第3章4 シオウのチカラ


 ドガコォッ!!


「ぐはぁっ!!!」


 吹き飛んだ兵士の身体が地面につくと同時に、ようやくどよめきが起った。見ていた者の多くはこんな決着になるとは思っていなかっただけに、誰もが驚きを隠せない。


「しょ、勝者…スィルカ姫さまっ」

 倒れたフル武装の兵士の身体の向こうに、綺麗なミドルキックを放った体勢で少女が立っている。どうだ見たかと、誇らしげな笑顔を浮かべて。


―――――――スィルカ=エム=ルクシャード、10歳。

 胸が明らかに大きくなりはじめた事を自覚し始める、少女から女性への階段を上がりはじめたお年頃だった少女が、大人を震撼させるほどの己の体技に、絶対的な自信をつけた瞬間ときであった。






 しかし5年を経た今現在、その自信はどんどん崩されていた。

「くぬっこのっ、くのぉっ!!」


 ビュバボボボボッ!!!


「うわわわっ? す、スィルカ姫の脚が、い、いっぱいに見えるっ??」

 ノヴィンの目では捉えきれないほどの連射速度で、スィルカはキックを放っている。だが対峙する相手には、その全てが当たってはいない。


「ミドル、ミドル、ロー、ミドル、…あ、フェイント入れてローきつめ、ハイ、ロー、右左切り替えてのミドル1発ずつから左の回し蹴りに…うお、あそこで右背面とか―――あ、もうローに切り替えて…くっそ、追いかけるのもやっとだ」

 なんとか動きを追えているリッドも、0.5手ほど遅れてしまう。

 それはつまり、あの蹴りのラッシュを受けるのがもし彼だったなら対処が間に合わず、一方的に蹴り続けられる事になっているという事。


 恐らく完全に本気であろうスィルカのその実力を、本来ならリッドは嫉妬すべきなのだろう。だが彼に嫉妬する事すら忘れさせるほどの状況を、対峙している者が作り出しており、今はただ、とにかく目が離せない。


「す、すごい…シルちゃんのキックをあんなに避けられるなんて、シオウ様……ほんとうに素敵ですね、ほぁ~」

 お日様の穏やかな温かさを感じさせるような雰囲気が、不思議なドキドキにかわってしまっているミュースィル。さすがに戦いごとに疎い方だと言っても、眼前の光景がいかに凄いのかはなんとなくだがわかる。


 仲良しな親戚の攻撃がいつ当たってしまうのかというドキドキ。

 随分と理解したつもりになっていた親しい異性の友人の、未知の一面にドキドキ。

 色んなドキドキが、彼女の胸の内でその鼓動を早めさせてゆく。




「(ぬぐー! なんで、なんで? なんでなんーっ?? そんな早く動いてるわけでもないのに、リッド先輩と比べ物にならんほどぜんぜん遅い動きやのに、なんで当たらんの!??)」

「………」

 シオウは、決して素早い動きや何かしらの武術の身のこなしのような事をしているわけではない。ただ無言のまま、いつものようにぽけーっとした間抜け顔でフラフラしているだけだった。


 一応、木製の長杖をその手に持ってはいるが、本当に持っているだけで別段、防御に使うとか、回避を円滑にするために用いるといった様子は微塵もない。なんか持ってた方がいいかな、んじゃとりあえずコレで―――そんなノリで手にした得物など、あってなきが如しだった。



 バヒュッ! シュババッ、ブンッ……タッ、タンッ


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ…っ」

 連続蹴りの勢いが弱まっていき、やがてスィルカの両脚は地面に降り立つ。構えまで解いて自分の両膝を手で抑えるようにしながら、地面に向かって激しい吐息をまき散らしていた。


「ん、終わりか? だいぶ息が上がってるけど、ここらで止めとこうか?」

「ば、馬鹿にせんといてくださいっ、このくらいなんてことっ…はぁぁ!」


 ドヒュッ! ビシュビシュビシュッ!!


「おっとと、再開か。元気なのはいいが無理するなよ。疲労困憊になると明日の朝、ベッドから起き上がれなくなるぞ?」


「はぁ、はぁっ、余計なっ――――」


 ビュボッ!


