Cp.3-4 Marry-Gold(Pianissimo)(2)

 足がどこかに着地した感覚と共に、拓矢は顔を上げ、周囲の状況を確認した。

 立っているのは紋章のような文字の回る黄金色の円盤で、その外側にも紋章文字の連なった円環が、まるで土星の輪のように自分達の立っている空間を囲っている。見渡す限り一面の黄金色が満ちているその空間は、かつて瑠水と出会う前、白い影の姿をしたルクスに連れ込まれた白い空間に似ていた。

「ここは……」

「どうやら、マリィの用意した幻想領域アニマリアのようですね」

 状況を把握した拓矢と瑠水は、声を重ねるイザークと磨理の詠う声を聞いた。

「『《我らここに詠う(Leben Liche)。共に歩む我らの旅路(Alto l algo)、悠久の暇(Anges feene)、永き時を続け(Lefolcion)》』」

 祝詞と共に、拓矢の眼前にいた磨理とイザークの体が、眩い光の柱に包まれた。奔流のように立ち昇る光が収束した後には、彼らは既に戦いの準備を――神装の装着を終えていた。

 頭以外の全身を重厚な黄金の鎧に覆い、右手には天を衝くような重槍を携えている。その全身がまるで星々に祝福されているかのように眩く、神聖にして荘厳な輝きを放っていた。その額には、彩姫との契約の証たる、黄金に輝く二重の円環のような紋章が現れている。

「《神装》発現――黄星金王(ハギト・ラティエル)・勝利の形相(エイドス・ネツァク)《天王星装(アステルタス)》鎧槍の姿(フォルマ・ランス)」

 神装の着装を終えたイザークが、不敵な自信を浮かべた笑みと共に宣言する。

 溢れ出る圧倒的な存在感――だが、拓矢が愕然としたのはそれではなかった。

 彼らの立つ黄金の円陣の上空に、点星でできた結界が浮かんでおり、その中に永琉が囚われていたのだ。力を失った永琉は、無重力の牢室のような空間の中に意識を失ったまま、蒼白な表情で漂っている。

 ある程度察せていたことながら、拓矢は思わず苦渋の声を漏らしていた。

「何で、永琉が……」

『あなた様とここで話を進めるには、彼女がいた方が都合が良さそうでしたので』

 拓矢の声をさらりと流し、磨理はイザークの内からおもむろに語り始めた。

『そもそも私達がここを訪れた理由の一つは、イェルを捕えるためでしたの。風の噂に、その脅威性が無視できないほどになっているようでしたので。本当なら貴方様方とここでやり合う必要はなかったのですが……利害が反発した以上、仕方なさそうですわね』

「まあ元々僕らは《イリス》を手にするつもりだからね。どの道全ての彩姫と命士と相対するつもりではあったし、彼女が差し当たって危険性の高い脅威であるのも事実だ。僕達が彼女を狩ろうとすることに瑕疵はない。君達がそれにどう対抗するかも君達次第、だね」

 イザークの言葉を受け、磨理は、ですが、と、言葉の色を誘うようなものに変えた。

『イェルを助けたいという貴方様の考えを聞いて、少し趣きが変わりましたの。我々彩姫や命士全体の被害になるというイェルを庇い立てするというのなら、それがどれほどの覚悟を以て為されるものか、少し貴方様の覚悟の程を見てみたくなりまして』

 そして、タクヤ、と、拓矢を試すような色の声で呼びかけた。

「イェルを助けると仰りましたわね。ではその言葉通り助け出してごらんなさい。イェルを捕らえる私達を倒して、ね。それ以外に、イェルを助け出す方法はありませんわよ。貴方様の覚悟がどれほどのものか、私達に示してごらんなさいな」

 その言葉と共に、黄金の鎧を纏ったイザークが、手に持った重槍を天に掲げる。それに応えるように、黄金色の空間に無数の光る星が現れた。それらはまるで、磨理の一声で拓矢に向けられた無数の銃口のようだった。

