〇閑話:シオウのアルバイト ――――


 ルクシャード皇国の首都は、

 皇帝の住む城をほぼ中央(やや北寄り)に鎮座し、その周囲に城下町が広がる形で形成されている。

 お城は南に正門を有し、そこから100mほど南にある円形の皇作こうさ公園(皇帝が全ての権利を直接有している公園)から、幅の広い基幹道路が各方角へと真っすぐに走っている。

 リッド達が通う学園はその皇作こうさ公園を南下して3km程の位置、城と首都の南出口を結ぶ基幹道路に面した西側に、広大な敷地を有して佇んでいた。



 しかし休日の今日、学園敷地内にはシオウの姿はない。

 彼は学園から城を挟んでの北東、貴族達の別邸が多くひしめいているエリアを歩いていた。


《今日は寒そうネ、夏の前なのに》

「(これがルクシャード皇国特有の気候か。なるほど、制服に防寒用としてスカートが付属するわけだ)」

 北東大陸にある時点で、ルクシャード皇国は世界的に見ればそれなりに北方に位置している。

 しかも北に海をようし、東西に広がる国土の形状に、南境には山脈を背にする。ひとたび強烈な寒風が北海より吹き込めば、そのまま吹き抜ける事無く寒気が溜まり、国内の大半の場所において秋冬でなくとも防寒具が手放せない日が突然やってきたりするという、特有の気候を有してる。


《はやく行きましょうヨ。体に悪いわよ》

「(べつに嫌がってるわけじゃないんだがな、そう急かすな。それに…もう建物が見えてきている)」

 シオウが歩いているのは、城から北東に向かって走る基幹道路、そこから1つ北側に入ったやや細手の裏路地だ。


 主道ではないと言ってもさすがは首都の道路。

 馬車の一両走ってもなお3人くらいは横に並んで歩けるだけの広さがあり、整備もそれなりに行き届いていて、ちょっとした地方都市なら普通にメインストリートに値する。


 実際、周囲には住宅に混じって狭苦しくも商店の類がチラホラと軒を連ねていて、天気の良い日ならば相応に活気がある。シオウの目的地もその中の一件だ。


「ふう、到着。…本当に今日は風が強い。移動するのも一苦労だったな」

《おつかれサマ。…でも、疲れるのはこれからかしラ? ウフフフフ♪》

 目的の建物、その扉の前に立つ。さすがに寒風の強い日は人通りは少ない。

 シオウは周囲を軽く一瞥してから、建物へと入った。建物に入るにやましい理由があるからではなく、今日の客入り・・・具合を予測するためである。



 総石造り。

 道路に面している箇所は円筒形でそれほど大きくはなく、その形状に合わせるようにトンガリ帽子の赤い屋根をかぶっている建物。どこかの城の最上部だけを取ってきたかのような外観だ。