「よっと」

「お世話でっ――――」


 シュビッ!!


「ほいっ」

「すよってにっっ―――」


 ブォンッ!


「っおう」


 まるで舞い散る木の葉が、自身を打ち抜こうする蹴りの風圧でヒラリとかわすように……

 かと思えば、流れの激しい川で無理矢理捕まえにきた手をスルリと抜けて逃げる魚のように、異様に滑らかな動きで相手の攻撃をすり抜けて見せる。


 そんな相手の動きに、スィルカが対応しようと都度工夫を重ねてみても、今度は変則的に止まったりフラついたりと、まるで酔っぱらってるかのような動きでもって翻弄し、やはり捉えらえさせない。


 シオウは決して早く動いているわけではない。動き方をどんどん変えて、相手にそのパターンを掴ませないというだけの、戦法としては逃げの一手に終始している。

 しかも、まるでどんな攻撃が飛んでくるのかを事前に知っているかのようですらあった。何せスィルカの放った蹴り足が、シオウの身体にたどり着こうとする5cm前の時点でもうそこに彼の肉体はなく、彼女の攻撃は何もない空間を空振るばかりだった。


「(なんなん? 実はシオウさんて、ウチが想像してる幻かなんかなんっ???)」

 ここまで自分の蹴りがカスりもしないとなると、そう思いたくもなる。

 でなければ、あの幼き少女の日に勝ち取った栄光と自信が、この数分足らずで木っ端微塵に砕かれ、頭がおかしくなりそうなほど陰鬱な気分に…いや、既に沈みはじめているかもしれない。現実逃避な思考が頭をよぎる時点で、気持ちが負けていた。


「(…イヤ! そんなんイヤですっ。ウチの蹴りはお城の兵士かて吹っ飛ばしたんにっ、5年も経ってウチの実力はあの時よりもっと上がってるはず! 英雄サマ には全然届かんでも、こんなっ……ウチはこんなレベルで止まりはせんはずっ!)」

「……む」


 ビュウゴォッ!!!


 刹那、シオウのもへーっとした表情が極一瞬だけ変化した。瞳孔が一気に小さくなり、飛来するスィルカの本気の本気――――あるいは人を殺傷至らしめる事すらできるかもしれないほどの現時点での彼女の最高の蹴撃に、彼の視線が集中する。


「(―――ハッ!? あ、あかん! コレ…止められへんっっ!! ウチ、やってしもうたぁっ?!?)」


 右脚を地面から大きく振り上げ、綺麗な弧を描く入射角斜め45度。シオウの左首を狩ろうとする鎌のように、鋭い袈裟懸けの蹴撃しゅうげきはまばたきするほどの時間の間に、空を裂く唸りを上げて飛来する。

 自分でもビックリするほど、手応え十分な会心の蹴り。ここ数年で一番の 精度・軌道・威力・速度 の全てがのった、普段なら手放しで喜ぶべき一撃。だがそうはいかない。


 こういった模擬戦では、相手を害する威力の攻撃は寸止めが鉄則だ。でなければ大怪我は必至。

 スィルカの実力とシオウの体格を考えれば、この攻撃が当たれば彼の首はへし折れてもおかしくない。

 その危険な感じは観戦者たちにも伝わっていた。だが彼らが "あっ" と声を発して思わず立ち上がろるとしたところでもう間に合いはしない。放たれてからおよそ1秒ほどの時間の先、スィルカの足はシオウの首にめり込んだ―――――――


 ブォォッッ……オン……ッ


―――――はずだった。


「ふわっとととと??! あ、あれ、どうなって―――ひゃあん!!」


 ドサッァ!


