Cp.3-4 Marry-Gold(Pianissimo)(6)

(あれは……このままでは防げませんね。《王冠ケテル》を使うしかないですか)

 星弾の雨に必死で耐えながら、煌きを纏う二槍を手に走ってくる磨理の姿を見た瑠水は、その圧倒的な苦境に半ば観念しかけた。

 だが、決して諦めることはしなかった。

 拓矢が――愛する人が、自分の帰りを待っているのだから。

《大切なものを守るための戦いから背を向けるような要因が『強さ』だと?》

 拓矢の弱さを追及するような磨理の言葉を、瑠水は胸の内で反芻する。

 白状すれば、磨理の言う通り、それは間違いなく拓矢の『弱さ』であると瑠水も認めていた。そして、その弱さを自覚することが強さに繋がる、その強さが拓矢にあることを信じているという自らの言葉も、全て偽らざる真実だった。

(少し、荒療治過ぎたかもしれませんね……)

 心中で小さく苦笑し、瑠水は眼前に迫る脅威に集中する。

 何度も言うが、瑠水には負けるつもりも死ぬつもりも諦めるつもりもなかった。たとえどんな敵が相手になろうと、生き残るために全霊を賭す。拓矢と共に在るために。彼の魂を支え続けるために。それが彼女の誓いだった。

 無理を承知で、禁断の手段を使おうとした、その時。

 瑠水は背後で、ガラスの砕けるような音を聞いた。

 それが何を意味するのか即座に理解してしまった瑠水は、思わず集中を逸らしてしまった。星弾の雨に晒され、磨理が迫ってきている状況で、その一瞬は致命的だった。

 集中が途切れたその一瞬に揺らいだ瑠水の防壁が、星の雨の貫通を許した。

 無数の光の雨が、防御の崩れた瑠水の元に容赦なく降り注ぐ。それを遠目に見ていた磨理は駆け寄ろうとしていた足を止め、光の粒の舞い上がる土煙の立つ着弾地点に呆れた目を向けた。

「……どういうおつもりですの?」

 磨理の言葉に、土煙が晴れた場所には、弓剣を構えた瑠水が立っていた。

 その背に、桜色の光の防壁を展開した拓矢を盾にして。

 二人は、一瞬の内に背を合わせ、力を合わせて全方位への強力な防護陣を展開し、寸での所で星の雨と磨理の強襲を凌いだのだった。

 磨理の言葉が向けられる中、乱入した拓矢は瑠水に詫びるように言った。

「瑠水……ごめん」

 様々な悔悟の感情が込められたその言葉に、瑠水は一瞬呆然としたが、

「いえ……助かりました。ありがとうございます、拓矢」

 素直に礼を返し、再び弓剣を構えて磨理に相対した。拓矢がその背から身を離し、瑠水の隣を守るように並ぶ。その握り込んだ右手には、薄い白桜色の光が纏われていた。その光の意味を見取った磨理が苦々しげに言う。

「その色……貴方、サクヤとも《神契メイク》を結んでいましたの。軟弱な上に浮気者とは、呆れ果てますわね」

「今は何と言われてもいい。瑠水を失うことになるくらいなら、馬鹿にされた方がいい」

 後悔を力に変えるように言う拓矢に、磨理は心底呆れた目を向けた。

「ご立派な決意ですこと。でしたら、私達を殺す覚悟もついたと思ってよろしくて?」

 磨理の問いに、拓矢は首を横に振ると、磨理の目を恐れずに見据えて答えた。

「君達が、瑠水を殺そうとするのなら。けど、やっぱり殺しはしたくない」

「まだそんな甘いことを仰いますのね。その不覚悟のせいでルミナや大切な人達を失わせようとしたことの矛盾を、どう説明するおつもりですの?」

 不覚悟の核心を突くその問いに、拓矢は自らの内に明らかになった思いを語った。

「殺し合うしか、道がないとは思いたくないんだ」

「何ですって?」

 怪訝そうに訊き返した磨理の嘘を許さないような瞳に、拓矢は勇気を振り絞った。

「色彩統合の話は聞いてる。でもそれは、僕らが望んでいる道じゃない。僕達は、そうじゃない方法で彩姫の存在の呪縛を逃れる方法を探そうとしてる。僕達はできるだけ、殺し合わない方法を探したい。殺し合い、奪い合いの先に掴む、誰かの悲しみでできた幸せなんて、きっと悲しいから……瑠水と二人でそう決めたんだ」

