7-8:The depths of memoryー見たことがある景色ー

「それでは君が」


「早く」


 先ほどまで、怯えているだけのように思えた彼女の瞳に、力強い光が灯る。

 何も言い返せないまま、ジュジの腕から手を離したオレはタイミヤの方へ目を向けた。


「セーロス先生、助かりました……」


 何やら複雑な円を組み合わせた図に手を翳しながら、タイミヤが頭を下げる。

 魔術や錬金術への知識がないオレの判断よりも、彼女たちの言うとおりにした方がいいだろうと判断して、生徒達を部屋の外へ誘導していく。

 教室内にいた全ての生徒達は、ざわめきながらも避難することが出来たが、教室から流れ出ている冷たい空気の勢いは増していく一方だ。


「治癒の軟膏に使う材料に何故か魔石が紛れていて……それでジュジ先生が咄嗟に気が付いてくれて、こうして抑えているのだけれど」


 薄氷にヒビが入るような音が聞こえて、タイミヤの表情が引きつる。

 苦しげに喘ぐタイミヤを見たジュジが、下唇を噛みしめながら険しい表情になった。

 光を強めた魔石は、二人が押さえつけている蓋を少しずつ持ち上げているのが目に入り、何が出来るかわからなかったが、彼女を手助けしたくて思わず腕を伸ばそうとした。


「タイミヤ先生、教室の外に結界を……」


 オレが蓋に手を伸ばすよりも速く、ジュジは蓋から手を離し、タイミヤの両肩に手を当てた。

 軽く押したように見えたが、タイミヤは目を見開いたまま教室の扉から外へ出されて尻餅を着いた。

 重々しい音と共に両開きの扉は閉まり、吹雪を思わせるような氷の粒を纏った風が部屋に立ち籠め始める。


「これは」


「魔石に封じられていた……善き隣人妖精といったところでしょうか」


 確かに、魔物とは違う気配だ。しかしという言葉とは裏腹に、目の前に現れた氷像のような子供は冷たい視線をこちらへ向けてくる。


「魔物ではない、のか」


「はい。恐らく、魔石に封じられていた隣人妖精が魔力にあてられて目覚めてしまったのでしょう……」


 吐く息が白い。氷の牢獄ケトム・ショーラへ任務に赴いたことを思い出す。

 夜襲をしたところまでは覚えているが、不思議なことにところどころ記憶が無い。オレは元々、大英雄カティーア以外の事象には関心が薄い方だったが、氷の牢獄ケトム・ショーラでの任務に関しては記憶にない部分が多すぎる。

 それに、あの時共にいた部下たちのほとんどは死に、数少ない生き残りも前戦を退いて今は後方支援部隊へ配属されたらしい。


「ぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ」


 異形の子供が、耳まで裂けた大きな口を開いてけたたましい笑い声をあげているのを聞いて、考えを切り替える。 

 今は感傷に浸るべき時ではない。

 怯えているかと心配して隣を見ると、ジュジは臆した様子も見せずに両手の拳を握りしめて、異形の子供と向き合うように立っていた。

 剣を抜いて、オレはジュジの前に立つ。


「魔物ではないと、倒せませんか?」


「そういうわけでは、ない」


 やけに肝が据わっている。ジュジは、ただの研究者だと思っていたが……。


「よかった」


 へらりと力の抜けたような微笑みを浮かべたジュジが「来ますよ」と告げる。それと同時にゲラゲラと笑う子供の口から氷の粒が勢いよく飛んできた。

 この程度、剣でたたき落とせるが……先日無理をして傷口が開いたことを思い出す。

 今のオレでも数度の攻撃なら耐えられるが……彼女を守れるかどうか……。

 

 四方から向かってくる氷の礫を叩き落として背後にいるジュジの無事を確かめようと視線を向ける。しかし、その場から彼女の姿は消えていた。


「ジュジ……?」


 攻撃は、ジュジを攫うためのデコイだったか?

 焦りが手元を狂わせる。すぐに真正面で来た雪の礫が頬を掠めるのも無視して、中心に子供がいることを確認しながら部屋中を見回した。


 不気味な笑い声を響かせながら、異形の子供は、氷の礫をこちらへ吐き出すために口をめいいっぱい開いた。その瞬間、ガタリと音がして椅子を大きく振りかぶる人影が子供の背後に現れる。