「おっと。危ない。コケるくらい安定性を損なう攻撃は危ないからよした方がいい、疲労がある時は特にな。意地になるなよ」

 スィルカの危険な蹴りは確かにシオウの首に当たった。いや、すり抜けたという方が正しいかもしれない。

 シオウは、後ろに上体をのけぞらせる形でかわしていた。だがそれは見ていた者達は勿論、スィルカから見ても決して間に合うはずのない回避行動。


 だが結果は違う。スィルカは右脚を盛大に空振ってそのまま左の軸足を芯にし、コマのように体を半回転させて安定を失い、背中から地面へと倒れそうになったところをシオウが抱きとめていた。

 もちろんシオウに攻撃がかすった形跡は微塵もない。スィルカがどんなに注視してみても、彼の首の左側には僅かな傷もアザもなく、綺麗なままだった。


「あ、そうだ。…ほい、これで勝負ありだな」


 ペチンッ


「あいた!? も、もー…な、なんですの。ワケわかりませんわ、ホント…」

 ひたいへのデコピンで勝負は決した。ちょうどシオウを見上げる形で抱き留められているスィルカは思わずドキリとする。

 女の自分よりも小柄で、少女のような容貌をした年上の異性。

 ところが勝負はついたと自分に落としてくる意地悪そうな笑顔が、妙にドキドキする。それがシオウの男の子らしい部分の一端であるのかどうかは、まだ若すぎるスィルカには判断がつかない。それに――――


「……んーそろそろ限界、だな……」

「へ? な、なん…―――ひゃん!??」

 スィルカは、尻餅をついて地面に落ちた。


「うん、重い。いつまでもあの恰好は、俺には無理だ♪」

「あーーーー! 酷いですー、ウチそんな重くないですもん!! シオウさんが非力なだけですやんかそれーーー!!」


 そのやり取りで彼女の毒気も気のせいも、自信喪失も……何もかもがあっけらかんと吹っ飛んでしまっていた。

 



 ・


 ・


 ・


 

《優しいワね。最後、ワザとお茶目に振る舞って、お姫様が意気消沈しちゃわないように気を遣ったんでしょ?》

「(何のことだか。仮にそうだとしても、その通りだと言うわけないだろ?)」

《じゃ、その通りなんじゃない。それに好意を抱かれかけたのを見抜いて、ワザとあんな間の抜けた真似したんでしょ最後? 照れちゃって…ホント可愛いワね》

「(はいはい……)」

 さすがに2連戦の模擬を行った後なので練習を切り上げ、一向は食堂に移動しようとしていた。

 先ほどの練習中に得た事の報告のし合いや質疑などを、落ち着いて話し合うためだ。

 しかし興奮冷めやらぬ――――特にノヴィンは移動の合間も、目をランランと輝かせながら矢継ぎ早に質問を繰り返していた。


「すごかったですシオウ先輩! キックを全てかわしたのは、何かの武術とか体術とかの技か何かですか?!」

「いや、特別な技術ってわけじゃない。単純に俺は、学園に入るまでは世界中を当てもなくフラフラしてた根無し草の旅人だったからな」

「むー、それとウチの攻撃全部かわせるんと、なんの関係がありますの?」

「旅っていうのは、思いのほか危険がいっぱいって事だよ。代表的なのは山賊とか強盗とかの賊に出くわす事だが、他にも野にいる危険な獣とか、キツい悪天候とか、権力者とのアクシデントとか…」

「? 権力者とのアクシデント、というのはなんなのでしょう?」

「国として何かしらの問題が発生していたり、あるいは王侯貴族で個人に(性癖とか嗜好性とかで)問題のある輩がいたり、治安の低下でピリピリしてたりすると、他所から来たってだけでしょっ引かれる逮捕なんて事もある。このルクシャード皇国みたいに長期にわたって安定してる治安のいい国じゃ、まず想像つかないだろうがな」

「よーするに、そんな旅の中の危険に対処する術ってなカンジで身に着けたのがさっきの動きってワケだな?」

「そういう事。技術というよりは知識と経験に基づいた回避運動ってのが正確かもな。とはいえ逃げ一択の姿勢だ、いうほど強いものでもない。距離あけて広範囲に影響する魔法でも使われてしまえば脆いもんだ」

