喚くのはここまでだ


「当時鬼道おにみち様は、一対一で赤猫と戦いました。我々傘下は町民に紛れさせ、各地の消火に当たらせましたね。焼け石に水のようなものではあったそうですが、高が四人でもいてくれた方がましだったという状態だったようです。……本当に、それは酷い有り様だったそうで。兄様、元々『赤猫』とは、警察用語であるというのは知っていますか? 尤も相当に古い俗語で、現在は使われていないと思われますが。刑事ドラマなどでも、一度も聞いた事がありませんし。あれは火事、放火、あるいは、放火犯の隠語です。赤犬あかいぬ赤馬あかうまとも言いますが、赤猫を使う場合は連続犯という意味も持ち、百鬼の赤猫とは、この意味から名付けられたのではないかと考えられます。江戸で放火と言えばその犯人達は、この赤い獣達に例えられたそうで。赤犬あかいぬ赤馬あかうまが走ると。赤とは火。獣に例えられるのは、当時木造だった建築物が密集していた江戸です、獣が駆けるようにあっと言う間に燃え広がる様を見て、馬や犬に例えたのだろうと。何故猫になるとより悪質な意味になるのかは、誰も知りませんけどね。放火をしてやろうかとやくざ者が脅す際、『赤猫を這わせてやろうか』と言ったからとか。兎も角、言葉としてのそういう意味合いも含め、江戸で怪しい火災が発生しており対処して欲しいと幕府から依頼を受けた際、鬼道様や我々傘下は警戒しました。放火と言えば、火を点けた猫を投げ入れるという方法が当時は流行っていまして、それが本当に百鬼の仕業となれば、赤猫の可能性が高いと。その仕事を受けた頃から、鬼道様は赤猫が犯人だった場合、殺すつもりは無かったそうです。余りに不憫ふびんではないかと。故に、詩御しおん姉様が愛用していた傑作でも、の殺傷能力の高い神刀でもなく、断絆たちほだしを持って行きました。記憶を壊してしまえば、殺さずとも済ませる事が出来ると。……逃げられてしまうのですけどね。壊されてしまうぐらいならと、自ら心臓を引き抜き自害して。以来彼女は、表舞台から消えました。まだ生き延びて、どこかにいるのでしょうかね。……江戸の半分を火の海にした怪物。などとは世に呼ばれてはいますが、私はとてもそのような、悪役みた名で呼ぶ気にはなれません。――これでいいですか? 助広兄様」

「あ、ああうん……。ごめんね? 無理言って」

「まあ苧環おだまきさんもいらっしゃる事ですし、私が憂いた所で意味があるのかという根本的な問題がありますから。詩御姉様より強いんですもの」


 少しだけ拗ねた口調だった。


「意味が無い事は無いよ」


 我が儘を通して貰ったのだから、せめてこれぐらいははっきり言う。


「心配してくれるのは誰だって嬉しい事だし、直接力になれなくたってやれる事もいっぱいあるし、人って結構単純で、そういう言葉だけでも十分嬉しいものなんだよ。思ってくれてるってそれだけで」

「後輩に無理をさせておいて、一体何を言うのですかね」


 花は呆れていたが、笑っているのは声で分かった。


「神刀はどうなさいますか。状況が状況なら、私から当代様に話を通します」

「いや、いいや。あった方がいいのかもしれないけれど、時間無いし」

「何でそんな直前に連絡をされるんですかね全く……。――では、助広兄様」

「うん」

「ご武運を」


 僕は電話を切ると、携帯をズボンのポケットにしまった。


 これで、一番合戦さんが赤猫である事と、当時の戦いの事実が証明された事になる。


 ……本当に強いんだな。一番合戦さん。


 赤猫になったばかりの当時でも、枝野組を圧倒して。そして本当に、辛い思いをしたんだろう。

 勝手に分かった気になるなんて、失礼にも程があるけれど。


 小さく息を吐くと、足元を見る。


「……知ってたでしょ。一番合戦さんが赤猫だって」

「確かに猫くせえとは思っちゃいたが、赤猫とまでは知らなかったさ」


 影の奥から、黒犬は言った。


「化け猫山猫猫南瓜ねこかぼちゃ。この国だけでも、猫の百鬼なんて幾らいる? その上火の百鬼でもあるなんてキリがえ。人間じゃねえだろうなとは思っちゃいたが、それをお前に言って何になる? ただ正体を暴いて無策に敵対して、殺されちまったらたまんねえ」

「……ご尤もだよ。赤嶺さんがいる今だって、洒落にならないぐらい劣勢なのに。いつから知ってたの?」

「二月ぐらいから怪しいとは思ってた」

「あっそ」


 まあ本当に、黒犬を責めた所で何にもならないのでいいのだが。寧ろ今まで黙ってくれていて、ラッキーと言っていい。


 今この状況、赤嶺さんと豊住さんが味方になっているこの時でこそないと、下手に暴いて、どう動かれていたか。僕を半百鬼にさせてしまった事に責任を感じて、また三六〇年前みたいに、自殺されていたかもしれない。


 ……今まで一番合戦さん、何を思って過ごして来たんだろう。


 僕には申し訳無いと感じているのを、黙っていても分かる。いやもうこんなの、事実を知った以上、君が気にする事なんかじゃないのに。

 あの時君が怒鳴ってまで言ったように、何も出来ないんだから引っ込んでいればよかったのに、僕が勝手に君と先輩を重ねて、少しでも楽になりたかっただけなんだから。


 豊住さんの言う通りだ。


 僕、全然君の事を知らなかったよ。


「カッコ悪いなあ……」

「あ?」


 聞き返されて、口に出ていたのに気付く。


 でももうそんなの、気にしている場合じゃなかった。


 豊住さんの妹さんが待っている方へ振り向くと、大股で歩き出す。

 ペースはどんどん上がっていって、妹さんの所まで行く頃には、肩で風を切っていた。


「……九鬼様?」


 彼女が怪訝そうに尋ねるのと同時に、アスファルトを蹴り上げる。



 路地は相変わらずあみだくじみたいに入り組んでいて、それでも大通りを目指して駆け出した。



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