第155話 魔物の国

『……俺たちはそれでも全く構わないが、後にこの山に住み着いた魔物たちのことを考えると少しばかり気の毒かもしれんな。この山に掟が出来て数百年が経ったとはいえ、今でも厳しいところだ。力が得られぬでは辛いだろう。魔物とて、平穏に生きられた方が良いに決まっている……そのことを思うと、遙か昔に存在したという魔物の理想郷でもどこかにあればとまで考えてしまう』


 カーがふと、そんなことを言ったので、俺は驚く。

 魔物の理想郷。

 それはつまり……。

 心の中では飛びつきたいほどの感情の高ぶりを感じつつも、俺は冷静を装ってカーに尋ねた。


『魔物の理想郷、とは?』


『おっと、そういえばアインは普人族ヒューマンだったな。知らずとも無理はない……。まぁ、我らとて、その昔は亜人に数えられていたこともあるようだが、基本的には魔に属するもの。そういった種族は今も数多いが……そのような者たちも、そして魔物も、同じく一所で暮らし、衣食住に困ることなく生活していたという伝説の国があるのだ。それは魔物の国、魔国。今ではおとぎ話の中にしかないような存在だが……』


 やはり、と思った。

 魔国。

 それこそ、俺がかつて所属していた国、魔王陛下の治められていた、魔族と魔物の国。

 今はもう影も形も存在しない……。

 いや、影はある。

 転移装置の転移先、そこには魔大陸・魔導神殿の文字があったからだ。

 あそこに一体何があるのかは分からない。

 ロザリーやカーが言うように、もうこの世には魔大陸も魔国も存在せず、完全に消え去ってしまって、転移装置と廃墟だけが広がっているのか。

 それとも、他の何かがあるのか……。

 行ってみたい、と思う。

 それは当たり前だ。

 今は人の体を持ち、人の家族がいて、人の村を故郷として生きている俺だ。

 それでも、この心の故郷はやはり、あの頃の魔国なのだ。

 行けるものなら行きたい。

 だが、同時に酷く恐ろしい。

 転移装置を起動し、転移してみた結果……そこには何もないのが怖い。

 あの頃の全てが、完全に消え去ってしまったなど……俺には受け入れがたい。

 だが、それでも……やはり、一度は必ず見に行かなければならない。

 俺の始まりが、そこにあることから逃げることは出来ないからだ。

 見て何もなかったとき、俺が一体どうするのかは分からない。

 恨みのあまり、すべてを壊したくなるかもしれないが……そのときはそのときだ。

 

『……どうした、アイン?』


 俺が物思いに耽っていたので、カーが奇妙に思ったらしい。

 俺は首を横に振って答えた。


『いや、すまない。魔国とはどんな感じだったのだろうと想像してしまってな』


『本当かどうかは分からないが、いくつか伝わっている話もある。我らの祖先も、元々は魔国にいたという話だからな』


『ほう、本当か?』


 まぁ、あり得ない話ではないだろう。

 どんな理由でかは分からないが魔国が消滅したとしても、そこに住んでいた魔物が他の大陸や国、地域へ流出するというのはむしろ自然な話だ。

 教会の話のように一瞬で魔大陸が消え去ったのだとしても、魔国から他の大陸に派遣されていた者たちまで一緒に消えるというわけでもあるまいしな。

 カーがそういう外に向かった者たちの子孫であるというのはありうる。

 

『あぁ。だから魔国のことについてはそれなりに話せるぞ。たとえば、かの国を治めていたのは魔王陛下だったと言う。今も王を名乗る魔物は様々いるが、《魔王》を名乗れるのはかの国の王のみ。未だに他の魔物がそれを名乗らないのは、その《魔王》陛下に対する尊敬があるが故だ。強力な魔物は数多く荒れ、魔物全てを束ね、国を作るなどという大業はいかなる存在であっても出来ていないからな……。もちろん、それが出来たものがいたとすれば……《魔王》を名乗っても許されるだろうが……』


 これは意外な話だった。

 魔王陛下はいなくなったのだから、その後それを僭称する輩が大量に現れてもおかしくはないからだ。

 名には権威が宿るもの。自らこそが魔王だと名乗れば、たとえそれが嘘八百であってもそれなりの求心力を得られるだろう。

 特に、陛下が崩御された直後であればなおさらに。

 しかし尊敬のゆえに力ある魔物でもそれを避けたというのは……なんだか胸が熱くなるな。

 あの方の偉大さは、亡くなられてもなお、伝わっていたのだと分かって。

 

 それにしても……。


「……王を名乗る魔物とは?」


 それは少し気になった。

 魔物周りについてはあまり俺も知らないというか、ハイドフェルドの屋敷やケルドルン侯爵の屋敷の図書室にもそこまで詳しい書物はなかった。

 概ねの分類とか、何が弱点かとか、そういったものが書いてある書物はあったのだが、せいぜいその程度だ。

 今の魔物の勢力にどのようなものがあるのかとかについて、俺はさほど知らない。

 カーも普人族ヒューマンである俺がその辺りについて不明であることは当然だろうと理解したようで、説明する。


『さっきも言ったが、本当に様々だ。一番分かりやすいのは、種族の長を名乗るものだな。うちの族長も一種の王ではある』


 そう言われて、なるほど、と思う。


『……豚鬼の王とか、そういうことか?』


『その通りだ。有名どころでは、吸血鬼の王やゴブリンの王などがいるな。まぁ、呼び方はそれぞれ異なるが……今の吸血鬼の王は、《吸血女帝きゅうけつじょてい》と呼ばれているし、ゴブリンの王は《小鬼王しょうきおう》などと呼ばれている』


『面白い話だな。魔物も王を戴くほどまとまっている集団もあるのか』


『多少はな。だが、規模は場合によりけりだ。たとえば《小鬼王しょうきおう》なんかは、せいぜいこの国の東にあるルリオ森林の中に、いくつかの集落を集めて治めている程度だ。《吸血女帝きゅうけつじょてい》の方についてはこの国の魔物ではなく、中央大陸に住処を持っているらしいからそこまで詳しいことは分からんが……おそらくは《小鬼王しょうきおう》よりも規模が大きな群れを形成しているのではないか。でなければ女帝などとは呼ばれんだろうしな……』

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