Cp.3-3 Assault of Disaster(2)

 拓矢が幸紀と二人で会話をしていたのと同じ頃。

 拓矢の前から逃げ出すように走っていた奈美は、ショッピングモールの通りの半ばで足を止め、慣れない走りの後で荒い息を吐いていた。

(何してるんだろ、私……)

 小さな呼吸を繰り返しながら、奈美は自分の取った行動を顧みた。

《奈美は、拓矢を独占したいのではないのですか?》

 逃げ出した原因が、瑠水に言われたあの言葉であったのは間違いない。

 だが、なぜそれで自分は逃げ出したりしてしまったのか。疾しい所がないのなら、堂々としていればいいのに。

 それとも――彼女に言われた言葉に、何か背徳のようなものを感じたとでもいうのか。

(私は……拓くんを……)

「奈美!」

 何が何だかわからなくなり泣きそうになっていた奈美は背から呼ぶ声に振り向くと、由果那が自分を追って駆けて来るのを見た。

「由果那ちゃん……」

 奈美の目の前まで来て荒い息を整えると、由果那は顔を上げて奈美の目を見た。

「もー……いきなり走り出したりするんじゃないわよ。心配するじゃない」

「うん……ごめんね」

 落ち込みかける奈美に、由果那は呆れてみせるように言った。

「ま、走り出したくなる気持ちも少しわかるけどさ。あの天使、ほんとデリカシーなさすぎ」

「ゆ、由果那ちゃん……だから、そんな言い方は……」

 なおもためらう様子を見せる奈美に、由果那はやや厳しい視線を向けた。

「あんたもあんたよ、奈美。あんたが人を責められないくらい優しい子なのは知ってるけど、言うべきことはちゃんとビシッと言わないと、ああいうのをやりたい放題にさせちゃうんだから。いつまで経っても人に合わせてばっかりじゃ、あんたも嫌でしょ?」

「それは……」

 迷う様子を見せる奈美に、由果那はその心の内を見抜くように言った。

「あいつにさっき言われたこと、気にしてるんでしょ?」

 由果那の言葉に、奈美ははっとしたような表情を見せた後、わずかに俯いて答えた。

「うん……私、拓くんを独占したいのかな、って思ったら……何だかよくわからなくなっちゃって」

「そういうのを免疫ない奈美に言うんじゃないっての……ったく、あの天使も今度説教ね」

 憤懣やるかたないとばかりに呟くと、由果那は諭すように言った。

「ま、そっちの方に話を持って行ったあたしにも責任はあるけどさ……せめてそれくらいは、素直になってもいいと思うわよ」

「え……?」

 思わぬ言葉に驚く奈美に、由果那ははっきりと彼女の本心を告げるように言った。

「今さらいい子ぶる必要なんてないでしょ。あんたは拓矢を独占したい、誰よりも拓矢の傍にいたい……そうじゃないの?」

「あ……」

 突きつけられた言葉に奈美は表情を戸惑いに彷徨わせた後、言葉を失い、俯いてしまった。その様子を見た由果那が、決まり悪げに言う。

「そりゃ、あの子の言い方はちょっと乱暴だけどさ……良くも悪くも、あの子はああいう認識だってことでしょ。あの子、天然っていうか、自分がズレてるって自覚なくて言ってるから、なおさらあの子の調子に呑まれたらダメな気がする」

 そして、弱気になりかけていた奈美の背中を押すように、力強く言った。

「あんたの拓矢を大切に想う気持ち、あの子に押し負けるわけにはいかない。でしょ?」

 由果那の言葉に、俯いていた奈美の表情に微かな意志の色が現れた。

 由果那の言い分は、瑠水のそれよりももっともだった。拓矢に対し、自分はどう在りたいのか――それは自分の最も大切な気持ちに関わることだ。瑠水がどう考えているかに関わらず、それは自分の中で確かにしておかなければいけないことだ。それが瑠水に対抗することになるともなれば、なおさらだった。

 拓矢を想うことに対する自分なりの決意を、自分は示さなければならない。

「私は――」

 奈美が自分の中に見出せるその決意を口にしようとしたその時、

 

 ミシリ、と――空気が軋む音が聞こえた気がした。


「――⁉」

 背筋を震わせる異常な感覚に、由果那は思わず周囲を見回した。

 そこは既に、時間と色彩を奪われた虚ろの空間と化していた。周囲にあるもの全てから生気とも言うべき色が消え、魂を奪われたように時を止めていた。

「何、これ……?」

 絶句する由果那の前方に、黒い闇が噴出し、卵型のドームを形成した。ちょうど人一人が通れるほどの大きさのその闇の中から、一人の人影が姿を現した。

 ぴったりと体のラインを覆う黒いドレスに身を包んだ、石のように白い肌と蛇のように荒く波打つ黒い髪の女。地獄の底のように深く黒い瞳が赤い虹彩を灯し、妖しい笑みを湛えて由果那と奈美を舐めるように向けられている。

