5-28 :End Is Nearー終わりが近付いてくるー

「さあ、ひとまず帰って休もうか」


 カティーアが、私の肩から手を離して上を向いた。

 掲げた左手に旋風つむじかぜまとわり付き、辺りを飛んでいる妖精たちが一斉に彼の指先を目指す。


 花びらの竜巻が足下からせり上がってくる。

 登り始めた朝日が、足下に広がる森の木々に付いた夜露を照らしてキラキラと輝いているのが見える。


 周りが花に覆われて見えなくなったと思ったら、いきなり目の前に魔法院の中庭が現れて少しだけ混乱する。


「な、なんですか今の?」


「ちょっとした気分転換だ。気に入ったか?」


 いつのまにかフードを目深めに被っていたカティーアは、悪戯が成功した子供みたいに無邪気に笑うと、私の顔を覗き込んだ。

 でも、やっぱり彼は私を下ろしてくれるつもりはないみたい。小さな子供みたいに抱えられながら、部屋まで運ばれる。

 すれ違った人達に驚かれながら、やっと部屋にたどり着いた私の足は、ゆっくりと床に下ろされた。


 さっきまで平気だったはずなのに、部屋に着いた途端、身体が急に重くなった。やっとの思いで辿り着いた寝具の上にから動きたくなくなってしまう。

 まるで鉄の鎧を着ているみたいな疲労感がじわーっと身体中に広がっていく。

 生きた樹木トレントを呼び出した直後みたい。私は、そのまま寝具の上に両手を広げて仰向けになる。


「……また明日からしばらく忙しい。しっかりとおやすみ」


 優しく髪を梳かれて、やけにふわふわした羽毛入りの毛布をかけられる。まだ眠りたくないのに、瞼はどんどん重くなって開いているのもつらくなる。

 彼の細くて綺麗な指が、私の髪を優しく撫でるのが心地良い。

 このまま、私は微睡みに身を任せた。


 カティーアの言ったとおり、朝目を覚ましてからは目が回るくらい忙しかった。

 それでも、女神レスカテとイガーサさんと会った日みたいな、恐ろしい程の疲労は襲ってこない。

 あの日は無自覚だっただけで相当疲れていたし、どうやら魔力も相当消耗していたみたい。

 この世界では魔素が濃い。だから、元の世界だったら一週間は調子が悪いような魔力不足の状況もしっかり睡眠と食事をとれば半日くらいで感じなくなる。今はその環境に心から感謝してる。


 ここ数日は毎日、転移に使う魔法陣に何回も魔力を注いだ。それに、今日は魔法院が派遣した兵士たちのお手伝いをして、東の大陸北にある防衛地点のアルパガス兵を撤退させた。

 それから、休む間もなく西の大陸へ飛んで、領主から頼まれた狩りの仕事へ赴く。

 いくつかの集落が点在している森一帯に危険な魔獣の群れがいるらしい。カティーアと巨大な牛くらいある蜘蛛の魔獣を狩猟し終えた時には、もう夜になっていた。

 巨大な蜘蛛の群れもカティーアがいればそんなに苦労する仕事ではないので半分休日みたいなものだと彼は言っていたけれど。


「さて、これで終わりだ」


 カティーアが拳をめり込ませると、最後の蜘蛛が燃えながら地面に腹部を付けて動かなくなった。

 少し遠くでそれを見ている私の隣では、森の赤毛小人フェノゼリーが武器の手入れに精を出している。

 断ち斬り用の広刃を持つ、華美な装飾をされた剣と、シンプルな作りのショートソードを手にした森の赤毛小人フェノゼリーは、ピョンっと飛び跳ねるようにして戻った彼を出迎えた。


「ニンゲン、剣を水棲馬ケルピーの尾で磨いて銀橄欖銀色オリーブの油塗ったぞ!」


「ご苦労さん」


 森の赤毛小人フェノゼリーは、彼が持ってきた巨大蜘蛛の牙を一対貰うと上機嫌で森の奥へと消えていく。


「あ、行っちゃった……」


 カティーアは、森の赤毛小人フェノゼリーから受け取った広刃の剣を、美しい彫刻と金の装飾に彩られた鞘に収めると鶴革の袋コルボルドに入れた。

 それから、ショートソードを腰のベルトにぶら下げる。


「この頃はそこら中に妖精や小人がいたんだ。今だと小人どもは洞窟や妖精の国に引きこもっちまって森や人里近くでは出会えないが……気分を害さなきゃ親切なもんだぜ?」


 立ち上がろうとする私に手を貸しながら、カティーアは、辺りで楽しそうに歌っている妖精たちを見て懐かしそうに言った。


「……こうやって、ヒト族以外の助けをもっと借りられてれば旅も楽だったんだろうな」


 後悔みたいなものを、彼の口から聞くのは珍しい。

 なんとなく、先日見た昔の彼を思い出す。艶のないパサパサの髪と少しくすんだように見える肌、そして折れてしまいそうなほど細い華奢な手首……。

 神経質そうにつり上がった目の下には濃い隈が刻まれていて、魔力も休養も足りていないことがわかる。

 出会った頃のカティーアは、どちらかというとへらへらしているというか、不自然ではあったけれど……。


 チカチカと魔石が緑色に光った。彼は、腰にぶら下げていた魔石を手に取って、口元に近付ける。


 短く「了解」と答えたカティーアは、真紅のフードを被り直すと私に手を差し伸べた。


「魔法院へ戻って、プネブマと話をして終わりだ」


「プネブマさんと会うの……気が重いですね」


「まぁ、そろそろ仕事も終わるさ」


 溜息を吐く私を元気付けるように、カティーアは明るく笑ってくれる。彼は、私よりつらいはずなのに。

 終わりが近づいているということは、イガーサさんが死ぬってことだから。

 どうするのが正しいことなのかわからないまま、私はカティーアの手を取って転移に備えて目を閉じた。

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