7-10:Both Feelingsーお互いの気持ちー
「魔法院の役に立っているようじゃねーか。関心関心」
冗談めかすような調子で、そう言ったカティーアはなんでもないような顔をしながら、私の隣に腰掛ける。
「……それを知ってるのは、俺とあの人だけのはずだ」
そして、鋭い視線で訝しむように自分を見ているセーロスの顔からは目を逸らさないまま、握りしめている私の手に、彼は自分の手を重ねてくれた。
「英雄になる者は過去の英雄の記録を全て
フッと笑いながらカティーアが告げると、訝しげに眉を顰めていたセーロスの表情が僅かに和らぐ。
秘密がばれてしまいそうなやりとりにどきどきしてしまった私は、思わず空いている方の手で胸を軽く押さえた。
私のせいかもしれないのに、私にはどうしようもない状態がもどかしくて、二人を交互に見つめながら唇を噛みしめる。
ただでさえカティーアに頼りっぱなしなのに、私のミスで彼の負担が更に増えるのがとても嫌だった。
もっと私が色々知っていれば……もっと彼と対等になれていれば……彼ともっと長い時を一緒に過ごせていて色々経験できていたら……そんな叶うはずもないたらればがぐるぐると頭の中を巡っていく。
「大丈夫だ」
ふわりと髪を撫でられてから、そっと唇を人差し指で拭うように触れられる。
「あれ……手袋」
いつもは獣の呪いに蝕まれているはずの左手は、普通の手のように見えたけれど、触れると明らかに人の肌ではない手触りがする。
ふと口を開くために、視線を上げるとカティーアが少しだけ悲しげな顔をしているのが目に入った。
それから、唇から離れた彼の指が、薄らと赤く染まっていることに気が付く。
「ん、気にするな」
もう一度髪を撫でてくれた彼は、外した黒い手袋を付け直しながら、セーロスの方へ視線を戻した。
その時になってようやく、彼が指で拭ってくれたのは、自分の唇から僅かに滲んでいた血だと気がついて、ますます申し訳なくなる。
「……彼女は」
「俺の大切な存在だ。記憶を
心配そうな声色で、私の処遇を聞いたセーロスに対して、カティーアは私の肩を抱き寄せながらそう言った。
どう応えればいいのかわからなくて、黙ったまま頷くと彼は言葉を更に続ける。
「英雄を精神的に支える存在は、俺とヘニオ様とこいつしか知らないんだが……まあ、あんなガキの時にした約束をバカ正直に守ってここまで出世したたあんたのことだからな」
肩を抱いているカティーアの手に少しだけ力がこもったのがわかる。でも、彼がどんな気持ちなのかは全然わからない。
もっとうまく、色々なことが出来ていればよかったのにという後悔がじわりじわりと胸の奥に広がっていく。
「機密保持のために記憶を
カティーアがすらすらとそれっぽいことを話してくれている。
セーロスも多分……完全にじゃないけど納得してくれると思う。
だから、きっとここは、彼に話を合わせて明るく振る舞うべきだって、頭ではわかってる。
でも、込み上げてくる情けない気持ちと共に、鼻の奥がツンとした。懸命に耐えようとするけれど、涙は止まってくれなくて、ついに一筋、自分の涙が頬を流れたのがわかった。
「……ごめんなさい」
「
カティーアを困らせてしまっている。彼の優しくて柔らかい声色が、今は少し辛かった。
セーロスはずっと黙ったままだ。どんな表情を浮かべているのか見るのが怖い。
英雄カティーアの近くにいたのに、彼を知らない振りをしていた私を、彼は嘘つきだと軽蔑しただろうか。
「ジュジ」
セーロスの声を聞いて体が竦む。
「隠し事をしてしまっていて……ごめんなさい」
「職務を遂行する上で機密事項を守ることは正しい。君が謝ることでは無い」
咄嗟に発してしまった謝罪の言葉に、彼は首を横に振ってそう言ってくれた。そして、ふっと目を細めて柔らかく微笑むと、まっすぐにこちらを見て言葉を続ける。
「君が英雄と関わる者ならば、こちらの機密事項を気にせずに、先代と同行した時の話を出来るな」
言葉を選ぶように、ゆっくりと話すセーロスの声色はとてもやわらかい。
最初に、ジェミト達の故郷で出会った時とは別人みたい。
「任務の報告以外で英雄について語らえる相手は……そうだな、とても少ない。だから」
何も言えずに、彼を見つめ返すことしか出来なかった。そんな私を気にした様子もなく、セーロスは少し考えるように顎をさすったあとに、そっとこちらへ腕を差し出してきた。
「君と出会えたことも、君と秘匿を共有できることも、
差し出された手を握り返す。彼の手はとても温かかった。
