第186話 氷狼と商人

「ほ、本当に氷狼が喋っている……!!」


 事前にしっかりと聞かせていたとは言え、自分で経験すると驚愕せざるを得ないらしい。

 それだけ、亜人系以外で人語を解する魔物というのは珍しい。


『さっそくで悪いけど、私たちと取引をしてくれるっていうのは本当かしら? 見ての通り、魔物よ。それも、《下の街》の人間が恐れているらしい、氷狼。それでもいいの?』


 スティーリアがボリスにそう言った。

 リュヌには氷狼がポルトファルゼにおいてどう扱われているのかについての知識はなかったが、スティーリアの話を聞くに、大分恐れられているらしい。

 確かに、スティーリアを除いても、氷狼というのはかなり強力な魔物の部類に入る。

 街の人間が恐れるのは理解できる。


「……た、確かに、街の人間は、この山の魔物達……特に、氷狼と雪豚鬼スノウ・オークスノウゴブリンを恐れてはいますが……ひっ!」


 氷狼以外の二種の魔物に触れると同時に、スティーリアから殺気にも似たオーラが吹き出す。

 多分だが、少しいらついたのだろう、とリュヌは察した。

 氷狼たちと他の二つの魔物の来歴についてはすでに聞いている。

 そもそもいがみ合っている敵同士だった歴史が長いわけで、それを聞くと平静でいられないのだろう。

 ただ、雪豚鬼や雪ゴブリンの方はそこまで苛烈な思いはないようだが……。

 種族的な特徴もあるのだろう。

 特殊な進化を遂げているとはいえ、雪豚鬼や雪ゴブリンは豚鬼系、ゴブリン系なのだ。

 かの系統の魔物は自分の種族、特に仲間がやられてしまってもかなりあっさりとしている。

 情がない、というわけではなく、元々弱者であるが為に、それが日常茶飯事だからだ。

 しかし、氷狼はそうではない。

 一体一体が、一騎当千の強者であり、その辺の魔物にやられるというのは珍しいことだ。 しかも数が少なく、家族……むれの者に対する情はとても強い。

 そんな仲間達を失ってきた経験から、氷狼の他二種に対する怒りや憎しみというのは比較的強いのだろう。


「……スティーリア。気持ちは分かるが、あまり脅かしてやるな。ボリスが悪いわけじゃないだろう」


 リュヌが助け船を出すと、スティーリアは頷いて殺気を抑えた。

 それから声を穏やかにして言う。


『……そうね。八つ当たりだったわ。申し訳ないわね、商人。ちょっと、私たち氷狼と、豚とゴブリンには浅からぬ因縁があるのよ。人間にも分かりやすく言えば……敵対する国の名前を挙げて、一緒にされた感じかしら? それで理解できる?』


「な、なるほど……こちらこそ失礼を。契約相手のことは、好き嫌いを含めて細かく調べ、失礼のないようにするのが商人の通例なのですが……何分、魔物の方々のことは我々には分からない部分が多く……これからは、気をつけますので、どうかご容赦を。おっと、その前に自己紹介がまだでした。私はポルトファルゼのナヴァド商会、会頭ボリス・ナヴァドと申します。どうぞよろしくお願いいたします」


『……私は氷狼のスティーリア。雪竜様の眷属……よろしく頼むわ』


「ゆ、雪竜……様の?」


 ボリスが新たに付加された情報にさらに驚く。

 リュヌとしてはそれ言う必要あったのか、びびらせるだけなんじゃないのか、という気持ちになったが、幸いにして、これによりボリスは納得を深めた。


「……なるほど、どうして雪晶の新たな鉱脈のある場所など知っていたのかと思っていましたが……この山を支配する雪竜様の眷属であるのなら、納得というもの。いや……もしかしたら、雪晶が雪竜の力によって作られているというのは正しいのだろうか……?」


