明暦の大火 3
口から上を斬り落とすように
私は着地したばかりの左足で、地面を掴んだ。
何とか躱した反動で、よろめいた身体を支える為ではない。しっかりと踏み締め、それを軸に跳躍すると刃を躱す。そのまま空で身を捻ると、男のこめかみへ右足を打ち込んだ。
ぬっ!?
思わぬ動きだったんだろう。男は無防備に吹き飛ばされた。
蹴りの勢いを語るように、編み笠は突風に攫われるように宙を舞う。
男は吹き飛ばされた先で、四つん這いになると地を掴み、軌跡を描くように土を削っては、勢いを殺して立ち上がった。
――成る程猫ならではの身のこなし……。火付けなどやめて、芸人にでもなればどうだ!? 必ず成功しよう!
編み笠を落とした男は顔を上げ、その風貌が露わとなる。
頭は武士のような
見かけと気性が懸け離れていた。軽薄な態度が、演技のように見える程。
奴が吹き飛ばされていた隙に、懐から出していた
――煩いんだよ!!!
怒りに応じるように、両肘の先が爪の先まで炎上する。
燃やすだけでは甘い。
灰にするだけでは満ち足りない。
粉々にしてやる。焼き飛ばして、跡形も無く。
腕が燃えると同時に、鉄砲玉のように飛び出した。この両腕で、木っ端微塵にしてやろうと振り上げる。
流石に追い付けないと思ったのだろうか。確かに地を蹴った瞬間、余りの勢いに足下が割れたのを感じている。立ち上がったばかりで飛び出して来た私に、男は諦めたように剣を収めつつ、
逃げる気か?
当時の私は思ったさ。鬼討でなかった、剣なんて何も知らなかった、ほんの少し前まで野良猫だった私には、それを構えだと判断する事は出来なかった。尤も今考えても、あんな使い方をされるとは予想出来たか。
奴は逃げようと剣を収め、背を向けたのではない。
それは、迎え撃つ為の構え。
稲光より速く、一閃が闇を斬る。
奴は振り向きざまに剣を抜き、私の肩から腰を、右から斜めに斬り結んだ。
喉が裂けるかと思った。自分が上げた絶叫で。
その初手である反撃を起点とし、そこから二撃三撃目で
吹っ飛ばされて、のたうち回った。
まだ未完の頃とは言え、流石は枝野の鬼討か。その初撃で真っ二つにされるかと思いつつ、何とか五体満足で済んだものの。
――ああああああああああああああああああああ!! いっ、痛い! 痛い! 痛い痛い痛い痛い痛い!! くそおっ、この、畜生がぁあっ……!!
身体の右側を地に着けて倒れ込み、全身から噴き出した汗と一緒に、胴をぱっくり裂くように出来た傷から、だあだあと血が流れていく。頭の天辺から爪先まで痛みが駆け巡って、身体が破裂しそうになる。死に際の虫みたいに、ばたばたと暴れた。
高が鋼の刃に斬られるというのか。この化け物の私が。そんな馬鹿な話、あってなるものか。人間の分際で……!
いや、奴は、ただの人ではなかったのか。何だ……確か、我々を斬るような、異形の者と……。鬼討? そんな名だったか?
いや待て。さっき考えなかったか? 今と同じ事を。もう忘れたのか? 奴は鬼討。あの人と同じ、私のような化け物を斬る人だと……。 ?
?
おかしいな。記憶に、自信が無い……。
矢張り一太刀では断ち切れぬか……。これ以上、辛い思いをさせたくはないのだが……。
笠を拾い上げていた男は、被り直すと私を見る。
猫よ。儂はお主を斬るとは言ったが、殺すつもりなど毛頭無い。復讐をやめると言うのなら、それで終いしてもいいぐらいだ。
……ぐっ……戯れるな! 斬っておいて今更何を……!
人ならまだしも、百鬼はその程度で死にはせん。赤猫ともなれば尚更よ……。故に、一度剣を抜いたなら、徹底的に殺し切らねばならん。……が、儂はそんな事をしとうない……。お主も退けぬと言うのなら、その心意気を作る記憶を断つまで。
男はそこで言葉を切ると、
ぶんと風を切る音と共に、地面に血が飛び散った。
男はそう、笠の下から私を見る。
何が言いたいのか分かってしまった私は、痛みを忘れる程に震え上がった。
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