 その女の纏うおよそ尋常ではない危険な気配に、由果那は反射的に奈美を後ろ手に庇い、突然現れた謎の女を、警戒心と共に睨みつけた。敵意の込められたその視線を受け、女――黒の魔女はくすりとほくそ笑みながら口を開いた。

「こんにちは、お嬢ちゃん達。大事な隠し事の最中を邪魔してごめんなさいね」

 牙を剥く蛇のような女の視線に、由果那は背筋の悪寒を押し殺しながら、言葉を発した。

「何……あんた、あたし達のことを知ってるの?」

「ええ。あなた達の大事な人には、随分お世話になっているからね。少しご挨拶に伺おうと思って。会いたかったわ……白崎拓矢の大事な大事な愛人達」

 くすり、と、女は目を細め、凄艶な笑みを見せる。

 その言葉の意味する所からその女の正体を察した由果那は、戦慄した。

「あんた……拓矢を知ってるってことは!」

「うふふ、なかなか勘がいいみたいね。どんなふうに壊れるのか、見物ね」

 くすりと笑った魔女の瞳に映った赤い凶光を見た瞬間、由果那の背筋に怖気が走った。

「奈美、下がって!」

「きゃ……!」

 危険を察した由果那が、奈美を突き飛ばす。

 地に倒れた奈美が顔を上げた時には、魔女の腕から伸びた荊が由果那の胸を貫いていた。

「由果那ちゃん‼」

 叫んだ奈美の目の前で、由果那の体が胸から伸びる黒い荊の蔦に絡めとられていく。

「あ、っが……なに、これ、っ……⁉」

 苦悶の声を上げる由果那に、腕から荊を伸ばしたまま、魔女が妖しく笑んだ。

「ふふ、苦しいでしょう? あなたが胸の奥に眠らせていた恥ずかしい感情を弄っているのよ。自分の中の蛇に絡みつかれる感覚……気持ちいいでしょう?」

 魔女が言う間にも荊はズルズルと蔦を伸ばし、由果那の体を侵食していく。

「や、っ……やめて……あたしは、そんなんじゃ……!」

 心を蝕む邪悪に必死で抵抗しようとする由果那に、魔女が嘲笑うように言った。

「ふぅん、あなたも面白いわね。親友のためと偽って、ずっと気持ちを押し殺していたのね。本当は自分が一番彼の傍にいたいって思いながら、その子のために自分を殺して」

「え……?」

 魔女のその言葉に奈美は言葉を失い、由果那を見た。

「違う……ちが、うッ……そうじゃ、ないのっ……あたしは、そんなことッ……!」

 黒い涙を浮かべた由果那の瞳は、胸の中で増幅し心を乱す恐怖に揺れていた。その様を愉しむように、魔女は荊から悪念の力を流し込みながらほくそ笑んだ。

「素直になりなさいよ。本当はずっとその子のことを憎らしく思っていたんでしょう? 見かけの優しさもここまで極まると卑怯なものねぇ、いい子ちゃん」

「やめ、てッ……違うっ……あたしは……あた、し、はぁッ……!」

 涙と涎を流して壊れてゆく由果那を目にした奈美が、耐えきれず身を前に出す。

「やめて! 由果那ちゃんを放して!」

「ふふ、あなたも優しいのねぇ。壊しがいがあるわ」

 その時には、魔女の空いた腕から伸びた荊が、奈美の胸を貫いていた。

「あ……」

 痛みに気づいた時には、胸の中心に刺さった荊がざわざわと蠢いて全身へと広がり、傷口から滑る肌を持つ黒い蛇が侵入するように、胸の奥が邪念にかき乱されていく。

 拓矢への想い、由果那への想い、幸紀への想い、乙姫への想い――心の中にしまっていた大切な想いが、悪夢のような恥辱と嘲りの色に塗り替えられていく。

「あ……あぁ……!」

 全身を犯される恐怖に震える奈美を眺めながら、魔女は狂喜の笑みを浮かべた。

「さぁて……存分に味わわせてもらうわよ、お嬢ちゃん達。あなた達の綺麗な愛をドロドロに穢す感覚……あぁ、ゾクゾクさせてぇッ!」

 魔女の喜悦の言葉と共に、二人の心身を獰猛な黒い蛇が這いずり回る。

「「嫌ぁあぁああぁあぁああぁあ――――――――ッ‼」」

 背徳に染められた嬌声にも似た絶叫が、虚ろな空間に響き渡った。


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