 なるほどなぁ、とリッドは納得する。しかし、スィルカはあまり納得していない様子で、しかし口は開かずに考え込んでいた。




「そういや今日のメシは 保存出し・・・・ だからたいしたモンはないと思うんだが…お姫さんたちは平気なのか??」

「はい、前々から興味はありましたので、私は少し楽しみです」

「ウチも平気ですよー。お城の兵士の食事の一部をいただいて食べた事ありますよって」

 リッドの言う保存出しとは、学園の食堂の食糧庫の、食材の取扱いルーティンの中で常備している非常用食糧から、保管限界の近いものを通常メニューがわりに出す事を指していて、“ 蔵出し ” などと呼称する事もある。


 もともと食堂は、通常時のメニューにしても上流階級のお坊ちゃんお嬢さんが通う学園にしては控え気味な、悪く言えば質素な内容だ。当然、非常用食糧ともなればなおのことながらメニューに期待できない。


「あれ。ですがミュースィル姫様は、1年の頃はご自身でお食事とかのご用意もされてたんですよね?? 興味があったのに試しには行かれなかったんですか?」

 ノヴィンの疑問はもっともだ。ミュースィルは1年次、自分で自分の食事を管理していたはずで、使用人が近くにいる今と違い、興味があるのであれば試す事はできる自由があったはずだ。


 ところがその疑問に対し、ミュースィルは残念そうな表情を浮かべる。

「ええ……実は一度、行ってみた事があるのですけれど、食堂のおじさまが、私に食べさせたら御父様に叱られると、おっしゃられて……」

 そこをなんとか、と食い下がったりすれば向こうが困る。優しい性格の彼女は相手を気遣ってそれ以上は請願せず、すぐ諦めたに違いない。


「そりゃあ、バールのおっさんの言う通りだなー。非常食って本当に非常の時に喰う用だから、お世辞にも美味いとは言い難いモンばかりだし。それをお姫さんに喰わせたとあっちゃあ、下手するとおっさんが責められちまうかも…なぁシオウ?」

「………」

「シオウ? どした??」

 何やら不思議かつ複雑そうな様子で考え込んでいる彼は、覗き込むようにしてきた友人を見返し、口を開いた。

「…いや、いう程不味いかなと思ってな。あそこの非常食」


 ・


 ・


 ・


―――――――食堂。学園本棟の1階に設けられた食事処。


 窓はなく、内装は壁も床も天井も石造りだが継ぎ目剥き出し。照明用の魔導具の配備量も少な目でやや薄暗い。

 それなりに広くはあるが、並んでいる椅子もテーブルも安物の木製で誰でもちょっと乱暴に扱えば簡単に破壊できてしまいそうなほど頼りない。

 学園の食堂というよりは、ガラの悪いのが集まりそうな酒場っぽい雰囲気があった。こうも造りが粗いのは、やはり一般入学者下々の者に対する貴族達の悪意の表れの一環と言えるだろう。


「ほえー、ウチは初めて入りましたけど、食堂ってこんなところやったんですねー」

「私も数えるほどしか来た事ありません。1年次の時はいつも周囲にいた方々に止められてましたから」

「用意に想像できるな、あの別のヤツに乗り換えた取り巻き女達が、お姫さんを制止してた様子が」

「僕はよく来てます。安くて財布に優しいので…ハハ」

「俺もよく来る。アールのおやっさんは、オマケしてくれるからな」


 この食堂を仕切っているのは、バ=アールといういかつい中年男性である。どちらかというと大工仕事の現場などにいそうなガテン系な見た目で、言葉遣いや態度もそれっぽいタイプだ。

 しかし彼の一般学生や貧乏学生に対する温情の深さもあって、この食堂はお金に余裕のない一般生徒達に人気がある。何よりその見た目にそぐわず、なかなかどうして料理の腕前たるや、相応の食材があれば相応以上の料理を出せるほど料理達者なのだ。