 そこに綺麗な方形の家が裏手の方から斜めにガシンと入れられ、接着したかのようなこの建造物は、誰かの住居ではない。


「こんにちは、マスター。今から入ります」

「あら~、よく来てくれたわねシオウちゃん。寒かったでしょう~? 温かいミルクでも飲む~?」

 間延びする口調で出迎えたのは、この喫茶店カフェ夜眠やねむりの白猫 ” のオーナー兼マスター。



 ミェルニア=ファ=ウェリオン。


 齢40歳の貴族夫人でありながら、小さい頃からの夢という事で一念発起し、このカフェを開いたという女性だ。

 店内を見渡せば、さほど広くない円形空間の半分近くを湾曲したカウンターが占めており、客席テーブルは2人対面用の小さなものが、やや手狭に5つ配備されているだけ。

 貴族の夫人という立場なら、もっと立派で大きな店を構える事も簡単なはずだろうが本人曰く、あくまでも自分の趣味なのでこれでいい、とのこと。


「……では、着替えてきますんで」

「はぁ~い。じゃ、その間に~、温かいミルク、用意しておくわね~」

 念願の夢に生きているおかげか、30代…いや20代後半と言われても一瞬信じてしまいそうなほど―――よーく見れば小ジワが…―――若々しい外見をしている。


 大人になった我が子らを送り出し、旦那も年を取った事で貴族夫人としてあるべき鎖から解放され、自由な時間を謳歌できているのも若さの秘訣なのだろう。

 彼女の旦那も、貴族としては珍しく柔軟な考えの持ち主なのだろうか。良き理解と協力があった事が、夫人との会話の中で垣間見られる。



「……ども、お待たせしました。んじゃ入りますんで今日もよろしくお願いします」

 いつもの態度に無愛想が追加されるシオウ。

 更衣室から出てきたその姿に、ミェルニア夫人はパァァと表情を明るくさせる。


「まぁまぁまぁまぁまぁ~♪ やはり可愛いわ~♪ さすがシオウちゃん、何度見てもいいわねぇ~♪♪」

 満面の笑みを浮かべる夫人。ますます若返っていくかのよう。

 そんな彼女の前には、クラシックスタイルのメイド服をベースにデザインされたこのカフェの女性店員用・・・・・の制服を着たシオウが、若干ウンザリしたような表情を浮かべて立っていた。


「そっすか。……今日みたいな日は客少ないと思いますけど、一応テーブル拭いておきます」

《うぷぷぷぷっ、ほんっとよく似合ってるワよ♪》 

「(どれだけウケてるんだ。初めてでもないってのに…いい加減慣れろ)」

 シオウ的には初見で女子扱いされるのにはもうとっくに諦めてはいる。が、それでも男子である矜持というものは持っているのだ。仕事とはいえ女装して働くのは当然引っかかるものがないわけがない。

 似合う似合わないの問題ではないが、まだ似合うだけマシだと思う事にして、彼は己の精神衛生を保っていた。



―――――半年ほど前。

 学園に入ってからというもの、細々と切り崩してきた金は底をつきかけ、さすがに収入を得る必要があると、シオウは休日を利用して働き口を探す事にした。

 学園の知り合いに働いてる事を知られるのもなんか嫌だなと思い、学園から遠い位置にバイト先を求め、首都内のほぼ反対方向である北の方に足を伸ばして方々を訪ね歩いた。

 その結果、この小さなカフェで採用されたわけだが、働き始めた当初はちゃんと男子用の(執事服をベースに考えたとおぼしき)制服を着用していた。

 ところがある日、初対面のご婦人客の一人に女子ではない事に驚かれる、慣れ切った一連のやり取りを終えた後、その客の放った言葉で彼の運命は決した。


 “ 女の子の制服の方が似合うしきっと可愛い ”


 その一言に喰いついたのが、他でもないマスターことミェルニア夫人だった。前々からそう思っていたと大興奮し、客と意気投合。

 そして結託したご婦人達によるあらんかぎりのお着換えプレッシャーをなんとかしのいだ、次のバイトの日。

 更衣室には女性店員用の制服しか用意されていなかった。しかもご丁寧に、シオウの体格に合わせたサイズで新調したものだけが、更衣室にあった。




 元々貴族の別邸が多いこのエリアで、貴族夫人が経営している店という事もあって、客として訪れるのはやはり貴族のご婦人が大半を占めている。

 普通なら馬車で乗り付けて来店するものを、自分の別邸から近いので健康理由も兼ねてか、彼女らのほとんどが徒歩でやってくる。

 しかし、当然の事ながら彼女らだけではない。やんごとなき身分ゆえに、徒歩来店であっても当然ながら護衛兼世話役の付き人がいる。


 若い女性や男性の付き人である事も多く、自らの主人が女装男子店員シオウに可愛い可愛いと夢中になっているのを、微笑ましく見ている者もいればシオウに奇異の目を向けてくる者だっている。


 そんな視線がなかなかに辛い。働くという苦労の一環とはいえ、肉体的疲労だけでなく精神的にもすり減らされる。さすがのシオウでさえも、バイトの後はいつもクタクタの疲労感を覚えるほどに。



