〇閑話:正しく根を回すということ ――――
――――――選抜大会の途中、チームの試合がないある休日の夜。
「それは根回しをして欲しい、という事でしょうかシオウ様?」
「いいや、そこまで大袈裟な話じゃない。ただ話を通してくれればいい」
冷たく無機質な石造りの宿舎の一室。
ロウソク1本の明かりが照らす中、シオウは窓辺に座ってベッドに腰かける訪問者と密談を交わしていた。
「姫様方の安全と安寧に関するのであれば手を尽くすにやぶさかではございません。ですが…」
彼女はシオウの頼みを
「確かにミュースィル達とは関係ない話だ…直接的には、だがな」
「? それはどういう事でしょうか?」
するとシオウは少し意地の悪そうな微笑みを浮かべた。
「間接的には十分関係ある。……皇帝が困るどころか、皇国にしても長年の頭痛の種なんだろう?」
「! それをどうやってお知りになられたのでしょう?」
今度はピリッとした殺気を宿す訪問者。シオウは真面目だなと呟いて一笑に付し、その殺気を受け流す。
「調べたわけじゃないよ。
言われて訪問者―――――トゥーシェは、1本取られた事を悔し気に
シオウと通じるようになってからというもの、機械のようだった15歳の少女は、当初に比べて随分と感情豊かになった。
特に、こうしてシオウを前にすると素直に喜怒哀楽の変化を見せるのは、彼女を知る人間からすれば驚きだろう。
「(仕える主より感情を許すのはどうなんだ? というツッコミは野暮だな)」
ミュースィル達といる時は、今も変わらず無感情なる完璧な執事のままだ。
公私混同はせず、シオウに会いに来るのは、誰かの命ではなく完全に彼女自身の意志によるもの。
つまりこの密談の時は、彼女の中では私用に分類されているという事なのだろう。
「ですが…ワスパーダ家とレステルダンケ家に関するお話が、皇家の…ひいては姫様方にも影響を及ぼすほどであるとは思えませんが」
トゥーシェはあくまでもミュースィルとスィルカ、二人の皇家筋の姫君たちのためにシオウと繋がりを持っている。いかに心許そうが、そこの線引きは決して緩まない。
「
「!」
その一言は、それなりにトゥーシェに動揺を与えたらしい。彼女の全身が一瞬だけビクンと揺らいだ。
「もちろん黙認していないからこそ、信頼できる部下を動かしては尻尾を掴もうとしてる。けどあまりに長い間進展がないと
「…。それは…」
皇帝陛下が実は、そういう事を黙認されていらっしゃるのではないかと思い込む者が出てくれば、ワスパーダ家に追従して裏社会の甘い汁に手を出そうとする貴族が増えるという懸念。
それは、国の内外でルクシャード皇家の評判を大きく落とし、悪しき貴族の力を増大させてしまう。
なるほど、間接的に見れば皇家の子息であるミュースィルたちにまで影響が及ぶ事態になると考えられなくもないだろう。しかし…
「……さすがに、いささか無理と大仰に過ぎる話ではないでしょうか?」
ベッドの上に敷くように脱ぎ置いていた自分のタキシードの上、その裏地を軽く握りしめるトゥーシェ――――――思い当たる話なり噂なりを耳にした事があるのだろう。
そんな彼女のちょっとした仕草だけで、自分の推論に一定の現実味があるとシオウが確信至るには十分。
「ま、トゥーシェに直で動いて欲しいわけじゃない。ただ俺はルクシャード皇国の偉いさんには何のツテもないんでね。だから相応の
「伝、言………くらいでしたならば構いませんが、いったいどなたに何をお伝えせよと言うのでしょう??」
たかだか一言二言、何かを伝えたところで
そもそもからして、この話におけるシオウの狙いはワスパーダ家をとっちめ、レステルダンケ家の不利を解消し、知己の夫婦を救うところにある。
皇家や姫様くんだりの部分は、彼女に自分の意を汲んでひと働きしてもらうための言い訳のようなものだ。
トゥーシェにだってそれくらいは察することができる。
だがそのために打つ手がただの伝言。それで一体何が出来るというのか?