「だから私達を『倒さなかった』と? それは言い逃れですわ。貴方は私達を『倒せなかった』のです。それでルミナを死なせかけた責任を無しにはできませんわよ」

「っ……」

 磨理の突き付ける言葉に、拓矢は言葉に詰まる。それがどう見ても覆しようのない事実である以上、どんな言葉も言い訳になるような感覚が、拓矢の口を縛り付けた。

 繰り返される迷いに囚われる拓矢に、磨理は憮然とした目を拓矢に向けると、

「まったく……手を下すのが下手な分、随分と口の上手い方ですこと。そんな理論武装がいつまで持つか、見物ですわね。私達の現実はそんなに甘いものではありませんわよ」

 侮蔑を混ぜた視線と言葉と共に身を翻し、背にいたイザークに声をかけた。

「興醒めですわね。あなたのような甘ったるい愚者、今はお相手する気にもなりません。帰りましょう、イザーク。これ以上ここに居てもつまらないですわ」

「はいはい、気難しいなぁ僕の姫様は。ああ、そうそう」

 イザークが思い出したように言って、指をパチンと鳴らす。すると彼の手元に、《星》でできた小さな正八面体が現れた。それは、内に黒く脈打つ闇を宿している。

 それが何なのかを拓矢達が察した時には、イザークと磨理は黄金の方陣に包まれていた。咄嗟に駆け寄ろうとした拓矢を、イザークの黄金の視線と言葉が制する。

「マリィの温情を信じてくれるなら、ここは手を出さないでほしいなぁ。僕のマリィは気難しいから、下手に手を出すと、この彼女もどうなるかわからないよ?」

「ッ……!」

 心に枷を嵌めるようなその言葉に、拓矢の踏み出そうとした足が止まってしまう。それを見た磨理とイザークが、嘲弄するような視線と言葉を、拓矢と瑠水に贈った。

「よかったですわね、青の命士様。大切な人を守れて。それでは、御機嫌よう」

「それじゃあ、またいずれ近いうちに。命は大事にしなよ、若いお二人さん」

 突き刺すような瞳を向けてくる磨理の言葉は、拓矢に向けられたものだった。

 痛烈な皮肉を残し、磨理とイザークは黄金の光の中に溶けて消えた。それと共に、磨理の展開していた幻想空間アニマリアが消滅し、拓矢と瑠水は夢幻の彩空の中に放り出された。

 瑠水が差し出した手を拓矢は取り、瑠水は幻想空間と現在空間の連結点を特定する。繋いだ手からは、拓矢を想うが故にひどく疲弊し憔悴した瑠水の心の色が伝わって来た。

《よかったですわね、青の命士様。大切な人を守れて》

(違う。僕は彼女を……瑠水を、また、守れなかったんだ……!)

 現実世界に戻るまでのわずかな間、拓矢は磨理に残された言葉に己を苛ませていた。

 また、自分の非力で大切な人を危険に晒したことを、言い訳できない事実として。


 着地する感覚を得ると、場はショッピングモールへと戻っていた。磨理はおろか、永琉の襲撃も幻想空間で行われていたため、設置物にも人々にも襲われなかったものには影響は出ていなかった。ただ、そこにいたはずの幸紀や奈美達は姿を消していた。

 後に残された拓矢は、しばし動くこともできず、ただ茫然と立ち尽くしていた。奈美や乙姫達の安全を確認することにすら気を回せず、ただ茫然と己の非力さを痛感していた。

 奈美達を危険に晒し、幸紀や瑠水を二度に渡り失いかけ、救えたはずの永琉を逃した。

 全て、自分の非力、不覚悟のせい――その現実を認める拓矢にできたのは、ただそこに拘泥しないようにすることだけだった。

 力など無くとも、飛び出していけば何かが変わったかもしれない。

 だが、飛び出した先に今以上の危険が待っていない保証はどこにもない。

 自己矛盾――拓矢はそれを、己の克服するべき最大の問題だと認識していた。

「拓矢」

 透き通った声が聞こえて振り向くと、瑠水はどこか物言いたげな顔をしていた。

「瑠水……ごめん」

 事を振り返った反省から謝った拓矢に、瑠水はどこか不服そうに言った。

「拓矢、今私はとても不可解な気分です。謝らないでくださいという気持ちと、謝ってくださいという気持ちが、私の中で混在しています。とても、整理がつきません」

 拓矢は答えない。それを続きの催促と感じ、瑠水は語り続ける。

「あなたがマリィの障壁を破り、サクヤの彩光フィリスの力で後ろを守ってくれたおかげで、私は窮状を立て直すことができました。そのことには素直に感謝しています。ですが、あの時ばかりは、私はあなたの行動を素直に喜ぶことができなかった」

 瑠水の語る言葉が、かつて拓矢に向けたことのない熱を帯びていく。

「止めないで、と言ったでしょう。あの場で一つでも判断が間違えば、あなたか私か、あるいは二人とも犠牲になっていたかもしれなかった。あなたに伝わっていなかったのは私の責任ですが、あの場を打開できる手段は十分にありました。あなたがあの場に割り込まなければ、マリィを倒し、イェルを取り戻すことも十分に可能でした。なのに……」

