7-19:Regret, jealousy and repentanceー呪詛の果てにー

「こいつがいなくなったら、俺は魔力を維持出来ないぞ?」


 フィルの姉だったものは、未だに俺の体を薄い膜になって覆っている。

 この膜がなくなれば、俺はあっと言う間に魔力を根こそぎ奪われて、再びジュジが創った夢の中へ引きずり込まれかねない。

 夢の中に引きずり込まれなかったとしても、魔力が奪われた状態では暴れ狂っている狂獣鬼ゼン・ヘンを大人しくさせるのは難しくなる。 


「クフフ……言っただろう? 我は混ざり物の姫ジュジの守護者だと。これを飲め。そうすれば魔力を奪われなくなる」


 フィルを見ていた深い緑色の瞳がこちらを捕らえて瞳孔を縮める。唇の片側を上げてニヤリと笑うコイツを目にすると「こいつはジュジでは無い」と強烈な違和感が湧き上がってきて胸くそが悪くなる。

 守護者デウンが、頭から茨を一本切り取ってこちらへ伸ばしてきた。断面には、甘い香りを放つ薔薇色の滴が滲みだしている。


「……やるしかないってことか。クソガキ、魔力をよこせ」


 薔薇色の滴は煮詰めた砂糖水に似た味がした。喉に張り付くような甘さの滴を飲み込んだ俺を見て、守護者デウンは満足そうに目を細めて離れていく。


「よこせったってよぉ……どうすりゃいいんだよ。ちゃんと教えろクソ金髪」


「黙って腕を貸せ」


 フィルの腕を取ると、視界が僅かに歪む。粘獣ラクスがフィルへ戻っていったようだった。

 先ほど、膜に穴が空いたときに覚えた虚脱感はなかったところを見ると、先ほど飲んだ滴の効能は確かな物らしい。

 守護者デウンから施された茨の巨木ジュジの体液を飲み込んだことで異物では無いと判断されたということだろうか。詳しい仕組みは気になるが……今はそんなことよりも、ジュジを目覚めさせること

の方が重要だ。

 目を閉じて、フィルから魔力を得るイメージをする。ジュジ以外から魔力を融通されるなんて久し振りで感覚を忘れていた。

 アルカを数え切れない程殺してきた癖に、俺の頭はずいぶんと都合がいいらしい。

 神経を集中する。フィルの呻き声が聞こえるが、掴んでいる手に違和感は無い。声も弱々しいものではなく、張りがある。


「……こんなもんか」


 万全に近い状態になり、目を開く。

 多少顔色は悪いが、そこには目を閉じる前と変わらない姿のフィルが立っていて、内心ホッとしながら腕を放した。


「うええ……気持ち悪……。内臓が引きずり出されてかき混ぜられるみたいだ……」


「助かった。ありがとう」


 円を描くように腹をさすりながらべーっと舌を出したフィルに礼を言うと、頭から水をかけられた猫みたいな顔をして俺を見てくるのだから失礼なガキだ。


「ちゃんと倒して、ジュジと一緒に戻って来いよな。待ってるぞ」


 両腰に腕を当てたフィルの足下をツルが絡め取っていく。


「は? キモ! もっと丁寧に運べよ」


「では、お前を外に運んでやろう。なに、一瞬のことだ。我慢するのだな」


「クソが! 待て! バカ」


 悪態を吐くフィルを無視してあいつの体を覆ったツルの塊は、守護者デウンが指を弾くなりもの凄い速さでどこかへ運ばれていく。


「さてと、お前に姫を目覚めさせる資格があるか見せて貰うとしよう」


 腕組みをして、高い天井付近まで移動した守護者デウンがにたりと笑いながらそういうのを聞きながら、俺は狂獣鬼ゼン・ヘンが暴れている方へ体を向けた。

 絡み合って檻のようになっていた茨たちが解けていくのを知った狂獣鬼ゼン・ヘンが漆黒の瞳でこちらを再び見つめる。


「……お前の見た目がジュジに似ていなくてよかったよ」


 腕と足に炎を纏わせる。

 巨大な薔薇の木になったジュジの体内だが……燃える心配はないだろう。その証拠に、高い場所から俺を見下ろしている守護者デウンを見たが慌てる様子はない。

 頭を低く下げて、角をこちらへ向けた狂獣鬼ゼン・ヘンがこちらへ突進をしてくる。

 ギリギリまで引きつけてから垂直に飛んで突進を躱す。そのまま背中に着地をして背中を強く踏み抜いた。

 波紋のように炎の円が広がり、毛皮の表面を滑るように覆っていく。


「う゛う゛う゛う゛う゛う゛」


 食いしばった牙の隙間から苦悶の声を漏らす。黒く濡れた鼻先から濁った色の煙を吐いた狂獣鬼ゼン・ヘンが体を左右に捩り、俺を背中から振り下ろそうともがく。

 紛い物とはいえ、守護者デウンが手を焼くことはある。体は燃えているが、致命傷には至っていないようだ。


「凍てつく氷棘、乙女の息吹、縫い付けるは悪鬼の鼓動」


 ジュジもセルセラも、寒い物は苦手だったよな……。炎狼俺の父の力を取り入れたとしても、そういう本質は変わらないはずだ。

 どこからか現れた氷で出来た体の妖精が、俺の体に纏わり付いて楽しげに笑う。

 数人の氷を司る妖精達が体に纏わせた薄青色の羽衣を靡かせて狂獣鬼ゼン・ヘンの体に突撃していく。妖精達が一斉に吐息を吐くと、つららのような氷の槍が何本も狂獣鬼ゼン・ヘンへ放たれた。