「なに、そう難しいことじゃない。“ ぜひ一度、学園の大会をご観覧ください ” ってだけでいいよ。隊長位でそれなりに自分の裁量で動ける軍人…もちろんワスパーダ家の闇に気を揉んでるような人物に伝わるのが望ましいな。伝言は本当にそれだけだ」
「???」
トゥーシェはますます分からなくなった。それだけなのかと思わず聞き返そうになったが、釘を刺すように念を押されたので言葉を飲み込む。
「…かしこまりました。それだけでよろしいのでしたら承りましょう」
そう言ってトゥーシェはベッドの上より自分のタキシードを取って羽織る。それに合わせて、シオウは窓辺から
彼女は窓より深夜の空へ飛び出し、シオウの部屋を後にした。
―――――――とあるバイトの日。
「このお手紙をコーラル爵にお渡しすればいいのね、シオウちゃん?」
「はい、よろしくお願いしますマスター。いちお差出人は匿名希望で…マスターの太鼓判があればそれだけで十分なんで」
シオウのバイト先、
そのオーナー兼マスターたる貴族夫人ミェルニア=ファ=ウェリオンは、シオウから渡された手紙を中身を検める事もなく二つ返事で受け取り、自身のドレスの胸の内に締まった。
「(……貴族女性の胸元は異次元空間か?)」
ルクシャード皇国だけではない。これまで世界中を旅してきた記憶を思い返しても、胸元から何かモノを出したり入れたりする貴族女性は多い。
深くは考えまいと両肩を上下させると、シオウは普段の業務に戻った。
―――――――ある日の蔵書館。
「すみません、これ、借りたいんですが」
シオウが司書のところに持ち込んだのは歴史書、経済書、法律書、地図大全、貴族の自伝書……etc
やたらページの多い、ぶっとい本がこれでもかと積まれ、その大重量がズズンッと古い木造カウンターにのしかかり、軽くミシッと嫌な音を立てた。
「え、えええ…また随分とハードな書物ばかりね、シオウくん」
学園生徒でもぶっちぎりの常連客が無類の読書好きだと知って久しいが、彼が今回持ってきた本の総重量に、司書の女性は驚くべきなのか呆れるべきなのかと困惑した。
「まぁ、ちょっと調べものついでに読破するのも悪くないので」
「あー、なるほどね。授業のレポートか何かの資料かしら? ちょっと待ってね~、ええっと…」
得心した司書が、上から順番に本のタイトルと著者名、本日の日付と時刻、さらに本の隅に記載されている管理番号を控えていく。
控え終えた本から、シオウがスカートの中へとしまわれていった。
「(いつもの事だけどあのスカートの構造、どうなってるのかしら? 異次元?)」
確かに着用の仕方次第では、内側にモノをしまえるだけの空間を作る事が出来るのは想像できる。
が、シオウは常々、明らかにその許容量を超える物量の本を借りてはしまい込んでいた。
司書は深くは考えまいと眼鏡のズレを直すと、貸し出し書物の控え記載業務に集中した。
――――――――ある時刻の工房。
「はーん、そんな事聞きてぇのかい。まー別に構わないけどよ」
「よろしくお願いします」
初老の小柄な職人が、自分のヒゲに手を当てて工房の天井を見るように視線を上向けた。
「ありゃあ確かー……久しぶりの大口仕事で、確か発注数は1000超えてたと思うんだが…だったよなーぁ?」
言葉を投げかけられ、少し離れた位置でハンマーを振るっていた同僚が手を止め、
「ああー、ありゃー確か全部で…139…2! そう、1392じゃ。
「そういやそうじゃったな。それで出来上がったモンは、ペリッシーニ爵の別荘にって、こっからじゃあ結構な距離だっつーのに運ばされてなー」
「そうそう。しっかも納品当日は吹雪いたんでそりゃあキツかったー。追加料金よこせって皆で文句垂れながら運んだもんだー、ハッハー!」
シオウは話を聞いて、微かに口元に微笑を浮かべた。
「その時の依頼書と納品書…ってあるかな? 内容次第じゃあ、もしかすると今からでも踏んだくれるかもよ、
