月下に吠える。


「ぐっ……!?」


 拳に走る凄まじい激痛に、思わず呻いた。


 銀の燃え盛る右手に拳を受け止められ、溶けるように火を上げる。


 銀はすぐに腕を払うと、僕を右手へ押し返した。


「――オラ!」


  僕は接触した左肩で、地面を削りながら吹き飛ばされる。


「ぎっ……!!」


 勢いを殺せず地面を転がされると、何とか四つん這いになって体勢を立て直した。地面を掴んだ両手の火傷が、黒犬の力で相殺される。


 前から熱気を感じ顔を上げた。


 銀が右腕を払い放った炎が、津波のように空き地を駆けて迫って来る。


 地を蹴って、空へ逃げた。ゴッと空を切る音が耳を襲い、一瞬辺りの音が聞き取れなくなる。


 すぐに津波の始点に立つ銀を探そうと、遠ざかっていく地上へ目を向けるが……。身体の前面を衝撃が襲い、視界が真っ白に弾けた。


 ――また殺されたのか!


 押し返すように、竹林へ吹き飛ばされたらしい。バキバキと、折れた竹が崩れていく音に全方位から包まれ、瞬きをする暇も無く硬い地面に全身を打ち付ける。


「ぐあっ……!」


 まだ崩れて来る竹に埋もれそうになりながら、僅かに生まれた隙間の中で起き上がった。視界を遮るように落ちて来る竹を、腕を払って吹き飛ばす。


 前方から気配を感じた。


 頭を上げる。


 壊され、ぽっかりと頭上に晒された空の遠くから、組んだ両手を頭上に掲げた銀が降って来た。燃える右腕の炎が彗星のように尾を引き、ボッと爆ぜるように左腕も発火する。


 間に合うか――!?


 飛び散る火の粉がどんどん大きさを増す中、転がるように前方へ飛び出した。然し、咄嗟に踏み出した右足に置いていかれるように、左足に熱さが走ると激痛に変わる。


「うっ……!?」


 痛みと恐怖に、身体が強張った。


 視界が上端から全面へ、一気に赤く染まって燃え上がる。


 火の塊が飛び散り、辺りが黒く焼け焦げる様が、目を閉じていても音と臭いではっきりと分かった。逃げられないならと、うずくまるように身を屈める。……凄まじい熱気は感じるが、痛みは来ない?


 大きな何かが、僕の上にいるのを感じた。


 あの忘れない、犬と猫の中間のような獣の声が、竹林を貫いて月まで轟く。


 僕の上で、人間のように後ろ足で立ち上がりながら――。腹に傷痕を抱えた大狐が、空へ左腕を払った。


「妹も言っただろうが――。しゃんとしろ!」


 豊住志織。大狐バージョン。


 ぶうんと、大木のように振るわれた豊住さんの左腕の先には、吹き飛ばされた銀が火を撒きながら、捩るように体勢を整えながら宙で吠える。


「てめえッ……! 何者なにもんだ!!」

「あぁ!? 俺を知らねえとはモグリじゃねえか大妖怪……!」


 豊住さんは銀を見上げると、ぐっと後ろ足に力を溜めた。


炎刀殺えんとうごろしの――大狐おおぎつねだ!!」


 どぅんと大きく地を揺らし、豊住さんが銀へ跳ぶ。


 豊住さんが左腕で、銀の攻撃を受け止めてくれたのか。


 僕は左足を庇いながら、豊住さんの腹の下から抜け出すと、崩れた竹を掻き分ける。引き摺っていた左足は、黒犬の相殺能力が働き回復すると、抜け出した竹林へ振り返りながら前へ走った。


 空では豊住さんの拳が銀を襲い、銀は辛うじて受け止めるものの押し返され、僕の前方へ地を砕きながら着地する。


「ちっ……!」


 まだ空の豊住さんへ気を取られている銀へ、僕は地面を蹴り上げた。黒と化した獣の左腕を、空から銀の右のこめかみへ放つ。


「おおおッ!!」


 接触面を赤く焼け爛れさせながら、銀を山の方へ殴り飛ばした。


 銀は肩や腰をぶつけながら転がると、燃え続ける両腕から火の粉を撒きながら着地する。そのまま腕の力で飛び出すと足で地を蹴って、血を撒きながら向かって来た。


 ――視界がぶっつりと暗転する。


 すぐに景色が見え始めるが、痛みが全身を襲った。


 身体が地面に叩き付けられたようで、人形のようにめちゃくちゃな姿勢で転がされている状況だった。


 制服はまた血塗れ。


 もう、血の雨に打たれたようにぐっしょり。


 シャツにぼっかりと穴が開いて肌が見えているけれど、露わになっているその胸の部分だけ、何の傷も汚れも付いていない。


 シャツの穴の縁が、焦げ臭かった。


 背中も嫌にすーすーする。


 貫かれたのだろう。殴るか蹴るか。あの火柱でも突き立てられたか。


「……!」


 構うか!


 火傷も治っていた両手で地を掴み、体勢を整える。


 前方に、右半身を見せるように小さく銀が立っていた。竹林を背に置く、大狐の姿の豊住さんに押され、後退している。


 銀はこちらに気付くと身を捩りながら、左腕を振るって来た。腕から抜けるように、火の塊が飛んで来る。


 僕は銀へ距離を詰めるように駆け出して、左へ躱す。


 その隙に豊住さんが、頭上から右の拳を銀へ落とした。銀はその巨大な拳を、頭上で曲げた右腕一本で受け止める。


 ――それまで覆うように燃え盛っていた、銀の右腕の火がふっと消えた。


 途端に拳を押し返された豊住さんが、背を向けるように僕の方へ飛んで来る。


 僕は予想していなかった流れにぎょっとして、豊住さんと団子になって吹き飛ばされた。


「えっ!? うわ――!」


 潰されると思ったが、宙でいつもの少女の姿に化けた豊住さんは、昼間と同じ黒いワンピース姿で軽々と着地する。ただ庇っている左腕が、ぐしゃぐしゃになって潰れていた。


「と、豊住さ……」


 ゴオッという音と共に、前方から熱気が襲う。


 火炎の津波が、もう目の前に迫っていた。


 間に合わない。


 反射的に背を向けて、腕を翳すが波に包まれ――。直前で、豊住さんのきょうだい達が僕らの足元から飛び出した。組み立て体操のようにその小さな身体を積み上げて、挺して壁となると津波を砕く。


「――クソッ! あの猫が!」


 腹立たし気に、荒い口調で豊住さんは吐き捨てた。



「あの野郎やっぱり一番合戦と違って小慣れてやがる。赤猫の力を、火から身体能力へ振り替えやがった!」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る