第100話 鈴木さん

 ある日のこと、俺は実家の倉庫にある物を取りに分体を向かわせた。大したものではないので、こっそり持ち出そうと考えたのだ。


「あら、息子さん、随分と久しぶりね。最近顔を見ないから心配してたのよ」

 近所の人間が俺を認識できるとは、しかも覚えているとは考えてすらいなかった。

 この女性は実家の斜向かいの家に住む鈴木さんの奥さんで、八十歳はうに越えているだろうと思われる人物。ソフィーの建てた家からもそう離れてはいない。


 完全にリモートしている分体で助かった。自立型ではどのような対応をするのか、分ったものでは無いからな。

「ご無沙汰してます。まさか鈴木さんの奥さんに俺が見えるなんて、ね。

 立ち話も何ですし、俺の家というより妻の家に招待しますよ」

「なら、あなたの好きなアレを取って来るわ。少し待っていて」

 俺の好きなアレとは、このお婆ちゃんの作る梅干しの梅酢だ。

 刺身の醤油代わりに使ったり、和え物に用いたりと使い勝手も抜群で、化学調味料など入っていないので味も申し分ない。しかも他の家の梅酢、当然実家の梅酢よりも遥かに美味い。


「お待たせ、はいこれ」

 取っ手付きのペットボトルに満杯の梅酢を二本頂いた。

「鈴木さんは少し前に建った家、わかりますよね? 昔、火事のあった」

「あの上品な外国のお嬢さんのお家ね」

 ソフィーが上品ねえ? とんだお笑い草だ。

「実はそれが俺の妻なんですよ。ただ事情がありましてね、それをお話ししたいと思います」

「無理しなくて良いのよ」

「聞いて欲しいと言っても?」

「なら、聞かせてもらいましょう」

 気の良い人物だ。それにこう言っては何だが、老い先も長くはないだろう。

 冥途の土産にでもしてもらうとしよう。


「ソフィー、近所の鈴木さんは判るか?」

「はい、あの元気でどこか上品なお婆さんですね」

 そう、鈴木さんは俺実家の近所の人物としては珍しく品があるのだ。ソフィーのなんちゃってとは違う。

「その鈴木さんの奥さんが俺を覚えていた」

「本当ですか?」

「でだ、ここに招待しようと思う。今、下の家に入ったところだ。

 悪いけどソフィー、転移扉まで案内してもらえないか? 俺は分体を引っ込める、混乱させてしまうからな」

 瞬時に入れ替えることは可能だが、ソフィーに見られたくない。今後、使えなくなるのは困るからだ。

「妻を呼んで来ます。ここで待っててください」

 そうして俺は分体を転移扉で戻し、梅酢を受け取り吸収した。


「ここはキッチンかしら、随分とまた広いのね」

「ええ、まあ、事情がありますからね。主人はこの先に居ります、どうぞ」

 転移扉を越え城へとやって来れたようだな。ソフィーは対応に少し困っているように聞こえる。

「どこに行ったのかと思えば、こんな所に。でも、あの家にしてはやけに大きい部屋ね」

「驚くかもしれませんが、その事情をその目で確認してもらいましょかね。

 まだ歩けます?」

「まだまだ元気なんだから、心配ご無用よ」

 転移で跳ぶとそれこそ混乱しそうなので、歩いて外へと向かう。


「あら、あれ?」

 小柄なお婆ちゃんが首を傾げる素振りは、純粋な意味で可愛い。

「不思議でしょう? でも、これがここの秘密なんです」

 出てきた場所は当然のように前庭。花壇の中でウサオが昼寝をしている。

 鈴木さんはまだ正面しか見ていない。振り返ってもらおうと、手で大仰に示した。

「……どうなっているの?」

 普通に暮らしている人間の反応としては、こんなものだろう。

「我が城へようこそ」

 ちょっと格好つけてみたかったんだよ。余程似合わないのだろう、ソフィーはクスクスと笑っている。

「一回りしましょう、色々あるんですよ。まずはやはりこれですかね」

 身振り手振りなど本来は必要ないのだが、演出として腕で薙ぐ。

 地面と天井を透過させると、観えてくるのは宇宙の星々。その代わりに、辺りは暗くなってしまうのだがね。

「まあ!」