 既に賽は投げられている――それを察した拓矢は、瑠水に声をかけた。

「瑠水」

「こうなった以上、もはや戦いは避けられません。私達も準備をしましょう」

 意図を察して応じた瑠水の言葉に拓矢は頷き、精神を集中させて、自らの内にある瑠水の魂と自分を繋ぐ。瑠水はそれに応えるように拓矢に自らの存在を融け合わせ、拓矢の使役する力へと自らを変質させる。

「『《我らここに誓う(Embelie)。深き海を拓く二人(Lu cluse shyad maion )、永遠に互いの勇気となり続けることを(Elte aimus em le mio)》』」

 心の奥底から溢れ出る想いが自然と言葉となって紡がれ、瑠水の詠う言葉と重なる。その祝詞に呼応するように二人の魂が響き合い、眠る力を増幅、顕現させる。

 渦巻く青を、拓矢は纏う。重なり響き合う意思が、無形のそれに姿形を与える。

「《神装》発現――蒼聖碧流(フル・エリミエル)・勝利の形相(エイドス・ネツァク)《水衣(フルヴェール)・瑠璃水奈月(ルリミナヅキ)》纏剣の姿(フォルマ・ブレイド)――瑠水月剣(ルミナス・ソード)」

 発意一声、渦巻く蒼光が弾け、青い衣を纏い水晶の剣を手にした拓矢が姿を現した。イザークと磨理はその姿を目に評する。

「へえ……なかなかサマになってるじゃないか」

『そうですわね。イェルやエルシアを退けたということですし、少しは期待してもよろしいのかしら』

 感心したように言う磨理のその言葉に、拓矢は意外に思って訊いていた。

灼蘭エルシア達のことを知ってるのか?」

『ええ。彼らとはそれなりに長い付き合いですわ。少なくともあなた方よりはね』

 さらりと答え、それよりも、と、催促するように磨理が言ってくる。

『積もる話もあるにはありますけれど、それはまたの機会にしましょう。次があればの話ですけれどね。今やここは戦場、私達は戦士です。余計な話は無粋というものですわ』

「そうだね。武器を取った以上は戦うっていう意思表示。間違いないよね?」

 言葉と共に、イザークが鎧の音を鳴らし、その手に持った重槍の穂先を拓矢に向ける。

 開戦の火蓋が落とされようとするその間際、瑠水が磨理に訊いていた。

『その前に一つだけ訊かせてください、磨理。あなた達の目的は何ですか?』

 瑠水のその問いに、磨理は寸分の迷いもなく即答した。

『無論、《イリス》を手に入れることですわ。私達の永遠無限の自由のために』

「《虹》……永遠無限の、自由……?」

 その言葉の意味を把握できない拓矢に、イザークが鷹揚に説明する。

「彼女から聞いてないのかい? マリィ達彩姫は僕達命士の棲むこの時空間外の存在だ。彼女達と存在を結んでいる限り、僕達はこの世界のあらゆる制約を逃れることができる。それこそ、時間経過による老化から縁を切る、とかね」

 イザークの言葉の意味を理解した拓矢は、一種の戦慄と共に訊き返していた。

「それじゃあ、永遠無限の自由っていうのは……」

「そ。要するに不老不死、永遠の生命さ。今は彩姫との関係が完全じゃないから一時的なものだけれど、全ての色彩を統合し《虹》を手に入れれば、僕とマリィは完全な存在になる。生死の境も自由自在、眠るように死に、目覚めるように再誕し、何者の干渉にも邪魔されず、森羅万象、世界の全てを見届け、味わい尽くす。そんなことが可能になるのさ」

 言って、イザークはそこにある鼓動を感じ取るように己の胸に手を当てた。

「また同時にそれは、僕のマリィの存在を完全に安定させることにもなる。彼女を《月壊イクリプス》の不安定な状態から救うこともまた、彼女を愛する僕の誓願の一つだ。彼女達の存在を守ることは、彼女達の命を預かる命士として、愛する人を守る騎士として、当然のことだろう?」

