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白いけれど、今は黒。


 空き地の丁度、中心部に打ち落とされた銀がいる筈の瓦礫が、もぞっと傾いた。


 攻撃の凄まじさを物語るように、花弁の如く持ち上がっていた瓦礫の左右が、押し退かれるように地面へ傾いて行き、土埃を上げながら倒れる。視界を遮るように立ちはだかっていた正面の花弁は、乱暴に蹴り倒され、空き缶のように前方を転がった。


 ……一つ一つが僕の身の丈で比べても、倍は大きな瓦礫なのだが。中型の乗用車ぐらいある。


 その奥からのっそりと現れた銀は、崩れた髪を掻き上げた。


 アップバングにしていので分かりにくかったが、案外長かったらしい。眉よりまだ少し下に伸びる前髪の隙間から、鬱陶しげな目が僕を睨む。


「…………」


 ぐずっと、胸を焼かれそうな威圧感があった。


 口からは血が出ている。腹を殴り付けられた際、内臓が潰れたのだろうか。爪での斬撃よりも打撃にしろと、豊住さんからのアドバイスを受けての判断だったのだが。一点に集中する攻撃とは、狙ったそのごく限られた部位へ与える力は強いものの、範囲が狭い分外しやすいからと。格闘術が得意では無いのなら、爪というごく限られた範囲への高威力を誇る武器では無く、拳というもっと広い、当てやすい得物を使う方が、命中率も上がると言われて。

 そして狙うのは頭ではなく、胴体。頭は誰でも、無意識の内に守ろうという意識を持っているから、まだ見落とされがちな胴を狙った方がいいとか。動きを封じる為に足でもいいけれど、足も唯一の移動手段なので強く警戒されているものだし、何より胴体には壊されると、色々困るものが詰まっている。脳や足より、守る優先度は低いとしても。打撃とは後からじわじわと効いてくるもので、肉を裂き、血を奪う斬撃よりも見た目は渋いが、逃げ回る長期戦の想定しているなら、その効果もしっかりと利用出来ると。

 確かに両手を打ち下ろす直前、銀は咄嗟に、頭を守ろうと顔へ両腕を構えたし、豊住さんのアドバイスが無ければ、そのガードの上に打ち込んでしまっていて、威力は落とされてしまっていた。


 手応えはある。


 奴も負傷している。


 無駄な攻撃では、無かった筈だ。


「……こんな事に意味は無いよ」


 僕は銀を見据えると、慎重に切り出す。


「少なくとも一番合戦さんは、こんな事望んでない。こうならない為に動いてたんだ。僕と君が戦った所で、一番合戦さんは何も喜ばな」

「立ち回りを教わった奴に、そう言えって言われたのか?」


 銀は口に溜まった血を吐きながら、前髪を掻き上げていた手を下ろす。


「昨日会った時と動きが別人だ。頭じゃなくて、きちんと腹を狙えていた辺りなんてよ。昨日のてめえの動きは分かりやすくて堪らなかったぜ。馬鹿みてえに一直線に、脳天へ落ちて来やがったからな」


 確かに昨日の夜遭遇した時は、彼の頭を狙って拳を振り落としている。彼の火柱を躱そうと、上に跳び上がった際も加減が分からなくて、高く跳び過ぎてしまっていた。

 今はもう、そんな下らないミスはしない。今日の昼間の作戦会議でのコミュニケーションと言い、黒犬とはそれなりの関係を築き始めて来れている。


 ていうかこいつ、普通に喋れてる。


 出血から無駄ではなかった攻撃だが、矢張り赤嶺さんの推測通り、一番合戦さんよりよっぽど頑丈だ。


「てめえに説教されるような筋は無え」


 何も寄せ付けないような、頑なな目で銀は言った。


「白は連れて帰る。それだけだ」

「…………」


 僕の頬を、汗が伝う。


 豊住さんは問答無用でボコれなんて言っていたけれど、そんなのなるべくしたくない。僕や豊住さん、赤嶺さんからしてもこの人は単なる脅威でも、一番合戦さんにとっては、嘘をついてまで危険な目から守ろうとした、大事な人なんだ。


「……白いけれど、今は黒。小さいけれど、子供じゃない。これは暗に、赤猫の発生パターンを示してる。君の毛並みは鯖虎さばとらで、一番合戦さんは白だった。でも君は、僕に一番合戦さんについて尋ねた時、白いけれど、今は黒いって話した。王道の、死んだ恨み辛みで異形となったパターンの赤猫ではなく、赤猫の親から生まれた生者寄りの赤猫とは、その親が元々持っていた毛並みを引き継ぐけれど、死んで生まれた赤猫は、皆真っ黒な毛並みに変わってしまう。焼け死んで、炭になったからとでも言うように。……君は本当は、知ってるんだ。三六〇年前、君に嘘をついて別れた一番合戦さんが、あの後何をして、何の為に君を騙したのか。一番合戦さんが赤猫になってから君と会ったのは、人の姿を得てからでしょ? 猫の姿ではもう本当に、会っていない筈だ。でも君は、一番合戦さんを黒いと言った。一番合戦さんが赤猫になってから猫の姿でいたのは、明暦の大火を起こすあの一月一八日からの僅かな間で、その時じゃないと、毛並みが変わっていたかなんて確認出来ないのに。それを知っているという事は、見てたんでしょう? あの大火を。君はあの後、追いかけたんだ。やっぱり気になって。そしてそこで、火を放つ一番合戦さんを見たんだ。……どこまであの火事を見ていたのかは知らないよでも、あれは君が、責任を感じる事じゃない。一番合戦さんが今、鬼討になっている事にもだ。あれは一番合戦さんが悩み抜いて、それでもそうして在るって決めたんだよ。まだ本人からは、何にも聞いちゃいないけどね。だから、無理に連れて行こうとしなくていいし、一番合戦さんともう一度話してからでも」


 台風のような凄まじい熱風が、遠い前方から襲い掛かった。


 咄嗟に伏せた目は、閉じているのに瞼の裏を橙に染めて、その先では、恐ろしい程の強さを持つ光が放たれたと分かる。

 ゴオッと唸るような音を立てながら、僕の後ろへ熱風が吹き抜けて行くのを待つと、咄嗟に顔を守るよう翳した両腕を下ろし、目を開いた。


 広がる光景に、息を飲む。


 あの銀の辺りに、岩のように転がっていた瓦礫が消えていた。……腕を前へ払ったのだろうか? 彼の右腕から左手へと、三日月状の軌跡を描くように地面は真っ黒に焼け焦げ、所々でぶすぶすと、白い煙を吐いている。残された瓦礫は、彼の背中で立ち尽くしている一つだけで、残りは彼から見た左手の遠方で、粉々になって散らばっていた。


 あの火柱を放つ右腕で、纏めて殴り飛ばしたのだろうか。


 全く、弱っている気配を感じない。


 ただそれだけの、至極不愉快そうな一言を、銀は片眉を上げ、煽るように顎を少し持ち上げた視線から、僕に向かって投げ付けた。



「……あ?」



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