Qatia

5-1:A deal for twoー秘密の取引ー

「よぉ。こんな簡単に侵入できるとは思わなかったが……まさか、歓迎の準備でもしてくれてるのかい?」


 転移魔法での侵入を防ぐ結界でも張っているのかと思ったが、全くの無防備で拍子抜けをした。

 部屋の奥で据わっている隻腕の女へ、俺は無遠慮に歩み寄る。

 真っ暗な闇の中、長机に置かれた光蟲ランプシーを閉じ込めた燈灯カンテラが狭い範囲を夕焼けのような色で照らす。

 銀色の髪が少し揺れ、何やら書物をしていた彼女の手が止まるが、それは動揺によるものではないとすぐに解った。

 執務室に一人でいる彼女――魔法院マギカ=マギステル最高責任者のであるヘニオ・マゴス・モナルヒスは、静かに顔を上げてこちらへ目を向ける。


「……報告があったわ。封じられた炎ケトム・ショーラでセーロスを手酷く痛めつけた魔法使いがいたことと……その数日後、西大陸からこちらへ向かう航路が唯一ある港町ススルプキオで、魔法院の者だと名乗る魔法使いが魔物による災害を食い止めたという……ね」


 蒼い瞳は静かな輝きを放っているが、敵意のようなものは感じられない。

 敵意がなくとも、目的のためなら迷い無く他者を踏みにじることが出来る女がヘニオだということは理解しているが……今まで俺に向けていた視線とも、最後にあった時に見せた表情とも違う彼女の視線に警戒の姿勢を解かないまま応対する。


「さあな。魔法院は有能な魔法使いを抱えてるんだな。いいことじゃないか」


 罠があったとしても、今の俺なら何の問題もなく力押しで破れるはず。挑発をして様子でも見るか……と思い発した言葉に対して、ヘニオは溜息を一吐きして、答える。


「腹の探り合いはやめましょう。用事があってここに戻ってきたのでしょう?例えばあの……アルカの娘のこととか」


「話が早いねぇ。ただで情報をくれるってんなら有り難いが……」


 据わったまま動かないヘニオへ近寄っていく。周りに兵士が潜んでいる可能性もなさそうだ。

 辺りに注意を配りながら、机の前にたどり着くと、彼女の表情が初めて動く。


「長い付き合いとはいえ、部外者に機密情報を教えるわけにはいかないわ」


 フッと短く笑い、ヘニオは口元を少し綻ばせた。俺から殺気を感じても動じることはないところを見ると、殺されてもただで教えるつもりはないらしい。


「……ふふ、私を拷問するつもりかしら?でもね、こちらも取引の材料があるの」


 ヘニオの白くて細い指が擦り合わされ、パチンという綺麗で乾いた音が部屋に響いた。

 その音を合図にして、机の中心から紫色の六角錐の魔石がせり上がってくる。この魔石は、確か過去の景色や音声を保存するためのものだ。

 ぼんやりとした光を放っている魔石の一つを手にとったヘニオは、俺に魔石を向けて見せた。


「私を殺せば即座にこれらが破壊されるわ。予備はない」


「これは……」


 彼女が差し出した魔石は美しく磨かれていて滑らかな鏡のようだった。その鏡のような表面に、封じられた炎の村ケトム・ショーラの記憶で見たカガチと呼ばれていた女が映っている。

 なるほどな、そういういことか。

 腕組みをしてヘニオの話に耳を貸す姿勢を見せると、彼女は片腕で器用にくるくると魔石を回して机の中央へ戻す。


「カガチのことも、魔法会マギカ=クーリアのことも、話せることはすべて話すわ。その代わりに、協定を結ぶつもりはないかしら?」


「今更俺と仲良しこよししようってわけじゃないだろう?」


 思ってもない提案に思わず鼻で笑ってしまう。協定だって?

 しかし、目の前にいるヘニオの表情からは笑いや冗談という雰囲気は感じられない。

 静かな湖面のような青い目は俺のことをまっすぐに見つめている。


「ええ、馴れ合いをするつもりはないわ」


「へぇ……。で、俺にどんな見返りがある?」


 どうやら真面目な話らしい。

 俺が凄んでも動じない彼女を少しだけ見直しながら、俺は身を乗り出した。


聖櫃アークアルカ計画で私が知っていることをすべて教えること、それと魔法院の図書館ライブラリへの自由なアクセス……あとは……そうね。過去の仲間たちが祀られた墓所への入所許可証というところかしら」


「随分と破格の待遇だが……俺に何をさせようっていうんだ?」


 予想以上の好条件に動揺しそうになる。平静を装うために、俺は茶化すような言葉遣いをして、彼女が座っている机に寄りかかる。


「神殺し……」


「は?」


 静かに、力強い声で目の前に座る女はそう言った。

 平静を装いきれずに思わず聞き返すと、ヘニオはゆっくりと瞬きをしてから、手元にあるカップを口元へ運んで口を潤す。


「貴方は、いつの日か目覚める異界からの神……カガチを殺すために私たち始祖の六角が教育した」


 俺の目を見つめた彼女の表情は真剣そのものだった。

 