 一切の揺れの無いイザークの言葉に、拓矢は弱い抵抗の言葉を口にしていた。

「他の彩姫や命士の幸せを奪って得る永遠の命なんて、本当に幸せなんですか」

「それは戦いを避けようとする者の言葉だね。人の信念に伺いを立てるより、まずは自分の心に問うてみなよ。君が僕達のように永遠の命を望まないとしても、戦いを避けようとするために傍にいる愛する人を危険や恐怖に晒すことを、君は黙認するというのかい?」

「それは……」

 泣き所を突くイザークの言葉に、拓矢は言葉に詰まってしまう。もう何度心を弱気にさせれば気が済むのかと、赤い騎士にもう何度も言われているというのに。

 戦いをできるだけ避けたい気持ちはある。それは、他の彩姫や命士の存在を喰らい、犠牲の上に築かれる安寧を望まないという、当の瑠水と話して決めた、歴とした二人の意志だ。そしてその決意は、瑠水や大切な人を守るために、襲い来る外敵と戦うということと齟齬を起こさない、そう認識しているはずだった。

 故に、拓矢が今己の胸の内に鬱屈を感じているのは、その決意自体の正誤についてではない。それを問い直された時、常に迷いを生じさせてしまう自分の脆弱さについてだった。

 拓矢のそんな揺れる内心を見取ったのか、イザークは目を細めて拓矢を見る。

「むしろ、そうでないとしたら君達は何のためにここで戦おうとしているんだい? 特に君……タクヤと言ったかな、青の命士。今僕は君に並々ならない興味と失望を感じているよ」

 そして、拓矢に黄金色に輝く瞳を向け、イザークは観察するように言った。

「その穏やかに澄んだ眼を見ればわかる。君はきっと、優しい人間なのだろうね。たくさんの人の愛に囲まれて、人と争うことなど考えずとも済むように生きてきた。幸せな人間だ。けどね、だからこそ言わせてもらおうか」

 イザークは穏やかな口調のまま、拓矢に向けて辛辣な言葉を放つ。

「今、君のその幸せを脅かし、愛する人の身を奪おうとする者が目の前にいる。それに何の抵抗も示そうとしないというのなら、君の愛は自らへの愛に働くことも報おうとすることもしない、怠惰という名の罪悪だ。それは、君を愛してくれている全ての人の想いに泥を塗ることだ。僕はそんな意志薄弱な人間を見逃しておけるほど鈍感じゃない」

 故に、と、イザークは地に突いた槍を持ち上げ、軽く弄ぶように振り回しながら、悠然とした構えを取る。

「僕らが《虹》を手に入れる、またそのために他の色彩を統合することにも、些かの瑕疵もない。僕らは僕らの願いを果たすために、犠牲が生まれることを理解した上で、この闘争に臨んでいる。避け得ない現実を認めようともせず、逃避に甘んじて愛を守ろうともしない、意志の弱い存在に負ける気はないよ」

 そして、語る意志を宿した瞳を拓矢に向け、その心を試すように告げた。

「だが僕は、君がそんな恥知らずで脆弱な人間ではないと思う。だから僕は、ここで君の本気を見たい。君が、君を愛してくれている人々の想いに報いようとする気があるか、彼らの愛を受けるに相応しい人間か……それを、僕達との戦いで示して見せてくれ」

 言って、イザークは黄金の瞳に戦意を充溢させ、戦旗の如き重槍を構える。

 逃避を許さない宣告を前に、拓矢は戦いに踏み込む一歩手前で訊いていた。

「イザークさんは、何のために戦うんですか」

 目的とは違う、意志の所在を問うその意図を汲み取るように、イザークは拓矢の心の奥を見透かすような深い瞳を向けながら、薄く笑って言った。

「僕に勝てたら、教えてあげるよ。親友ブラザー

 挑発するようなイザークの言葉に、拓矢は胸の内に渦巻く暗い思いを抑え込み、内にいる瑠水に――力をくれる愛する人に、戦いへの決意を示し、同意を求める声をかけた。

「瑠水、行くよ」

『はい。行きましょう』

 その意志への肯定を得、拓矢は眼前の敵を見据え、水晶の剣を手に一直線に駆け出した。それを見たイザークがおもむろに手にした槍の穂先を拓矢の方に向け、一言を唱える。

「《降れ(Falle)》」


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