 そこまで言って瑠水は、拓矢が俯いていることに気づき、困惑した様子で言葉を探した。

「拓矢……私は、結果を追及しているのではありません。ただ、あなたが不必要な危険に、無用に身を投げ出さないでほしいと願っているだけなのです」

 瑠水のその言葉に、拓矢は俯きながら拳を握り締めていた。

「ごめん、瑠水。怖かったんだ。君を助けられないことが。君を助けるために、僕にできることが何もないってことが。もう、僕のせいで誰も失わせたくなかったのに……」

 立ち尽くす拓矢の喉から漏れる声が、悔恨と慚愧の響きを帯びる。

「僕は……永琉を助けられなかった。僕がもっと早く戦う決意を固められていれば……」

「拓矢……」

 自責の念に項垂れようとする拓矢の頭を、瑠水はその細い腕でそっと包んだ。水晶の粒の擦れるような涼やかな音が、拓矢の耳に瑠水の諭すような声と共に聞こえて来た。

「拓矢。あなたは、全てを自分の責に帰そうとしすぎです。確かに、あなたにできたこともあったかもしれませんし、私も結果的にそのおかげで助けられました。ですが、あなたにできることにも限界がありますし、できなかったことはできなかったことです。あなたにどうすることもできなかった分まで、あなたが背負おうとする必要はありません。何より、そんな重荷を抱えてあなたが身を潰すことを望んでいる人は、誰もいないのですよ」

「瑠水……」

 彼女の腕の中で顔を上げた拓矢の震える瞳に、瑠水は潤いを帯びた微笑みを見せた。

「だから、そんなに自分を責めないでください。私も含め、あなたの周りにいてくれる人は皆、あなたの自由と幸せを祈っているのですから」

 慰めるように頭を撫でてくる瑠水に、拓矢は僅かな恐れを滲ませた声で言った。

「瑠水。僕……やっぱり、怖いんだ」

「何がですか?」

 問い返した瑠水に、拓矢は己の弱みを告白するように言った。

「君は、僕がどんなに弱くても、全てを許してくれるから……君の傍にいると、僕は自分を許してしまいそうで……」

 拓矢の震える問いに、瑠水は、くすり、と可笑しそうに微笑んだ。

「良いことじゃないですか。自分の弱さを認めてそれを許すのは、ただ自分を甘やかすのとは違います。あなたにはそれを自覚する力がある。なら、きっとその感情も強さに変えられるはずです。それをこれからの生き方で示してくれれば、私はそれで十分です」

 そして、これまでと変わらない信頼を映した瑠璃色の瞳で、拓矢の目を見つめた。

「あなたは、自らが受けた全ての痛みや恐れを、強さや優しさに――『善』に還元できる人です。やはり私の目に狂いはなかったと、いつか、私に証明して見せてください」

「瑠水……」

 瑠水の言葉に、拓矢は胸の内に渦巻いていた葛藤が洗い流されていくのを感じる。

 今すぐに強くなることはできないかもしれない。自分にできないこともきっとある。

 それでも、彼女が自分を信じ続けてくれているのなら、自分はそれに応えたい。

 理屈や言葉ではなく行動と証明で。大切な人達を守るために戦うことで。

 拓矢がその思いを瑠水に向けて言葉にしようとした所に、割り込んだ声があった。

「まったくその通りだな。考えてることが俺と同じだよ、瑠水ちゃんは」

 声のした背中の方を、拓矢は振り返る。

 そこには、どこか隠者のような違和感を纏う雰囲気を漂わせた幸紀が立っていた。

「ユキ……」

 声をかけた拓矢に、幸紀は軽い笑みを返す。それに重ねるように瑠水が訊いた。

「幸紀。霊体損傷の方は、もう大丈夫なのですか?」

「君のおかげで問題はないよ。それより……あいつは、永琉はどうなった?」

 幸紀の問い返しに、瑠水は目を伏せた。

「《黄金彩姫グリュド=イリア》に身柄を奪われました。救い出せず、申し訳ありません」

「そっか……君が謝る必要はないよ。あいつをあんなにした元々の原因は、俺だからな」

 何かを見通していたような幸紀のその言葉に、拓矢は全ての疑問が一つの確信に、その証明に収束するのを悟った。

「ユキ……君は」

 全ての真実に辿り着いた拓矢を前に幸紀は軽く頭を掻き、その真実を改めて口にした。

「名乗るのが遅くなっちまったな。俺は進藤幸紀。《虚黒彩姫ベルゼ=イリア永琉イェル命士イクサだ」

  

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