「これも秘密を解く為の鍵となり得ましょう」

 そして歩き出す。


 前庭を適度に散策して後、向かったのは裏庭。ソフィーの畑と温室、それと円四郎一門の住む屋敷という名の小屋がある場所だ。

「円四郎! 客を連れて来た、暇なら飯でも食いに来い」

 姿は見えなかったが、大声で声だけ掛けておく。

――バタンッ タッタッタッタ

 扉を雑に開き、誰かが走ってくる。

「お兄ちゃん、本当にいって良いの? あ、こんにちは」

「螭は仕事だろうけど、円四郎は連れてくるんだぞ。いいな、爽太」

「うん、わかった」


「あの子は見たことの無い子ね」

「ここで全てが補えるとまでは言いませんが、それでも十分に足りますからね。外には滅多に出ないのですよ」

「学校にも?」

「事情がありまして、学校には通えないんです」

 何せ、死者なのでね。


「また立派な温室だこと」

「主人が用意してくれたのです」

 畑と温室へと向かうと、今度はソフィーが案内を買って出た。

 ふと見れば、アンソニーの側で風花がバナナを齧っている。

 風花はもう自分の意思で歩き回れるようになっている。お気に入りはアンソニーではなく、バナナだろうけど。サラはお豊が面倒を看ているので安心だ。


 散策を終え、ラウンジへと戻った。風花も俺を見つけると一緒に付いて来た。

「可愛らしい、お嬢ちゃんね。お母さん似なのかしら?」

 風花には俺の血もソフィーの血も入ってはいないが、運よく似たような系統の血筋だった。ロシア系も北欧系も普通の日本人に見分けることは難しいからな。

「旦那、お客さんかい? お茶でも淹れるさ」

 サラを抱っこしたお豊がラウンジに姿を見せる。ソフィーがサラを受け取り、お豊は茶の準備をしてくれるそうだ。

「鈴木さん、お昼はどうします? 旦那さんが居らっしゃるでしょ?」

「ああ、大丈夫よ。あの人は息子の所に行ってるからね」

 確か息子さんは二人いて、東京で暮らしているという話だったな。

「それなら一緒に食事もして行ってください。先程の子供や保護者も来るでしょうから」


「邪魔するぞ」

「早すぎるだろ? 円四郎」

「なーに、客人がるのなら、茶の一つも出ると思うてな」

「今日のおやつは何? お姉ちゃん」

 こいつら図々しさが五割増しになってないか?

「賑やかな方が楽しいわ」

「そうですよ、あなた」

 くっ、鈴木さんの好意である為、認めるほかない。

「あれまあ、増えたさ」

 お豊にはとばっちりだよな。悪いが頼むわ。

「このお家は随分と賑やかなのね。また遊びに来たいくらいだわ」

「良いですよ、いつでもお越しください」

 俺は基本的にここから出られないし、遊びに来てくれるのは大いに歓迎する。地上に出られないという意味だけどな。


「そう言えば、事情があるのでしょう?」

「お主、良いのか?」

「ああ、鈴木さんは俺が見えているし、過去の俺を覚えている。特別な事情を孕むソフィーを除けば、初めての人物だ」

「お主が納得しているのであれば、拙者は何も言わぬよ」

 少し間をおいて、俺は話し始めた。


「鈴木さんは俺を視認できていますが、他の人間ではまずそれが出来ない。そういう化物に俺はなってしまったのです。それ故に、父でさえ俺が存在していたという記憶がない」

「冗談でしょう?」

「他の事情もあって、俺は地上に本体を降ろすことも出来ない。今日、鈴木さんに出会ったのは俺の分体、分け身なんですよ」

 そう言って俺は横に分体を創り出した。

「手品みたいだけど、そうでもないのよね」

 ひとつ頷いて、続ける。

「俺は神になったと、他の神に教えられました。こいつも俺とは異なるタイプの神ですよ」

「拙者は、真理谷円四郎義旭と申す」

「こいつは江戸時代中期だったかな、の剣豪です。真理谷の地名で分かりますよね? そこで祀られ神と化した存在です」

「まあ、うちの主人とは比べ物にならないくらい立派な方よね」

 鈴木さん、目がキラッキラしてるけど、あんた人妻だからね。旦那さんまだご健在なんだからね!