「ほお、そうなのか? んじゃちょっくら持ってくるとしようか」
「はっは、さすが学園通ってる学生さんだ、俺らとは頭のデキが違うんだなっ。頼もしいべ」
―――――――――ある夕暮れの路地裏。
「そう! ヘッジ君やアンちゃんも連れてかれてさっ、もぐもぐもぐ…」
「んぐんぐ…ゴクンッ! …向こうの通りで暮らしてたリチャード達も連れてかれたって聞いたぜ、
「いや、だから俺は…あー、まぁいいか。つまり、みんなの友達が連れていかれた日は、同じだった?」
シオウが聞くと、子供達は頬を大きく膨らませながら全員が同じタイミングでウンウンと頷いた。
「よし、ありがとう。おかげで色々と分かってきた…で、みんな。一つ、仕事をしてみる気はないか? やってくれたら次はジュースを持ってくるよ」
「ホントに!? やるやる、オレたち何すればいいんだいお姉ちゃん!!」
無邪気なストリートチルドレン達に優しく微笑むシオウ。その姿は、ちょうど夕日が背中から差して、さも天使様のような雰囲気を子供達に感じさせる。
一心不乱に差し入れのパンを頬張っていた手を思わず止め、神秘的な姿にすべての小さな瞳達が釘付けになった。
「簡単な情報収集。上手く行けば連れていかれた皆も帰ってくるかもな」
―――――――――そしてとある日の街外れ、何の変哲もない建物の前。
「一人、二人……三人に、ご丁寧に本命もお出まし、と。意外と軽率だな」
シオウは物陰から、馬車を降りて建物へと入っていく人物をチェックしていた。
《じゃあ、アレがそうなのネ?》
「だな、ワスパーダ家の現当主…おっと? もう一人…あれはペリッシーニ爵か。これで完全に確定だ」
《それで? “ 光点 ” は見えて?》
「
《じゃ、後は
「ああ、思ったよりも楽に詰められそうだ。ここはもういい、後は軍の仕事だな」
そう言って、シオウはその場から音もなく去った。
・
・
・
トゥーシェに伝言を頼む日までに終えたシオウの行動。それこそが本当の根回し。
そしてシオウがその根回しを形にするために足りなかった唯一のものこそ、軍を動かす人物へのツテ。いかに信憑性があるものを示してみたとて、見ず知らずの人間をいきなり信じる軍人はいない。
だが家族想いな皇帝が、大事な娘の学園での世話を任せる執事経由となれば、その伝言の重みは大きく変わってくる。
しかも内容なんてあってなきが如しな、戦技大会観覧のお誘い一言を、そんな重職に就く人間が伝えてくるとなれば、相応の地位ある軍人であれば、これは何かあると察するだろう。
そこへタイミングを合わせ、用意した
《ホントに上手くいくのかしラ?》
「最低でも、大会VIP席に軍人が来れば問題ない。…上手くいったなら、その日の内にワスパーダ家を色々と削ぐ動きを起こすと思うが……ま、そこから先は軍の本気度次第だ、俺の知った事じゃあない」
散々面倒見てやったんだから、上手くいこうがいくまいがそこまで面倒見る義理はない――――――実際、シオウに出来る事は本当に何も残っていない。
これでどうにかならないというのであれば、それは当事者や関係者の問題だ。どの道これ以上介入できる余地は1ミリも残っていない。
《…でも結局、しっかりバッチリお世話してあげたわネ。クスクスクス、ホントにあなたってコは何だかんだ言って他人を助けてしまうのネ♪》
「別にそういうつもりはないんだが。はぁ、やれやれ…」
本人にその気はなくとも、気付けばそういう風になる。
これが俗に言う性分というものかとシオウは若干、自分の性分を恨めしく思う。
試合がある日。シオウは朝の光を浴びながら、遠目にこちらに向かって手を振っているリッド達チームメイトの元へと合流すべく、いつもと変わらぬ態度で歩いていった。
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