「……クソ」


 思わず悪態が口を突いて出る。戦士であるオレが、しなければならないことだ。

 動揺して学院カレッジへ現れた脅威の殲滅を第一に考えないなんて、オレらしくない。

 いつものオレならば、彼女を囮に使い、自分が攻撃に回るくらいのことを提案できるはずだというのに。


 ジュジが振り上げた木製の椅子が、異形の子供の頭にめり込む。一瞬だけ動きを止めた子供が、ジュジの方を振り返る。

 剣は届かない。

 一歩踏み出そうとして、ぐらりとめまいがする。開いた傷口が燃えるように痛む。


 口を開けたままの異形の子供が腕を伸ばしてきた。痛みのせいで反応が僅かに遅れる。

 ジュジの前に体を滑りこませたはずだが、腕はオレの体をうまく避けて、背後へ抜けた。

 剣で切り落とそうとするが、鈍い音がして刃が弾かれる。

 舌打ちをしている間に、複雑な絵柄が描かれた羊皮紙を懐から取り出そうとしているジュジの肩がローブ越しに掴まれた。


「――っ!」


 悲鳴を上げまいと唇を固く閉じたジュジは、ローブが破けることを気にする様子もなく異形の子供に一歩踏み込む。

 懐から取りだした羊皮紙を押し付けようと、彼女は鋭い爪が肩に食い込むのも構わずに異形の子供に対して腕を伸ばした。

 腕を切り落とすのは諦めて、ジュジが目的を果たせるように敵の隙を作るべきだったか。

 焦りながら、オレは剣を構え直して、左右に大きく揺れる体の割に大きな頭に狙いを定めた。


「……俺の宝物はずいぶんと無茶をしてくれる」


 聞き覚えのある声がどこからか響いてくる。

 青と黄色と紫のステンドグラスが嵌められている窓が勢いよく割れて、黒いローブを纏った男が飛び込んできた。

 熱風が部屋を撫でるように吹き込んでくると、壁や床に根を張っていた霜柱と氷の膜が一瞬で溶けて水になる。


 フードを目深く被っている男の顔は良く見えないが、その動きは何故かよく知っているように思えた。

 目を離した隙に、男は異形の子供に肩を掴まれていたジュジを抱えている。

 男は、ジュジが持っていた羊皮紙を取り上げると、化け物の額にそれを難なく叩き付けた。

 紙に描かれていた青白い光の網が広がって異形の子供を捕縛していく。

 蟇蛙を勢いよく潰したような声を出して地団駄を踏む子供を見て、芝居がかった仕草で肩を竦めた男は、こちらへ近付いて来てジュジを床へ下ろした。


「……よぉ、ガキ。歩けるな? 走れ」


 血のように赤い瞳が、こちらを見ていることはわかるが、光の加減のせいなのか、顔は良く見えない。

 ジュジの背中を押したそいつは、激しくわめき立てている子供に向かって両手を広げながら向かい合った。

 冷たい風が轟音と共に放たれたが、それは目の前にいる男が手から発した真紅の魔法陣で遮られている。


「セーロス」


 名前をジュジに呼ばれて我に返る。

 なんだろう。この景色は見たことがある。

 しかし、今はそれを考える時ではないのだろう。ジュジの体を抱え上げると「こっちだ」と男が指で自分が入ってきた窓の方を指し示した。

 ここは二階だ。飛び降りても死にはしないだろうが……傷口が開いているオレにどこまで出来るかはわからない。


「私なら、大丈夫です」


「ならば……最善を尽くそう」


 背後で大きな音が響く。走り出す時にちらりと背中越しに室内へ視線を向けると、拳に炎を纏わせた男が、まるで踊るように戦っていた。

 抱きかかえているジュジを落としたりしないように腕に力を入れる。か細い指でオレの胸元をぎゅっと掴んだ彼女は、下唇を噛みしめながら戦っている男から目を離さないでいる。

 足に力を込めて、冷気がまだ残る床を蹴った。そのまま人二人は余裕で通れそうな穴から青い空が見えているバルコニーの方へ向かう。


「ジュジ! こっちだ」


 バルコニーから飛び出すと、よく通る低い声が耳に入る。下を見ると、大きな布を広げて待っている職員たちがいた。

 その中の一人……薄い菫色の髪と、ジュジと似た色の肌をした体格の良い男がこちらに向かって声を張り上げている。

 じわりとローブから染み出した血が、彼女の肌や、淡い色のブラウスを赤く汚していくのを見て、自分の傷口が思っているよりも開いていることを自覚してしまう。

 落ちても死にはしないだろう。そう気を緩めた瞬間に胸元の痛みが鋭さを増した。


「すまない。君の服をオレの血で汚してしまったな」


 自分の体が下になるように腕に力を入れながら、彼女の顔を見る。

 首を横に振ったジュジが何か言葉を発したようだったが、背中をしたたかに打ち付けた。

 オレの耳には、彼女の口から出た小鳥の囀りのような可憐な音は届いたが、なんと言っているかまでは聞き取れなかった。

 治癒師殿には、また手間をかけさせてしまうな……。それに、ジュジの服を汚してしまった。どう詫びれば良いだろうか。

 そんなことを思いながらオレは、ざわめきや悲鳴を耳にしながら意識を手放した。

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