「貴方が姿を消してから、どうすべきか考えていたの。でも、有効な手立てはまだ見つかっていない。だけど、もう一度貴方の意思で魔法院へ戻ってきてくれるのなら話は早いわ」


「……待て、始祖の六角だと?」


 魔法院創設の時にいた角持ちの耳長族、そしてプネブマを合わせた六人がそう呼ばれていることは知っている。

 しかし、私たちとヘニオが言うのは何故だ。異界からの神というのも初めて聞いた。


「それについても、私たちに協力してくれるというのなら話しましょう。でも、これは教えてあげるわ。私たちの目的も、貴方の目的もカガチを殺すこと……そうでしょう?」


 うっかりと余計なことまで話してくれる優しさは、ヘニオにはないようだ。

 これ以上駆け引きをする気はないと言わんばかりに目を伏せた彼女は、魔石を机の中へ収納すると、そのまま中断していた仕事を再開させた。

 ヘニオが動かす羽根ペンの、ザラザラと羊皮紙の上を滑る音だけが響く。


「……俺の一存では決められない」


 俺の言葉を待っていたように、顔を上げたヘニオの口元がふっと緩んだ。


「取引がうまくなったものね。そういうことなら……イガーサの墓所への入所許可証とアルカについて少しだけ情報を明かしましょう。お仲間への手土産ということでいいわ」


 取引のつもりはなかった。ただ、ここで決めたらまたジュジが悲しい顔をする。そう思っただけのことだが口にして得はない。 

 黙っていると、ヘニオは了解と取ったのか一人で話を進め始める。


「人が御せる神の創造……それが聖櫃アーク計画よ。でも、それは頓挫したの」


 俺だけがずっとこいつを憎んでいる。いや、正確には憎みきることすら、できていない。

 ヘニオだって、俺に腕を潰されて何か思ってもいいくらいだ。見た瞬間に縋り付くとか怒鳴り散らすとか。

 それなのに、こいつは淡々とただ物事を語る。


聖櫃アーク計画が頓挫した代わりに、カガチが興味本位で捉えてきたあなたが魔法院ここに現れた。そして、聖櫃アークのために造られた素材フムスたちは、あなたの呪いを処理するのに使えたの……そんな偶然が積み重なっただけの話よ」

 

 少し感情的になりそうになったが息を吸い込んで気持ちを切り替える。

 魔法院こいつらは俺に呪いのおかげで魔法を使えるという嘘を俺に教えていた。話を聞いている限り、魔法院こいつらは俺が呪いを人に移動させることに関しては本当に勘違いしているらしい。

 ヘニオがすべて真実を話しているとは思えない。何か隠していることはあるだろうが……。


アルカは……いつか来る、神殺しの時の燃料よ。魔物への囮にもなり妖精や精霊をおびき寄せる存在、加工をしても魔力の容量を損なわないように素材フムスよりも血に含まれる魔素の量が増えるように交配を繰り返して……ね」


 神殺し。度々言われるその言葉にピンと来ない。

 新たな神を作ろうとしたり、大量のアルカを使う何かを稼働させる計画があたりと俺の知らなかったことがたくさん出てくる。

 神……俺が生まれる前に世界を支配していた強力な魔素エネルギーを持つ生命体のことだとは知っているが。


「あなたが使っていたアルカの加工品、今も使われていることは知っているのかしら?」


「それがどうした。俺はジュジさえ使われなければ今はそれでいい」

 

 アルカが今も使われているなんてことは知っている。

 寿命が近いアルカを有効活用している部分にまで口を出すつもりはない。


「いえ。……やっぱりあなたは自分が思っているよりも化け物側の存在よ。私よりずっと、ね」


 少しだけ、ヘニオの瞳に光が宿る。それは怯えにも取れたし、蔑みにも取れるものだった。

 どういうつもりだと問いただす前に、彼女が胸元から取り出した何かを投げつけられて言葉が遮られる。

 彼女が投げつけたものは、一角獣ユニコーンが彫られた、小さなサンゴのブローチだった。一角獣ユニコーンの目には小さな緑色の魔石が嵌め込まれている。


「それは、鍵よ」


「はあ?」


「アルワーディン神殿の地下で、私が待っているわ。彼女と話をして、気が変わったら声をかけてちょうだい」


「協力するとしても……俺は魔法院そっちへは戻らない。勘違いはするな」


 あの頃の私……そう聞いて思わず顔を顰める。

 吐き捨てるように答えた俺を嗤うと、ヘニオは席を立って扉の方へ向かって歩く。


魔法院こちらへ戻ってこないのは少し残念ではあるけれど、目的が達成できるのならなんでもいいわ。ふふ……兵器としてではなく、貴方自身への執着心がまだ残っているなんておかしい話ね……」


「どういうことだ?」


「この体はあなたに肩を食いちぎられてから、少々調子が悪いようね。深い意味はないわ。そろそろ帰らないと大切な仲間とやらが心配すると思うわよ」


 彼女が扉から出て行くと、光蟲ランプシーを閉じ込めた燈灯カンテラが明かりが音もなく消えた。

 これ以上は無駄か……。窓の外はすっかり白んできている。俺は船に戻るために転移魔法を展開した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る