「ある種羨ましいよ。その狭い視野」


「――何かあれよね。あんた達百鬼って、身体は老いない代わりに超長生きだから、下手に歳を重ねると、人間の年寄りより遥かに頑迷がんめいになるわよね」

「ああそれは言えてるね。何かに固執していない百鬼なんていないよ。誰だってどこかで頑固だし、あの人みたいな化けて出るタイプって特にそう」


 全くその通りなのか、豊住はあっさり同意する。

 あたしは分かっているのに、つい溜め息をついてしまう。


「……めんどくさいって言いたいのが正直な所だけれど、それはあんまりよね。ああいう生前がある手の百鬼とは、過去に全てを置いて来ちゃってるんだから。本来だった筈の生涯っていう、どうしようもない悔しさとか悲しみとか、憧れって枷になって」

「私みたいな、最初から百鬼として生まれているタイプとしては、少し掴むのが難しい話ではあるけどね」


 あくまで軽く返す豊住だが、やっぱりどこか暗かった。


 能天気って言われるかもしれないけれど、あたしはこいつの事を世間が言う程、悪い奴じゃないかもしれないと思った。


「まあ説得してみたいなら任せるよ。それで収まるならそれでいいし、なら駄目だったらという事で、この案を使って欲しいかな。これ以上に確実な案無いだろうし、その前の試行錯誤に文句は付けないよ」

「何やるの?」


 自信満々な豊住に、つい引き込まれて尋ねる。


「ああ単にいじめるだけ。あの人、あの赤猫が弱点だから、そこを突けば簡単に崩れるよ」

「……ちゃんと話し合いなさいって? 折角会いに来てくれたんだから」


 何か普通。


「さっさとちゃんと、謝りなさいって言うんだよ」

「何を? 別にあいつ、何も悪くないじゃない。確かに拗れてるけれど、でも説明すればあの赤猫もきっと――」


 豊住は笑っていた。

 決して挑発的では無く、何なら小さな子供でも見るような、微笑ましい表情で。

 にこにこと。

 どこかその顔に違和感を覚えるのと、豊住がその真意を話したのは同時だった。


「そうじゃなくて、本当は事が終わったらちゃんと追い付いて、一緒に逃げるつもりだったけれど、予想外に負けてかつ生き延びて、迷った挙句にあなたとの約束を覚えておきながら、出来るくせに追いかけもせず謝りもせず、今日までだんまりを決め込んだ上に常時帯刀者になって、でもあの時の別れの言葉だって本当だったんだと、どちらも本心だけれど決めきれず中途半端な事をしてしまい、本当にごめんなさいって言わなきゃならないんだよ。あの人は。だって、もしその別れの言葉が嘘だったら、面倒を見てくれていたおばさんから貰った大事な物を、取りに来るからとわざわざ渡す? あんなによくしてくれてた人からのプレゼントを、そんな嘘の為にわざわざ用いる? ついその遣り取りの直前まで、上手くバレないよう殺して拵えたチンピラの死体を、ベストタイミングで見つかるだろう位置に配置出来ていた人が? 然も殺害方法が火や熱でしょ? そんな派手な道具で殺そうと思ったら、どうしても目立つし相手には騒がれる。ただのお湯でもちょっと熱いだけで煩いのに、焼き殺すって相当喚かれるよ。ちゃんと相手に見つからないよう狙いを定め、かつ一撃で決めないと。だから、本気でやったら上手いんだよ。一番合戦さん。あの人はちゃんと本気出せば、どうとでも欺ける。今あなたがこのからくりを見落としていたように、人間の子供に本心を覚られるなんてまず有り得ない。お人好しだから、こうして詰めが甘いけどね。わざわざ喋ってまで、九鬼くん突き放して。まあ放された本人はどれだけあの人に気遣われてるのか半分も分かってないでしょうけれど、でも目を凝らせば一番合戦さんなんて、隙だらけの超余裕だよ?」


 圧倒されるあたしの目を見て、足を組み直しながら豊住は言う。


「まだ迷ってるんだよ。本当は」


 聞き逃すなと、強い力が籠っていた。


「まだ三六〇年前のあの頃を、あの人は彷徨さまよい続けてる。その銀って赤猫との約束だって、嘘じゃない。復讐の心だって、紛れも無い事実だった。幕府は許さない。大事な人は巻き込みたくない。やり返さないと気が済まないし、でも平穏な日々にも憧れてる。だからごく一部の人達はちゃんと逃がして、一〇万もの人を殺した。でも本当は、何にも見えてなかったんだよ。復讐に駆られて他の事は、何も考えてなかったじゃない。まず江戸を敵に回して、勝てるのかという計算もしてなかったし、死んでしまったらどうしようなんて恐怖も、直前までまるで無かった。ただ復讐の為に逃がすべき人を逃がし、あるかもしれない漠然とした未来に、曖昧な約束をしたの。銀ってあの赤猫へ。もし終わったら、やっぱりやり直してみたいって。この国だって憎いし、全員ぶっ殺してやりたいけれど。でもやり直すには、とっとと大人しく江戸を出なければならない。そんなの認められない。でも復讐したら平穏は手放す事になるけれど、そんなのだって受け入れられない。だってあの人、何にも悪くなかったし、それは平凡で幸せな、猫だったじゃない。……取り戻したいだけなのに、どちらかしか選べないなんて、こんな地獄ってそうそうある? じっとしているのだけは耐えられなくて、分からないまま走り出したんだよ。どっちも捨てたくないけれど、どっちを選べばいいのかも、分からなくて。いつか夕焼けから逃げ出したように、赤猫という現在と、自分から逃げたくて。――ああ全く、なんて哀れで出来た怪談でしょうか。立派なエピソードが付いてて羨ましい」


 豊住はそう言うと、ベンチに凭れ掛かって、駄菓子屋の屋根を仰ぐ。



 その声は何ら楽しくなさそうで、何も羨ましそうでもなかった。




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