第58話 ソフィーの涙
「ソフィー、頼むから肉焼いている時くらい、大人しくしていてくれ」
「旦那様が元気になられたので、傍に居たいのです」
肉を食べたかったのだ、それも血の滴る肉を。
あんなことをした翌日によく肉を食べられるな、と自分でも思うのだが無性に食べたいのだ。
ソフィーに頼み、数時間前に牛の肩をブロックで買ってきてもらった。
今は表面に焼き色を付けているところ、問題は如何に保温するかだろう。
オーブンがあれば最高なのだが、そんなものは無い。早く電化しなければ、貴重な酸素が奪われてしまう。
「あ! そうだ、創ればいいんだ」
独り言ち、精神体の右腕を部分的に分離し肉体から出す。錆びると扱いに困るのでステンレス、厚みは二十ミリくらい、このお肉が収まるくらいの大きさ、そして固定。
こういうやり方も出来るもんだな、右腕を元に戻す。
出来た鍋を隣のコンロで熱しておく、掌で適当に温度を計り、直ぐに降ろし中に焼いていた肉を放り込み蓋をする。
「まさか、旦那様が料理してくれるなんて思いませんでした」
「お前、俺が料理好きなの知ってるだろ?」
「それは、見ていましたからね」
「旦那、どのくらいで出来上がるんだい?」
「半刻程掛かるな」
二十ミリもあれば十分保温能力もあるだろう、中までじんわりと火が通ってくらないとね。
お豊に分かり易く説明する方が面倒だ、俺やソフィーが日常的に使う単位を理解していないのだ。
「お豊、俺は肉を食べたかっただけだから、他のおかず頼むよ」
「何だい、全部作ってくれるんじゃないのかい?」
「それじゃ、あまり期待できないがソフィーに頼むか?」
「私だって、料理くらい出来ますからね」
「ご飯は炊いてあるから、おかずは奥様にお任せするさ」
怖いもの見たさでソフィーに頼んではみたが、どうなることやら。
俺は自作のローストビーフ用に山葵と醤油、そして小皿を準備する。レフォールクリームなんて洒落たものは無い。
盛り付け用の大皿も準備してから気付いた、牛刀か柳葉も持ってくれば良かったな、と。鍋は簡易だったので創ったけど、刃物は創っても鈍らになりそうな気がした。
「付け合わせに、野菜炒めです」
「あー、うーん、ありがとう」
大丈夫、期待して無かったから。
「なんですか!」
「いや、なんでもないよ。ありがとう」
彩が悪い、なんでそんな色になるのだろうか? 不思議だが、頑張ってくれたのでお礼をしよう。
「そろそろ良いだろう」
蓋を開けて肉を取り出し、真ん中から半分に切る。切り口はピンク色だ、ちゃんと火が通ったようだ。
二十年来の付き合いであるペティナイフと謂えない、刃渡りのちょっと長いペティで薄切りにしていく。お豊の使っている万能包丁でも良いのだが、これは癖だな。
大皿に綺麗な花のように盛りつけた、ソフィーの野菜炒めとの差が激しい。
「お豊、ご飯頼むぞ。ソフィー、食堂に移動しよう」
お豊とソフィーはこっそり端肉の味見をしていたようだが、見なかったことにしよう。
温かご飯に山葵醤油を付けたお肉を載せて食べるのだ! 些末なことなど気にはしないさ。
それぞれが料理やご飯を運んで、食堂へと赴く。
「旦那様の料理はいつも美味しそうだと、見ているだけで辛かったのですよ」
「なら、たくさん食べてくれよ。そんなに無いけどな」
「これはあたしには、真似できそうにないね」
俺はお茶碗を片手に臨戦態勢だ、刺身のように山葵を肉に載せ、醤油を付けてご飯に乗せ包むようにして食べる。
「あ~旨い!」
身を捩らせ、全身で旨さを表現する。
「旦那様、これをどうぞ」
ソフィーがビールの缶を差し出してきた。
「ビールだ! 久しぶりに見たな。ありがとう、ソフィー」
出来れば、ご飯を口にする前に出して欲しかったところだが、上出来だ。
どうやらビールは人数分どころか、結構な数があるようだ。でも、ちょっと温い。
「そっか、冷蔵庫が無いんだよな。俺は常温でもビール飲めるけど、お前たちは平気か?」
「私は平気ですよ、冷えていた方が美味しいのは確かですけどね」
お豊から返事は返ってこなかった、ビール自体初めてなのだろう。
「電気をなんとかしたいな」
「それなら、引いてしまえばどうですか?」
「常時展開の転移扉はセキュリティ上、やりたくないな。だから、太陽光発電をなんとか実用したいところだ」
一応、閉じた世界だからねココ。
「それなら、今度パネルを買い付けてきます」
「あれって結構高いはずだぞ?」
「大丈夫です、蓄えはたくさんありますから、安心してください」
マズイ、ヒモルートがまたしても再構築されそうだ。
「とりあえず、その話は置いておくとして食べようか?」
ソフィーはにっこりと笑い返してくれたが、俺は笑えない。
お豊はグラスに注いだビールに夢中で気付いてすらいない。
「奥様、このシュワシュワして苦いのは酒かい?」
「そうですよ」
風呂上がりの冷えたビールは最高なのだが、この話は危険なのでやめよう。
「野菜炒めも美味しいな」
彩りは悪いが、味は申し分ない。
「そうですか? ありがとうございます」
「旦那の料理、旨いね。これはいいよ」
お豊、ソフィーの炒め物も褒めるんだ! ほら、ガン見してるぞ。
険悪にならないように誤魔化しながら完食した。
彩りなんか考えるような育ちでは無さそうだし、仕方がないよね。
「旨かったな、それじゃあ片付けようか」
「旦那、それはあたしの仕事だよ。奥様と仲良くしておいでさ」
「あら気が利くじゃない、ありがとう豊」
お豊の台詞に乗っかったソフィーに腕を引かれて、連れ去られる。
部屋に向かう気満々なのだろう、あっという間にエレベーターホールだ。
笑顔が怖いソフィーに尋ねてみる。
「大丈夫か、酔っぱらった?」
「たったあれだけで酔ったりしませんよー」
言動が酔っぱらいにしか見えないんだけどな。しかも、ベタベタと引っ付いてくる。
どうしようか悩んでいる間に、部屋へと到着してしまった。
ソフィーは部屋へと着くなりベッドに寝転がり、トントンと自分の横を叩き俺を呼ぶ。
「旦那様、悩みでもあるのですか?」
見透かしたようなことを言うな、こいつは。
「悩みなんか、俺にあると思うか?」
「ここに来てください、次に何かあれば話してくださいと約束しましたよね?」
トントンと再びマットを叩くので、仕方なく横に寝転がる。
「別に悩んでいる訳じゃないさ」
分別を付けなくてはならないのだが、それが上手く出来ないだけだ。だから、落ち込んでいるだけ。
それにこれはお前には、決して話せないんだよ。
「本当ですか?」
「本当だよ、俺はお前に嘘はつかないよ」
黙っていることは、あるだろうけどな。
「それでは旦那様は嘘つきですね」
彼女は俺の右腕にしがみ付くと泣き始めた。
「泣くなよ、間違いなく嘘はついてないから」
彼女の涙は、心臓に悪い、胸が締め付けられるようだ。
運が良いのか悪いのか、今の俺は物理的接触ができる肉体がある。
すすり泣くソフィーの頭を撫でてやることは出来た、右腕が絡め取られているのでこれが限界だな。
夜は更けていく。
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