拳に覚悟を

 危なかった。もう少しで首を飛ばされる所だった。


 こちらを見てぽかんとする一番合戦さんを見下ろしながら、僕は内心胸を撫で下ろす。尤も一番合戦さんは、これが誰だなんて分かってないだろうけれど。


 半分百鬼で半分人間。中途半端な姿でさながら狼男みたいな僕は、軽い裂傷れっしょうで済んだ一番合戦さんの白い喉へ、思わず伸ばしていた手を引っ込める。

 指先に鋭い爪がついているのを忘れていた。何分なにぶんついさっきブラックドッグが半分僕の魂になったものだから、何だか身体を動かすのもやり辛い。歩こうと思っても、足が動き出すまで一瞬のラグがある。


「?」


 無防備にも地面に座り込んだまま、不思議そうに僕の挙動を眺める一番合戦さん。

 勿論酷く混乱しているけれど、妙に幼いと言うか好奇心が強い人である。不気味には思ってるだろうけれど、恐怖を抱いている印象は受けなかった。

 酷い有り様で、もう動けそうにない。どうして今まで片膝も着かなかったのか不思議だが、僕の所為でこんなにも傷だらけにしてしまった。


 後はあいつを、片付けるだけ。


 地を蹴った。

 一足で人狐を殴り飛ばした川まで、走るまでもなく跳躍する。


 民家が川を挟むように和洋新旧入り乱れて建っており、その際土を盛ったのか、土手と川までは四メートルは堅い高低差がある。

 斜面もきつく、さながら壁のようになっていた。そこに寄りかかって、人狐は崩れ落ちている。


「はあ、はあ、はあッ……! てめえ……!? 何だコラ!!」


 人狐はそう怒鳴った途端、がふっと大量に吐血した。吐いた血が、だばだばと川に零れてせ返る。


「ごっほげほッ! クソ……犬か……!?」


 狐は犬に弱い。

 百鬼同士ならではの力関係。


 僕の姿形とそのダメージで、犬であると気付いたらしい。血を吐きながらも、殺すような目で僕をめ付けてくる。


 でも、もう怖くない。


「うおおァ!!」


 人狐は血を吐きながら吠えると、僕の頭を噛み千切ろうと襲いかかった。


 守るんだ。今度こそ。

 

 もう誰も、僕の所為で死なせない。自分のけじめは自分でつける。


 人狐の両顎を、掴んで受け止めると投げ飛ばす。


 人狐は激突した橋を破壊しながら下流の方へ飛んでいき、叩き付けられた川の底は大きく罅割れ陥没すると、派手に水柱を打ち上げた。

 僕は跳躍すると、のたうち回る人狐の頭上に飛ぶ。


 これから先、僕の人生はどうなるんだろう。


 百鬼として忌み嫌われるのだろうか。もう人間側の世界にはいられないのだろうか。今変わり果てているこの姿さえ、元に戻れるのか分からない。


 関係無い。

 どうでもいい。


 今ここで、確かに誰かを守るなら。


 強く強く、拳を握る。

 人狐は最後、遠くを見て皮肉っぽく笑ったような気がした。


 振り下ろした拳が、一際大きな水柱を立てる。


 衝撃は川底に止まらず、辺りの土手まで破壊して、川の形を変形させた。

 舞い上がった水は一瞬の静寂の後、ゲリラ豪雨みたいに一斉に落ちて来る。剥き出しになっていた川底があっという間に隠されて、木っ端微塵と化した人狐は、血の一滴も残さず消えていた。

 こうも完全に葬り去るとは、中途半端にも死を司る、ブラックドッグの力だろうか。


 視界の隅で、白刃が閃く。


「動くなッ!!」


 空に上がっていた川の水が落ち切った直後、背後に迫っていた一番合戦さんは、僕の頬に切っ先を向ける。

 崩れた土手や破壊された川底の地面が、瓦礫のように辺りに散らかって水の流れを遮っており、一番合戦さんでも膝よりまだ下ぐらいしか水深が無い状態になっていた。偶然にもその立ち位置は、人狐が笑みを投げた方である。

 

 その身体でもう追いついたと言うか動けるなんて、精神論過ぎるぞこの人。


「貴様何者だ……! 何が目的で現れた!」


 下手に動けないので顔は見えないけれど、相当厳しい口調の筈なのに、何だかとても辛そうに聞こえた。

 まるで自分が殴られたみたいな、悲痛な声に。


 無理を押しているからだろう。気丈に振る舞っているが、まだ肩で息をしているのが口調で分かる。


 こうなる事は、勿論分かっていたけれど。


 今僕の見た目は、全身毛むくじゃらの狼男だ。体も大きくなって、背も三メートル近くあるし、誰がこれを人間だと、知っている人だなんて思える。


 まして彼女は鬼討だ。僕みたいな半人前の出来損ないじゃない、正真正銘本物の。これが僕なんて知れたら、一体どれだけ自分を責めるか。

 守るべき一般人を、百鬼にしてしまった。それも自分を救う為に。君の為じゃないと幾ら言っても、決して聞きはしないだろう。

 僕も知られない方が気が楽だ。逃げた先で適当に行方不明扱いにでもなって、風化されていくのが丁度いい。言えた立場じゃないけれど、これでも吐きそうなぐらい気分が悪いんだ。自分の尻拭いの為だとは言え、先輩を殺した百鬼に落ちぶれるなんて。


 先輩が知ったら、どれだけ落胆するだろう。


 恨まれるかもしれない。憎まれるかもしれない。自分の時は助けてくれなかったのに、昨日知り合ったばかりの一番合戦さんは、死に物狂いで助けたなんて。こういう気の利かない所が駄目だから、きっと置いて行かれたんだろう。


 全く僕は、どうしようもない。


 一番合戦さんに斬られて死ぬ。

 何の文句も無い、完璧な末期だ。


「答えろ!!」


 激高した一番合戦さんは、僕の足を払い川底に蹴り倒す。

 反射的に両手を着いた僕が向き直ると、透かさず一番合戦さんは僕の胴を跨ぎ、切っ先を突き落とした。本領を発揮した焚虎たけとらが、僕の頭を焼き飛ばそうと迫り来る。


 あれだけの火力を放つ剣だ。痛みを感じる暇も無く死ねるだろう。


 嫌な事の方が印象的な人生だったけれど、最後ぐらい、誰かの役に立ててよかった。


 精密機械のように、眉間の直前で刃が止まる。


 触れれば爆ぜる剣だから、本当にあと数ミリだっただろう。


 何故だか一番合戦さんは目を見開いて、酷く混乱して僕を見下ろしていた。息が止まったのではないかと思うぐらい黙り込んで、やっとの事で零す。


「……九鬼?」


 慌てて刀を下ろした一番合戦さんは、ざぶっと大きく後退あとずさった。


 えっ?


「何で? 何でお前が……」


 一番合戦さん、何を言って……。


「聞いてねーぞ。鬼討だったなんて」


 どこからともなく、ブラックドッグの声がした。

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