 最後の方は独り言だったが、リュヌは言わずもがな、スティーリアの耳にも届いてはいた。

 ただ、雪竜に様をつけようがつけまいが、その辺りは気にしないらしい。

 特段何か言うこともなく、会話を続けた。


『そうね。雪竜様は、この山で起こることすべてをご存じでいらっしゃるわ。だから、山でおかしなことをしないことね。あの方の逆鱗に触れれば即座に氷像になるわ。まぁ、これは貴方たちに限らず、私たちもそうなのだけど』


 雪竜本人を知っているリュヌからすれば、そんなやばいことをするタイプでもないだろう、という感じだが、そんなことを知らないボリス達からすれば酷く恐ろしい話らしい。

 雪山という環境の中においても、冷や汗が吹き出しそうなくらいに震えて、


「よく、肝に銘じておきます……」


 そう言った。

 それから、話の本題に入る。


『ところで取引なのだけど、私たちから貴方たちに……氷の魔石……貴方たちが《雪晶》と呼ぶものを提供する代わりに、食料を対価として頂ける、ということでいいのかしら?』


「ええ、そうしていただけると大変ありがたく存じます。ただ、具体的に必要な食料の質や数などをお聞かせ頂けますでしょうか……? あまりにも過大ですと、商売として成り立つかどうか問題になってきますので……」


『人間の商売については私にはよく分からないけれど、大まかなことはそこのリュヌから聞いて分かっているわ。確かに貴方の言う通りね。具体的に必要な食料の量は……』


 スティーリアがボリスに伝えた食料の量は、過大どころかかなり控えめだった。

 やはり、精霊に近い故に食料はそこまでなくとも構わない、というのは本当らしかった。

 繁殖期に限って量が必要だ、ということだったはずだが、それがいつかを知られるのを嫌ってか、常に一定量を要求することにしたようだ。

 人間が氷狼の繁殖期を知れば、当然、子供の誘拐などを考えるものだからそれは仕方が無いだろう、とそれこそ人間をよく知っているリュヌは納得する。

 子供の魔物は大人ほど強くはないし、うまく飼い慣らせば頼れる相棒に出来る。

 飛竜などは実際に繁殖期に卵を盗み、人間が魔力や温かな環境を提供して孵し、親と思わせて竜騎士として立つ際の相棒とする、ということはよくある。

 そうされた飛竜は慈しまれ、正真正銘、相棒として扱われるので不幸と言うこともないだろうが、親の方の飛竜からしてみれば巫山戯るなという感じだろう。

 そこまで考えて、随分自分は魔物側としてものを考えるようになってきたな、と我ながら呆れたリュヌだった。


 それから、ボリスとスティーリアの話し合いは進み、契約は成立した。

 問題があった部分……スティーリアがただ雪晶を渡すだけでは仕事したことにならないから、何か仕事を、というところについてもボリスは理解し、月に三頭ほどの氷狼を護衛として雇いたい、という提案をした。

 最初、スティーリアは山から仲間を自分の他、二頭降ろすことになるのに難色を示していて、ボリスがその理由を丹念に聞き、スティーリアが雪山から降りた状態でどの程度、対応できるか不安でいることを察すると、しばらくの間、お試し期間と言うことでスティーリアに仕事をしてもらい、なんとかなりそうだったら増やしていく、というところに落ち着いた。

 リュヌとしては、この二者でこうもうまく話がまとまるなら、自分が入らずともいいのではないか、と思ったが、


「……スティーリア様はあくまでもリュヌ様が間に入って下さるから話を聞いて下さっているだけだと思いますので……契約にはしっかりと入って頂きたい」


 と言ってきたので、当初の予定通り、雪晶は一旦リュヌに所有権が移され、そこからボリスへと渡される、という契約になった。

 報酬も雪晶がボリスの手元に来た時点でリュヌに支払われる。

 これはあくまでも貨幣で行われるが、氷狼の食料についてもこのときに引き渡される。

 ただ、実際にリュヌがすることはボリスとスティーリアが協議をするとき以外は皆無なので、これでいいのか、という気がしてしまった。

 スティーリアの言う、仕事をした気にならないとはこういうことか、と妙に納得が行ったリュヌなのだった。

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