 雄叫びを上げ、角を振りかざしながら氷の妖精達に突進した狂獣鬼ゼン・ヘンは、氷の槍で貫かれて血まみれになりながらも妖精達へ向かって大きな角を奮う。

 不快そうに顔をしかめた妖精達は煙のように姿を消し、地鳴りのように低く唸る狂獣鬼ゼン・ヘンが漆黒の瞳でこちらを睨み付けた。

 冬を告げる女王の乗り物、鷹馴鹿リュトーンとしての性質も受け継いでいるからか、氷の攻撃も思ったほどの効果は無いようだ。


「う゛う゛う゛……たのにう゛う゛て……う゛う゛、う゛う゛う゛う゛」


 狂獣鬼ゼン・ヘンの口から出る言葉に呪詛が紛れ込む。耳を貸してはいけない。そう思ってはいるものの、こいつがジュジから生まれたものだという事実がそれを拒む。

 耳から体の内側にじわじわと呪いが入り込んでくるような気持ちになる中、こちらへ突進してくる狂獣鬼ゼン・ヘンと向かい合った。


「腕力で戦うのは得意じゃあないんだが」


 舌打ちを数回。簡略化をした詠唱で強化している身体能力を更に高める。

 進む速度を落とさないままこちらへ突っ込んできた狂獣鬼ゼン・ヘンを横に転がって避けた俺は、腰に括り付けている鶴革の袋コルボルドから祝福された癒瘡木リグナムバイタを取りだした。

 赤褐色のよく磨かれた刀身には、暗褐色の美しい縞模様が浮かび上がっている。この木剣は、魔力を帯びた存在を斬ることに特化した魔剣だ。

 攻撃を避けられた狂獣鬼ゼン・ヘンは、雄叫びをあげながら地面へ角を当て、無理矢理自分の体を止めた。

 角を引き抜くのと同時に、割れた地面が即座に修復される。こちらを向き直った猛り狂う獣は勢いに任せるように、俺に頭を振り下ろした。

 体を捩って、角にぶつけるようにして思いきり剣を振り抜くと鈍くて重い音が響く。

 魔法で強化した腕が痺れるほどの衝撃。踏みとどまるために力んだ両足がミシミシと音を立てながら木で出来た地面へ沈んでいく。


「っ……」


 角に祝福された癒瘡木リグナムバイタの刃が食い込んでいく。もう少しで切り落とせる……と力を更に込めた瞬間、狂獣鬼ゼン・ヘンの両前脚が俺の胴体を掴んだ。

 真っ黒な爪が腹を突き破り、込められた力で肋骨が何本かへし折れる音がする。

 痛みは魔法でごまかせても、骨が刺さった内臓から逆流してくる血は止められない。

 口から流れる血を放置して、俺は返す手で狂獣鬼ゼン・ヘンの首を切り落とした。


「もっと私が強ければ」「あの人には勝てない」「私も傷付けば彼の心に」「負担になりたくない」「あの時私が死んでいれば」「壊れれば私も忘れられないかな」「もっと昔に出会えていれば」「セルセラみたいになれない」「あの人を想っているから消えない」「呪われれば私も彼と同じになれるのかな」「わたしは」「あの人が」「カティーア」「約束」


 噴きだしてきた血と共にジュジの声が頭に直接流れ込んでくる。これは彼女の中に留まっている呪詛。嫉妬。負の感情。

 強烈な呪いを浴びせられ、体が動かなくなる。ぞわぞわとした感覚と共に獣の呪いは俺の左腕を全て覆った。狂獣鬼ゼン・ヘンの爪が食い込んだ傷痕からは茨のツルが生え始めて俺の体内に根を張ろうとして

いる。


「今は……眠っていてくれ」


 首だけになった狂獣鬼ゼン・ヘンが、俺を恨めしそうに睨んで呻いた。漆黒の瞳の中に悲しげな光が宿ったのを無視して、俺は眉間に深く祝福された癒瘡木リグナムバイタ突き刺す。


う゛う゛う゛う゛……と……うありがとう


 ジュジの声に似た断末魔をあげながら、狂獣鬼ゼン・ヘンだったものは濁った水音を立てながら崩れ落ち、地面に溶けるように消えていった。

 後味が悪い戦いだ。クソ。

 剣を杖のようにしながら、その場に膝を着く。

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