それからスッと私から手を離したセーロスは、私の隣に座っているカティーアへまっすぐに視線を向ける。
「記憶消去の措置を行わないことに感謝する。おそらく……貴方の判断なのだろう」
返事をする代わりに、カティーアは「ふ」と短く笑って、肩を竦めた。
それを見て、セーロスは深く息を吸い込んで一度瞼を閉じる。さらりと新雪のようにきれいな白い髪が僅かに揺れた。
深く吸った息をゆっくりと吐き終えたセーロスが、徐々に目を開いて、紅い瞳でカティーアをじっと見つめる。
「セーロス・フィゲロア・クルスは英雄カティーア、貴方の剣となることを誓う」
流れるような動作で右手を左胸に手を当てたセーロスは、そのままの姿勢で深く頭だけ下げた。
それを見たカティーアは、眉を寄せて、少し不機嫌そうに目を細めるとゆらりと立ち上がる。
「……断ってもあんたは俺の
彼の肩を、右腕で左、右と一回ずつ叩き、それからサラサラとした白い髪にカティーアが触れる。
カティーアの手が髪から離れると同時に、顔を上げたセーロスは両手を尖塔の形に合わせて唇に押し付けた。
確か……昔本で読んだ覚えがある。これは、騎士が英雄カティーアに忠誠を誓う儀式だ。
新たな英雄カティーアが就任するときにだけ見られるはずの儀式を目の当たりにしたことに驚きながらも、少しだけ心が躍ってしまう。
落ち込んでいたはずなのに……と自分の単純さに内心苦笑しながら、私はカティーアとセーロスから目が離せないまま息を呑む。
「英雄カティーアは、
両手を降ろしたセーロスが、カティーアへ真っ直ぐな視線を向けながらそう言った。
カティーアは、そんな彼の言葉を聞いて、なんだか気難しそうな表情を浮かべている。
「……俺は、お前のそういうところが苦手だよ。英雄って言えば聞こえはいいが、やってることはあんたと変わりない。
「……そうかもしれない。だが、
「は?」
「
「……あんたが
少しだけ砕けた口調でそう述べるカティーアに対して、セーロスはお腹の上で指を組んで目を伏せた。
「彼女と話していると日だまりの中にいるような温かさを感じる。初めて得たその感覚を失ってしまうかもしれないと考えたとき、自分が任務半ばで命を落とすことよりも嫌だと感じた」
目を伏せて話すセーロスの言葉を聞いて、カティーアの丸みを帯びていた瞳孔が針の様に細くなる。
驚いた時のように口をあんぐりと開いけていたカティーアがこちらを見た。 私と目が合った彼はハッとしたように口を閉じて、小さく咳払いをしてからセーロスへ視線を戻す。
「まあ、良い友人に恵まれるのは悪いことじゃない。これからも良くしてやってくれ」
「ああ、彼女はとても良い友人だ。これからもよろしく頼む」
急に彼がこちらを見て微笑んだので、私は少し驚いて、それから、彼も私を友人だと思っていたことにホッとした。
「こ、こちらこそよろしくお願いします」
慌てて頭を下げて、返事をすると、口元を抑えながらセーロスが顔を逸らして「ククク」と笑う。でもすぐに胸元を押さえた彼が、唇を引きつらせて苦悶の声を漏らした。
「すまない、君を見ていたら
「マルテース……ですか?」
「体の細長い肉食の獣のことだ。家の庭でよく見かけるのだが、君の目元やしなやかな体がとても似ている」
「……ああ、確かに」
マルテースという獣が何かわからないけれど、カティーアが小さな声でそう呟いたのが聞こえた。
どういうことなのか二人に聞こうと思ったけれど、カティーアが私の肩に手を置いて話し始めた。
「さあ、そろそろ俺たちも帰ろう」
「はい。あの、お大事に……」
あまり長くいて騒いでいては、確かに傷に障ってしまう。
後で覚えていたらどんな獣なのか聞こう……と思いながら、私は腰を上げて部屋から出ようとするカティーアの後を追うためにセーロスに背中を向けた。
「……ジュジ」
名前を呼ばれて、振り返った。
セーロスは、腕を伸ばしたまま目を丸くして、驚いたような表情を浮かべている。
少しだけ間が空いて、彼はなんでもなかったみたいにキルト製の毛布の中へ腕をしまいこんだ。
「友人と英雄に見舞ってもらったんだ。こんな傷、すぐに治してみせる」
「はい。お大事にしてくださいね」
そう彼に伝えて、彼に背を向けた。
扉の横で、なんだか複雑そうな表情を浮かべているカティーアが「じゃあな」と告げて私の腰に腕を回した。
私たちは、そのまま二人でセーロスの部屋を後にした。
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