「夕食時までまだ時間あるからか、結構すいてるなー。とりあえずどっか席をとってから注文―――――おいシオウ、あそこ」

 リッドがアゴで指し示す方向、入り口から見て食堂の奥まったやや左寄りの辺りで座って食事をしている気弱そうな生徒に、エリートサマいかにもな生徒3人が絡んでいた。

「…アレって、イジメかなんかです? 寄ってたかって酷い事してはりますね」

「僕、絡んでいる人達に見覚えあります。確か同じ1年次の方々ですよ」

 心なしかその周囲には人がいない。他の生徒も一般組ばかりなのだろう、巻き添えをくらわないよう、遠巻きに見ているだけだ。

 食堂の左壁の一部を横長の方形にくり貫いたような注文と受け取り用のカウンターの中で、バ=アールが絡んでいる生徒達に向けて忌々しいといった視線を向けていた。


「ああいうのを注意なさったりはしないのでしょうか、食堂のおじさまは?」

「助けたいのは山々だろうがな。アールのおっさん、奥さんがもうすぐ出産らしい。問題起こして失職するわけにはいかないだろうから、葛藤があるんだろう。けどおっさんの気性からしてあいつらが調子に乗り過ぎると堪え切れなくなるだろうな」

「どうする? 一つオレが行って――――」

「よしとけ。モメ事の仲裁でお前は、最終手段=ぶちのめす、だろ」

「…てへ、わかる?」

「わからいでか」

「そんな事言うとる場合ですの? なんならウチが止めに―――」

 しかし一歩踏み出して食堂に入らんとしたスィルカの前に、シオウは右手を出して制した。


「二人はダメだ。確かにああいう親の権力を笠に着てる連中は、上位の生徒にはめっぽう弱い。近づくだけで退散するだろう」

「せやたら!」

「――――けど、それは問題なんだ。学園という場は、モメ事の尾が後を引きやすい。何せその場の一期一会で終わらないからな、下手すると今絡まれてる彼―――学園にいる間中、この先ずっとあいつらに陰湿な嫌がらせを受ける事になりかねない」

 一時助けても、それで万事解決となるケースは稀だ。後々まで面倒見れないのであれば、軽々しく手を差し伸べるは偽善でしかない。

 だがリッドは、ニヤリとしてシオウに語り掛けた。


「でも、なんとかするんだろ?」

「時間を置いてから来てくれ」

「………了解、タイミングを見計らえばいいんだな? 頼んだぜシオウ♪」



 ・

 ・

 ・



「貧相な食事だなぁ、ええ? お貴族・・・のモーロさんよー??」 

「あ、あの、止めて下さい…僕は」

「あーそういやぁ、モーロさんは貴族になれちゃっただけの庶民でしたっけぇ? 大変だろーぉ、貴族ってのはよーぉ? 俺たちの苦労がお前にもわかっちゃう身分になってさー、さぞいーい気分だろーなー、ええおい?」

 貴族のボンボンでありながら、まるっきり品格を感じられない連中が、気弱そうな少年にネチネチと嫌味を言い続けていた。


 品位失墜―――――親元を離れて学園に入学し、自分の自由な時間を獲得した事で、生れてから培ってきたはずの品性や教養の高さを失う現象だ。貴族の中には、これを心配して我が子を学園に入れない親もいれば、生まれ持った個人の本質が明らかになると逆にあえて学園にぶち込む厳しい親もいる。


 この学園のエリートさま自称はまさにそんな品位失墜した連中である。

 己を磨いて強くなるのではなく、自分より弱い立場や能力の生徒を見下したり虐めたりすることで、自分は優れている者であるという錯覚にすがりつく哀しい者達だ。



 そんな彼らの近くを平然と横切り、シオウはカウンターのバ=アールに話かけた。

「お、おうなんでぇ、シオウか。どしたメシか? 今日のメニューは分かってると思うが――――」

「分かってる。じゃ、パン・・をくれ」

「ん、あ、ああ…ほらよ、持っていきな」

 保存食糧は特に調理の必要なくそのまま食べられるので注文即出され、待つ必要がない。シオウがそれを受け取ると同時に、先ほどのバカ3人が矛先をシオウに向けてきた。


「おやおやおや、誰かと思えば “ 劣等生 ” クンじゃあないかい? こんな酷い食事しか出せない食堂に足を運ぶなんて、いやはや大変だねぇ庶民の出だとさー?」

「いやいや、ちょうどいいんじゃあないか、ここの食事がさーぁ? “ 劣等生 ” 風情には」

「ははっ、それもそうだ。違いない! いやいや悪かったよ “ 劣等生 ” クン。キミみたいな学生には、痩せ麦・・・のパンと堅肉・・が御似合いだったね、ハッハッハッハ!!」

