朱と赤銅
「そっちはどうだったんだ。黒犬。役所に
「ああ、ありがとう……。いや、こっちは……」
いつも通り喧嘩になった。
「何だ?」
「いや……」
とは言えない。
この遣り取りを聞いて、にやにやしている黒犬が足元にいると思うと、もう最高に腹立たしい。
一番合戦さんは夕日に伸びる僕の影を、ついと冷めた目で一瞥した。
「一度、主従というものを学ぶべきだ。いいヒントになる」
「え?」
一番合戦さんは澄まし顔で言うだけで、それ以上言う気配は無かった。
ただ、黒犬の前でこれ以上先を話すのは逆効果なのか、適当ではないと態度で示している。
主従関係?
「うん……。分かった」
「歩み寄りだ。歩み寄り。犬でも猫でも、考えてみろ。噛まれたり引っ掻かれるかもしれないけれど、触りたくなったらそれでも手を伸ばしてるものだろう? まあこの場合には全く当てはまらない例えだが。そもそも他者と関わるとは、マイナスを受ける覚悟でするものだ。まず重んじるのは、自分を相手にどう映すのではなく、自分が相手をどう受け入れるかにかかってる。受け入れさせるのではなく、受け入れる努力をする。一歩引いて、相手を尊重する事から始めるんだ。自分が相手にどう思われたいかなんて三の次もいい所で、まずは何より、相手を見ろ」
「はあ……」
説得力が同年代と思えない。
タコさんウィンナーとか焼き芋小火騒ぎでは、歳の割に幼過ぎる面が目立つが、やっぱり総評としては大人な人だ。大人と言うか、正しさに直向き過ぎると言うか。何でそんなに達観してしっかりした事を言えるのに、学校で小火を起こせる神経を持っているのかは甚だ疑問だが。やっぱり天然なんだとも思う。
然しその口調は上からでも無いし怒ってもないし、もう完全に、単なる助言のそれ。僕だけに向けてというより、黒犬にも向けている響きがある。
何だか、ぐずぐずしてる自分が恥ずかしくなってきた。
「ま、難しいけどな」
一番合戦さんはそんな僕の心中を察したのか、からりと笑ってみせる。
いや、これは矢張り、僕の我が儘なんだろう。こうなると分かって、この道を選んだのだから。想定外に生きているからと、その責任を捨てていい事には全くならない。まして一番合戦さんは僕の我が儘に付き合って、支えると言ってくれたのだから。
だったら隠し事なんて、尚更よくない。
「……あの、一番合戦さん」
「ボロい家ね! まあ犬小屋と思えば十二分でしょう!」
急に前方から聞こえた声に、僕らは同時に立ち止まった。
「?」
そして顔を見合わせる。
もう目と鼻の先にある、例の空き家がある方からだ。
僕達は今、民家に挟まれた狭い路地にいる。
丁度軽トラック一台がやっと通れる路地が複雑に走る中、土壁の日本家屋が並ぶ通りだ。今日はあの塗壁の姿が見えないので、彼が塞いでいた先がよく見える。ここを抜けた先にある道を渡った先に、右斜め向かいに伸びていく路地があり、そこに入ればもう例の空き家だ。
この辺りは田畑が広がっており、ここに並ぶ家は全て農家である。お年寄りしかいないので、いつ訪れても静かだと一番合戦さんから聞いていた。然し今し方飛び込んで来た声は、僕らと同年代ぐらいの女の子。
近所に住んでる親戚とか? 田舎って
「何か聞こえたな」
「うん」
一番合戦さんも不思議そうにしている。
「珍しいな……。農作業で賑わう朝方なら兎も角、こんな時間に人の声なんて」
寝る支度してる筈だが。
そう呟くと一番合戦さんは、足早に空き家へ歩き出した。
僕も追うように続く。
向こう岸に渡ろうと道に出た瞬間、家で遮られていた陽を浴びた。一番合戦さんのブラウスで明るさを増した夕焼けに、僕は思わず手を翳す。
「眩し……」
「んおっ」
「あ」
それとほぼ同時ぐらいだろうか。一番合戦さんが何かに、ぶつかったような声を上げた。
不意を突かれたようなその声の原因は、丁度一番合戦さんが道を出た瞬間に、こちら向かって歩いて来ていた誰かだったようだ。
お互い声を漏らすと同時に、半歩下がって衝突を免れる。相手は声で大凡分かっていたが、先程と同じ、あの同年代ぐらいの少女。
背は女の子にしては高い方だが、一番合戦さんにはやや及ばない。鎖骨辺りまでまっすぐ伸ばした髪は濡れたように艶っぽく、よく手入れがされていると一目で分かった。力のある目とくっきりした眉が、気の強そうな印象を与える。少し焼けた肌が健康的で、一番合戦さんと対照的な色合いを見せていた。
そう。一番合戦さん白いんだよな。ジャージに長袖のブラウスを肘まで捲ってるという格好が大きいと思うけれど、知り合った去年の秋頃から、全然焼けた様子が見えない。決して病的ではないんだけれど平均よりはやっぱり白くて、周りの目を引く。
日焼け対策とか意識してるんだろうか。ジャージは薄着が嫌だから穿いてるみたいな事、去年言っていた気がするけれど。
少女はグレーの半袖ブラウスに黒いネクタイ、短くした黒いスカートを穿き、足元は黒のハイソックスと黒のローファーという出で立ちだ。多分全て学校指定のものだろう。所々に校章らしき刺繍が入っている。
この辺りでは見た事の無い制服だ。全身学校指定らしき制服を纏っている様子から、漠然といいとこの生徒なのだろうかと思う。一番合戦さんみたいにブラウスの第一ボタンすら開いてないし、きっちりネクタイも結ってるし。そこだけ切り取れば、真面目そうな子だ。山でも登るのか大きなリュックサックをパンパンして背負い、腰にあるまさに西部劇に出て来るような味のある茶色をした
鬼討なのは間違い無いが、まさかこの子、常時帯刀者?
常時帯刀許可令が出ている外部の鬼討かもしれないが、そんな非常事態が今この町で起きているとは考えにくい。現地の僕らが先に察知したり、何らかの相談を受けている筈である。
所属している組の管理区外に鬼討として調査などに入る場合は、その地の鬼討にまず挨拶を済ませるのが一般とされているが……。この場合知名度が無い一番合戦さんだから、知られていなくても無理は無い。でも、どうしてこんな所に、外部の鬼討が?
例の引っ越して来る人が住んでいる側の鬼討だろうか? 一番考えられる可能性はそれだが、それなら一番合戦さんの存在は市役所間で連絡されている筈だし、わざわざ赴いて調査に来るとは考えにくいが……。
そもそも知っていながら挨拶もそちらの情報提示も無しに調査に来るって、正直かなり失礼だし。まあ一番合戦さん知らないだろうけれど。この古臭い縄張り意識。
「……何であんたがここにいるのよ」
思考を巡らせていた僕は、我に返った。
それは不愉快そうな声だったのだ。現に少女の細くなった目はしっかりと、不満げに一番合戦さんを見据えている。
ん? ていうか、知り合い?
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