 鈴木さんの旦那さんは俺の酒飲み友達だった。確かに円四郎とは比べ物にならない華奢な体格だよ。


「まあ、そういうことで俺とこいつは神。それでこの子、爽太は円四郎の従者をしています。少し前に大福屋の前で交通事故があったのを覚えていますか? その時の被害者がこの子なのです」

「あそこは小さな子がよく飛び出すのよね」

 爽太には申し訳ないが、説明を頼もう。俺の目線を感じ取った爽太は話す。

「ぼくは死んじゃったの。でもここでおじちゃんと一緒に居るなら、普通にご飯も食べられるんだよ」

「そんなことが……」

「ちなみにそこで茶を淹れてるお豊も、円四郎と同時期に江戸で生きていたクソ婆なんですよ」

「ちょっと旦那、クソババアとはなんだい!」

 クソ婆だったじゃねえか、強引についてくるし。

「今は俺が人の体を創り与え、人間として暮らすことが出来ているんです。でも、死者なんですよ。俺は微妙に異なる存在なんですけど」

「主人は人間だった頃の体を今も持っていますから」


「今日はこのくらいで良いでしょう。とても難しい話で、しかも分りにくい。

 お茶の後、昼食にしましょう」

「ちょっと待って、あなた地上に降りれないってさっき言ったけど。ここはもしかして……」

 鈴木さんには悪いが思考を読ませてもらう。

「想像の通りですよ。場所は木星の環の上ですけどね」

 人間が地球を目視することは適わない距離にある。望遠鏡でもあればまた別だが、アステロイドベルトが邪魔でどちらにしろ見えないか。

「改めて、神の世界へようこそ。とでも言いましょうかね」

「もうなんてことなの!」

 鈴木さんはもう色々と諦めたようだった。


 茶を飲みながら――俺は除外されるが――、梅酢を貰ったことをソフィーに話す。

「鈴木さんに梅酢貰ったんだよ、俺の好きだった梅酢。

 だから、白身魚の刺身を買ってきてくれないか? 和え物はお豊に作ってもらうからさ」

「事情がよく理解できませんが、わかりました。お茶の後にでも行ってきます」

 梅酢という単語だけでソフィーが理解するに至らないのはしょうがない。


「この芋羊羹は旨いな、爽太」

「うん、おいしいね。螭お姉ちゃんには内緒にしないと怒るよね?」

「うむ、秘密だな」

 螭の耳に入れば、さぞ怒りそうな話だ。

「まだここには誰か居るのかしら?」

 あ、いけね、アンソニー忘れてた。

『アンソニー、茶と飯だ。帰って来い』

『は? 今行きます』

「アンソニーという畑にいた男と、螭という俺の養子の娘がいますね。螭は仕事で留守ですけど、あいつも神です」

「神様なのに働いているの?」

「螭殿は我が家の大黒柱ですからな」

「お兄ちゃんに放り出されたぼくたちは、螭お姉ちゃんのお陰でご飯が食べられるんだよ」

 爽太、人聞きの悪い言い方をするのはやめろ。

「こいつらは図々しい居候なのでね。土地と体を貸す以外は、自立してもらおうと思いまして」

 うん、まともな言い訳になっている。はずだ。


「それにしても賑やかで楽しいわね。私も死んだら迎えにいらしてもらえるのかしら?」

「どうしてもというのであれば、考えますよ」

 勧めるつもりは無い。普通に死ぬのも幸せだと思う。

「お願いするわ、だって若返ることも出来るのでしょ?」

 鈴木さんもやはり女性なのか、幾つになってもそれを望む心があるんだね。

 でもなあ、俺の従者にするのは気が引けるよな。

 また円四郎に押し付けるか? 鈴木さんも円四郎のことは満更でもなさそうだしな。

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