 コイツら、と憤りをその顔に浮かべているのはカウンターの向こうのバ=アールだ。シオウ本人はまるで彼らの存在など認識していないように普段と変わらずもへーっとしていて、嫌味や煽りなどなんとも思っていない。



 痩せ麦――――麦類の一部品種の俗称として世間ではそう呼ばれているが、別に侮蔑的な意味ではない。“ 痩せた土地でも育つ品種の麦 ” という意味だ。

 しかし彼らは蔑称的な意味合いでもって口にしている。


 そして堅肉かたにくに至っては完全にその食品を侮辱しての言葉であった。彼らの言う堅肉とは、所謂ビーフジャーキー…つまり牛の干肉ほしにくの事。

 脂肪分が多くて柔らかい肉を上質としている貴族にありがちな軽蔑だ。痩せ麦にしても、小麦を使った白く柔らかいパンが上等であると信じて疑わない彼らからすれば、まさに下等な食材にして、下等な人間の食べ物…という事なのだろう。



 シオウは軽くため息をつく。

 自分に絡んでいた彼らが、他の生徒にその矛先を変えた事が申し訳ないのか、連中の隙間から先ほど絡まれていた男子生徒がオロオロした様子でこちらを伺っているのが見える。

 相手に見えているかは分からないが、シオウは心配ないとばかりに口元に笑みを浮かべ、軽く両目を閉じてから落ち着いて口を開いた。大声ではない、しかしよく通る声が、食堂全体に広がる。


「――――痩せ麦は、小麦と比べて脂肪分、糖質が少ない。モノによってはまったく含まれていない品種モノもある」

「……あ? なんだいきなり、何いってんだ “ 劣等生 ” がよぉ??」

 だが、シオウは彼らなどまったく気に留めずに、言葉をつむぎ続けた。


「にも関わらず食物繊維、ミネラル分、各種ビタミン類が豊富で栄養価バランスは非常に良好。実は痩せ麦の “ 痩せ ” は、ダイエット的な “ 痩せ ” の意味を含んでいるとも言われている」

「ハァ?? なんだぁ、ワケわかんねぇ。コイツ頭おかしくなったんじゃあねーの? オイ! 僕らを無視してんじゃないぞ “ 劣等生 ” が!」

 シオウはつい苦笑してしまう。リッドのように本物の悪ガキだった人間ならいざしらず、所詮はいいとこのボンボンが悪ぶって凄んできたところでなんの迫力もない。滑稽もいいとこだ。


「ちなみに干し肉も同様。保存加工の段階でいぶし、水分と一緒に脂肪が溶け落ちるから赤身が多い。歯ごたえはあるが多くの栄養を含み、特に豊富な良質の動物性たんぱく質は、健康を損なわない無理なきダイエットのお供にも適していたりする」

 絡んでいる連中は知らなかった。シオウは別に彼らに対して保存食のすばらしさを語っているわけではない。

 聞かせる対象はこの食堂内にいる女子生徒達・・・・・と、そして―――――


「そのお話っ、もっと御詳しくっ!!!」

「聞かせてください、いーえ、絶対に聞かせてもらいますよって、洗いざらい話してもらいますー!!」

 ビュンッと食堂の空気を割くほどに素早く迫ってきた二人に、愚かなエリートサマ達はあっさりと押し退けられてしまう。


 食堂入り口に待たせていた、ダイエットに深い関心のある姫君二人の耳に届ける事こそシオウの狙いだった。

 閉じていた両目のうち、右目だけ開けて食堂入り口の方を伺えば、リッドが親指を立てている。


「(うん、いいタイミングだ。友よ、さすがだな)」

 すぐにミュースィルとスィルカがこちらの話に飛びつかぬよう、制してくれていたリッド。

 このお姫様方が介入するタイミングこそ重要。それを友は、多くを語らずとも理解してくれていた。

 シオウは右手でこっそり親指を上げ、こちらの意図を解した友人にグッジョブの意志を返した。








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