 ・


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「どぞ、注文のミルクティーと、今日のパイはオレンジっす」

「ありがとうねぇシオウちゃん」

 救いとしては、客が上流階級のご婦人ばかりなので、面倒事がほぼ起こらない事だろう。

 この客2人組にしても、どちらも貴族婦人だ。歳の頃はマスターと同じくらいらしいが、こちらは年齢相応に見える。とはいえ下品さは1mmも垣間見えず、物腰も柔らかで上品そのもの。店内で面倒事やもめ事を起こす事は決してないであろう人種だ。気さくな中にも決して崩れぬ品性を有しているのはさすがだろう。


「にしても、こんな寒い日まで来るとか」

「それはもう、この可愛いシオウちゃんを見れるのなら、毎日だって来るというものです、嵐が来ましても通いますよ、ねぇ奥さん?」

「そうですそうです、こーんな可愛いシオウちゃんと会える日が1週間に1度だなんて…嗚呼、孫に欲しいくらいですよ」

「…ま、嵐になったら店の方が閉まってるっしょ」

 クスクスと品のいい笑いが起こる。客が楽し気なのはいいことだ。



《あら、でも……考えてみたらいつもの恰好とそんな変わらなくない?》

「(まぁな。ロングスカートに長袖…違いと言えばズボンを履いていないくらいか?)」

 実際、女装とはいっても女性店員用制服を着用しているというだけで、髪もいつも通りだし、ましてや化粧等を施してもいない。色やデザインに違いはあれど、学園での服装とさほどの大差がないのは事実だ。


《ならそんなに恥ずかしがることないんじゃないの? ぷぷぷっ♪》

「(……わかってて言ってるだろ。はぁ…周囲の扱いと尊厳の問題だコレは)」

 守護聖獣が楽しんでいるのに呆れかけた、その時――――



チリンチリン…


 入り口の扉が普通のカフェの同じものよりも上品な音色を奏で、新たな客の来店を報せた。


「へぃ、らっしゃいませー」

「ふーん、小さいけれど…雰囲気よく、洒落ているわ。さすがウェリオン卿御夫人の御店ね」

 店の扉を付き人に開かせ、入店してきたのはおしゃまそうな女の子だった。

 シオウとそう変わらない…いや、まだ背は僅かに彼女の方が低い。随所にフリルのついた赤いドレスは華やかなれど品を損なわず、また店の明かりを受けたドレスの布地は、一目で高級な生地である事を見る者に気付かせる。


「(天鵞絨ベルベット……いや、生糸の織りが数段複雑で高密度だな。同じベルベット生地でも値が張りそうだ。多分リボンも同じ素材だろうな)」

 一見すると軽くウェーブのかかった金髪のショートミドルに、毛先を揃えてカットしてあるように見えるが、よくよく観察すると、後頭部で編み上げてリボンで止める事で後ろ髪の長さを調節した変則型テールだ。リボンを解けば腰のくびれ近くまで長くなることだろう。

 前髪も綺麗にまとめてある。品格を保ちながら、かつ可愛らしさを両立してたその髪は、パッと見てパーフェクトだた。シオウのように枝毛だらけどころか、1本の毛の乱れも見られなかった。


「いらっしぇ、席に案内しやすー」

 シオウの話し方に、相手は一瞬驚いたように目を見開いた。が、すぐに表情を平静に戻す。

「フフ、面白い趣向ね。気に入ったわ」

 この品のない言葉遣いを決めたのはマスターであるミェルニア夫人だ。以前、あまりにも客の御婦人方に可愛い可愛いと寄ってたかられた時、シオウがこれを除けるためにワザとぶっきらぼうかつ粗暴な言葉遣いをして見せたのだが、逆に大ウケ。

