三章 ⑥盲点
「きっとイルミナティも焦っているのよ。このままわたしたちが順調にメンバーを集めて、強大な組織になってしまうのを懸念しているんだわ」
東友で買ってきた惣菜で夕食を摂りながら、紫はここ最近顕著になってきた「イルミナティの妨害」について熱を込めて語っていた。
俺の逆襲が始まって一週間が経過していた。どうやらこいつは敵がいると燃えるタイプらしい。俺の嫌がらせに紫は恐怖を覚えるどころか、俄然やる気を出してしまっている。
……怯えろよ。本物の悪魔がおまえを狙ってんだぞ。頼むから怯えてくれ……!
「ここ一週間で、聖水が教室に撒かれていたのが一回、霧吹きに穴を空けられていたのが四回、電話線が抜かれてネットが使えなくなってたことが三回、パソコンの充電器が隠されていたことが五回、箪笥の下着が荒らされていたことが一回……ねえ、下着はあんたじゃないの?」
「違げえよ!」
むしろ下着以外は全部俺がレオンに指示したことだ。ふと手元のレオンを見ると、大きく口を開けていた。中に三角形の白い布がある。レースがついていた。
下着はおまえの独断か。
俺に胡乱げな目を向けていた紫は「なら、いいけど」とごはんを頬張る。
「しかも、昨日から東友で卵が手に入らないのよ。うずらの卵もよ!? スーパーの人に訊いても、卵は都合により切らしておりますって言われちゃうし。絶対、これもイルミナティの仕業だわ!」
これも俺の仕業である。
対価の卵が与えられない場合、契約違反となり、契約は破棄される。ならば、紫が卵を入手できなくすればいい。
そう考えた俺は、紫より一足先にレオンを東友へ向かわせ、卵を陳列棚ごと呑み込ませているのだった。紫が買い物を終えた後、俺の能力、盗品返還(ロストリターン)を使って卵は全部元に戻す。目標は、紫以外の誰にも迷惑をかけないことだ。俺、悪魔やめたほうがいいのかもしれない。
「それは知らなかったな。イルミナティも思いきった真似をする」
「信じられないわよね。こんなことなら、卵を買いだめておくんだったわ。バイトの後に近所で開いてる店って東友しかないのに」
言いながら紫は苛立たしげに箸を噛んだ。それから、何も食べることなく食事の席に付き合っている俺へ不思議そうな目を向ける。
「……珍しいわね。あんたがパソコンも開かずに、わたしの話相手になってくれるなんて」
まあな、と俺は小さく笑みを浮かべマスターである美少女を見遣った。
細々とした日常の嫌がらせには屈しなかったようだが、今回ばかりはそうも言ってはいられないだろう。紫が悪魔の恐ろしさを思い知るときがやってきたのだ。
冷蔵庫の卵は昨日で最後の一つだった。つまり、今日東友で卵を買えなかった紫は、俺に与えるべき対価を持たないのだ。
遂にこの日が来たか、と俺はこっそりと感慨深げに息をつく。
短い期間ではあったが、こいつは俺史上最低最悪のマスターであった。きっと俺は永遠にこいつを忘れないだろう。聖水の痛みとこいつから受けた屈辱は、忘れたくても忘れられない。……トラウマになったんだけど、労災請求できないかな。
というわけで俺の契約生活も今日で終わりである。それは自動的に紫の死を意味していて、これがまさしく彼女の最後の晩餐となるのだった。最後の晩餐に付き合わないほど、俺は薄情な悪魔ではない。どんなにひどいマスターでも、最期まで責任をもって看取るのが礼儀としたもんだろう。
紫が食事を終え箸を置くのを待ってから、俺はおもむろに口を開いた。
「なあ、紫。今日の卵は?」
食器を持って流しへ向かっていた背中がぴたりと止まった。それを見て、俺は抑えきれず笑みを零す。
「どうした、紫。早く今日の対価を出してくれよ。……ああ、それとも、イルミナティの妨害で今日の卵はないのか?」
食器を静かに置き、冷蔵庫へ向かう少女の背には、哀愁すら漂っていた。
次に言う台詞は決まっている。
俺は地獄の法に則り、厳かに囁くのだ。
対価を払えないなら契約は破棄される。おまえの魂で支払ってもらおう。
紫の背後に忍び寄った俺は、冷蔵庫を開けた少女へ手を伸ばし――
「というわけで、今日はタラコよ!」
勢いよく振り返った紫に、プラスチックのパックを押しつけられた。
タラコ、だと……!?
雷で撃たれたような衝撃を受ける俺に、紫はふん、と腕を組む。
「何の卵かは指定しなかったから、これでも問題ないはずよ。鳥の卵じゃなきゃいけないなんて契約書にはないものね」
しまった! 魚卵とは盲点だった。タラコ、明太子、筋子、数の子、とびこ、イクラ……あと何がある?
手渡された二九八円の無着色タラコのパックを見つめ、東友に売っている魚卵を懸命に思い浮かべる俺に、紫のせせら笑うような声がかかる。
「イルミナティも大したことないわよねえ。鳥の卵は徹底的になくしておきながら、魚卵はノーマークなんだから。ねえ、真理須もそう思うでしょ?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます