Cp.4-1 Annoy in the rain(4)
「イェルの、現状……ですか?」
奈美と由果那が不在の中、幸紀の問いかけに答えたのは瑠水だった。
ああ、と小さく頷き、幸紀は今や共通認識の存在となった瑠水に向けて、問いを続ける。
「お前達にわかる範囲でいい。あいつが今どんな状態なのか教えてほしい」
「それは、構いませんが……それを訊くということは、貴方は……」
瑠水の疑念を一刀の下に切り捨てるように、幸紀は簡潔に言った。
「今の俺の目的はただ一つ。永琉を連れ戻すことだ。あいつが正気のうちにな」
飾りなく言い切った幸紀の言葉に、瑠水が微かに表情を険しくする。
「やはり、《
「他の奴らのことまでは知らないけどな。あれを引き起こした大元のあいつが受けてる影響は相当きついはずだ。取り戻せるうちに取り戻して、ちゃんと改めて話をしたい」
決意を秘めた目をしながら、それに、と、幸紀は言葉を続ける。
「あれは――《月壊》が拡散したのは、あいつのせいじゃない。元はといえばあいつを一人にした俺のせいみたいなもんだ。だから、責任は俺が取るべきだ」
幸紀の言葉に、拓矢の胸に重いものが落ちる。
その論法で言うならば、最終的に責任を取るべきは。
拓矢のその内心を読み取った幸紀が、それを制するように口を開いた。
「拓矢。何度も言うが、お前の方から責任を背負いに行くのはやめてくれ。周りもそうだが、あの時も俺は自分の意志でお前のために体を張ったんだ。だってのにそれを後悔されちゃ、俺の立つ瀬がないだろ」
拓矢の悪癖に呆れるように笑いながら、幸紀は鋭い目を崩さずに話す。
「それに、正直今回の話に関しちゃ、あの時の責任なんて関係ないんだ。今の俺は、永琉に対して俺なりのけじめをつけたいだけなんだ。あの時のこととは別件として考えてほしい」
決然と語るその眼は、かつて瑠水を助けに行くと仲間に話した自分のそれと似ている、と、拓矢は感じた。
「お前に瑠水ちゃんがいるように、俺には永琉がいた。あいつを助けるのは、俺の役目だ。ま、遅きに失したって言われちゃそれまでなんだがな……今からでもあいつを助けられるなら、どんなことでもやらせてほしいんだ」
幸紀の語ったその想いは、奇しくも瑠水を助けようとした拓矢のそれと重なっていた。
その想いが鍵を開いたかのように、真実を問う言葉が拓矢の口を突いて出ていた。
「ユキは……」
「ん?」
「あの時……そうなることを知っていたの?」
拓矢が自責の方向から話を逸らしたことに満足しながら、幸紀は軽く首を振った。
「いや、知らなかった。永琉がいなくなったのに気づいたのは、俺が意識を取り戻した時だ。しかもその当時俺の周りに他の組なんていなかったから、そこで俺と幻想界の繋がりは一旦途切れた。繋がりを取り戻して、《月壊》なんてのが問題になってたのを知ったのは、本当につい最近のことだ。お前の所に、瑠水ちゃんが来てからあたりだな」
そう言って視線を向けてきた幸紀に、瑠水は一つの疑問が氷解したように訊いていた。
「それであの時、私を観察していたのですか?」
「まあ、それもある。拓矢以上に、そっちの話は切り出せずにいたしな」
問いを重ねた瑠水に応え、幸紀は奇縁を顧みるように語った。
「お前の所に彩姫が来ることも知らなかったが……正直言って、僥倖だと思ったよ。完全に途切れたと思った永琉との繋がりが、もう一度掴めるかもしれないってな。……まあ、その時にはあいつはもう、ひどいことになっちまってた訳だが」
自嘲するように言う幸紀に、あることに気づいた瑠水が疑問を差し挟んだ。
「待ってください。貴方は、私が拓矢の所に来るのを知らなかったのですか?」
「ああ。だから永琉が俺の元を離れたことには、たぶん君は関係なかったと思うぜ。あいつが俺の元を離れたのは、単純に俺が命を捨てるような行動をして死にかけたショックのダメージが大きすぎて、俺の傍にいられる状態じゃなくなったからなんだろう」
瑠水のその疑問を解明しながら、幸紀は現状を把握するように語る。
「この間、俺達を襲いに来たあいつの様子を見て直感したよ。今のあいつに正常な判断ができているとはとても思えない。だから今のあいつの言葉のほとんどは妄言だ」
「それは……あの言葉についても、ということですか?」
《誰のせいだと思っているの……白崎拓矢! あなたが、あなたさえいなければ……‼》
あの言葉――自らの狂態の責を、拓矢に帰した永琉の叫び。
瑠水の指摘に、拓矢の表情に困惑が生まれるのを見る中、幸紀は説得のように話す。
「一面じゃ真実なのも確かだがな。今のあいつの言葉には真実性がない。心の中にある血の塊みたいな感情を言葉にして吐き出してるだけだ。真に受けることじゃない」
「でも……彼女は確かにそう言ってたし、それは事実で……」
「責任を感じるな、って方が難しいってんなら、無理強いはしない。ただ、お前の負うべき責任と俺の果たすべき責任は別物だ。俺の分までお前が背負う必要はない。わかってくれ」
説得に、返す言葉を見つけられずうなだれる拓矢を前に、幸紀は仕切り直すように言った。
「話を戻そう。この前あいつと会った時、もう一つわかったことがある」
その言葉に顔を上げた拓矢と瑠水を前に、幸紀は確信めいた響きと共に言った。
「俺を目の前にした時、あいつの眼の色が変わってた。あいつにはまだ、理性が残ってる」
幸紀のその言葉に現れていた意味を代弁するように、瑠水が言った。
「今ならまだ間に合う……と?」
「君の話からするに、ギリギリなんだろうな。だからこそ、やるなら今しかないと思うのさ」
瑠水の問いかけに、幸紀は静かな決意を秘めた言葉を口にした。
「あいつを助けなきゃいけないのは、どんな形であれあいつを独りにした俺の役目だ。俺の不始末であいつを狂い死にでもさせたら……俺は、死んでも死にきれないだろうからな」
「ユキ……」
責務を告白するような幸紀の言葉に、拓矢の胸に重い思いが渦巻き、それは思考となる。
幸紀にとって、永琉を独りにさせたことは、彼自身にまつわる問題だ。だから自分の問題として解決しなければならない――そう言いたいのはわかる。
だがそれでも、幸紀を独りにさせるわけにはいかない。今ここで幸紀を孤立させてしまえば、形は違えどあの時の繰り返しになる――そう、拓矢はあの時の記憶と共に感じていた。
あの時、自分を助けるために、永琉を孤独の犠牲にした幸紀。その幸紀を、孤独にさせるわけにはいかない。もうこれ以上、自分のせいで大切な人達の別離や犠牲を生みたくない。
親友だ、と。あの時からずっと言ってくれる彼の思いに、応える誠意があるのなら。
それを自覚した時、拓矢は言わなければならない言葉を口にしていた。
「何か……僕に、できることはない?」
「余計な気を回さなくていい、って言うべき所なんだろうが……」
呆れたように即答した後、幸紀は己の事実上の無力を告白するように言った。
「お前が全部わかった上で力を貸してくれるってんなら、正直、助かる。今の俺には、ほとんどあいつを取り戻せるための力が残ってないからな」
そして、言いにくいことを言う前のような、憔悴した目を拓矢に向けた。
「俺から力を貸してくれなんてことは言えないが……いいのか?」
「うん。ユキとは別かもしれないけど、僕は僕で、自分のけじめをつけたい。それはきっと、ユキとは別の、僕の問題だから。その分までユキに全部背負ってもらう訳には、いかないよ」
勇気を振り絞るように言った拓矢の言葉に、幸紀は降参したように頭を振った。
「参ったな……できればお前には、危ない橋を渡ってほしくなかったんだが」
そして、顔を上げ、意志の宿った黒い瞳で拓矢の眼を真っすぐに見て、改めて言った。
「永琉が今どこにいて、どういう状態なのか。探ってみてわかり次第、教えてほしい」
幸紀の要請には、傍で話を聞いていた瑠水が応じた。
「永琉が、《
「ああ。その後、何か変化はあったのか。俺にはうまく探れなくてな」
最低限の事情を承知していることを確かめ、瑠水が口を開いた。