 マスターも、とても素敵だからこれからの接客はその話方でいきましょう、と太鼓判を押したのだ。


「(…考えてみれば、貴族夫人は小さい頃から厳しく教育されて若いうちに結婚し、邸宅の奥に住んで世間とは隔離された日々を過ごしてきてる。自分のあまり知らない物事や言葉遣いは面白い部類に入るんだな……しくじったか)」

《いいじゃない、怒られるどころか喜ばれたんだし》

 なんだか泥沼にハマっていってるような気がして、シオウは客に分からないところでため息をついた。



「あらあらぁ、レステルダンケの若い奥方様・・・ではありませんかぁ、いらっしゃいませぇ~♪」

 初じめてのご来店客だからか、マスターがカウンターから出てきて客のついたテーブルへと挨拶に寄ってきた。

「御厄介になりますわウェリオン卿夫人、ミェルニア=ファ=ウェリオンさ―――」

 わざわざ席を立ち、丁寧に挨拶する少女。しかしマスターは彼女の口をそっと人差し指で塞いだ後、少しだけ離して、左右に振って見せた。


「ノンノンノン。ここでそういった堅苦しいのは必要ないのよぉ~、気楽に楽しんでちょうだい~、ね?」

「……はい。わかりましたわ、ミェルニア様」

 傍目で見ると、まるで母子のやり取りのよう。

 他の客も、ほっこりとした気持ちでそれを見守っているようだった。


 ・


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 ・


「っ!!? あ、貴女…男性の方なんですの??!」

 急速に店に馴染んだ少女が、親睦を深めた他の客と会話を始めること約1時間。

 シオウの性別を知って、さすがに破顔せずにはいられなかったらしく、初めて容姿相応の感情をその顔に浮かべた。


「そうなのよぉ、シオウちゃんは女の子じゃなくてこれでも男の子」

「驚きよねぇ。神様が性別を間違えたとしか思えないくらい、ホント可愛いんだから~♪」

 常連のご婦人達から教えられた驚愕の事実。利発そうな少女は、しばらく驚きの表情のまま固まっていた。


《……神様が間違えた、ね。………》

「(ん、どうした?)」

《いーえ、何にも。…上手い事言うわね、と思っただけヨ、ぷぷぷっ♪》

「(はいはい。そーやっていつまでも笑ってろ)」


貴方あなた……本当に男性なのかしら?」

 少女がじーっとこちらを伺う。概ね、初見でシオウの性別を疑うこれまでのケースの範疇だが、その視線からこれまでにはなかった意志が感じられた気がして、シオウは少し嫌な予感を覚える。


「男だが、それが? …まぁ、今までもそういう風に疑われる事は多く―――」

「決めたわ! 貴方、ウチの使用人になりなさいな!」

「断る」

 即答。

 少女が何と言ってくるのかを分かっていたわけではない。だが、何を言われても断る気でいたシオウは、少女の引き抜きを少しも迷う事なく拒否の意をぶつけ返した。


「いーえ、貴方はウチの使用人にするわ! 決めました、これは決定よ!!」

「んなことは知らん。他を当たれ」

 失礼かもしれないが、言葉を一切飾らずに重ねて突っぱねる。


「この私、アレオノーラ=ケイ=レステルダンケに仕える事が出来ますのよ。御給金だってたくさんお支払するわ!」

 全身に冷静さと自信をみなぎらせる少女アレオノーラは、一貴族として本物の風格と確かな力を持っている。そしてシオウを欲する意志も、本気である事が感じられた。それだけに厄介だ。


 これが子供の一時の気まぐれによるワガママや癇癪であったなら、まだ対処は楽だろう。気持ちが落ち着けばあっさりと諦めるし、そもそも無茶な事を言い出した主を付き人がまずなだめ、止めにくる。

 ところがシオウがチラリと見ると、彼女の付き人は困ったような笑顔を見せて、首を横に振ってみせた。付き人には彼女を止められない。


「…はぁ、アレオノーラと言ったか。俺は主を頂く気はないんで、あきらめろ」

「いーえ、貴方は当家の使用人よ! …いえ、そうね…なんでしたら私の親戚の娘をお嫁に上げましょう。使用人ではなくてレステルダンケ家の一族に迎えてあげるわ!」


 ・


 ・


 ・


 そこからは、まさに会話の戦争だった。

 シオウがいかに断ってみせても、アレオノーラは食らいついてくる。しかも厄介な事にこの貴族令嬢様は、見た目に反してかなり大人だった。知識も精神も。


 何よりこちらがなかなか折れないからといっても、まるで怯む気配を見せない。むしろシオウの方がウンザリし始めてるくらいだった。

 そして、1時間くらいの交渉舌戦を繰り広げた結果、マスターのミェルニア夫人の一言で、あっさりとカタがつく。


『横からいいかしら~? 引き抜かれちゃうとぉ、私が困っちゃうのでダメ~』


 そもそもバイトとはいえシオウは今、夫人に雇われている身だ。引き抜き行為が禁止されているわけではないが、他貴族に仕える者をそのあるじの承諾なしに引き抜こうとするのは無礼にあたる事をアレオノーラは思い出したらしい。

