犬と猫


「全てではないがな。慣れない事に疲れたよ。電話の際に、声のトーンを全く変えないのをやった時は本当に苦労した。まあその分強烈に印象的だから、あれが決まればイメージ操作は大体済んだだろうとは思ったが。いないだろ。そんな奴。全くタイミングの悪い頃に、厄介者を寄越されたものだと思ったよ。あの忌々しい枝野組には。銀は今頃になってひょっこり追いかけてくるし、赤嶺の馬鹿まで寄って来るし……。豊住の奴ここに来るまでの間も、相当悪さしながら移動して来たみたいだからな。流石、『こころざし』なんて入ってる名を名乗るだけはあると言うか……。節操な奴だよ全く」


 一番合戦さんは奴を人狐ではなく、豊住と呼んだ。


 つまりあの頃の一番合戦さんは、同じ百鬼である人狐を、退治しなければならない状態だったという事になる。餓者髑髏がしゃどくろの時と言い。


「……本当によくやるよね。自分は昔鬼討に追い詰められたのに、今度は自分が鬼討になって同族を斬るなんて」

「あれは狐だ。猫じゃない。猫であっても知らん。折角バレないようないい土地に住み付けたのに、 横取りされては堪らない。我々猫とはそういうものだ。まだあの頃はぽつぽつと、記憶が蘇っていた頃だったしな」

「勝手な事を……」

「おいおいそれはこっちの台詞だろう? かつての幕府はあの人達を殺した翌日には、万一あるかもしれない赤猫あかねこの出現を警戒し、枝野組に依頼を出していたんだぞ? 『近頃江戸には不可解な事が起きるので、専門家として見張って欲しい。どうやら、放火を行う化け物が潜んでいるようだ』。戯れ言を。赤猫とは本来、人間により生み出されるようなものだ。人間が我々をそのように扱わなければ、そもそもそんな百鬼は存在しない。だから稀少性が高い。赤猫になったからと言って、誰しも暴れる訳でもないからな。一度殺されてるんだ。実際の数としてはもっと存在するだろうが、表に出るような事はまずしない。人間とはどれ程恐ろしい化け物かを思い知っているから、また関わろうなどとは思わない。あんな事をするような連中が、この世にはうようよといる。木を刈り、獣を狩り、居心地のいい場所を探すのではなく作り出す、そんな不気味な生き物達が。獣からすれば、恐ろしくて堪らない。我々にそんな力は無い。我々は、されるがままだ。いつだって。だから赤猫とは古くから知られている割に、その生態は詳しくは知られていないし、対処法も追い付いていないんだ。皆怖くて、隠れてしまうから。そちらからしたら堪らないか。ある日突然、そこを歩いていた野良猫が、火を放って暴れ出すかもしれないなど。自業自得にもかかわらず。その中で奇特にも、表に出たのが私だ。だから赤猫の伝承は、私のエピソードぐらいしか知られていない。私があの時暴れたから、初めてまともに認知されるようになったんだ。以前からいるとはされていたがな……。それは危ないらしいから、幕府も警戒したんだろう。思い当たる節なら自らの行いにも、あの町にも蔓延っている。火事と喧嘩は江戸の花ってな。それを何だ。下手に隠そうとしたその真相を専門家に見破られ、然し専門家も引くに引けない状態だから、情けをかけようとしたら逃がしてしまった? それが後に鬼討達に広まって、お前達は役人が嫌い? 知るか。それと私に、一体何の関係がある。私が化け物にされてしまった事とあの人達が殺されてしまった事に、一体何の救いをもたらす。お前達はものの筋を見失うのが、本当に好きな生き物なんだな。所詮は愚かな国の失態? それに巻き込まれた、不遇な鬼討達の昔話? 馬鹿馬鹿しい。肝心の被害者である我々は結局、害を被るだけで救いは無い。私は未だに怒りが治まらない。無かった事のように振る舞っているお前達を見ていると、ぐらぐらと煮えた腹が焦げそうだ」

「だからそうして機会を窺って、もう一度現れようと?」

「元枝野組のお前にいちいち語る筋などあるまい。……それとも何だ、かつて属していた組に、助けでも求めるか?」

「僕はそんな事は……」

「半百鬼となった分際で。すがった所で退治されてしまう様が目に浮かぶぞ? 忌まわしい惹役ひきやくめ……。やっと出て行ったと思えば今度は化け物になって、赤猫すら引き連れて来たかとな。そういうものなんだろお前らとは。違うか? ん? どう飾ろうと腹黒いのがお前らだ。食べる為でも生きる為でもなく、邪魔だからと他者を傷付け殺すのがお前らだ」

「――そんな事はどうでもいいんだよ。じゃあ何? 僕は君の嘘に付き合ったお陰で、半百鬼になったって事?」

「寝言は寝て言えお前が勝手に首を突っ込んで来たの間違いだ。私は一貫して言ったぞ関わるなと。枝野の者など腹立たしくて仕方無い……。私も犬は嫌いなんでね」

「最高だよ」

「私は最低だな」

「ああそう。じゃああの銀って赤猫と、丁度いいからもう一回暴れようとか?」

「あぁだとしてもお前に私は止められないなあ。出来損ないの犬っころ程度が、枝野でも殺せなかった百鬼を三六〇年越しの今になって殺せるか?」


 無理だ。


 頭の隅で確かにそう分かるのに、どうしても認めたいとは思えない。


 だって何だよそれ。冗談じゃない。僕は化け物の為に、半分化け物になったのか? そんな理由で、先輩を殺したのと同じ奴らに? 高が大昔の化け猫一匹の為に、人生を狂わされた?


 あの屈辱も、あの覚悟も、全てが無駄だと?


 信じていた人が、自分を騙していたなんて。一〇万もの人を殺した、怪物だったなんて。

 全ては演技だったのか……。あの馬鹿正直で真っ直ぐな所も、子供みたいに無邪気な笑顔も。


 拳を作ろうと握った両の指が、手の平を抉りそうになる。


「……もう君の顔なんて二度と見たくない」

「ああ、そうかい」


 へらへらと皮肉っぽい笑みを返してきた顔を、ちゃんと見る事は無かった。


 すぐに背を向けて歩き出すと、乱暴にドアを開けていたから。

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