「私にも詳しい状況や場所までは特定できないのですが……胸の奥に、ざわめきを感じます。それも、ちょうど彼女の……イェルの属する領域のあたりに」
そう言って痛むように胸を押さえる瑠水の言葉を、拓矢は聞きながら理解する。
以前、瑠水達彩姫は、《
拓矢が思うに、他の彩姫や《虹》と魂を共有している瑠水は、その中に他の彩姫や《虹》の一部を宿している状態なのだと推測している。瑠水が言った「永琉の属する領域」というのは、そのことを示しているのだろう。
そこまでの理解は幸紀も同じだったようで、彼は疑問を挟まず瑠水の言葉に応じた。
「そうか……どのくらいヤバそうか、とかはわからないか?」
幸紀の重ねた問いに、瑠水は深刻そうな色の瞳を見せた。
「おそらくですが……今はマリィとその命士の力によって保存されているため、即刻の危機には至らないと思われます。ですが、身柄を奪われている以上、彼女達……黄組の動き次第でどう始末されるかもわかりません。予断を許さない状況であるのは確かでしょう」
「なるほどな……ってことは、まずはその黄色の組に話をつけるしかないってことか」
覚悟を秘めた幸紀の声に、拓矢は不安を胸に覚え、思わず口を開いていた。
「ユキ……でも、会ったとしても、どうやって……」
「どうやって永琉を救うのか、か。考えるより前に、会ってみなきゃ話にもならないだろ。奴らがあいつの……永琉の身柄を預かってることさえわかってりゃ十分だ。後は自分で突き止めて、何とかする。そっから先は、俺の運次第だ」
そう言うと、幸紀は済まなさそうな目を拓矢に向けて、自嘲するように小さく笑った。
「心配してくれんのはありがたいよ、拓矢。けどな、これは俺にしかできないことなんだ。お前が瑠水ちゃんを救いに行こうとした時だって……たぶん、同じ気持ちだっただろ?」
幸紀の指摘に、拓矢は言葉を失ってしまう。
どんな危険を冒しても、この手で愛する人を救う。それ以外に、自らの過ちで愛する人を犠牲にした罪の血で手を汚した自分を赦す方法はない。
それはまさしく、瑠水を助けに行こうとした時の拓矢の気持ちと同じだった。そして、あるいは、《あの日》、命を投げ出そうとした自分を身を挺してでも助けようとした、幸紀や、由果那や、奈美、乙姫、自分を愛そうとしてくれた全ての人の想いとも。
強い愛は時に、人に使命を命じる。愛に基づくそれに、抗うことはできない。
反論の言葉を失った拓矢に言い聞かせるように、幸紀は決然と言った。
「これは俺の問題だ。永琉は必ず、俺が救う。どんな形でもな」
「ユキ……」
幸紀の決意に、すぐに言葉を出せなかった拓矢の代わりに、瑠水が言葉をかけた。
「幸紀。あなたの永琉を救いたいという想い、彩姫として心強く思います。ですが、決して忘れないでください。拓矢も永琉も含めて、あなたの無事を思う人が、あなたの周りにいるということを。どうか、自分を犠牲にすることだけは、できる限り避けてください」
「ああ、わかってるよ。それは、君の気持ちでもあるんだろう?」
胸の内を見透かすような幸紀の返答に、瑠水は目を逸らさずに幸紀を見つめ続けた。瑠水と幸紀のそのやり取りが何を意味するのか、拓矢には感じ取れていた。
たとえどれだけ大事なことでも、自らを犠牲にしてはならない。
あなたが犠牲になることで、悲しむ人がいる。その人達のことを想うならば。
それは、拓矢、幸紀、瑠水、そしておそらく彼らの周りにいる人々の共通理解だった。それを己の身につまされる体験として知っているからこそ、また。
薄いガラス窓越しに雨が吹き付ける音を聞く中、幸紀がおもむろに言った。
「善処するよ。これ以上拓矢を不安にさせたくもないしな。その代わり、いいか?」
「うん。僕も、もう二度と同じことを繰り返したりしない。もう、誰も失いたくないから」
その意を汲んだ拓矢の言葉を聞いて、幸紀は安心したように軽く笑った。
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