Juiji
5-23:Work In a Hurryー慌ただしい日々ー
「さすが
転移用の魔法陣を稼働させ、その後ホムンクルスの培養器に魔力を注ぎ終えた私は、カティーアと一息をつきながら額の汗を拭う。
これも、元の世界に戻るためにも必要なことだから、がんばれる。
転移用の魔法陣を稼働させるための魔力供給は、たった一度するだけでも、非常に疲れる。
「すごく魔力を持って行かれている感じはするのに、あの時ほど大変なことにならないのが不思議です」
その代わり、お腹はペコペコになるし、寝転がって丸くなりたくなる。
一応、魔法院の偉い人――プネブマさんもそれはわかっているみたいで、今日はもうゆっくりしていいと言ってくれていた。
「この時代は魔素が濃い。ゆっくり眠っただけでも使った分の魔力がすぐに回復するのは助かるな」
ぐーっと伸びをして窓辺に立つカティーアは、私を見て目を細める。金色の髪が陽の光に照らされて透けている。なんとなく、いつもより艶がある気がする彼の髪がとても綺麗で、つい見とれてしまう。
「なんだか食べて寝ただけですごく元気。ここまで元気になるのも、魔素が濃いせいなんですか?」
古代……という感覚でいいのだろうか。まだアルパガスがこの世界を蹂躙しているこの時代は、旧き神が、人と離れるようになってからまだ日が浅いという。
私は、旧き神についてもよくわからない。だけど、そんなことが本に書いてあるのは読んだことがあるので、とりあえず口にしてみる。
「漂っている魔素が濃いのもあるが、実はこの時代の調理法と食器が関係している。炎の魔石を使って肉を焼くし、魔素を十分に吸って育った野菜を使っているからな。それに、食器にも調理具にも魔石が練り込まれたものが多い」
「もしかして、今でも魔法院ではそんな手間がかかった料理を出してるんですか?」
「いや……ここまで上質な魔石も、魔石入りの食器も、今では滅多に見ない。でも、この時代なら、少し栄えた都市部に行けば、魔法の使えない貴族共も似たようなモノを使ってるぞ」
話をしながら、カティーアは寝る為に身に付けていたゆったりとした絹のガウンを脱いだ。
窓辺を向きながら彼が黒いサーコートを身につけている間に、私も
華やかな橙色の上着は、腰の部分を革紐で結び、
最後に編み上げブーツの紐をしっかりと締め直す。
カティーアも、彼の瞳と同じ深紅のローブをちょうど着終わっていた。
「紐を締め直して貰っていいか?」
彼に頼まれごとをすると、なんとなくうれしくなる。
私は、カティーアの腰から背中にかけて、ゆるく編み上げられている紐を締め直しながら、気になっていることを聞いてみることにした。
「この時代、ヒト族の大半は魔法を使えないんですよね?」
魔法を使ったり、
でも、この時代の人間は、魔素を口から摂取する必要はないはずだ。
「ああ。この時代、ヒト族で魔法を使えるのは、二人だけだ」
窓に嵌められた薄く透明なガラスに、カティーアは人差し指でそっと触れた。
まるで、ガラスの感触を懐かしむようにゆっくりと指を滑らせて、外を眺める。
ここは不思議な場所だった。昔のはずなのに、今よりも便利なことがたくさんある。透明でここまで薄いガラスの窓も、魔石を使った道具の数々も見たことがなかった。
これが、セルセラの記憶にあったカティーアが見ていた世界なんだって感動してしまう。
でも、寂しげな表情を浮かべたカティーアを見て、少しだけ胸が痛む。
私だって、今は魔法を使える。それに、元の時代では魔法を使えるヒト族だって、珍しいけどいないわけじゃない。魔法を使えるのは一人だけじゃないのに、こんな顔をするのは、多分イガーサさんのことを考えているからだってすぐわかる。
「イガーサさんに、逢いたいですか?」
思わず、カティーアの袖をそっと掴む。
「逢いたくないわけじゃない。でも、俺はお前がいてくれればそれでいい」
優しいけれど、少しだけ寂しげな笑顔だった。
彼の長くて綺麗な指が、ゆっくりと近づいてきて頬に触れる。そのまま目を閉じると、彼の薄くて形の整った唇が、私の唇にそっと重なる。
すぐに顔を離して、お互いに見つめ合っていると、扉を遠慮がちにノックする音が響いた。
一応「正体を隠した方がいいだろう」とプネブマさんが言っていたことを守るために、カティーアはフードを目深に被ってから扉を開く。
白銀の鎧を身につけた兵士がカティーアを見て敬礼をした。
「赤の魔法使い殿、プネブマ様がお呼びです。応接間までお越しください」
プネブマさんが急遽用意した仮の名で彼が呼ばれる。
頷いたカティーアは、扉から一歩外へ出る。そして、くるりと踵に重心を預けるようにして、体ごとこちらを振り向いた。
「では、お姫様、俺と一緒に参りましょう」
