終章 ②イルミナティの真意

「……そうか。キミの決意はわかったよ。悪魔辞めるなら、これ言っても問題ないよな。俺の仕事を邪魔することもないわけだし」


 打って変わって爽やかな声でベリアルは言った。



「昨日のイルミナティ日本支部、幹部会議で決まった。荊原紫は近日、亡きものにされる」



 ドクン、と心臓が脈打ち、俺は無意識に胸へ手を当てていた。

 そこに、紫と俺を繋ぐ契約書はもう存在しない。


「……なんでだよ」

「愚問だね。彼女の才能を見出していたイルミナティは、再三に渡って彼女に加入を促した。自宅へ手紙を送った他、彼女の高校まで出向き、放課後に会合を設けようともしたし、バイト先や電車の中で勧誘する文書も手渡した」

「なんでそんな回りくどいことすんだよ! 勘違いしてたじゃねーか、俺が!」


 思わず叫んだ俺にベリアルは肩を竦める。


「よくやる手段だよ。どこにいても監視されているという恐怖を植え付けるには、日常の至るところで接触したほうが効果がある」


 紫の不安げな眼差しが甦り、俺は頭を抱えた。


「でも、彼女は決して応じなかった。そうこうしているうちに、彼女はキミと契約してしまう。よりにもよって、『正義』のキミとね。

 悪事を許せないキミを、荊原紫は気に入って傍に控えさせている。これでは彼女を仲間にしたとき、都合が悪い。そこで彼らはキミたちの契約破棄を画策した。その結末はキミも知っての通り。

 最初は俺がマリウスを唆して破棄させようとしたけど、失敗。二回目は、ベルゼブブの解放で頓挫。でも、キミの正義感で望んだ結果は得られたから、問題はなかった」


 だけどね、ここからが問題。


 食べながらベリアルは饒舌に続ける。


「先日、荊原紫からイルミナティに対して宣戦布告がなされた。よほど、キミと契約破棄させられたことが腹に据えかねたらしい。脅せば迎合するものと考えていたイルミナティの思惑は、見事に外れたわけだよ。

 仲間にならないのであれば、ソロモン王の再来と言われる彼女の存在はイルミナティにとって脅威以外の何物でもない。早急に消してしまおう。そういうことさ」


「ちょっと待てよ」


 俺の低い声に、ベリアルは箸を止めた。


「黙って聞いてりゃ、あいつがソロモン王の再来? 冗談きついぜ。あれは魔術師じゃなくて中二病だ。そんなことも見抜けないとか、イルミナティはバカの集まりなのか?」

「バカはキミだろう?」


 ベリアルに真顔で返され、俺は返事に窮した。紅い瞳が異様なまでにギラつく。



「――あれは、世紀の魔術師どころじゃない。千年に一人の逸材だ。あの葡萄が名前通り色付いた暁には、ソロモンを凌ぐ偉大な魔術師になるだろう。それを今摘み取ろうとする愚行に手を貸さなければならないのは、本当に腹立たしいよ」



 ぽかん、と俺は口を開けた。


 何言ってんの、こいつ?


 頭大丈夫かな、と心配になったところで、俺はこいつの性質を思い出した。


「……真面目くさった顔でそんな嘘つくんじゃねえよ。ビビるだろうが」


 それにベリアルは答えなかった。どんぶりへ目を落とす。


「事実だけを見てみなよ。荊原紫は簡易魔法円でレメゲトンの悪魔を呼び出し、卵一個で彼を思いのまま使役し、契約破棄をしたにも関わらず命を取らせることなく彼を地獄へ帰した。これは魔術師の常識からしたら、考えられない。まさしく奇跡だよ。イルミナティが彼女を危険視するのも当然だと思わないか」

「何だよ、それ……」


 俺が簡単に呼び出されたのは俺が売れ残りだからで、卵で契約したのは俺の不注意で、魂を取らなかったのは俺の過去の清算なんだが。


 じゃあ、何か。紫がソロモンの再来と勘違いされちまったのは、俺のせいだってのかよ。


 愕然とした俺の向かいで、ベリアルは卵に箸を突き刺す。


「監視によると、今もあの葡萄はキミを召喚しようとしているらしい。脱会者の金髪娘と国家機関の戦闘員も手伝ってるみたいだけど、ま、アオカンしてるようじゃ無理だろうね。

 どうしてマリウスなんだろうね。あれの家でディナーしたとき、結構本気で口説いたのに、相手にもしてもらえなかったし。マリウスの恥ずかしい売れ残りエピソードを紹介しつつ、ちゃんと俺の優秀さもアピールしたのにな……」


 なっ、と俺は目を剥いた。一体、どれを話したんだ。……怖いから訊くのはやめとこう。


 嫌がるレオンに卵を押しつけるベリアルは、「ほんと残念だねえ」と大仰に首を振る。


「契約する悪魔がいない彼女は簡単に消されるだろう。キミがもう一度呼び出されれば、とも思ったけど、悪魔辞めるんじゃしょうがないよね。契約も切れてることだし、キミにはもう関係ない話か……」


 ぱん、と俺は箸を置いた。




「……関係なくねえよ」




 シャツの左胸を握り締めていた。

 契約書は消えてしまった。

 けれど、俺の胸にあいつの言葉は残っている。


『あんたはわたしの悪魔なんだから』


 俺と紫の絆は、これだけで十分じゃないのか。



「……急用を思い出した。ごちそーさん」


 レオンを掴んで立ち上がった俺へ、ベリアルが「おーい、忘れ物だよ」と声を投げた。その手には、テーブルに置いていた辞表が。


「捨てとけ」


 投げやりに返した俺は、足早にテラスの出口へ向かう。


「グッドラック」


 ニヤリと笑ったベリアルの手の中で、辞表が真っ赤な炎となって燃え尽きた。

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