、これは父のいう面倒というよりは、厄介の部類の事柄なのだろう、という直感はルミナスにはあった。

 その晩セントーラはマジンの抱枕になりながら大人の話をした。その話の影には厄介そうな気配もあったが、今のところはただの影絵だった。

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