わざとらしくお辞儀をゆっくりとした彼が、恭しく右手を差し出してくる。私は、くすぐったいような気持ちになりながら彼の手を取って、一緒に長い廊下を歩く。床も天井も壁も鏡みたいに綺麗に磨かれて真っ白。
慣れない場所だけど、ここが魔法院だと思うと、何度歩いても少し緊張してしまう。
カティーアは、青い塗料が塗られている両開きの扉の前で立ち止まった。魔石を砕いた塗料が使われているらしくて、扉の表面はキラキラと妖精が飛び交う夜空みたいに不思議な輝きを放っている。
扉の両隣には、部屋の警備をする兵士たちが立っている。
彼らは、私たちを見ると一礼をして、二人がかりで両開きの扉を片方ずつ開いた。
「日々の功労、とても感謝しています」
凜としたプネブマさんの声で出迎えられる。
長く尖った耳の下で括られたガラスみたいに綺麗で透き通るような銀色の髪、額から生えた半透明の一本角は以前出会った鬼族――ランセのものよりもずっと長い。
冬の空を閉じ込めたみたいな彼女の灰色の瞳は、落ち着いた静かな光を湛えている。
「この前
「カティーアと同一人物とはいえ、あなたは別個体。作戦と関係ない話を部外者にするわけにはいかないわ」
部屋に来て長椅子に座るなり、カティーアはフードを脱いで口の片側を持ち上げ笑みを浮かべる。
不敵な笑みを浮かべる彼の言葉に、プネブマさんは表情をピクリとも動かさず、事務的に応対するに留めたみたいだった。
自分の挑発に相手が乗ってこないことがわかると、カティーアはつまらなそうな表情を隠すこともせずに、長椅子の背もたれに背中を預けて仰反るような姿勢になる。
「で、部外者の俺たちに何の用事だ?」
大きく身体を伸ばしながら欠伸をする彼を見ても、プネブマさんの表情は変わらない。
「新たな魔力補給手段の輸送をお願いしたいの。この状況よ。試作品とはいえ、ないよりはマシな状況だわ」
私たちが入ってきた扉から対角の位置にある扉が開かれた。
部屋の奥から出てきたのは、木の板に乗せられた四角形の物体だ。それを、ホムンクルスが二人がかりでゆっくりと運んでくる。
厚手の布をかけて目隠しをされたそれは、長机の上に丁重に置かれた。
大きさの割に軽い音がして、すぐにカティーアの表情が曇る。だから、これがなんなのか、私にも察することができてしまう。
「……あなたなら、これはなんなのかわかるわね」
加工をされた
少しだけ苦しくなって、思わず服の上から胸を押さえた。
身体を僅かに前倒した私の肩に、カティーアの腕がそっと回される。
ギュッと肩を抱かれながら私は、目を閉じて早くなった呼吸を整えようと、息を大きく吸い込んだ。
「転移魔法で送りたいところだけど、これがヘニオとカティーア以外に知られるわけにはいかないの」
プネブマさんの表情は、相変わらず無表情のままだ。私のことを見ないまま、彼女は話を続ける。
私が落ち着いたのを感じ取ってくれた彼は、肩から手を離すと、頭の後ろに手を組んで上体を少し反らした。それから、プネブマさんの話を鼻で笑う。
「離れた街に転移してから、ヘニオのところまで俺たちが輸送しろってか?俺は、自分と会ったら消滅しちまうんだぜ?」
大袈裟に溜息を吐いて見せたカティーアの前に、プネブマさんは小指ほどの大きさの瓶を静かに置いた。
瓶の中は、金色に光るドロッとした液体で満たされている。
「いざというときのための変異薬よ。これを届けてくれるなら、例の
小瓶を手に取ってまじまじと見ているカティーアに、姿勢を正したプネブマさんが言葉を続ける。
彼は片方の眉を持ち上げて訝しむだけで、なにも言おうとしない。
「知らないかしら?アルパガス軍は、白い壁に囲まれた村を集中的に襲うよう指示しているそうよ」
その言葉を聞いたカティーアは、反らしていた上体を戻し、腕組みをするとフンと鼻を鳴らした。
小瓶を懐に入れて、無言のまま立ち上がったカティーアを見て、私も慌てて立ち上がる。
「……取引成立だ。今からでも使いっ走りに行ってやるが、どうする?」
「至急魔法使いたちに支度をさせるわ。中庭で準備をして、待っていてちょうだい」
カティーアは、返事の代わりに右手を挙げて、フードを深く被る。そのまま彼に手を取られた私は、ろくな挨拶もできないまま部屋を出てしまった。
あの
日差しの当たる中庭まで出てきたところで、彼がすっとしゃがみこんで私の顔を心配そうにのぞき込む。
「いい子だ。よく耐えたな」
いつのまにか、彼の手にはピンク色の薔薇の花が握られていた。
差し出された花を受け取って息を思い切り吸い込むと、甘くていい香りがした。
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