 数秒はむむむむと唸っていたが、その後あっさりと引き下がって今は席で大人しく紅茶を嗜んでいる。


「(……これで時折こっちを見る目が、ギラリと光らなければいいんだがな)」

《あの娘、よっぽど気に入ったのね貴方が。でも―――》

「(ああ、好意というよりなんていうか……良いものを見つけた、みたいな?)」

《そうそう、そんな感じよネ。好意も感じているとは思うケド、変わった娘ね》

「シオウちゃ~ん、こちらのケーキセットをテーブルに運んでいただける~?」

「あ、へい。わかりやした」

 一組、客が帰った後のテーブルを拭く手を止め、シオウはカウンターへと歩み寄りかけた。


 チリンチリンッ


 いつもより少しけたたましいベルの音に、シオウは行動を変えず止めず、しかし僅かに目を鋭くさせた。

「ご、御無礼な入店のほど申し訳ありません。あ、アレオノーラ様!」

 飛び込んできたのはメイド服の女性だった。すぐに目当ての人物を見つけて駆け寄る。

「…メルがどうか致しまして?」

 要件は分かっているらしく、アレオノーラは落ち着いた様子で紅茶のカップをテーブルの皿上へと静かに置いた。

「は、はい…メルリアナ様のミルクを持ってくるのを忘れておりまして……どうやらお腹がすいたようなのですが…申し訳ございません!」

 深々と頭を下げるメイド。だがアレオノーラはなんら怒る事もなく、変わらぬ態度で今一度紅茶を啜った。

「そう……急なお出かけでしたし、仕方のない事ですわ。…そうですわね、メルを馬車からこちらに連れてきなさいな」

「は、はい、ただちに!」

 メイドが大慌てで店から飛び出していくと、アレオノーラが席から立ち上がり、カウンターに向かってお辞儀する。


「ミェルニア様、申し訳ございませんが、店内にて娘にちちを与えてもよろしいでしょうか?」

「あらぁ、それは良いけれどぉ……御出おでの方は大丈夫~?」

「御心配ありがとうございます。ですが大丈夫ですわ、ここの所は控えておりましたので、張っておりますの」

 マスターが心配する理由、それは先ほどのメイドがミルクを持ってくるのを忘れた、と言ったからだ。


《どういう事かしらね?》

「(この世の常識じゃ、ミルクを用意するのは母親の母乳の出が悪いから仕方なくで、基本は赤ん坊には母乳一択らしい)」

《という事はあの娘、あの感じでもう子供がいるって事?? すごいわネ》

「(マスターみたいなケースもあるし、ああ見えて年上だったりしてな)」

《ああ、なるほどねー、それは確かにありえそうねぇ》


 そうこうしていると、先ほどのメイドが速足で赤子を抱いて戻ってきた。付き人が扉を開けて導き入れ、早々にアレオノーラの元までやってくる。


「お、お待たせいたしました、アレオノーラ様」

「あら、思ていたよりいい子にしているようね。…よしよし、どういたしましたの? マァマですわよ~」

 言いながら自分の胸をはだけさせる。シオウより背は低いといえど、その身はただしく女性である。小柄でも胸はよく膨らんでおり、グラマーと形容できるだけの凹凸があった。

 …が、赤子は少し吸い付きこそしたものの、すぐに飲むのをやめてグズり出す。


「あら…オッパイではなかったようね? どうしたのメル~? はいはい、大丈夫、マァマが側にいますわよ~?」

 しかし、母親の宥めにも赤子は応じず、今にも泣き出しそうだった。


「どうしたのかしらぁ? オムツは見てみましたか~?」

「は、はい…もちろんでございます。ですが何ら問題もなく…」

「ふむ? もしかすると…」

「あららシオウちゃん、どちらにいくの~?」

 シオウは、店の入り口から外へと身を乗り出す。途端に寒風がその身に吹き付けるが、構わず何かを見回し、そして店内へと閉じる扉と共にその身を引き戻した。


「……その子は、もう離乳食は食べ始めているのか?」

「ええ。ですけれど、まだまだお乳離れが進んでおらず、まだ数度程度しかお召し上がりには…」

 メイドの解答を待ってから、シオウはなるほどと呟きながらカウンターの中へと入った。

「マスター、キッチン借ります」

 

 ・


 ・


 ・


「これは…ケーキ??」

 アレオノーラの前に出された皿には、ひとかけらのケーキらしきものが乗っていた。

もどき・・・だがな。充満してる・・・・・ニオイの素になってるケーキのアレンジで、赤ん坊でも食べられる材料を元にした…ま、離乳食の一種だと思ってくれればいい」

「じゃあメルに食べさせるためにこれを? ……食べるかしら…メル、メル~」

 すると、グズっていた赤子は差し出された欠片を見はじめる。そしてそのままスプーンをしゃぶった。途端――――


「まあ、メル様が!?」

「あらあら、泣き止んだわね~。シオウちゃん、どういう事なのかしらぁ??」

「さっき帰ったお客、あるいは店の扉を開いた時だろうな、この店のニオイ・・・が馬車の中で面倒みられていたこの子に届いたのは」

 シオウは先ほど、店と馬車の位置関係と風向きを確認し、それを確信した。

 お腹が空いていたわけではない、といっても、興味深い香りが鼻をくすぐるとなれば、赤子といえど生存本能の一つたる食欲をそそられる。


「紅茶のニオイはさすがにまだ良し悪しはわからないだろうが、今日のケーキは甘い香りの強いエッセンス抽出香液を使ったものだった、たぶんそれだろうと踏んだんだが……当たりだったようだな」

 見れば赤子は、シオウの用意したケーキもどきを指で触れて舐めていた。もうすっかりご機嫌だ。


「~~~~っ! 貴方! やはり欲しいわっ!! レステルダンケ一族に入りなさいな!! これはもう決定ではないわ、絶対ですわ絶対っ!!」

 火がついた、完全に再燃してしまった。

 両目に星の煌めきを宿して迫るアレオノーラの態度は、稀有な人材を手に入れようとするスカウトのソレだ。

 授乳行為で開いたドレスの胸襟がまだ乱れたままにも関わらず、そんなもん知るかとばかりにシオウにぐいぐい迫る。


《あーあ、また面倒な事になったワねー、うぷぷー♪》

「(………余計な事しなきゃよかったな)」

《アラ、その優しさが貴方のいいとこじゃない。ホラホラ、何か言わないと首に縄引っかけてでも連れていきそうな勢いよこの娘?》


 この日以降、店の常連が一人増えた。

 そして毎週のようにアレオノーラvsシオウの交渉戦の様子が見られる事が喫茶店カフェ夜眠やねむりの白猫 ” の名物となり、貴族婦人達の間で噂が駆け巡り、客はさらに増えていき、シオウの心身の疲労がさらに増大する事となってしまうのだった。




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